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04


 ルイスは今にも震えだしそうな声で尋ねる。けれどナサニエルは頷かなかった。奴は恨めしそうな表情を変えることなく、静かにルイスを責め立てる。


「まさか。私は千年前からずっと貴方のお味方ですよ、ユリウス殿下。ローレンス様から何を聞かされたのかは存じませんが、この千年の間貴方を支え続けてきたのは紛れもなくこの私。それは貴方が一番よくわかっていらっしゃる筈です。

 それに、この血は世界に二つのないとても貴重なもの。おいそれと使うことは出来ません。――殿下が何を心配なさっているのかわかりませんが、ユリア殿下の今のその身体がここで朽ち果てようと、何の問題もないでしょう。彼女は記憶を持ち越せる。肉体の死など重要ではない。我々はほんの少しの間、彼女が再びこの世に生を受けるのを待てばいいだけなのですから。今までだってずっと、我らはそうやって生きてきた。それをどうして今さら変える必要があるのです」

「……何……だと」

「ですからユリウス様、残念ですがユリア殿下のことは一旦お忘れになられるのが賢明かと。そうして貴方は今すぐに、そこにいらっしゃるローレンス様と、ウィリアムのお二人から妃陛下の力を回収なさい。それが今貴方の成すべきことです」

 そう言って、冷たい視線をルイスに向ける。だがルイスは困惑を隠しきれず、ただ動揺するばかり。けれどそんなルイスとは裏腹に、ローレンスは怒りをあらわにさせた。


「黙れナサニエル!この私を前にしてよくもそのような嘘を並べられるな!お前は兄上にずっと嘘をついていた!城の重臣たちのみならず父上や母上を手にかけたことを隠し、その罪を全て私に(なす)り付けた!ソフィア妃の亡骸についてもそうだ!

 あの日お前に耳を切り落とされた私が目覚めたとき、ソフィア妃の亡骸はそこには無かった!お前が運び去ったのだろう、あの時あの場で生きていた者は私以外にお前しかいなかったのだからな!」

「……」

「お前はわかっている筈だ、ソフィア妃の左目の力をその眼に宿すお前なら、私の右目に宿るソフィア妃の力を。私が兄上に話したのは、決して改変されることのないこの右目の記憶――、そこに一かけらの嘘偽りもないことを!

 私が愚かだったのだ、手遅れになる前に気付かなかったこの私が、誰よりも愚かだった。……私は覚えているぞ、兄上が毒入り菓子を食べたあの日、解毒の為にソフィア妃の血を飲ませたのはお前ではなくこの私だった。もっと早く気付くべきだった。お前は“王族に口づけるなど恐れ多い”という理由でその役目を私に頼んだが、本当の理由は別にあったのだと。

 お前は恐れていたんだ!その血は“使う者の心のありようによって薬にも毒にもなる”。後ろ暗い事情のあるお前には使うことが出来なかった!あれがソフィア妃の血液であることすら知らなかった私は、お前にいいように使われたというわけだ!」


 興奮した様子でローレンスは声を張り上げる。そしてその内容に、ナサニエルが言い返してくることはなかった。彼はただ黙ったまま、ゆっくりと顔を伏せ――そして、嗤ったのだ。


「く……っ、くく……」

 それは酷く引き攣った声だった。奴は顔を伏せたまま右手で眼鏡を外し地面に無造作に投げ捨てると、それを右足で踏みつぶした。俺が幼かったころから……いや、それよりもずっと以前から身に着けていたであろうその眼鏡は、無残にも粉々に砕け散る。

 そして次に顔を上げたとき、その顔には異常なほどに頬を引きつらせた笑みが……張り付けられていた。


「あぁ、そこまで言われてしまっては私の負けです。確かにローレンス様の仰る通り、私はずっと貴方がたを騙していた。毒入りの菓子を用意したのも、ユリウス殿下への嫌がらせを手配したのも、国王陛下を殺したのも全てこの私。千年前にユリア殿下を誘拐し、死に至らしめたのも私です」

 それは俺の知るアルバートでは無かった。勿論、先ほどまでのナサニエルともまるで別人だった。その男は、まるで人間とは思えない狂気の笑みを浮かべ、さも愉快そうに言葉を並べる。


