05
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「ルイス、一体どこまで行くつもりだ」
アーサーらはルイスに着いて、火の手の届かない森の深い場所へと移動していた。だが、それはどう考えても森の出口とは違う方角で、とうとうアーサーは立ち止まりルイスの背中に向かって声を上げる。するとそれに答えるようにようやくルイスも足を止め、ゆっくりと4人の方を振り返った。その顔には、静かな笑みが浮かべられている。
「すみません、少し考え事をしておりました。ここまで来れば大丈夫でしょう。ではアーサー様、どうぞお話し下さい。僕に何か仰っしゃりたいことがあるのでしょう?こちらも貴方に聞きたいことが、いくつかありますしね。――ですが、その前に」
そう言うとルイスは胸元からハンカチを取り出し、馬上のターシャの体を勢いよく自分の方へと引き寄せた。そしてターシャに驚く暇を与えることなく、ハンカチで彼女の鼻と口を塞ぐ。と同時に、彼女はすぐさま眠り込んでしまった。
「――何を」
呆然とする4人を前に、ルイスは顔色一つ変えずにターシャを腕に抱え、そのまま側の木陰に横たえる。そして、笑みを深くした。
「さぁ、これで遠慮なく話が出来ます。僕は後でいいですよ。どうぞ、お先に仰って下さい」
ルイスはそう言って、ターシャから数歩離れた大木を背後にアーサーらと向き合う。それは一見至って自然な立ち姿であったが、ほんの少しのすきもない。殺気こそ見せないが、ルイスにはいつでも剣を抜き戦う準備は出来ているのだと、そうエレックが警戒する程には。
だがアーサーからすれば、この状況はどう考えても好機だった。ルイスは一人だ、側に仲間が潜んでいる気配もない。対してこちらは4人。エドワードとブライアンは戦力にはならないが、人質にされるほどヤワでもない。それにそもそも、アーサーにはルイスと戦う気など無いのだ。ローレンスが望むように、彼もまた話し合いでの解決を望んでいた。
アーサーは口を開く。
「単刀直入に言う。俺はお前と争う気はない。この右目の力だって、お前に返す気でここまで来た。勿論それはローレンスも同じ気持ちだ。だから、俺の話を最後まで聞くと約束してくれ」
それは彼の心からの言葉だった。ルイスは一瞬眉を震わせ、大きな溜息をつく。
「いいでしょう。但し条件があります。貴方の話が終わったら、ローレンスを出すと約束して下さい。僕は彼と話す為にここにいる」
「あぁ。わかった」
そうしてようやく、アーサーは話し始めた。自分が夢で見たローレンスの記憶を。ソフィアとユリウスが離宮を離れた後、城で起こった忌まわしい出来事を――。
*
「何、ナサニエルが僕の部屋に?」
議会を終えたローレンスは、護衛から自分の執務室にナサニエルが来ていることを聞かされ顔色を悪くした。それはソフィアとの情事から3ヶ月が経った頃のこと。あれ依頼、ローレンスは離宮を訪れていない。本当のところ彼は、あの後ソフィアがどうなったのか、自分の行いがユリウスに知られてはいないかと気が気でなかったが、事の重大さに誰にも言うことが出来ずにいた。
いや、そもそも万が一にもあってはならないことなのだ。人になど言える筈がない。ましてまだ十五のローレンスにはなおさらだ。彼は自分がこれからどうすれば良いのか見当もついていなかった。
――あぁ、僕のこの悪い予感が当たっていませんように。
そう願いながら、ローレンスは執務室へ向かう足を速める。
ナサニエルが何の先触れもなく自分を訪れることなど今まで一度だって無かったこと。それが今このタイミングで、突然城を訪れた。しかも言伝を受けた護衛は、ローレンス以外の誰にも自分が城を訪れたことを言わぬようにと命じられたと言う。
そしてその心当たりが、ローレンスにはただ一つしか思い当たらなかった。
どうかそうでありませんように――。
しかしその祈りも空しく、ローレンスの悪い予感は当たってしまった。
「ご懐妊されました」
「――ッ」
ローレンスが部屋に入るなり、ナサニエルは恨めしそうに呟いた。窓を背にして責めるような目付きでローレンスを見据えるナサニエルの藍色の瞳は、ローレンスが今まで一度だって見たことがない程冷え切っている。その言葉と眼差しに、ローレンスの心臓は一瞬にして凍りついた。
僕は取り返しのつかないことをしてしまった。
