02
*
「――リア、ユリアッ!!」
――気が付けば私は、エリオットの腕に抱かれていた。
「あぁ……ユリア、やっと……気が付いた……」
そう言って泣きながら私を見下ろすエリオットの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっている。
――あぁ、私……。
そうだ、私……先生に、撃たれて……。でも――良かった。貴方は無事ね。……怪我……してないのね。
そう思って、ハッとする。あれから状況はどうなったのか――と。
けれど、確かめる為に身体を起こそうと力を込めても少しも身体は動かなかった。仕方なく視線だけ泳がせて、……その先に居るナサニエルの姿に私は悟る。まだ何も解決していないと、まだ事態は好転していないのだと。
その証拠に、マーク卿が私達を庇うようにナサニエルと対峙していた。冷めた瞳でこちらに視線を向ける先生に対し、剣を抜いたマーク卿が私たちに背を向けた状態で立っているのだ。
――あぁ、いけない。このままではマーク卿までもが死ぬことになってしまう。関係のない人まで、巻き込んでしまう……。
私はエリオットに伝えようと、声を出そうとした。でも――出なかった。代わりに私を襲うのは、信じられない程の胸の痛みと、息苦しさだけ。
「――っ」
私は思わず顔を歪めた。そんな私に、エリオットは悔しそうに俯く。
「……ごめん、ごめんね、ユリア。痛いよね、……痛いよね」
何度も何度もそう繰り返して、彼は大粒の涙を流す。
――あぁ、泣かないで、泣かないで。
私が好きでやったことなの。こうでもしなきゃ、あなたは即死していたのよ。心臓を打ち抜かれて……死んでいたの。だから私、本当に少しも後悔してないわ。
痛くても、苦しくても……。だって、私はいつだって貴方の命を守る為に、生きていたのですもの。
「……ユリア……、どうして……君は、こんな状況なのに……笑っていられるの……?」
嗚咽の混じった声で、エリオットが呟く。私はその問いに、今の精一杯で微笑み返した。
――どうしてかって?決まってるじゃない。だって私、貴方を愛しているんですもの。私、あなたのことを、ウィリアムと同じくらい――愛しているんですもの。ずっとずっと……愛し続けてきたんですもの。貴方が私を愛してくれたように、私も同じくらい、あなたを愛しているんですもの。
「――……っ」
再び、エリオットの顔が歪む。私を握りしめる手が、べったりと血で汚れていた。それは間違いなく――私の血。息をするたびに肺を貫いた銃創からあふれ出る、私の血。
――あぁ、私知ってるわ、この感覚。いつかの昔、死ぬために湖に入水したときの、肺が水で満たされて溺れ死んでいく――そのときの感覚。肺の中が自らの血で満たされて……もうまもなく、私の息は止まるだろう。
「……ユリア」
エリオットが泣いている。私の身体を必死に抱きしめて、今まで一度だって見たこともないような顔で人目もはばからず泣いている。私の為だけに……泣いてくれている。
「嫌だよ、……嫌だ。ユリア……、ユリアッ」
――あぁ、エリオット。
お願いよ、もう泣かないで。貴方が私の為に泣いてくれるのは嬉しいけれど、私、貴方のそんな辛そうな顔、もう見たくないの。
そう伝えたかったけれど、やっぱり私の声は少しも出ない。エリオットが握ってくれている手を、握り返すことすら出来ない。
――でも、よかったわ。貴方を助けることが出来て、私、本当に嬉しい。
だってね、私、思い出したのよ。私がこうやって記憶を失くさずに生まれ変わる本当の理由を――思い出したの。エリオットのせいじゃなかったのよ。だから……貴方はそんな力捨ててしまって、大丈夫なのよ。もう少しも、苦しまなくていいのよ。私の為に泣いてくれなくていいのよ。全て忘れて、過去なんかにしばられないで、自由に生きていっていいのよ。
……でも、やっぱり声は出なくて。彼の頬に流れる涙を、拭ってあげることが出来なくて……。
あぁ――寒いわね……。
諦めたくなんてないけれど、今死んだら次はいつチャンスがあるのかなんてわからないけれど……でも、――この身体は、もう駄目みたい。
だって、もう瞼を上げていられないのよ。眠くて――本当に、眠くて……。エリオットが私の名前を呼んでくれるからなんとか繋ぎとめられているこの意識も、一瞬気を緩めたら闇に呑みこまれてしまいそうで……。
でも大丈夫よ、エリオット。今は駄目でも、きっとまた会えるわ。だからお願い……もう泣かないで、エリオット。
「ユリア……ユリア……、ねぇ、僕を見て。死なないで、お願いだ、こっちを見て」
閉じかけた瞼の向こうの、あなたの姿が……、滲んで……見えなくなる。
「ユリア?――っ、ユリア!駄目だよ、眠っちゃ駄目だ!僕を見るんだ、お願いだから……ッ!目を開けて、逝かないで、僕を置いて行かないで……、逝かないでくれ!!」
――あなたのこえが……きこえなくなる。
「 」
――だきしめられる、彼の腕の感覚さえも……なくなって。
「 」
だけど――それでも……、わたしは、最後に――
せいいっぱい、
ほほえんだ。
*
「――あ…………、あ……あぁ」
ユリアの灯が消えていく。僕の腕の中で、静かに静かに消えていく――。
ユリアが……僕の、ユリアが……。
「――嘘だ、嘘だ!こんなの嘘に決まってる!」
でも、どれだけ泣いても、何度彼女の名前を呼んでも、もう目を開けてくれなかった。固く閉じた瞼が開くことは……もう二度と、なかった。
「……ふ……、う……うぅ」
嫌だ、嫌だ、ユリアが死ぬなんて、絶対に嫌だ。絶対に、嫌だ。
今まで何度も彼女を見送ってきた。それは数え切れないほどに。僕の半身の為に犠牲になる彼女を、繰り返し見送ってきた。
でも、それがまさか僕を庇って死ぬなんて――そんなの、そんなこと、許せる筈がないじゃないか。僕の為に死ぬなんて――そんなの、許せるわけないじゃないか……!
