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05


 少年は胸元を締めるアーサーの手を振り払うと、ニヤリと唇を歪ませた。そして挑発するような声で、そっと囁く。


「忘れてもらっちゃ困るんだ。今の君が君でいられるのは誰のおかげかってことを。母親にも愛されることのなかった君に愛を教えてあげたのは……誰かってことをさ」

「――っ」

「君に僕は止められないよ。――なぜなら僕は君だから。これは君自身の望んだことなのだから」

「――そんな……わけ」

 ――俺が望んだこと?ウィリアムの死を?そんなこと、ある筈がない。


 アーサーは拳を強く握りしめた。その顔が赤く染まる。怒りか、恐れか、それとも焦りか、彼自身にも説明しきれない感情が彼の心を襲った。


 けれどそんなアーサーの気持ちを知ってか知らずか、少年は拘束されたウィリアムの方へと向き直る。そして自分を憎らし気に睨みつけるウィリアムへ、薄い笑みを浮かべた。


「君には礼を言わなきゃね、ウィリアム」


 その言葉に、ウィリアムは顔をしかめる。


「礼……だと?」

「アーサーをよくここまで連れて来てくれたね。彼が僕を忘れたのは間違いなく君のせいだけど、同時に彼に僕を思い出させてくれたのも君だ。ありがとう、ウィリアム。僕は本当に嬉しいよ、アーサーにこんなに素晴らしい友人が出来て」


 けれどもその言葉とは裏腹に、少年の目は少しも笑っていなかった。彼は唇だけをひきつらせて、強い憎悪を込めた瞳でウィリアムを見据えている。


「――だけどね、彼は僕のものなんだ。ずっと一人きりだった彼に居場所を与えてあげたのは僕。この世で一番彼を理解してあげられるのは僕。そして彼を最も愛しているのは、この僕だ。彼に君は必要ない、アーサーには僕がついている。だからごめんね、君にはここで消えてもらわなきゃならない」


 子供ながらに低い声でそう告げた少年は、ほんの微かに目を細めた。同時にウィリアムを覆う霧が、その身体を強く締め付ける。


「――ぐ……」

 ウィリアムの顔が痛みに歪んだ。アーサーの表情が険しくなる。


「――やめろ、やめてくれ!」

 アーサーは再び少年に掴みかかろうとした。けれどいとも簡単にかわされてしまう。その動きはまるで、背中に羽でも生えているかのように。


 ――ギリギリとウィリアムの全身を締め付ける黒い霧が彼の体力を奪っていく。けれどウィリアムとて、ただ黙っていられるわけがなかった。生半可な気持ちで夢の中へと入って来たわけではないのだから。

 彼は苦しげに顔を歪めながらも、少年をギロリと見下ろして口角を上げる。


「……は、――とんだ戯言だな。お前がアーサーを愛しているだと?――笑わせるな。

 お前のそれは――ただの醜い嫉妬と独占欲だ。そんなものを愛とは呼ばない。お前はアーサーを愛してなどいない。ただ……支配したいだけだ。例え俺を殺してもお前にアーサーは手に入らない。アーサーはお前のものでも、まして俺のものでもない。……彼は――彼だ」


 その言葉に――少年の眉がぴくりと震えた。彼はまだ幼さの残るその顔に不快感を露わにし、ウィリアムをじろりと見返す。そしてその言葉を否定するように、声を張り上げた。


「うるさいよ。誰がしゃべっていいと言った。その口を閉じていろ!!」

「――っ」

 途端に強まる、ウィリアムの身体を締め付けるその力。その顔から一瞬で血の気が引く。そんなウィリアムの姿に、アーサーは憤りを隠すことも出来ず再び少年に掴みかかった。


「何故こんなことをする!お前は俺なのではないのか!?俺の気持ちをわかっていながら――どうしてこのようなことをする!?」

 怒気を含んだアーサーのその瞳は、決して少年を許すことが出来ないと、――何故こんなことをするのかと、憤怒の色に燃えていた。けれど少年は顔色一つ変えない。


「――放して。君を傷つけたくはない」

「それは出来ない。今すぐウィリアムを開放しろ、これは命令だ」

 アーサーは怒りを抑えきれず、威嚇するように声を低く唸らせる。けれど少年は、酷く呆れたような表情を浮かべ小さく息を吐くのみ。


「……そんなにウィリアムが大切なの?彼には君が一番の存在ではないのに?

