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01


 ――6年の月日が流れた。

 季節は春。侯爵邸の広大な庭園には色とりどりの花が咲き乱れ、木々の枝では小鳥がさえずっている。時刻はまだ正午前。窓からは日の光がたっぷりと注ぎ込んでいた。祝いの日に実にふさわしい一日だ。


「奥様、お時間でございます」

「わかったわ。すぐに行くと伝えてちょうだい」

「かしこまりました」


 アメリアは時間を伝えにきたメイドが部屋から出て行った(のち)、再び鏡に向き直った。結い上げられた髪を横目で確認し、背後に立つ侍女――ハンナに尋ねる。


「ピンは出ていないわね?」

「大丈夫です、奥様」

 アメリアはその返答に満足そうに微笑むと、ハンナと共に部屋を出た。ホールへ向かうため階段を下り始める。すると、踊り場まで来たところで階下から声がした。


「おかあしゃま!」


 それは、先月2歳になったばかりの長女エリーゼの声だった。ウィリアムと同じ茶色の髪に、アメリアと同じ青い色の瞳。桃色のドレスは膝丈で、何とも愛くるしい。彼女は母親の姿を見つけ、まだどこか覚束ない足取りで階段下まで駆け寄ってくる。そんなエリーゼを追うのは、彼女のナニーであるターシャだ。


 ――6年前の一件にて、ダミアは封鎖された。町は炎によって焼き尽くされ、地理的な条件から復興も難しく、人が住める状態ではないと判断されたのだ。


 結局、ナサニエルの亡骸は見つからなかった。アーサー付きの騎士も数名が命を落とした。この解決とは言い難い結果に、アーサーやウィリアムらは何らかの責任を追うことになるであろうと覚悟した。特に、ナサニエルとルイス、この二人と関わり合いの深かったウィリアムは、家督の継承権を放棄することも考えた。

 けれど結局、アーサーとヘンリーのはからいにより事件の真相はおおやけにされることはなく、大規模火災として処理されることとなる。住民から犠牲者が出ず、当の住民らがナサニエルとルイスを擁護したからである。誰が何を尋ねても、彼らが二人を庇う姿勢を崩すことはなかったのだ。


 住民らは別の町へ移住した。けれどその中でターシャだけは、住民と共に移住することを選ばなかった。彼女は王都で暮らすことを臨んでいたからだ。ウィリアムとアメリアはそれに応じ、ウィンチェスター侯爵邸の下働きとして彼女を迎え入れることとした。

 するとそこで重大な事実が発覚したのだ。ターシャは、ウィリアムがまだ幼かった頃にこの侯爵邸で働いていた従僕(フットマン)のシモンズにメイドのターシャ、この二人の娘であったのである。



 ――ときは20年以上前に遡る。


 当時、屋敷で働く使用人に恋愛や結婚はご法度とされていた。執事ほどになればそれも許されたが、下級使用人である従僕(フットマン)やメイドには決して許されていなかった。だが二人は、それを理解していたにも関わらず恋に落ちた。そしてある時、ターシャは子供を身ごもってしまったのだ。

 それは本来幸福なことだった。実際、ターシャは愛する相手の子供が出来たことを喜んだし、シモンズもまた同じ気持ちであった。けれどそれを周りに知られてしまえば、すぐさま暇を出されてしまう。退職金が貰えないどころか、紹介状すらない身では次の職場も見つからない。


 妊娠発覚から3ヵ月が過ぎようとしている頃、ターシャはとうとうシモンズにこう伝えた。


「私――奥様に正直にお話して、村に戻ろうと思うの。あなたが父親であることは内緒にするから。この子は私が育てるわ」


 それはターシャにとって苦肉の決断だった。だが、シモンズは許さなかった。


「何を言うんだ!君の両親はもういないんだろう!?独りで育てるとでも言うのか!そんなの俺は許さない、去るときは二人一緒だ!悲しいことを言わないでくれ!!」

「でも、あなたまで辞めたらどうやってこの子を育てるって言うの!勿論私だってそんなの嫌よ。でもお金が必要なの。それにずっと隠しておくなんてできないわ。これ以上お腹が大きくなったら周りに気付かれてしまう!」

