04
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ダミアは既に火の海だった。町の半分以上に火が回り、元より想像はしていたが、消火など考えられる状況で無いのは明白だった。
アーサーらは半分に別れ、手分けして町の中を捜索することにした。だが馬は火を怖がり使えない。ここからは徒歩での移動になる。
しかしまだ森にはそれほど燃え広がっていないこともあり、回り込んで移動すれば捜索も不可能ではない。アーサーは各々に“脱出経路の確保をしながら住民を捜すように”とよく言い付けた。そして、絶対に死ぬな、とも――。
アーサーはエドワード、ブライアン、エレックと共に迂回しながらダミアの西側へ向かった。もし逃げ遅れた者がいるとしたら、真っ先に火の回った西にいる可能性が高いと考えたのだ。
そしてその予感は見事適中した。
「――あれは!」
西側の最も栄えた通りの奥にある3階建ての立派な邸宅。恐らくこの町で最も大きな邸宅であろうそれは、造りは古いが庭も広く、今は火がついてしまっているのでわからないが、そうでなければきっと美しい屋敷であったことが想像できる。その3階西側の広いテラスに、一人の少女がへたりこんでいた。手すりを両手で掴み、けれど体に力が入らないとでもいうように、少女はただ力なく座り込んでしまっていた。
幸い強い西風のおかげで、テラスには火が回っていない。けれどその下階の窓からは火が吹き出しており、床から伝わる熱は想像を絶するものであろうと思われた。
「そこの娘!聞こえるか!?今助けてやるからな!」
エドワードらと屋敷の下まで駆け付けたアーサーは声を張り上げた。少女の俯いていた頭がびくっと反応し、その瞳がアーサーを捉える。だが、どうやら声は出せないようだ。
彼女は今にも泣き出しそうな顔で、ふるふると首を左右に振る。それはまるで、助けなくていい――と、そう言っているように。
その諦めきった様子に、アーサーは舌打ちする。
「――くそ!おいエレック、中に入れそうな場所はないのか!?」
「既に火の海です、入るのは自殺行為でございます!」
「なら、お前が受け止めろ!」
「はい!?」
そう言うと、アーサーは少女に向かって再び声を張り上げた。
「娘!立て!今すぐそこから飛び降りろ!ちゃんと受け止めてやるから!」
その言葉に顔を青ざめたのはエレックだ。
「殿下、何を……!無茶です、3階ですよ!?もし落ちる場所が少しでもずれたら怪我じゃすみません!下手すれば死んでしまいます!」
「ではお前はあの娘を見殺しにすると言うのか!?娘一人受け止められずに何が騎士だ!腕の一本くらいくれてやれ!死ぬ気で受け止めろ!」
「ちょ……殿下、貴方先程我らに死ぬなと仰られたではありませんか!」
「俺は“死ぬ気で”と言ったんだ!いいからさっさと構えろ!」
「……っ、ですが、そもそもあの娘の方が飛び降りられないでしょう!」
エレックがテラスを指差せば、確かに少女はその場にへたりこんだまま動こうとはしなかった。当たり前だ。ごく普通の少女が、3階から飛び降りることなど出来る筈がない。
だが、そうでもしなければいづれテラスも火に包まれてしまう。
「くそっ。おい、エドワード、ブライアン!何かいい案はないのか!お前たちの得意分野だろう!」
アーサーは二人を顧みる。だが、流石の二人も成すすべなしと顔を暗くさせていた。
「……や。そんなこと言われたって」
「流石にこの状況は……」
屋敷の中は火の海。井戸の水で消火など到底無理だ。その上少女本人も動けないとなってしまっては、どうすることも出来ないだろう。
「――チッ」
アーサーは焦っていた。目の前の命を見捨てることなど出来ないと。ならば、もう方法は一つしかないではないか――。
「――もういい。わかった。俺が行く」
「殿下!?」
「アーサー!?」
「そりゃ流石に無理だぜ!」
一体何を言い出すのかと声を荒げる三人を無視し、アーサーは近くの井戸の水を頭から被る。そしてそのまま屋敷の入口へと駆け出した。その姿にエレックは驚愕する。まさか本当に火の海に飛び込む気なのか、と。
「殿下!お待ちください!私が参りますから……!!」
エレックは慌ててアーサーを羽交い締めにし、どうにか止めようとした。だがアーサーは聞かない。
「放せ!先程無理だと言ったのはお前だろう!そんなお前に行かせられるか!」
「撤回します!殿下を行かせるわけには参りません!ですからどうかそれだけは……!」
「――っ」
だがそうは言っても、実際屋敷の中に飛び込むのは難しい状況であることはそこにいる誰もが理解していた。
