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09



「――ルイス……」


 今度こそ、それはウィリアムの声だった。懐かしい主人の声だった。


「ウィリアム……様」

 目の前の見慣れた筈のウィリアムの姿に――ルイスは唇を歪ませる。


「……行って……しまうんだな」

「……」

 ウィリアムの呟きに、ルイスは俯いた。けれどすぐに視線を戻す。なぜならウィリアムの表情に陰りの色が見られないことに気付いたからだ。寂しさこそ感じられるが、そこに自分に縋るような感情も、責めるような感情さえも無いことに気付いたから――。


 だから、ルイスはやめた。本当は、何故自分を責めないのかと尋ねようと思った。だが、やめた。それが無意味なことだと知ったから。ウィリアムに尋ねたところで、彼は決して自分を責めないと確信してしまったから。それなのに、それを問うのは自らへの甘えになる。

 だからルイスはその気持ちを抑えこみ、いつものような笑みを浮かべた。


「はい。今まで大変お世話になりました」

 ルイスは静かに笑う。

 15年前初めて出会ったときに比べ、大きく成長したウィリアムを見つめ、込み上げてくる形容しがたい感情を胸の内に秘めながら――。


「それに……本当に申し訳ございませんでした。このような事件に巻き込んでしまい――あまつさえ、複数の死者も出してしまった。彼らには本当に気の毒なことをしました。

 本来なら僕はここで裁かれなければならない人間です。ですが、まだ死ねない。ナサニエルを放ってはおけません。だから……行きます」

「わかっている。今回の事件はこの俺でも隠しておくことは出来ない。ナサニエルは勿論、お前とてただでは済まされない。ここに残れば、お前は法で裁かれることになるだろう。だが俺はそれを望まない。俺はお前に生きていて欲しいと思っている。……ここじゃない、どこかででもいいから生きていてくれればと……心からそう思ってる」

「……ええ」

「……何も出来なくて、俺の方こそ本当にすまない」

「いいえ、そのお言葉だけで十分すぎるくらいです。……ありがとうございます、ウィリアム様」


 ウィリアムにじっと見つめられ――ついつい敬語が出てしまう。15年の間に積み上げられた癖みたいなものだ。ルイスは本来、横柄な態度は苦手なのだ。


 ウィリアムは必死に言葉を探す。別に引き留めたいわけじゃない。そんなつもりは毛頭ない。けれど、本当にこれが最後だと自覚せざるを得ない状況になって初めてわかるものもある。それが、どれほど自分勝手な感情であるのかも。

 それに、彼にはまだやらなければならないことがあった。それは、自分の中からエリオットが消え去る前に告げた、彼の最後の頼み。


「……なぁ、ルイス」

 だから、ウィリアムはルイスを見据える。


「実は――お前に、頼みがあるんだ。……俺からの、最後の頼みだ」

「…………」

「強制はしない。が、……聞いてくれるか?」

「……聞きましょう」


 エリオットは言った。自分と同じように、ローレンスも解放してやってくれ、と。ローレンスもまた、この不遇な運命の歯車に巻き込まれたただの人に過ぎないのだから、と。少なくともエリオットはそう思っていた。だが、ルイスにとってはそうではないだろう。それに恐らく、ローレンス自身もそうは思っていない。だが、今のままではアーサーの中にローレンスの意識が残ってしまうことになる。ソフィアの右目の力もだ。それはウィリアムにとっても望ましいことではない。

 だから彼は、ぐっと拳を握り締める。


「ローレンスを連れて行ってやってくれ。彼の意識を――右目の力と共に」

「……」

「俺はアーサーに誓った。彼の力になると。アーサーを苦しみから解放したいと。俺はそう願っている。……その為にはソフィアの右目を、ローレンスの意識と共にアーサーから引き離さなければならない。そもそも、お前の目的はソフィアの右目を取り戻すことだった筈。……だから」


 ルイスをじっと見つめながら、ウィリアムは言葉を絞り出す。


 ――本当は知っていたのに。ルイスがアメリアやエリオット、そしてアーサーからソフィアの力を引き剥がさなかった理由を、ウィリアムは確かに知っているのに。

 それは彼らから力を取り出すことによって、アメリアが転生後の記憶を失くすことになり、また、エリオットとローレンスの意識そのものが消失してしまうことを避ける為だった。ルイスは自分の本来の目的を諦めてまで、他を優先することを選択したのだ。 

 ウィリアムはそのことに確かに気が付いていた。


 だが結局、アメリアとエリオットは自らの手で、ソフィアの力をルイスに返すことを選んだ。その選択は二人にとっては正しかったのだろう。けれどそれは同時に、今後ルイスの存在を記憶していられる人間が居なくなったということを意味する。その上ローレンスまでもがソフィアの力を手放せば、ルイスは本当の意味で独りに……孤独になってしまうということなのだ。