「だからって君一人を辞めさせるなんて……!とにかくもう少し待ってくれ、何かいい方法を考えるから!」


 二人の会話はいつまでたっても平行線だった。シモンズがどうするべきか決めかねている間も、ターシャは働き続けるほかなかった。既に大きくなりかけたお腹を抱えて。けれどある日、無理がたたったのであろうか、ターシャは体調を崩し倒れてしまった。そして妊娠している事実を――ナサニエルの父で医者である――ピーターに知られてしまったのである。


 二人はピーターに懇願した。誰にも言わないでくれ、と。それは、屋敷の主であるウィンチェスター侯爵や夫人にさえも、である。勿論ピーターは渋った。だがこのやり取りを聞いていたナサニエルは、この一件を利用できるのではと考えたのだ。二人はナサニエルの手引きによって病気と判断された。そして侯爵家から退職金と見舞金を受け取ったうえで、ダミアに身を移したのだ。


 けれど残念なことに、最後までターシャの体調が良くなることは無かった。彼女は何とか娘を産み落としたが、そのまま息を引き取った。――そうして、父親であるシモンズは産まれた娘に、母親と同じ名前を付けたのだ。


 ――この事実を知った時、不謹慎ながらもウィリアムは心から安堵した。シモンズもターシャももうこの世にはいない。その事実には深い悲しみを感じたが、彼らの死は自分のせいでも、また、ルイスやナサニエルの手によって引き起こされたものでもなかったのだ、と。


 そしてそれ以来、二人の娘であるターシャはこの侯爵邸で働き続けている。最初はキッチンメイドであったターシャも、いつしかその働きぶりを認められ、エリーゼのナニーを任されるまでになった。



「お嬢様!階段はいけませんよ、危ないですから……!」

 ターシャは、既に階段を上り始めているエリーゼを脇の下から抱えて抱き上げた。


「やーぁ、ターシャ、めっ」

「それは私の台詞ですよ、お嬢様!」

「いーやー!はなちて!」

「いけませんったらいけません!」

 そうは言われつつも、エリーゼは嬉しそうにきゃっきゃと声をあげる。何だかんだ言いつつ、エリーゼはすっかりターシャに懐いていた。


「エリーゼ、ターシャの言うことをよく聞いて、いい子にしてるのよ」

「や!エリーゼもいくー!」

「だめ。とても大切な用なのよ。夕方までには帰るから、ね?」


 だが、エリーゼは不満げに頬を膨らませるばかり。最も、そんな態度ですらただただ愛らしいばかりであるのだが……。

 アメリアはそんな娘に柔らかに微笑みかけてから、ホールの扉前に待機している執事に尋ねた。


「あの人は?」

 女主人の問いに、執事は恭しく答える。


「既に馬車の前にてお待ちです。ノア様もご一緒に」

「そう。じゃあ行ってくるわね」

「いってらっしゃいませ」



 アメリアとハンナの二人が屋敷の外にでると、石造りの階段下に2台の馬車が待機していた。その先頭の馬車の前にはウィリアムと、息子のノアの姿がある。今年で5歳になるノアは、アメリアの姿を見つけると満面の笑みを見せた。


「お母さま!」


 ノアの少し癖のある金色の髪が春風に揺れる。緑の瞳はウィリアムのそれと全く同じ色。肌は白く透き通り、女児と間違われても不思議はない。だがそうは言っても、顔立ちは父親であるウィリアムとそっくりで、今日の為に仕立てた爽やかなブルーのスーツが実に良く似合っていた。


「ノア、待たせたわね。あなたも」

「いや、構わないよ」


 アメリアの視線の先、ノアの隣に立つウィリアムは、数年前と比べて柔らかい顔つきをしている。けれどそれと同時に、侯爵家の当主としての風格を漂わせていた。オールバックにセットされた髪型が、彼の魅力を一層引き立たせている。


