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03



 ウィリアムら三人は体力の続く限り馬を走らせ続けた。一刻も早くアメリアの無事をその目で確認する為に、日が出ている間はろくに休みも取らなかった。


「伯爵、お疲れでは?もう少し休憩を取られた方が宜しいのでは……」

 マークとトリスタンは時々そうやってウィリアムに声をかけるのだったが、彼は聞き入れない。とは言え、切羽詰まっているというわけでもなさそうだ。


「馬の持つ限りはこのまま行く。そうでなければお前たちの主人に後れを取るぞ。それはお前たちとて不本意な筈だ」

 ウィリアムはそう言ってどこか不敵に微笑むのだ。


 その表情はアメリアのことを考えてはいながらも、決して冷静さを欠いているわけではない。だからマークとトリスタンはウィリアムの指示に従い、彼と共に街道を駆け抜けていった。


 そして翌日の夕方、そろそろ日が暮れようという頃に、とうとうアメリアのいるであろう町にたどり着いた。本来なら丸三日かかるであろう道のりを、見事に一日分短縮しての到着だ。


 彼らは町に入るとすぐ、手紙の差出人の子爵の屋敷を訪れた。ウィリアムやアメリアの屋敷には遠く及ばないが、それでもこの町一番に立派な屋敷だ。誰かに道を尋ねるまでもなかった。

 それに王都からほど遠いこの辺りの屋敷の敷地はとても広く、土地の広さだけで言えばウィリアムの屋敷とほぼ変わらない。それなりに裕福な暮らしをしているようだ。


「……にしても、門番がおりませんね」


 三人は馬にまたがったまま門の向こうの様子を伺った。草木や花に溢れた長い道の向こうに屋敷は見えているが、そもそもの門番がいない。


「叫んでみましょうか」

 マークはそう言って声を張り上げようとする。けれどすかさずトリスタンが止めに入った。お前には騎士のプライドというものがないのか、と。だがマークは反論する。


「そう言ったって屋敷は目の前――どころか、アメリア嬢はここに居られるんだ。中に入らなきゃ話にならない。――伯爵もそう思われるでしょう?」

「――あぁ、同感だ」

 ウィリアムは頷く。

 そうだ、マークの言う通り。今はアメリアの無事を確認することが何よりも先決。門番がいないなら力ずくでここを通るか、もしくは裏門に回るしかないが……。


 そう思ったウィリアムは試しに門を押してみた。すると、ギィ――と軋むような音をたてて門が開く。鍵はかかっていなかった。


「……不用心だな」

 ――だが、好都合だ。

 ウィリアムはニヤリと微笑んで馬に乗ったまま敷地内へと入っていく。マークとトリスタンは緊張した面持ちでその後ろに続いた。


 庭はまるで森か林のようだった。王都の貴族の屋敷の庭はほとんどが人の手で造られたものであるが、この屋敷の庭はそれとはまるで対照的だ。秋の野花はあちこちに花を咲かせ、空を覆う大木は伸び伸びと枝を伸ばしている。


「……変わったところですね」

 マークは訝し気な様子で辺りを見回した。その言葉に続けるように、トリスタンはウィリアムの背中に声をかける。


「伯爵は、この屋敷の主人とお会いしたことが?」


 マークとトリスタンは、ここの主人である子爵のことを全くと言っていいほど知らなかった。二人は確かにアーサーに仕えているが、貴族ではなくあくまで騎士だ。相手が高位の貴族であるならばいざ知らず、子爵にまでは気を配ってはいられない。だが同じ貴族同士であるウィリアムならば知っているだろうと思ったのだ。

 けれどウィリアムは首を振る。


「いや、記憶にある限り会ったことはない。名前だけは知っているが……噂すら聞いたことがないな」

「それはつまり、社交界がお嫌いだということでしょうか」

 トリスタンは再び尋ねる。だがウィリアムは「どうだかな」と呟いた。


「嫌いなら嫌いで、そのような噂がたつものだ。……まぁ、どんな方だろうと関係ないがな。とにかく今は、アメリアだ」


 並木道を潜り屋敷が目前に迫る。すると流石に使用人らしき人物がいて、三人の姿に気が付き駆け寄って来た。馬のすぐ傍まで走って来た年若い従僕(フットマン)らしき青年は、王家の印を軍服の胸に掲げた騎士二人を引き連れたウィリアムに、驚きを通り越してさっと顔をこわばらせる。