 しかし、ウィリアムはそれを理解した上でルイスに告げる。アーサーの為に、ローレンスを、そして右目の力を、その身体から切り離してくれ、と。


「……確かに、仰る通りです」

 ウィリアムの言葉に、ルイスは苦しげにまぶたを伏せた。


「これは僕の逃げです」

 彼は、繰り返す。


「僕は……逃げたんです」

 

 そう。この一件によって、ルイスのローレンスに対する憎しみは薄れてしまっていた。千年前にすっかり消え失せた筈の、ローレンスへの愛情が思い出されてしまった。けれどその不安定で不確かな感情を面と向かって確かめることも出来ない。そんなルイスの弱さが、この中途半端とも呼べる状況を生み出している。


 しかしそれは仕方のないことだった。何故ならルイスもまた、気づいてしまったのだから。ローレンスが決して自分を恨んでなどいないことを。千年もの間、その意識を魂の奥底に閉じ込められ続けてきたと言うのに、それでもローレンスには自分を少しも責める気がないのだということを知ってしまったのだから。


「それでも、貴方は僕にローレンスと向き合えと……そう仰るのですね」

「……」

「……ですが」

 ルイスは続ける。


「僕は……怖いんです。どんな顔をしてローレンスに会えばいいのか……わからない」


 その声は震えていた。それは先程エリオットに別れの言葉を告げたときと打って変わり、あまりにも臆病なルイスの姿。その陰った表情に、ウィリアムの心臓が締め付けられる。

 だがウィリアムとて今更引くわけにはいかなかった。なぜならアーサーを救うその為だけに、エリオットは深夜のうちにエドワードとブライアンの部屋を訪れ、言付けておいたのだから。――夜明け前にアーサーを必ずこの場に連れ出すように、と。


 ――全く、エリオットにはしてやられたよ。


 ウィリアムは既に自分の一部となったエリオットに対し、心の中で(ひと)()ちる。自分が眠っている間に彼はアメリアへの最後の手紙を綴り、そしてルイスとローレンスの対面の手筈まで整えたのだ。


 ウィリアムはそっと両目を閉じる。そして自分の背後から物凄い勢いで近づいてくる馬の蹄の音に……あぁ、ちゃんと間に合ったんだな、とほっと胸を撫で下ろした。


「――兄上!」

 ローレンスの叫び声が響き渡る。と同時に、地面を見つめていたルイスの両目が大きく見開いた。その視線が、ウィリアムの背後のそのまた向こうの弟の姿を――捉える。


「……ロー……レンス」


 それは本当に小さな声だった。

 ローレンスの姿を目の当たりにしたルイスの喉の奥から(こぼ)れ出る、今にも泣きだしそうな声。今すぐここから逃げ出してしまいたいと――目蓋の奥で震える瞳。勿論ウィリアムがそれを見逃す筈はなかった。一歩、二歩と後ずさるルイスを、ウィリアムは決して許さない。


「――ルイス」

 ルイスの腕がウィリアムによって引き寄せられる。そしてそのまま、ローレンスの目の前に送り出された。「逃げるな、ルイス」――と、耳元で囁かれる優しい声と共に。



「兄上、私を置いて行かないで下さい」

 それがローレンスの第一声だった。


 馬から飛び降りてすぐそばまで駆け寄ってくるローレンスは、言葉とは裏腹に、寂しさも後悔もないという顔をしていた。千年も前にとっくに成人を迎えたローレンスの姿は、今やルイスの知る弟ではないし、そもそも今の身体はアーサーのものだ。だがそれでも、そこには確かに良く知る弟の面影が写し出されている。


「私はもう逃げません。確かに私はナサニエルを恨んでいた、今だってそうだ。ですが……それでも私の唯一つの望みは、兄上、貴方のそばにいることです。だから、私をここから連れ出してください。この右目の力と共に」

「――!」

 ローレンスは続ける。


「それでこの意識が消え失せようと――それでも私はかまわない。もう二度と、置いていかれるのだけはごめんです」

「……」


 二人の視線が絡まる。少しの沈黙が続いた。ローレンスは決してルイスから視線を逸らそうとはしない。


 その瞳の力強さに、ルイスはとうとう諦めたのだろうか、彼は何かを祈るように――ゆっくりと瞼を閉じる。冷ややかな秋風が頬をかすめた。


 ――本当に……敵わないな。


 ずっと恨んでいた。千年もの長い時間を、ただ恨みと憎しみだけに支配され生きてきた。母親と妹の仇だと信じ切り、終いには何の罪も無かった筈のローレンスに全ての責任を押し付けようとした。それなのに、ローレンスは自分を恨んでいないと言う。憎んでいないと言う。自らの母親をナサニエルに殺され、全ての罪を擦り付けられたにも関わらず。――それでも彼は、こんな自分の傍にいたいと言ってくれる。


