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02


 苦しそうに――泣き出しそうに、それでも“エリオットを追いかけて”と言う彼は、私の知る純粋なライオネルのままだった。教会で私を抱き締めたときと変わらない、澄んだ色の瞳をした――優しい彼のままだった。

 けれどその瞳の奥には、優しさ以外の感情がくすぶっているように見える。それは、多分……。


「ライオネル、貴方……どうしてそれを教えてくれるの?追いかけた私も、戻って来ないかもしれないのよ?」


 ――そうだ。ライオネルが本当にエリオットの思考を読んでいたのだとしたら、ダミアでの私とエリオットの会話も聞いていたことになる。それはつまり、私に千年の記憶があると知ったということ。そして、今の私がウィリアムの為ならこの命さえも惜しくないと思っている……それすらも知られてしまっているということ。


「……あぁ、そうだね。わかってる。わかってて、……それでも……僕は……」

 掠れた声で呟いて、私をじっと見つめる彼の揺れる瞳。その悔しげな表情に、私は息を呑んだ。


「ライオネル……貴方……わかっていて、――それでも?」


 私はふと、2週間前のことを思い出した。


 ライオネルはあの日教会で、私を好きだと言ってくれた。私を守る騎士になりたいと、強く抱き締めてくれた。私はそれを忘れてはいない。あのときの彼の真剣な表情は今でも鮮明に思い出せる。――なのに、それでも……。


 私の問いに、ライオネルの顔が歪む。


「そうだよ。僕はちゃんとわかってる。本当は嫌だよ。本心では、君を行かせたくなんてない。僕の知ったことなんて隠し通して……君をここに留めて置きたいと……心はそう願ってる。

 エリオットを通して見ていただけの僕でも、ナサニエルが異常なことはすぐにわかった。彼はとても危険だ。君にはそんなところに行って欲しくない。下手すれば、君は死ぬかもしれないんだ。エリオットや伯爵……そして、殿下……彼らと共に命を落とすことになるかもしれない……それは、理解してる。……嫌だよ。絶対に嫌だ。

 だけど……だけどね、アメリア。それでも僕は、君にはいつだって笑っていて欲しいんだ。僕らが初めて出会ったときみたいな、明るい笑顔で――。僕は、君の泣き顔をもう二度と見たくない。伯爵が死んだら君は悲しむ。彼を愛した君は、伯爵を失ったらきっと生きていられない。それくらい、彼を愛しているんだろう?

 エリオットの中で、千年の間君が伯爵を追い続けていることを知った僕に……君を留め置くことは出来ない。だから……」


 ――あぁ、なんて真剣な、まっすぐな眼差しなのかしら。彼はいつだってそうだった。自分の気持ちに率直で、目の前の相手に誠実で……だから私は彼に心を動かされるのだ。つい――自分も心の内をさらけ出してしまうのだ。


 張り詰めた空気の中で、ライオネルの声だけが部屋に響く。


「行くんだアメリア、エリオットを止めて。そして、……絶対に無事で帰ってきて。君ならきっと止められるから。ナサニエルを止められるとしたら、それは君の他にはいないだろうから」


 ――そんな彼が、私に行けと言っている。ウィリアムを追えと。そして無事に帰って来てくれと。


 だが、先生を止められるとしたら……とは、一体どういう意味なのか。


「――それは、いったいどういう意味なの……」


 そもそも、どうして主語が先生なのか。ルイスではなく――。彼が何をすると……?この六日間の間に、一体何があったというのか――。


 私の呟きに、ライオネルが息を呑む。それは何かを躊躇うように……。


 あぁ、そうだ、私はこれとよく似た表情を知っている。それは私がかつてエリオットにさせてしまった顔。おばあさまが死に、彼に連れられて森を離れたその日、弱音を吐いた私を振り返った時の、あの顔――。


 私はそのときの彼を思い出し――直感した。今ライオネルが言おうとしていること……それはきっと、あの時のエリオットが知っていたこと。それは私に宛てられた首飾りの存在だ。けれど、……きっとそれだけではない。


 ――思い出すのよ。ルイスは何と言っていた?ソフィアの仇であるアーサーを恨んでいると。彼の右目の力を返して貰う、と。

 ……では、エリオットは?彼は先生の屋敷で何と言った?確か……そう、ルイスや先生、そしてかつてのアーサー様が私に宛てられた石の力を欲している――と。でも、石を私に宛てたのが誰かまで、彼は教えてくれなかった。それは……何故?