 僕にはわかるよ。――ウィリアムはアメリアを助ける為に君と共にいるだけだ。それどころか彼は、今でもユリウスのことをとても大切に思っているよ。それは君を想う以上にね。――それでも君はウィリアムが大切なの?僕よりも?それは君のその命に代えられるものなの?」


 そう尋ねる少年の声は酷く冷えていた。その何の感情も込められていない淡々とした物言いに、アーサーは思わず顔をしかめる。――目の前の少年は、何故このようなことを言うのかと。


「僕にはわかるよ。君の気持ちも、ウィリアムの考えも。ユリウスが何故ウィリアムを君に近付けたのか、君が何故彼に心を奪われたのか。そして――どうして君たちが、こんなに心惹かれ合うのかも」

「――なに」

「いいことを教えてあげよう。君たちが惹かれ合うのは運命だ。君たちが共に過ごした時間の為でも、その間に築き上げた信頼の為でもない。――それは千年前から決まっていたんだよ。君たちは殺し合う運命なんだ。その為にどうしたって惹かれ合う。嘘じゃないよ。だって彼は……ウィリアムの恋人はね、君に殺されたんだから。君が彼らを引き裂いたんだ。彼は君を恨んでいるよ。その魂の奥底で、君の永遠の死を望んでいる」

「なん……だと……」

 アーサーの瞳が……見開かれる。


「僕だってこんなことは言いたくないよ。でもわかるだろう?殺される前に殺さなくちゃいけない。君の敵になる者は、全部全部壊してしまわなくっちゃ。だってそう約束したじゃないか。あの日僕の手を取ったのは、……他でもない君自身じゃないか」

「……っ」

 アーサーの顔が絶望の色に染まる。心臓を鷲掴みされたかのように、彼の鼓動が早まった。――信じたくないのに、聞いてはならないとわかっているのに、聞きたくなどないのに……。


「この世に本当に信じられるものなど何一つありはしないんだ。君は誰にも愛されない。本当はわかっている筈だ。君は愛されちゃいけない人間だって。愛情は必ず移ろうし、好き嫌いなんてあっという間に変わる。――ウィリアムだって、直ぐに君を裏切るよ」

「……や…………めろ」


 少年の絡み付くような声色が、アーサーの心の奥深くに忍び込んでいく。彼の意識を闇に引きずり込もうとする。その心を、支配しようと――。


 少年の顔が、ニヤリと嗤った。


「――だけど支配は永遠だ。君はそれを望んでいた。君はあの日、楽になりたいと確かに願った。そして僕は君の願いを叶えてあげた。……僕はずっと覚えていたよ、君が僕を忘れてからも、僕は一日だって君を、あの日のことを忘れたことは無かった。君がウィリアムと過ごしている間も、僕だけは君を忘れなかった。そしてこれからも僕は君を忘れない。永遠に君を忘れない」

「…………言う……な」


 少年の赤い右目が――燃え上がる。


「だから――さぁ、君も思い出して。僕は君の味方だよ、僕だけが君の味方なんだ。僕はずっと君の傍にいる、君に何があろうと、――世界の全てが君を憎もうとも……僕だけはずっと君の傍にいる。約束――するよ」


 その瞳が、アーサーの視線を掴んで離さない。もう一瞬たりと、眼を反らすことは許されない。


 けれど――。


「――聞くな」


 酷く擦れたウィリアムの呟くような声が――アーサーの耳に、届いた。


「……そいつの言葉に……耳を……傾けるな」

 ウィリアムは顔を歪め、それでも必死で声を振り絞る。その額一杯に、冷や汗を浮かべて――それでも、言わなければならないと、アーサーに伝えなければならないと。

 

「人は変わる……それは良くも悪くもだ。でも、だからこそ人は前に進める。確かに永遠などない。だが……変わるからこそ、人は愛し合い、許し合うことが出来る……そうじゃないのか」