「国王陛下の最後は見物でしたね。あの愚かな国王といったら、ソフィア妃のお腹のお子が私の子と信じて疑わず、私の顔を見るなり怒鳴り散らしたりして。衛兵に私を捕えさせようとしたものですから、全て斬り捨ててやったら今度は命乞いを始めましたよ。あの情けない姿といったら……息子である貴方がたにも、是非見せてさしあげたかったですねぇ」

「……そんな。…………嘘……だろう?」

「――嘘?いいえ、全て真実ですよ、ユリウス殿下。私は最初から貴方に忠誠など誓っていなかったのです。それどころか妃陛下にさえ、忠誠など誓っていなかった。あの方を慕っていたというのも全て嘘です」

「そんな!それこそあり得ない!母上には人の心を読むことが出来たのだ!その言葉が本当なら、お前を傍に置くはずがない!」


 それは切実な声だった。ナサニエルの言葉がどうか嘘であって欲しいと願う、ルイスの願いを込めたような叫びだった。

 けれどナサニエルは、冷たく否定する。


「確かに、貴方の仰るとおりです。けれどそれは、私が“だだの人間”であったなら……の話ですが」

「……何?」


 ルイスの瞳が、信じられないというように見開かれる。それと同時に、ローレンスの身体から威嚇するような殺気が立ち昇った。


「本当におめでたい方たちだ。貴方がたは皆一様に、ご自分だけが特別な存在だと信じていらっしゃる。今まで一度だってお疑いになられなかったですよね。

 ……神の血を身体に宿す存在がこの世界にソフィア妃だけであると、どうして言い切れるのですか?」

「――っ」


 その言葉に、この俺さえも気づいてしまった。気づかざるを得なかった。この男ナサニエルも、ソフィアと同じようにその身体に得体の知れない何かを抱えているのだと。


「……まさか、お前が母上と同じ存在だとでも?」

 ルイスが震える声で尋ねれば、ナサニエルは笑みを深くする。


「私も昔はただの人でした。か弱く(もろ)い、何の力も持たないありふれた人間のうちの一人だった。けれどある日、私の前に神が現れたのです。あの方は私に仰った。力を授ける代わりに私の力になると誓え、と。勿論私は受け入れました。自らの魂と引き換えに“絶大な力”を手に入れたのです。

 あの日私は生まれ変わった。あのお方の御身に流れる尊い血を分け与えられた私は、人でありながらそれとはまったく異なる存在になりました。――そう、丁度ソフィア妃や……その血を受け継ぐ貴方がたと同じように」

「そんな……馬鹿な。神の力を……お前が……?」

「おや、信じられませんか?今まで散々、神から与えられしソフィア妃の力に頼っておきながら、まさかその神の存在をお認めにならないと?」

「……っ、そうではない!僕が言いたいのは、何故その神がお前に力を与えたのかと言うことだ!どうして何の非もない僕らが……一体どんな理由があってこのような酷い仕打ちを受けねばならないのかと……そう言うことだ!」


 ルイスは声を荒げる。混乱と困惑を隠せない表情のまま、それでもナサニエルをどうにかしなければ……と、強い感情をさらけ出して。


「ユリウス様、神と言ってもその性質は様々なのです。我ら人によって都合の良い神もいれば、そうでない神もいる。神々も我ら人間と同じように感情というものを持っておられるのですよ。神とて万能ではない。つまりその神々が、時として我らに私情とも取れる災いをもたらすことがあるのです。

 貴方とて、実はお気付きなのではありませんか。貴方がそうであったように、ソフィア妃のお父上であるハデス神もまた、同族である神々に疎まれる存在であったと。そしてそれは彼がこの下界に降りた後も変わること無く……いや、それこそ天界にいらしたとき以上に疎まれることとなってしまった。その、理由を――」