 そうよ、彼は言わなかったんだわ。敢えてそれを隠したのよ。ならその理由は――?


 そう考えて、私はすぐに思い当たる。理由など一つしかないではないか。


 ――私に首飾りを送ったのは……ルイス、先生……あるいは、ローレンスのうちの、誰か。


 あぁ、そうだ。きっとそうだったのだ。これなら全て辻褄が合う。エリオットは先生が私たちを誘拐した理由を“石の力を欲する”為だと言っていたけど――そもそも私自身が先生やルイスの近しい者だったとするならば……。


「話して、ライオネル。貴方の知っていることを、包み隠さず……全て」

「――っ」


 ――もしもエリオットや先生が、今私の前に現れた理由をライオネルが知っているのだとしたら、私はそれを知らなければならない。知らなければ――どうすべきか判断のしようがない。それに私はもう二度と、何も、誰も失うわけにはいかないのだから。


 私の視線に、ライオネルの拳が強く握りしめられる。その唇が、躊躇うように薄く開かれた。


「ナサニエルはエリオットに言った。君は王妃ソフィアの娘なのだと。つまり――ルイスの妹だったって。

 ――王カイルの死後、ルイスとまだ生まれたばかりの君は、王位を継いだローレンスに命を狙われたらしい。だからソフィアの騎士だったナサニエルは、ローレンスが放った追手から君たちを守る為に、ルイスと君を……そして君のおばあさんであったルイスの乳母を、ソフィアの故郷の森へ逃がしたんだ。……エリオットが君に言っていた黒い宝石の首飾りは、ソフィアの形見だよ。君は……王女だったんだ」


 瞬間――私は絶句した。ライオネルの口から告げられた千年前の真実に、――私ですら知らなかった自らの正体に。私が王女――それは突拍子もない内容だ。けれど、決して嘘などではない。彼の瞳に――嘘はない。


「君はルイスから何か聞かされていたんだろう?

 その宝石は、ソフィアが死ぬ前に自分の力を七つの依り代に移したもののうちの一つだった。そしてまた、別の一つはアーサーの右目。……それから、エリオットの魂に刻まれた石の力だ。ルイスとナサニエルはそれをローレンスから取り返すべく――そしてまた、エリオットから返してもらおうと君たちに近づいたんだ」

「……」


 ――あぁ、何てことだろう。確かにエリオットもそう言っていた。私に近づいたのは、エリオットの魂に刻まれた力の為だと。けれど、彼らは私が王女だとは一言も言わなかったではないか。――それを知った筈のエリオットも、私にそれを告げなかった。


 でもどうして……?先生に口止めされていたとか……?寧ろそれを知ったからこそ、彼は先生の提案を受け入れ私の記憶を消そうとした?私が全てを忘れれば、千年前のあの日からもう一度やり直せると……そう言われて……?


 狼狽える私に、……それでもライオネルは言葉を止めない。


「でもそれだけじゃないんだよ。ナサニエルは言っていた。自分は今でもあくまでソフィアの騎士であって、ルイスに忠誠を誓ったわけではないのだと。僕らが拐われ、ルイスはすぐに僕らの後を追ってきていたらしい。でも、彼は追いついてこなかっただろう?それはナサニエルが、本来なら今の主人であるルイスに足止めの為の刺客を放ったからなんだ。きっとルイスに何かしらの心境の変化があり、ナサニエルはそれを許せなかったんだろう」