彼らが揉めている間にも火の手は強まっていくばかり。このままでは、いづれ自分達の退路さえも絶たれてしまうだろう。
「――く」
アーサーは再びテラスを仰ぎ見る。が、やはり少女はその場から全く動かず、顔を伏せってしまっていた。
しかし――彼らが少女を助け出すのを諦めかけたその時、背後から地面を蹴る蹄の音が聞こえてくることに気がついた。それと同時に炎の向こうから現れたその人物に、彼らは皆目を見張る。
「――ルイス!」
それはルイスだった。漆黒を身に纏い、それと同じ色の馬に跨がったルイスが、こにらに向かって一直線に向かって来るのだ。
それはアーサーが教会で最後に見た姿――そして、その時と同じように酷く冷えた瞳を称えながら。
「――ッ!」
それに反応したエレックは、咄嗟にアーサーを背後に庇うと剣を引き抜いた。だが、ルイスは……。
「ターシャ!僕の声が聞こえるな!?すぐに助けに行く!そこを動くな!」
馬を飛び降り少女に向かってそう叫ぶと、四人には何も言わずに屋敷の中に飛び込んだのだ。その姿は炎に呑み込まれあっと言う間に見えなくなる。
「ルイス……まじかよ」
「あいつ……やっぱ人間じゃなかったのか」
そしてほんの数分後、呆然とする四人の視線の先――テラスの上に黒い人影が現れた。それは今しがた屋敷の中に飛び込んで行ったルイスの姿で、四人は察する。ものの数分で3階のテラスにたどり着いたのだルイスは間違いなく、この屋敷の間取りを熟知しているのだと。いやそれどころか、そもそもルイスは少女の名前呼んでいた。つまり二人は知り合いなのだ。
ルイスは少女を腕に抱き抱えると、テラスの上からアーサーらを見下ろした。そして、そこを退け、邪魔だと言わんばかりに不愉快そうな顔をする。――と同時に、何の躊躇いもなくそこから飛び降りた。エドワードとブライアンは思わず後ろに飛び退く。
「――うお、あっぶねーな!」
「まじで飛び降りやがった!どういう足腰してんだよ!」
だが地面に降り立ったルイスは、少女を抱き抱えたまま二人を鼻で笑った。
「お二人は相変わらずですね。まぁ元気そうで何よりですが」
そう言って少女――ターシャを地面に優しく降ろし、彼女の怪我の具合を確かめる。どうやら大きな怪我は無さそうだ。――だが。
「喉を火傷していますね」
その言葉に小さく頷いたターシャは、けれどルイスに必死に何か伝えようと口を開く。それは、“先生がいないの”――と、とても不安げに。
そんなターシャを安心させようと、ルイスは微笑み返した。
「やっぱりそうでしたか。逃げた住民の中に君の姿が見えないから、ナサニエルを探して町に残ったんだろうという僕の考えは間違っていなかった。間に合って良かったよ。――それに大丈夫。ナサニエルは無事だ。だから君も早くここから離れて。町の皆が君のことを心配している」
「――っ」
途端にターシャの顔が明るくなる。そして、嬉しそうにルイスの胸に縋りついた。
「……ルイス?」
そんな二人の姿に、アーサーらは絶句する。何故なら彼らはこれまで一度だってこのように優しげに微笑むルイスを見たことがなかったからだ。至って自然に、柔らかな笑顔を浮かべるルイスの顔を――。
だが、そんなルイスの横顔がアーサーに向けられることは無かった。彼はターシャを自分の背後に庇うように体の向きを変えると、瞳を妖しく光らせる。
「――ご無沙汰しておりますね、アーサー様。まずは礼を申します。ターシャのことを気にかけて頂いて……僕は感動致しました。勝手ながら先程からずっと様子を伺わせて頂いておりましたが、以前とは随分お変わりになられたご様子で」
だがしかし、ルイスの表情はその言葉とは裏腹に全く笑っていなかった。ルイスは――続ける。
「けれど言わせて頂きます。だからと言って僕は自分の考えを改めるつもりはない。貴方がローレンスからどのような話を聞かされていようとも……僕に敵意を持たないと、そんなお顔をなさっても」
「――ルイス」
「とは言えここは危ない。場所を変えましょうか。先程テラスから確認しましたが、この辺りにはすでに誰もいないようですし、ターシャの手当てもせねばなりませんから」
そう言ってルイスは再びターシャを腕に抱えると、自らの馬にターシャをだけを乗せ南の方角へ歩いていく。
その無防備とも言える後ろ姿に四人は驚きつつも、確かにルイスの言葉通り、強まる火の手から一刻も早く脱出しようと顔を見合せ頷いた。
「……皆、行くぞ」
アーサーは呟く。こちらに襲いかかってくる素振りを見せないルイスに、それどころかこちらへの警戒を見せない隙だらけの背後に――もしや話が通じる可能性もあるのでは……、と一縷の希望を胸に抱きながら。
彼はルイスの黒い背中を、ただ無言で追いかけた。




