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02


***


 爽やかな風と、天高くどこまでも広がる空。木の葉は赤や黄色に色づき始め、森には深い土の香りと金木犀の甘い香りが漂っている。

 ここは城の裏に広がる森の入り口だ。今年で成人を迎える第一王子ユリウスは、木陰に腰を下ろし一人本を読んでいた。薬学の本である。本来なら自室で読めば良いのだが、そうなると人目が気になり好きな本を読むことが出来ない。その為ユリウスは日に一度はこうやって城を抜け出して、一人きりで自由に過ごすのだ。


「……いい風だな」


 ユリウスは切りのいいところで本を閉じると、天を仰いで木洩れ日に目を細めた。


 この国は平和だ。カイルが王として立ち、ソフィアと共に国を治めるようになって早二十年。以来それまで荒れ果てていた土地は嘘のように蘇り、カイルとソフィアによって秩序が保たれていた。戦争も日照りもなく国は繁栄を極め、人々は皆幸せに暮らしている。側室として迎えられた隣国の公女マーガレットが第二王子であるローレンスを産んでから十年が経った今も、それは変わっていない。


 ユリウスはしばらくの間、空を眺めていた。

 ――ここはいい。普段なら地面に腰を下ろすなど論外だと言われるものだが、人目のない今はどれだけ気を抜いたってかまわないのだ。


 彼は本を横に置くと、大きく伸びをして瞼を閉じる。秋の風が、母親譲りの漆黒の髪を静かに揺らした。


 ――どれくらいそうしていただろうか。彼は自分の身体を揺り動かされたことに気が付き、そっと目を開ける。


「――兄上、やはりここでしたか」


 その声に眠気まなこで顔を上げれば、そこにはユリウスの弟、ローレンスの姿があった。


「……ローレンス」

 ユリウスが名前を呟けば、ローレンスはまだあどけなさの残るその顔を精一杯澄まして、呆れたように溜息をつく。


「またこのようなところで眠りこんで……。風邪をひきますよ」

 その必死に背伸びをしているような横顔に、ユリウスはにこりと微笑み返した。


「大丈夫だよ。僕の身体は人より丈夫に出来てるからね」

「だとしても、万が一ということもあります。城外に出るのに護衛の一人もつけず、しかも人気のない森の中なんて……誰かに襲われでもしたらどうなさるのです!兄上は今年で成人なのですよ。父上の後継として、もっとしっかりして頂かなければ!」

「はは。お前は本当に心配症だね。でも大丈夫だよ。お前だって、僕の剣の腕は知っているだろう?」

「兄上……!確かに兄上はお強いですが、寝込みを襲われたらひとたまりもありませんよ!?」

「……うーん、そうだね、それはそうだ。でもそのときは……お前がいるし」

「――兄上!!」


 すっとぼけたような顔で笑うユリウスに、ローレンスはくわっと目を剥いた。そんな弟の可愛らしい剣幕に、ユリウスはクスクスと笑う。


「本当にお前はからかいがいがあるね。冗談だよ、実のところ僕は、毎日ここでお前に起こされるのを待っているんだ」

「えっ」

 驚くローレンスに、ユリウスは笑みを深くした。そして、右手を掲げる。


「ほら――隣に座ってよ、ローレンス」

「……兄上」

 ローレンスは一瞬ためらいつつも、照れ臭そうにその手を取った。俯きながら、ユリウスの手に引かれて隣に腰を下ろす。


「……」

「…………」


 しばらくの間、二人は無言のままでいた。ユリウスは再び空を眺め、ローレンスは俯いたままじっと固まっていた。けれどさすがにその沈黙に耐え切れなくなったのか、ローレンスがおずおずと口を開く。


「……あの、兄上」

 ローレンスが、ユリウスの横顔を見つめる。


「――どうした?」

 するとユリウスも、ローレンスの方を見た。――二人の視線が、ほとんど同じ位置でぶつかる。


 二人の視線の高さはそれほど変わらない。ユリウスは今年で十六になるが、その身体に流れるソフィアの不思議な血のせいか、まだ成長途中なのだ。その為二人の身長はほぼ同じ。


「先ほどの言葉の意味を……教えていただいても、宜しいでしょうか」

 ためらいがちに呟かれたその言葉に、ユリウスは「あぁ」と応えて微笑んだ。その右手が、ローレンスの頭を優しく撫でる。


「お前は人一倍努力家だからね。たまには息抜きも必要だよ。僕がここにいれば、お前は僕を探してここに来るだろう?」

「……兄上」

「だから、僕と二人きりのときは自由にしていいんだ。――ほら、少しは僕を見習うといい。僕はいつだって好きにしているよ」

 そう言って、ユリウスは優しく微笑んだ。思わずローレンスの表情も緩む。


 けれど、ローレンスは知っていた。ユリウスが普段どれだけ努力し、周りに気を配り、人の上に立つ王子としてあらねばと思っているのかを。――天才と呼ばれるその裏で、たゆまぬ努力をしていることを。