 どこからどうみても高位貴族としか思えないウィリアムに対し、何と言えばいいのか悩んでいるようだった。


 狼狽える青年に、トリスタンは落ち着き払った声で告げる。


「子爵は()られるか。ファルマス伯爵が到着なされたと申し伝えよ」

「あ……申し訳ございません。今旦那様は外出されていまして……」

「そうか、では誰でも構わない。我らは子爵より連絡を頂き参ったのだ。話を知っている者に繋いでくれればいい」

「は――、はい!今直ぐに!」

 その言葉に青年は走り出し、屋敷の中に入って行った。


 青年の背中が扉の中に消えるのを確認して、マークはやれやれと肩をすぼめる。


「トリスタン――お前、顔恐いぞ」

「何だと。お前こそもっとシャキッとしろ、任務中だぞ。それに、今は伯爵が俺たちの主人だ。殿下の言葉を忘れるなよ」

「……は、わかってるって。忘れるもんかよ」


 二人はそうやって、ウィリアムには聞こえない程の小声で言葉を交わす。彼らはアーサーに命じられているのだ。


 “いつどこで何が起こってもおかしくない状況だと思え。どんな理由があろうとウィリアムの側を五分以上離れるな。この部屋を出た瞬間、お前たちの主人は俺ではなくウィリアムだ。彼の命令に従い、彼の為に動け。それは例え、この俺の命が危ういときであってもだ。そう肝に命じろ”――と。


「まさかあの殿下があんなことを言われるとは、夢にも思わなかったぜ」

 マークはそのときのアーサーの表情を思いだし、身体を小さく震わせる。あの赤い光を放つ右目を、恐らく殿下自身は気付かれておられなかったのだろうな――と。


 未だアーサーは騎士たちに何の説明もしていなかった。ただ、自分の命を狙う者がアメリアを人質として拐ったということしか。だがそれだけでは無いことは、騎士たちから見ても明白だった。しかしそれがわかっていても、騎士たちはアーサーに何も尋ねない。それは何故か。


 彼らはアーサーに絶対の信頼を置いているからだ。アーサーが話さないということは、自分たちには知る必要がないということで、知らない方がいいということだと、彼らは心の底から信じているからだ。


 マークとトリスタンはウィリアムに告げる。


「伯爵、我らの今の主は貴方です。それをどうかお忘れなきように」

「――あぁ、わかっている」


 ウィリアムは屋敷を見上げた。

 アーサーの為にも必ずアメリアを無事に連れ帰らなければと、自分の心を戒めた。


 それと同時に開く正面の扉。三人は、ようやく中に入れるか――と、扉に視線を向けた。けれどその瞬間眼を見張る。中から出てきた人物――それがライオネルだったからだ。


「……マクリーン!」


 最初に名前を叫んだのはマークだった。


 コンラッド亡き今、国に四人しかいないグランド・クロスの勲章を持つ騎士レイモンドの次男、ライオネル・マクリーン。彼自身はまだ騎士団のメンバーでしかないが、レイモンドの息子であるライオネルをマークやトリスタンが知らない筈はなかった。それに彼は、腕はまだ未熟だが将来は兄に続き立派な騎士になるだろうと皆に噂されているのだ。


 そんな彼が、一度は教会の崩落に巻き込まれ死んだと思われた。……けれど今、間違いなく生きてここにいる。


「生きてたんだな!」

 マークはライオネルに駆け寄った。怪我の様子はどうだと問い、シャツの下に巻かれた包帯に顔をしかめつつも、「よく無事でいてくれた」と肩を叩いて喜んだ。


 けれどライオネルはマークに言葉を返さなかった。そんなことは取るに足らないことだとでも言いたげにマークの横を通りすぎ、真っ直ぐにウィリアムの方へ近づいて来る。迷いのない瞳で、ただウィリアムだけを見据えて。


 彼はウィリアムのすぐ横に立つトリスタンの間合いに入らないほどの距離で、ピタリと足を止めた。


「よく来たね、ウィリアム。思ったよりずっと早くて、正直驚いたよ」

「――っ」


 その声はとても穏やかだった。夕暮れに伸びる長く赤い光を全身に浴びて、ライオネルは優しい顔で微笑んでいた。けれどその言葉は、視線は、三人の知る彼のものでは無かった。


 ウィリアムのことを名前で呼び、敬うことを知らない口調。それはこの階級社会に生きる者にとって、決して許されないものだ。――“(かれ)”が“(ライオネル)”であるならば。


「……マクリーン、お前は」

 瞬間、ウィリアムは理解した。目の前のこの男はライオネルでは無いのだと。昨日エドワードが言ったように別の誰かであるのだと。


 そんなライオネルの異変に気付いたのはウィリアムだけでは無かったようだ。トリスタンはウィリアムを庇うように前へ出ると、腰の長剣を一気に引き抜いた。その切っ先をライオネルの鼻先へ据える。


 だがライオネルは全く微動だにしなかった。声一つ上げず、瞬きすらもしない。そんな彼の様子にマークも異常を察知したのか剣を抜く。そしてじりじりとライオネルに詰め寄った。