すっかり血の気の引いた様子のローレンスに、けれどナサニエルは容赦などしない。
「どなたが、……などどいう野暮な質問はされないで下さいね」
ローレンスが王子であることなどすっかり忘れてしまったかのように、ナサニエルは高圧的に言ってのける。その口調はただひたすらに重く、冷たい。言葉を失ったまま何も言えないでいるローレンスに、ナサニエルは落胆と侮蔑の入り混じった表情で続ける。
「貴方には失望しました。ユリウス様の気も知らず。――その行いは決して許されるものではない。
ローレンス様、貴方はユリウス様のみならず、お父上、お母上、そしてこの国の全ての民を裏切ったのですよ」――と。
「そんな……。僕は、そんな……つもりじゃ……」
ローレンスの足がふらつく。もうこれ以上立っていることも出来ず、彼はその場にへたりこんでしまった。
「……違うんだ。――僕はただ、道を聞こうとしただけで……」
ローレンスにも言い分はあった。自分は父親であるカイルと間違われただけなのだと。決して自分だけの責任ではないのだと。
しかしそれでも、この状況を見れば誰もが自分に否があると疑わないだろうと言うことを、彼はよく理解していた。事実、もう大人と変わらぬ体格のローレンスが、ソフィアの手を拒めぬわけがないのだから。跳ね除けようと思えば、そう出来た筈だったのだから。
「……僕は」
――兄上のみならず……国の民さえも裏切ったのか?
そんなつもりは毛頭無かった。今とて彼は、兄であるユリウスや両親、そして国の民を心から愛しているのだ。だが、ナサニエルの放った言葉を否定出来ないこともまた事実。
「……そうだ、兄上は……兄上は、一体何と……?」
ローレンスは震える声で尋ねる。それは無意識に出た言葉だった。そして、それが彼の本音だった。ユリウスと離れて暮らすようになってからも、彼にとっての一番の家族は、心を許せる相手は、ユリウスのみであるということに変わりはないのだから。
しかし、ナサニエルは静かに首を振る。
「いいえ、ユリウス様はまだこのことをご存じありません。知っているのは私と、陛下の世話人のみです」
「――っ」
刹那、ローレンスは鞭に打たれたように立ち上がる。そして縋るように、ナサニエルに懇願した。
「言わないでくれ!兄上には僕から伝える!だから、まだ言わないでくれ!ナサニエル!お願いだ!」
するとその言葉に、ナサニエルは一瞬目を細める。彼は無言のままローレンスに背を向けると、囁くように呟いた。
「それは貴方次第ですよ。ローレンス様」
「……それは一体、どういう……意味だ」
――貴方次第。その意味がわからず、困惑げに尋ね返すローレンス。その問いに、ナサニエルは落ち着いた様子で答える。
「ユリウス様に玉座を。そしてその為に――こうなった“全ての元凶の者の首”を」
「――!」
瞬間、ローレンスは再び言葉を失った。ユリウスに玉座を捧げるのは構わない。だが、“全ての元凶の者の首”とは……。
「僕に……身内を殺せと言うのか?」
「おや、貴方にはそのように聞こえましたか」
「――っ、ナサニエルお前、ふざけてるのか!?」
「まさか。私は大真面目ですよ。ですが……そうですね。貴方がそうして下さると仰るのなら、私は貴方の誠意にお応えし、陛下がご懐妊されたことは私たち以外の誰にも隠し通せるように致しましょう。国王陛下にも、貴方のお母上にも――そして勿論、ユリウス様にも」
「……っ」
ねっとりとしたナサニエルの声が、ローレンスの思考を絡めとる。全ての者に隠し通すと、そう言い切ったナサニエルの言葉に。
「……そんなことが、出来るわけ」
出来るわけがない。だがそうわかっていても、縋りたくなってしまう。自分のこの過ちが無かったことに出来るならば、と。
そんなローレンスの考えなどお見通しなのだろう。ナサニエルはようやく振り返り、そしてにこりと微笑んだ。
「お約束致します。騎士の名に誓って」
「……」
「私は陛下とユリウス様を連れてしばらく身を隠しましょう。そしてお子が産まれるまでの間、お二人には少し距離を置いて頂けるように手配します。ですから貴方はその間に……。期限は、そうですね。貴方の成人の儀の前までに」
「そんな!もう半年も無い!」
「半年もある、の間違いでしょう。それとも今すぐ私と共に離宮へと赴き、兄上様にこの事実をお伝えしますか?