 アメリアとハンナの二人が階段を降りると、ノアが軽い足取りで駆け寄ってきた。彼はアメリアの姿を見て目を輝かせる。


「お母さま、きれい!」

「ふふ、ありがとう、ノア」


 それに応えるように、傍に居るウィリアムも微笑んだ。


「本当に綺麗だよ」

「ありがとう、あなた。さあ、行きましょうか」

「ああ」

 ウィリアムは慣れた手つきでアメリアの手を取る。そうして二人は馬車に乗り込んだ。ノアも後に続く。


「では、私は後ろに乗りますので」

 ハンナは三人が馬車に乗り込んだのを確認し、にこりと微笑むと後方の馬車へと乗り込んだ。



 馬車は王城に向かっていた。王子の誕生を祝う為だ。国民を上げての祝祭はまだ先だが、今日は内々で行うことになっている。三月(みつき)ほど前に生まれたばかりの王子で、“良い統治者”の意を込めてエリックと名付けられた。


「挨拶を終えたら、お前は王女殿下のお相手をして差し上げなさい」

「はい、お父さま!」

 ウィリアムの言葉に、ノアが朗らかな声で返事をする。そして彼は、何かを思い出したように隣に座るアメリアを見上げた。


「あのね、お母さま」

「なあに?」

「僕、グレース様におくりものを用意したんだ」

「あら、そうなの?」

「東国の本なんだけど」

「……ああ、あの時の」


 アメリアは先日の息子の言葉を思い出す。珍しく本をねだると思ったら、王女様への贈り物だったのか、と。


「――本?」

 アメリアがそんなことを考えている一瞬の間に、ウィリアムが呟いた。アメリアが応える。


「ほら。この前あなたにお願いしたでしょ。取り寄せてほしい本があるのよって」

「ああ。そう言えばそんなことも……」

「王女様宛だったのね」


 王女は名をグレースと言った。歳はノアの一つ下。二人は親戚にあたることもあり、まだ幼いながらも既に親交を深めている。


「確かに言われてみれば、少女向けだったような気もするな」

「あら、中を覗いたの?」

「いや……ノアが本をねだることなんて珍しいからな。気になったんだ」

「まぁ。ほら聞いた、ノア?いつも仕事仕事って忙しいお父様も、ちゃんとあなたのことを気にかけて下さっているみたいよ」

 アメリアはそう言っていたずらっぽく微笑み、(かたわ)らのノアに笑いかけた。するとノアはひまわりのように笑い返す。


「大丈夫、僕全然さみしくないよ!ライオネルがいつも一緒にいてくれるから。それにね、僕、昨日もほめられたんだ!剣のすじ(・・)がいいんだって!」

「そう、それならきっとすぐにお父様を追い越してしまうわね。楽しみだわ」

「うん!お母さまも、今度けいこを見にきてね!」

「勿論よ」

 アメリアは暖かい笑みを浮かべて頷く。そうして、再びウィリアムに視線を向けた。


「――あなたも、仕事ばかりだとノアに忘れられてしまうわよ?」

「はは。君の言う通りだな、返す言葉もないよ」

「そうだよ、お父さま。たまにはお母さまの相手をしてあげないと!僕知ってるんだ。お母さまはおモテになるんだよ!うかうかしていると他の男にとられちゃうんだよ!」

 息子のませた言葉に、ウィリアムとアメリアは一瞬あっけにとられたような顔をした。が、すぐに取り澄まして応える。


「それは困るな。が……一体どこでそんな言葉を覚えたんだ」

「そうよ、ノア。誰から聞いたの?」

「ニックが言ってたよ。きせんじょうげ、ろうにゃくなんにょの区別なくお優しいお母さまは、皆に慕われているんだよって!」

 ノアの言葉に、二人はやや呆れたように溜息をつく。

「……ニックの奴め、言い方ってものがあるだろうに」

「後でよく言っておかないと……」


「……だけどな、ノア。何も心配する必要はないんだ。私と母様は心から愛し合っているのだからね。他の男が付け入る隙などありはしないよ」

「そうなの?」

「勿論だ。そうでなければ、お前やエリーゼが産まれる筈ないだろう?」

 このウィリアムの言葉に、ノアは首を傾け、アメリアは顔を赤らめた。


「ちょっとウィリアム!子供に何てこと教えるのよ!」

「なに、ノアもいづれ知ることになるさ」

「この子はまだ5歳なのよ!?」

「もう5歳――だろう?」

「――っ」


 二人の言い合いは続く。けれどその騒ぎを治めるかのような絶妙なタイミングで、馬車の窓が叩かれた。三人が視線を向ければ、そこには騎乗しているライオネルの姿が。


「ライオネル!」

 ノアは嬉しそうに声を上げる。


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