「……兄上こそ」

「――ん?」

「…………いえ」

  

 いくら平和であるとは言え、この国は周りを五つの国に囲まれた小国に過ぎない。ソフィアの力によって隣国との力関係は保たれているが、それでも王族として言葉一つにも注意を払わなければならないことは変わらない。ましてユリウスは成人を迎える今となっても身体は幼く、どれだけ実力があっても子供に見られてしまう。それにソフィアは王族出身ではない。その不思議な力を抜きにしてしまえば、何の後ろ盾もないのである。


 だからユリウスは、母親の為にも天才であらねばならなかった。それがソフィアや、彼自身の望まぬことだったとしても、周りからは彼女の血を引く王子として何ごとにおいても秀でた才能を発揮することを求められた。そして、それが当然とされていた。

 実際のところ、ユリウスはその期待に応え続けている。そこには確かに持って産まれた才もあったが、けれど全てのことにおいて……となるとそう簡単にはいかないものだ。


 ローレンスはそんなユリウスの背中を見て育った。母親であるマーガレットには王族として厳しく育てられ、王子とはこうあるべき――と、甘えることを決して許されなかった。父親である国王カイルもまた同じであった。カイルはソフィアと出会う前、謀反にあい国を追い出された過去がある。その為か、ソフィアやマーガレットには優しくいい夫であるが、息子二人には厳しかった。そしてそれは、周りの者も同じであった。


 剣の稽古で怪我をおったときも、こんなこともわからないのかと冷たい視線に晒されたときも、周りの者は誰一人としてローレンスに泣くことを許さなかった。王子は決して人前で涙を見せてはならないと、泣いてはならぬと、口を揃えてそう言うのだ。


 けれど、ユリウスだけは違った。ユリウスだけは、いつだってローレンスの気持ちを優先してくれていた。彼はどんなときであろうとローレンスを責めることはなく、決してその気持ちを否定せず、ありのままでいいんだ――と、そのままのローレンスを認めていた。


 ユリウスはローレンスが辛い気持ちでいるときはいつだって真っ先に気がつき、人払いをさせ、彼に心行くまで涙を流すことを許すのだ。

 それがユリウスの優しさで、同時に彼自身の拠り所でもあるようだった。ユリウスは決して涙を流さない。だが、そのときだけは、ローレンスが泣いているときだけは、心底辛そうに顔を歪めるのだ。


 まるで、自分の分も泣いてくれ……と、言いたげな瞳で――。

 

「……ありがとうございます。兄上」


 ローレンスは知っている。ユリウスがどれだけ周りの期待に応えようとしているのか、その為に誰にも素顔を見せられないでいることを。それが、母親であるソフィアに対しても例外ではないことを。――自らと、同じく。


「……僕、兄上みたいになりたいです」

「――ええ?」

「僕、兄上の隣に立つにふさわしい男になります!」

「……それは……あまりお勧めしないなぁ」

 困ったように微笑むユリウス。けれど、その横顔がどことなく嬉しそうに見えるのはローレンスの気のせいではないだろう。


「絶対なります!僕だけは、いつだって兄上のお味方ですから!!」

「……まるで僕の周りが敵だらけみたいに言うんだね」

「あっ……いえ、そういうことでは!」

「ははは。冗談だ。――ありがとう、ローレンス。お前だけだよ、そうやって言ってくれるのは。皆、僕に着いていくとは言ってくれても、隣に……とは言ってくれないからな」

「……兄上」

「だから……お前には期待しているよ、ローレンス」

「はいっ!」

 ユリウスの言葉に、ローレンスはこれでもかと声を張り上げる。そして二人は微笑みあった。


「――さて、そろそろ戻ろうか。ナサニエルの小言が長くなると面倒だしね」


 二人は立ち上がる。まだ日は高いが、王子二人揃っての長時間の不在は流石にいただけない。


「確かに彼は、兄上に意見出来る数少ない人間の内の一人ですからね。流石の兄上も、彼には頭が上がらないんですよね」

「お前、言うようになったなぁ。確かにあいつは平気で僕に意見してくるからね……。全く、本当に怖い者知らずな奴だよ」

「そう言って、本当は兄上のお気に入りなんでしょう?」

「……まぁ、否定はしない。でもあいつは母上の騎士だからね」


 そうやって二人は軽口を叩きあいながら、仲睦まじい様子で城へと引き返していった。


 この幸せな日々が間もなく終わりを告げようとしているなどとは、露ほども思わずに……。


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