あの方は清廉潔白を好む方ですから、貴方を決してお許しにはならないでしょうね。それどころかお母上と共にご自害なさるやもしれません。そんなことになればご病気の国王陛下はどうなることか。この国はお終いです。貴方の余りにも軽率な行動によって、国の全ての者が深い悲しみに暮れ、多大な不利益を被るのです」
「――っ」
「ですからどうかよく考えて頂きたい。貴方と、貴方の大切な方々の大切な未来の為に――」
ナサニエルはそれだけ言うと、ローレンスの返事も待たずに静かに部屋から出ていった。呆然としたままのローレンスだけを、部屋に取り残して。
*
ナサニエルはその言葉通り、一週間後に姿を消した。ソフィアとユリウス、そして世話係と共に、誰にも行き先を告げることなく離宮からいなくなった。そうして城は大騒ぎになった。
その矛先は真っ先にローレンスに向かった。彼が度々離宮に赴いていたことを知っている者がいたためだ。そしてそこから、ユリウスらが姿を消す一週間前にナサニエルがローレンスを訪れていたことが明るみに出てしまった。厳しい尋問に耐えられなかったローレンスの護衛が、事実を吐いてしまったのだ。
それを知った国王カイルに呼ばれたローレンスは、厳しく詰問された。だが勿論真実を伝えることなど出来る筈もなく、彼はただ口を閉ざすばかり。しかしその態度がますます周りに不信感を与え、とうとう彼は部屋に軟禁されてしまった。四六時中数人の見張りが付き、ローレンスは外界から閉ざされることとなったのだ。
母親であるマーガレットこそ最後までローレンスを庇ったが、軟禁生活が解かれることはなくそのまま数ヶ月が過ぎていった。
またその間、国中の検問が強化され消えた4人の捜索が行われた。しかしそれでも、4人の居場所を掴むことは出来なかった。
だが、ローレンスの成人を目前に控えた頃に状況は一変する。城に一報が入ったのだ。それはソフィアと思われる女性の目撃情報だった。その報告書を読むなりカイルは激高した。
「ソフィアが――懐妊だと!?」
相手が自分でないことは明白だ。では、その相手は一体誰か。そう考えて、カイルには心当たりが一人しか思い当たらなかった。
「ナサニエルめ!裏切りおったな!」
カイルは怒りに任せて報告書を破り捨てる。そして家臣たちにこう命じた。
ローレンスの軟禁を解き、ソフィアを連れ戻させよ。ナサニエルを引きずり出せ、勿論その主人であるユリウスも共に――と。この事実を知った上で口を閉ざしていたであろうローレンスに、その全ての責任を取らせようとしたのである。
一部始終を見ていたマーガレットは真っ先に息子の元へ走った。兄を慕っていたローレンスが、ユリウスの為に事実を隠していたのだと憤り、だが今すぐカイルの命に従えばこの罪は許されるとローレンスに伝えたのだ。
しかし、その話を聞かされたローレンスは顔色を失くし、力なくソファに崩れ落ちた。
――あぁ、こうなったのは全て僕のせいだ。
ナサニエルの言った約束の期日を目前に自分は結局何一つ行動を起こすことが出来ず、ソフィアが子供を身ごもっていることも明るみになってしまった。それどころかカイルは、お腹の子供がナサニエルの子だと信じていると言うではないか。このままではナサニエルのみならず、ソフィアとユリウスもただでは済まされないだろう。この辺りの国では不義を犯した王妃は流刑、その相手は誰であろうと極刑と決まっているのだから。
――もう、隠していることは出来ない。僕は僕の罪を償う以外に、方法はない。
そして――ローレンスはついにマーガレットに告げた。
「母上、死してお詫び申し上げます。妃陛下のお腹のお子はナサニエルの子ではないのです。――僕の子供なのです」――と。




