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03


***


 夏もそろそろ終わりに近付いている。僕とユリアがここウォルテラに住み始めて、既に二ヵ月が過ぎていた。僕はユリアと二人、毎日を心穏やかに過ごしている。


 ウォルテラは僕の故郷、アストフィールドの西に位置する大きな街だ。南西の港街から王都へと続く街道の丁度真ん中にあり、その街道を挟むようにして発展したこの街は、商業の街とも呼ばれている。つまり、人の集まる場所なのだ。木を隠すなら森の中、人を隠すなら街の中だ。ここなら誰にも見つかることはないだろう。

 それにここウォルテラは、ユリアの住んでいた森とアストフィールドを挟んだ正反対に位置していて、森から随分と離れている。これほどいい場所はない。本音を言えばもっと遠くの街へ行きたかったのだけれど、ユリアに勘繰られてはいけないしね。


 僕はベッドから身体を起こし大きく伸びをすると、隣に眠るユリアの寝顔をじっと見つめた。

 窓から差し込む朝日が彼女の透き通った肌を優しく照らしだし、愛らしい小鹿のように長いまつ毛が、赤みの差した頬を飾るように静かに伏せられている。金色の艶やかな髪は、緩やかな曲線を描いた彼女の白い胸元を彩り、思わず息を呑んでしまうほどに美しい。


 あぁ、ユリア。僕は今、とても幸せだよ。


 僕は彼女を起こさないようにそっとベッドから抜け出し、庭へと出た。フォレストを馬小屋から出し、庭の草を食べさせてやる。僕はその間に小屋の掃除をして水を変え、それからフォレストと木陰に入り、彼の毛並みをブラシで丁寧に整えた。


 あぁ、今日もいつもと変わらない朝だな。僕は澄んだ高い空を見上げ、そして街の景色へと視線を落とした。


 僕らの住む家は小高い丘の上に建っていて、街の景色が見渡せる。中心部からは少し離れているが、住み心地は悪くない。

 石造りの大型建築物が見られる街の中心部とは違い、この辺りは建物もほとんどが木造で、故郷アストフィールドを思わせた。とは言えやはり田舎に比べれば家も人も多く、それ故に人付き合いは田舎に比べれば希薄……だと思っていたのだけれど。


 フォレストを馬小屋へと戻し、僕らがここに来たときには既に繁っていた裏庭の木苺を収穫していると、頭上から聞き慣れた声が降ってきた。僕の名前を呼ぶその声に顔を上げれば、ここより少し標高のある丘の上の館の庭の植え込みから、マシューさんが頭を覗かせ僕に向かって手を掲げていた。


「やあ、エリオット。今日も早いな」

「おはようございます、マシューさん」

 マシューさんは、この家の裏に建つ、館の庭師をしている人だ。短く口髭をはやし、髪は半分白髪に染まっている、優しいお爺さんである。


「今日はお嬢ちゃんは一緒じゃないのかい」

 マシューさんはいつだって笑顔を絶やさない。だからだろうか、僕もついつい気を許してしまう。


「ええ、ぐっすり眠っていたので。起こすのも悪いと思って」

「はは、そうかいそうかい。若い二人の仲むつまじい姿を見ていると、ワシも昔を思い出すわい」

 彼はそう言って、満面の笑みで大きく二度頷いた。


 本当に優しい人だ。マシューさんも、裏の館の奥様も。この街の人たち皆。急に越してきた僕とユリアに、とても良くしてくれている。


「そうだ、マシューさん。奥様は木苺お好きですか?良かったらこの木苺で作ったジャムを……。まぁ、作るのは僕じゃなくてユリアなんですけど……」

 ユリアのジャムは絶品だ。この人たちにも、是非食べてもらいたい。そんな風に思うくらいには、僕はマシューさんや奥様に心を許している。


「おお、そりゃあいいな。奥様もお喜びになるに違いない」


 マシューさんはそう言って、喜んでくれた。


 僕が木苺を収穫して家に入ると、ユリアは既に起きていた。彼女は台所でパンを焼いている。髪を無造作に首元で括り、小麦色の麻のドレスにエプロンを掛けた後ろ姿は、何ともなしに美しい。僕はたまらず、後ろから彼女に抱き付いた。


「きゃっ」

 ユリアは可愛らしい悲鳴を上げて、手に持っていた木の器を床に転がす。それすらも愛おしくて、僕はそのまま彼女の首筋に顔をうずめた。


「おはよう、ユリア」

 そう囁いて、ユリアの腰に回した自分の腕に少しだけ力を込める。ユリアの頬が、赤く染まった。


「……エリオット。……恥ずかしいわ」

 彼女の声が、その言葉通り恥ずかしそうに上擦り、震える。それがどうしようもなく可愛くて、今度は彼女の耳に噛み付いた。


「ひゃっ」

 瞬間、ユリアの肩がびくりと震える。彼女の重心が振れて、僕の胸に倒れ込む。


 ――あぁ、駄目だ、可愛すぎる。

 

 僕は彼女の身体を支えて正面に回り込むと、そのまま唇を塞いだ。桃色の唇を。――それは僕にとって、花の密よりもずっと甘い、甘美な味だ。


「――ん、……んんっ」

 ユリアの喉から、嬌声が漏れる。僕はそれを聞きたくて、何度も何度もその唇を塞いだ。リズム良く、彼女の息が適度に切れるようにして――。


「……や、……駄目ぇ」

 そう言いながらも、今にもとろけてしまいそうな彼女のその表情は、決して僕を拒絶してはいない。物欲しそうな眼だ。僕は再び口づける。


 あぁ、君は本当に最高だよ。このまま全てを忘れてしまえばいい。そして君を僕だけで一杯にして。僕だけを見て、僕なしでは生きていられないようになればいい。


「――ユリア、君を愛してる」

 