 ――その瞬間、今度はルイスの姿が脳裏に過る。私が声を取り戻した夜、庭園で見せた切なげな笑顔を。アーサーを憎んでいるとそう言ったときの壊れそうな微笑みを。


 あぁ、もしかしたらあのときルイスは、自分に言い聞かせていたのかもしれない。もう後戻りは出来ないのだと――私が妹であることを隠し通すと――心に刻み込む為に。


「エリオットはね、ルイスは僕の中のエリオットの存在に気が付いていたと言っていたよ。それでも手を出してこなかったのだと。――つまり千年前はともかくとして、今回の件についての黒幕はナサニエルだと言うことだ。少なくともエリオットはそう考えていた。だから彼は、君をダミアに置いて行けというナサニエルの要求をつっぱねて、君をここに連れて来たんだ。

 けどそれはつまり、ナサニエルはソフィアの娘であった君には手を出せないということになる。僕がさっき、ナサニエルを止められるとしたら君しかいないと言ったのは、そういう意味だよ、アメリア」


 何も答えることが出来ない私に、彼は続ける。


「ねぇ、アメリア。僕らが拐われたあの日、君は泣いていたよね。僕に自分の正体を知られることを躊躇って……肩を震わせ泣いていた。あのときはまだその理由がわからなかったけど、今ならわかる気がするんだ。

 本来なら僕は君の傍に居られるような身分でもない。君の名前を呼べる立場でもない。コンラッド卿が言っていた通り――僕は君にとって迷惑な存在かもしれない。でも、それでも君は僕を助けてくれた。君を行かせたくなくて、君を困らせて……今にもコンラッド卿に斬られそうになっていた僕の命を救ってくれた。あの瞬間、僕は確かに君の本来の姿を知ったよ。強くて、気高くて、優しくて……でも、誰よりも寂しい君の心の内を知った。そして今はその理由も知った。――それでも、僕の心はかわらなかった。君を守りたいと思う気持ちに嘘はない」

「……ライオネル」


 ――あぁ、なんて迷いのない瞳。強い声。彼の全身から燃え上がるように、とめどなく溢れ出す思い。それが、私を突き動かす――。


「僕は弱い。それは理解してる。今の僕では君の足手まといになる。君にはついて行けない。でも、あの時僕は決めたんだ。これからは一生君の為に生きようと。君だけに仕えようと。

 だから、だからね、アメリア。僕は君が誰であろうと、君がそう望まぬとも、この命を君に捧げる。未来永劫、君だけのために生きると誓う。だからどうか無事に帰ってきて欲しい。そして君が帰還した暁には……僕を君の――」


 そこまで言って、ライオネルは言葉を呑み込んだ。――言いたい、言いたい、そう、彼の眼差しが告げている。でも、私を困らせまいと――ただそれだけの為に、彼は言葉を止めたのだ。


 ――あぁ、ライオネル。あなたが言わないなら、私が、言うわ。


「……貴方を、私の騎士に任じます。今、このときから」

「――っ」


 刹那、目の前の彼の両目が見開いた。それは驚きを隠せないように……。


「……アメリア、でも、僕」

「あら、騎士に二言はないでしょう?帰ってからなんて遅いのよ。確かに貴方は騎士としては半人前どころかスタートラインにも立っていないかもしれない。でも、誰よりも素直で暖かい、強い心を持っているわ。貴方のおかげで私、何度も救われた。諦めたくないって、負けないって思えたの。

 それに、私の帰りを待っていてくれる騎士がいるっていうのは何だか悪くないもの。――だから、私に仕えてくれるかしら?半人前の、騎士様?」

「――っ」


 ――あぁ、私、もう負けないわ。私、きっとずっと守られていた。エリオットにも、ルイスにも……私に正体を知られまいとした彼らに、ずっと守られていたのよ。私を悩ませないように――という、彼らの寂しい優しさに。


 でも、ライオネルは違った。彼は私にちゃんと向き合ってくれた。なら、今度は私の番。全てを知った私は、ルイスやエリオットに向き合わなければならない。先生にも……ローレンスにも。


 私は立ち上がる。


「――行ってくるわね、ライオネル」

「うん。本当に、気をつけて」

「ええ。必ず、無事に帰ってくるわ」


 最後に短く言葉を交わしマーク卿を引き連れて、私は国境へ向かう為、静かに屋敷を後にした。


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