僕はユリアの身体を抱きしめる。もうピクリとも動かなくなった彼女の身体を、必死に必死に抱きしめる。まだ温もりの残る愛しい愛しい彼女の身体を――強く強く抱きしめる。
「……っ」
――あぁ、僕はなんて馬鹿なんだ。本当はわかっていたじゃないか。彼女はとても強い女性だって。あの頃の様に、僕に守られる存在ではなくなっていたんだって。この千年の間に、彼女は強くなったんだって。
なのに僕は彼女の記憶を消さなかった。消え行く今の僕の存在を忘れて欲しくなくて――躊躇ってしまった。僕の気持ちを知ってほしくて、記憶を残してしまった。
あの時記憶を消しさえしていれば――きっとこんなことにはならなかった筈なのに。彼女は死ななかった筈なのに。
「……ごめんね」
あぁ、また僕は間違えたのか。
彼女を、僕の過ちで二度も殺してしまったのか。
僕の弱さが――彼女の命を奪ってしまったのだろうか。
「――ごめん……ね」
なのにどうして……やっぱり君は、笑うんだ。
“死”なんて怖くない――何度生まれかわっても記憶は消えない、何度も経験しているから慣れているだろうって?
いや、そんな筈はない。本当にそんなことを想っている奴がいたら、そいつは真の大馬鹿だ。
本当は逆なんだよ。経験しているからこそ、知っているからこそ怖くなるんだ。本当は、怖くて怖くて仕方ないんだ。
“死”はいつだって一人ぼっちで、――何度経験したって痛くて、とても苦しくて。助けを求めたくたって、声一つ出せなくなる。指一本動かせなくなって、意識は闇に呑まれていく。
逃げようとしても抗えない。誰にも止められない。それが“死”なんだ。
――それなのに。
「……ねぇ、ユリア……、どうして……?」
それなのに、どうして君は笑うんだい?僕らは“死”の怖さを誰よりもよく知っているだろう?誰よりも経験してきて、その恐ろしさをよく理解しているだろう?
それなのに、それでも笑う理由は、一体なんだい……?
――僕の腕の中で、ユリアの身体が少しずつ冷たくなっていく。
ふと気が付けば、マーク卿が地面に倒れていた。太ももを銃に撃たれたようで、痛みに顔を歪めて地面に突っ伏していた。それでも彼は必死にこちらに頭をもたげて、「逃げろ」――と、そう言っている。
「……逃げる?僕が……?」
――ユリアを置いてか?……あり得ない。
僕の視線の先で、ナサニエルの銃口がマーク卿の頭部に向けられる。だが、それでもマーク卿の表情が変わることはなかった。彼は銃口に恐れをなすことなく、僕を見つめて視線を離さない。
ただ、逃げろ――と、繰り返すのみ。そうして次の瞬間、響き渡る銃声と共に彼はこと切れて動かなくなった。
――あぁ、死なんて本当に一瞬だ。
「……はは、君も本当に馬鹿だなぁ」
動かなくなった彼の亡骸に向かって、僕は呟く。
そもそも相手は銃だぞ。逃げられるわけがない。それに相手は先生だ。ナサニエル・シルクレット先生。かつてソフィアの騎士だった男だ。
その騎士が――手段を問わず銃なんて持ち出して。
そんななりふり構っていない相手に、この時代の甘っちょろい騎士なんかが勝てる筈がないじゃないか。
「馬鹿だなぁ……。君も……ユリアも……」
死ぬのは僕一人で十分だったのに。これじゃあ本当に、無駄死にだ。
「……ははっ、……あははははははははッ!!」
可笑しな笑いがこみ上げて来る。それとは裏腹に、僕の両目からとめどなく溢れ出す涙。もう、自分の感情が、自分でもよく理解できない。
――だけど。
「……エリオット。次は……貴方です」
僕の額に添えられるナサニエルの銃口。いつの間にか僕の目の前にまで迫っていた先生が、僕を冷たい瞳で見下ろしていた。
「まさかユリアがここに現れるとは想定外でしたが――致し方ありません。こうなってしまっては、“もう一度やり直す”しか方法はありませんから」
――先生の言葉に、困惑する。
何だって……?もう一度やり直す?それは一体何を……?この、悲劇を……?
「祈りなさい」
先生の最後の言葉が――僕の頭に響く。
あぁ、僕は死ぬんだな。
でも、せめて君と共に死ねるなら……それも、悪くないかな……。
僕はゆっくりと両目を閉じた。ユリアをこの腕に抱きしめて……もう再び、彼女を決して見失うことがないように――。