 ――未熟なのは僕の方だった。ローレンスの方が、よっぽど大人だったんだな。


 ルイスの中に走馬灯のように駆け巡る、古の記憶。幼かったころのローレンスが、あの泣き虫だった弟が、いつの間にか自分よりもとっくに大人になっていた。千年もの間、屍のように生きて来た自分なんかよりも、ずっと、ずっと……。


「……僕の負けだよ」

 呟いてまぶたを上げれば、そこには大きく目を見開いて、驚いたようにこちらを見つめるローレンスの姿。今にも泣きだしそうな、あの頃の弟がそこにいた。


「――兄上」

 瞬間、ルイスの背中に回されるローレンスの両腕。それはまるで子供の頃を思い出させるように――けれど、そのときとは立場がまるで反対で。


「ありがとう、兄上」

 ルイスの肩に顔を埋めるようにして、ローレンスが「お帰りなさい」と呟いた。それに応えるように、「ただいま」と表情を緩めるルイス。


 ――本当はずっと願っていた、長い間望んでいた。今、この瞬間の訪れを。千年前、未来を(たが)え別の道を進むことになってしまったあの日から――ずっと後悔していたのだ。謝りたいと願っていたのだ。もう一度言葉を交わしたいと、いつかのように笑いあいたいと、心の底から。


「兄上……最後に、一つだけ教えて下さい」

 お互いの存在を噛み締め合ったまま、ローレンスがそう尋ねる。ルイスの背中に回された彼の腕に、緊張が加わっていた。けれどそれを宥めるように、ルイスはそっと、優しく、ローレンスの背中を二度叩く。“何だろうと応えるよ”と。


「兄上が毒を飲んだあの日、貴方は私に言いました。“二つ約束して欲しい”と。一つはあの件を兄上にお任せすること。では――もう一つは、兄上は私に、何を約束させようとしていたのです」

「……それは」


 ――よくそんなことを覚えていたな、とルイスは笑みを深くする。忘れもしない。あの日、自分はローレンスにこう言おうとしていたのだ。


「“これから何が起ころうと――僕を信じて欲しい”と」

「――!」

「つまり……お前は僕が言わずとも、約束を守ってくれたと言うことになる。……お前は本当に僕の誇りだ。あまりに優しすぎて……心配になるくらいにね」


 ルイスの笑みに――まだ子供だった頃の優しい笑顔に、ローレンスの喉から嗚咽が漏れる。嬉しすぎて――あまりにも、嬉しすぎて。


「ありがとうございます……、兄上」

「何を言うんだ。礼を言うのはこちらの方だよ。本当にありがとう……ローレンス」


 そうやって二人はしばらくの間、失った時間を埋め合わせるように――ただ互いの存在を確かめ合っていた。



 右目の力をルイスに返した後、ローレンスはアーサーの中から――この世界から、消え失せた。本来その力を受け継ぐ筈だったルイスの中で、彼は静かに眠りについた。それはとても穏やかな最後だった。


 そうして、意識を取り戻したアーサーはルイスに告げた。「必ず真実を突き止めろ」――と。それが命を落とした騎士たちへの最低限の報いである、と。そして、「決して無駄死には許さない」とも。


 それに応えるように頷いて、ルイスは微笑む。


「約束します。必ず真実を突き止めると。そしてそれまでは決して死なない、と」


 そして今度はウィリアムに向き直り、続ける。


「では、僕は行きます。本当に……ありがとうございました」


 今度こそ、別れの時だ。


「俺の方こそ、今まで本当に……」

 言いたいことはお互いにまだまだ沢山あった。だが、どんな言葉だろうと、今のこの気持ちを正しく言い表すことは出来ないと、互いに悟っていた。


「……ありがとう」

 それでも、どうにかして絞り出した最後の一言。それがウィリアムの気持ちの、全てだった。


「ええ。僕の方こそ」

「……寂しくなるな」

「……本当に」

「…………元気で、いるんだぞ」

「……はい。ウィリアム様こそ」


 今度こそ二人は最後の言葉を交わす。お互いの未来を願い、熱い抱擁を交わした。アーサーはヴァイオレットとの別れを惜しみ、けれど決して彼女を引き留めようとはしなかった。それが心から愛する彼女の選択なのだと、受け入れた。


 ――そうしてルイスは、ヴァイオレットと共にこの地を去った。



 それは秋の終わりの出来事だった。空を赤く染める朝焼けが、次第に透明な色へと変わっていく。ウィリアムはそんな空をどこか名残り惜しそうに眺めながら、ルイスの背中が景色の向こうに消えるまで、ただ静かに見送り続けた。


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