 僕は何度も囁いた。愛しているよ、君だけを。僕だけは、君を愛しているよ。そうやって、何度も、何度でも。


 そしてそのたびに君は頬を赤らめて、恥ずかしそうに眼を伏せるのだ。そして心から嬉しそうに、微笑むのだ。


「私もあなたを愛しているわ、エリオット」


 僕の腕に抱かれ、僕だけをまっすぐに見上げて、恥じらうように微笑む君。それは僕だけが知っている、彼女の素顔。


 僕は彼女を両腕に抱えた。そして再び寝室に足を向ける。このままキスだけで終わらせられる筈がない。


「ちょ……エリオット、駄目よ。私、朝食を作らないと……」

 腕の中のユリアは顔を真っ赤にして、その透き通った碧い瞳を揺らめかせた。恥じらう視線が、僕から逸れる。そんなところも愛しくて、愛しすぎて、僕はユリアに気取られないように一瞬だけほくそ笑んだ。


「駄目?嫌じゃなくて?」

「――っ」

 彼女の肩が、びくりと跳ねる。


「ユリアがどうしても嫌だって言うんなら、やめるけど。でもほら、もうベッドに着いちゃった。……この家はいいね、どこにいたって直ぐにベッドにたどり着ける」

 僕はそう言って、ユリアをベッドに座らせた。リネンの白いシーツは、昨夜の情事の面影はなく既に綺麗に整えられていた。


「あぁ、またシーツが乱れちゃうね。君の仕事が増えちゃうな」

 僕がにこりと微笑み彼女を押し倒せば、ユリアは唇をきゅっと結んで顔を逸らす。


「……そんな言い方しなくても。あなた最近……前より意地悪になった」

「そう?もしそうなら、それだけ僕は君のことを愛してるってことさ。君の困った顔、本当に可愛いんだよ。だからつい意地悪したくなっちゃうんだ」

 僕は俯く彼女の顔を覗き込む。彼女の唇が、薄く開いた。


「……子供ね」

 そうは言うけど、やっぱり顔は赤いままだ。あぁ、僕もう我慢出来ないよ。


「そうだね、君の言うとおり、僕は子供だ。君を独り占めしたくて、君の瞳にはいつだって僕だけを映しておいて貰いたくて、必死なんだよ。この僕の狂おしいほどの愛は、きっと君には理解出来ないだろうな」

 僕は微笑んで、彼女の胸元のリボンの端を右手の親指と人差し指で摘まんで引っ張る。しゅるりとリボンの擦れる音がして、あっという間にそれはほどけた。


「……明るいわ」

 彼女の透き通った声が、澄んだ空気を凛と震わせる。窓から差し込む木漏れ日に、彼女の瞼が眩しそうに細められた。彼女は横顔も美しい。


「ははは、そうだね、なんたってまだ夜は明けたばかりだ。でも何も心配しなくていい。君はとても綺麗だよ。だからどうか僕のこの眼に、君の全てを焼き付けさせてくれないかな。そして君も、僕だけを見ていて。――君を僕で、一杯にして」


 僕は彼女の耳元でそう囁いて、再び首筋に唇を落とした。白い肌に、赤い印をつけていく。


「……ふ、……あっ」

 彼女の喉から漏れ出す、偲ぶような甘い声。それを聞くたけで、僕は今すぐにでも果ててしまいそうな気分になる。


 とうとう僕は堪まらなくなって、彼女の柔らかな胸に顔をうずめた。

 甘い香りが、僕の鼻腔をくすぐる。それは僕の脳を溶かしてしまいそうな麻薬の様に、全身に広がり、染み渡っていった。


 あぁ、ユリア、ユリア。僕の、僕だけの――。


 熱を帯びた彼女の瞳が僕を見上げる。彼女の白い肌が、朱く紅く高揚していく。


「……は、ぁ。……エリオット」

「ユリア、もっと呼んで。――僕の、名前を」

 僕は彼女のドレスの下にそっと手を差し込んだ。程よく弾力のある太ももが僕の指先に触れ、彼女の身体がびくりと震える。


「ん……、エリオット、エリオット」


 僕の名前を呼ぶ君の声。僕の心臓が高鳴る。焼けるような熱さと、喉を締め付けるような息苦しさと共に――。


「あぁ、ユリア。……綺麗だよ、ユリア」


 ここに越してきてから、僕らは何度繋がっただろう。――それは数え切れない程に。失った何かを埋め合わせるように、愛を確かめるように、僕らは何度も何度も繋がった。


 でも、――まだだ。彼女はまだ、本当の意味で僕のものにはなっていない。ユリアが成人して初めて、彼女は真の意味で僕だけのものになるのだ。


 あぁ、早く、早く。その時が待ち遠しいよ。ようやくだ、もうすぐ君の十六歳の誕生日。そうして僕らはやっと、名実共に結ばれる。


「――ユリア」

「ん、……あ、ぁっ」


 朝日に煌く、美しくも淫らなその身体。一度覚えたらやめられない、それは決して触れてはならない禁断の果実の様に、――僕の理性を一瞬で打ち砕く。


 でもいいんだ。僕らの間にそんなもの必要ないのだから。だってそうだろう?僕は君を求め、君も僕を求めている。それで十分じゃないか。


 僕はひたすらに彼女を愛し続ける。僕の全てを賭けて。僕の、この命さえも捧げて。


「愛しているよ、ユリア」


 僕は何度でも誓う。君に、神に――そして自分自身に。君を生涯、愛し続けることを。

 共に生き、そして共に死のう。永遠に、僕らは一緒だ。


 僕は彼女を抱きしめる。それは強く、強く、――彼女が決して、僕の腕の中から居なくなってしまわないように。


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