「どういうつもりだ、マクリーン」


 剣を正面に構えたままトリスタンが威嚇すれば、ライオネルは不愉快そうに眉をひそめる。「それはこちらの台詞だよ」と、煩わし気に呟いた。


「貴方は確か……トリスタン卿と言ったね。どうかその剣を下ろしてくれないか。こう見えても僕は怪我人だし、見ての通り丸腰だ。そこにいる彼――伯爵を襲うつもりだってない。

 それともこの国では、武器を持っていない人間に剣を向けるのが常識なのか?」

「――な」


 トリスタンは絶句した。目の前の青年はどう見たってライオネルであるのに、そうとは思えないあまりにも冷淡な口調に。


「あぁ、そうか。君たちは僕をライオネルだと思っているんだね。でも違うんだ、僕はライオネルじゃない。

 僕の名前はエリオット。アメリアの昔の恋人ってところかな」

「――何……だと」


 突然の予期せぬ言葉に、トリスタンは呆然と立ち尽くす。けれどライオネル――否、エリオットは言葉を止めない。


「だからさ、そこ、どいてくれない?僕は貴方にも、あっちの騎士にも用はないんだ。僕はただウィリアムと話をしたいだけ。彼が彼女に会う前に、いくつか注意事項を伝えておかなければと思ってね」


「――何?」

 注意事項?――と、ウィリアムの唇が動いた。


 それに今こいつは、自分のことをエリオットと名乗らなかったか?それは間違いなくナサニエルが王都で語っていた偽名――。しかもそれだけではない、この男は自分を、アメリアのかつての恋人だと言ったのだ。


 つまり、この男こそが――。

 それに気付いたウィリアムは眉をひそめる。


「別にどうしても聞きたくないって言うならそれでもいい。この僕を無視して彼女に会いに行けばいいさ。僕はただ、親切で教えてあげようと思っただけなんだから。――それにそもそもこんな風に剣を向けられちゃ、言う気も失せるってもんだしね」


 エリオットはトリスタンから離れるように半歩下がり、どこか挑発するようにこう続けた。けれどその表情は真剣そのもので……。ウィリアムはトリスタンの横へ出ると右手で彼を制する。剣を収めろ――と。


「――ですが!」

「いい。俺はこの男を知っている」


 そう言って、エリオットへと近づいた。自分を見据える彼の横を通り過ぎようとして――そこで足を止める。二人の顔が、対角線上に並んだ。


「――お前は、俺だな」

 ウィリアムが囁く。それは決して後ろの二人には聞き取れないほどの小声で。

 その言葉にエリオットは短く答えた。その通りだよ、と。


「俺に伝えたいこととは一体何だ」

「……言いたいことは山ほどある。でも今はこれだけだ。――彼女の名前を、決して呼ぶな」

「――は?」


 刹那、ウィリアムは素っ頓狂な声を上げてしまった。注意事項――それがアメリアの名前を呼ぶなとは、一体どういう意味なのかと。


「どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。君はこれから彼女に会うだろう。だが絶対に彼女を“アメリア”と呼んではならない。他の誰かなら兎も角、君だけは……絶対に駄目だ」

「……何故だ」


 ウィリアムは横目でエリオットの表情を伺う。そのおかしな言葉の真意を推し量ろうとした。


 すると視線の先のエリオットは、悔しげに顔を歪ませる。それは自分の無力さを呪うような、酷く辛そうな瞳で……ウィリアムは察した。余程の理由があるのだと。そうしなければならない確かな理由があるのだと。


 ウィリアムはエリオットの返事を待ち続けた。その唇が薄く開かれる。――そして……。


「彼女は記憶を消されてしまった。この千年の間の記憶を……全て。だから今の彼女は君の知る“アメリア”ではない。今の君のことだってわからない」

「――な」


 瞬間、ウィリアムは絶句した。

 記憶を消された?そんな馬鹿なことが有り得るのか、有り得ない。出来る筈がない――と。


 けれど、エリオットは言葉を止めない。


「よく聞くんだ、ウィリアム。今の彼女の名前は“ユリア”。そして彼女は、君を僕だと思っている。ウィリアム、君のことを“エリオット”だと。

 君は何も覚えていないだろうけど、君とユリアは確かに千年前も恋人だった。今と全く同じ姿で……深く愛し合った仲だったんだ。彼女は今丁度そのときの記憶の中にいる。

 僕に言いたいことは沢山あるだろう。けど、今はそれだけ知っておいて欲しい。君だけは決して彼女の名前を間違えてはならないと、それだけは絶対に覚えておいて。昔の彼女には家族がいないんだ。彼女には僕しか…………君しかいない。だからどうか、彼女を傷つけないようにして欲しい。君が、君の言葉だけが、今の彼女の全てなんだよ。

 ……お願いだ、ウィリアム」

「――っ」


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