「――っ」


 刹那、ルイスから表情が消えた。いや、血の気が引いた、と言う方が正しいのかもしれない。

 そんな兄を庇うように、ローレンスがナサニエル目がけて斬りかかる。「黙れナサニエル!」――と、目を血走らせ叫びながら。

 しかしナサニエルはそれをいとも簡単に受け流し、冷淡に告げるのだ。


「何故ならそれは、ハデス神がおつくりになったソフィア妃が人間と神との混血児を産んでしまったからだと言うことを――」

「黙れ、黙れ、黙れえッ!」

 ローレンスが叫ぶと共に、怒りに染まった剣の切っ先がナサニエルの左手に握られた剣をわずかに押す。だが、それでもナサニエルが言葉を止めることはなかった。


「これだけ言えばもうお分かりでしょう?貴方の真の敵は誰なのか。なぜソフィア妃が死ななければならなかったのか」

「黙れと言っている!今すぐその汚い口を閉じろ、ナサニエルッ!」


 ――ナサニエルはローレンスの剣を受け流しながら、最後の言葉を口にする。ルイスそのものを否定する――たった一つの言葉を。


「“貴方は、産まれてきてはならない存在”だった」

「黙れえええええええッ!!」


 刹那、ローレンスの剣がナサニエルの剣を弾き飛ばした。流石に左手では力が足りなかったのだろうか。ナサニエルはふらりとよろめいて、どうにか体制を立て直そうと背後へ下がろうとする。

 けれどそれは叶わなかった。何故なら背後に大木が立ちはだかっていたからだ。大木の壁に阻まれ逃げ場の無くなったナサニエルの喉元に、ローレンスの剣の切っ先が据えられる。


「よくも兄上を侮辱したな!」

「侮辱?私はただ事実を申し上げただけですが」

「この下衆げすがッ!もしもお前が神の血を受け継いでいたとしても、その行いは決して許されるものではない!例え神がお前を許そうと、この私が許しはしない!」

「では今すぐ私を殺せばいい。その右手にほんの少し力を込めれば――私の喉を切り裂けば、この身体はすぐに活動を止めるでしょう」

「あぁ、お前に言われずともそうさせて貰う。だがその前に――ウィリアム!」


 その声に我に帰れば、ローレンスが俺を呼んでいた。こちらに来い、と。ナサニエルの胸元から小瓶を探せ、と。どうやらローレンスは、小瓶の存在を確かめるまで目の前のナサニエルを殺すことは出来ないと考えているらしく――そこから視線を一瞬たりと反らす気はないようだった。そしてルイスもまた、呆然自失と言った様子で動けない様子である。つまり、今動けるのはこの俺一人ということだ。


 俺は右手の短刀をいつでも使えるように気を張りつつ、睨み合う二人に近づく。ソフィアの血液が入っている小瓶が本当にあるのなら、アメリアは助かるかもしれない――と。


「――早くしろ。手遅れになる前に」

 ローレンスが呟く。俺はその声に頷いて、短刀を構えながら左手でナサニエルの胸元をまさぐった。すると確かに小瓶があった。取り出せば、その中には赤い液体が入っている。


「これ、か?」

「あぁ、そうだ。間違いない」


 俺たち二人に、ナサニエルの苦々し気な視線が向けられる。が、今はそんなことに気を取られている場合ではない。


「ユリアに飲ませろ。今直ぐに」

「わかった」


 俺はローレンスの指示を受け、急いでアメリアのもとへ駆け戻った。放心状態のルイスの腕からアメリアを抱き寄せ、彼女の口内にソフィアの血液を口移しで含ませる。小瓶に半分ほど残っていた液体を、……全て。

 けれど、彼女の喉は動かなかった。当たり前だ、彼女は確かに死んでいるのだから。口に含ませた液体を、飲み込むことなど出来る筈がないのだ。

 しかしどういうわけだろう。不思議なことに、口に含ませた血液が零れ落ちてくることもなかった。飲み込まれる筈のないその液体は、普通なら口の端から溢れてきてもいい筈なのに、まるで彼女の身体に溶け込んでいくかのようにいつの間にか消えていたのだ。


 ――これが、ソフィアの血液だからなのだろうか。


「これで君は……本当に助かるのか……?」


 半信半疑で、俺は呟く。どうか目を開けてくれ、と……ただそれだけを……強く祈って。


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