「……ウィリ……アム」

 その言葉に、アーサーの瞳が見開かれた。彼が声のする方に首を向ければ、ウィリアムの真剣な眼差しが自分へと向けられている。


「俺は…………君にそれを教えられたんだ、アーサー」

「――っ」

 そして、必死にその顔に笑みを浮かべるウィリアム。


 ――だが、少年はそれを許さなかった。


「黙っていろと言った筈だ!!」

 刹那、少年の声に応えるように黒い霧がウィリアムを強く締め上げる。


「――ッ」

 その力に、もはやウィリアムは声を上げることすら出来ず――そのまま意識を失った。


「ウィリアムッ!!」

 アーサーの悲壮な声が回廊に反響する。けれど、彼にはなすすべも無かった。どうしたらよいのか見当もつかなかった。


「……お願いだ、やめろ。もうやめてくれ」


 得体のしれない霧に覆われたまま、力なく項垂れるウィリアムの姿が――アーサーの瞳に映される。


「もう――沢山だ……」

 アーサーの脳裏に過る、コンラッドの死に堪えた姿。教会に横たわる見知らぬ二人の遺体。それは本来なら失われることのなかった筈の命。何物にも代えることは出来ない――人一人の、命。


「……やめてくれ」

 ――コンラッドが死んだ。アメリアはさらわれ、ヴァイオレットも姿を消した。その上、ウィリアムまで失うことになるというのか……?そんなこと、認められるわけがない。許せる筈がない。


「――ウィリアムを殺すというのなら、その前に俺を殺せ。もう……嫌なんだ。俺はもう、誰も傷つけたくない。ウィリアムに殺されるのが運命だと言うのなら、俺はそれを受け入れる。――だからもう、やめてくれ。俺のことは……放っておいてくれ。俺の前から……消えてくれ」


 俯いたアーサーの口から漏れ出す負の感情。けれどそれは、少年と出会った十五年前の感情とは確かに何かが違っていた。彼はもう、自分の為に願うことはしなかった。彼はただ――もう二度と、大切な者の手を放すわけにはいかないと、失うわけにはいかないのだと――震える声で訴える。

 それは少しの迷いもない瞳で――それを感じ取った少年の身体が、怒りで震えた。


「……消えろだって?」

 少年は俯き、呟く。そして――。


「この僕に消えろと言ったか!?何度も助けてやったのに、その僕に消えろと言うのか!?」

「――っ」


 再び顔を上げた少年は、まるで先ほどまでとは別人であるかのように声を荒げた。その瞳は、深い憎悪に満ちている。


「よくもそんなことを――、この恩知らずが!」

 そう叫んだ少年の身体から、再び漆黒の霧が立ち上った。それは今度はウィリアムではなく、アーサーに襲いかかってくる。


「――っ」

 逃げる暇など無かった、無い筈だった。だが――その黒い霧はアーサーを襲う寸前で、ものの見事に霧散し消え去ったのだ。


「……は」

 ――一体何が起きたんだ。


 それは本当に一瞬の出来事で、アーサーが視線を少年へと見据えれば、彼は驚愕の表情を浮かべていた。少年の視線はアーサーの背後へと注がれている。


 ――俺の後ろに、何かいる?

 アーサーはそう直感し、振り返ろうとした。けれどそれよりも早く、少年の震える声がアーサーの耳に届く。それは、ローレンス――と。その名前が、アーサーの動きを止めた。


「……ローレンス?」

 少年の呟いた名前を思わず復唱して、気づく。背後から放たれる、一度だって感じたことの無い強い殺気に。

 そして同時に理解するのだ。自分は振り返らなかったのではない、振り返れなかったのだと。


「……どう……して」

 恐怖と畏怖に染められた少年の瞳。その眼にはもうアーサーは映っていなかった。少年は呆然とした様子で呟いて、顔を歪める。その足が後ろへと後退り、そのまま、身を翻そうとした。


「――逃がさんぞ」


 けれどそれを認めないと言いたげな声が、アーサーの背後から放たれる。それはどういうわけか聞き覚えのある――自分によく似た声だった。

 そして同時に一人の男がアーサーの頭上を飛び越えて、彼の前に躍り出る。その金の髪と、礼装用の真っ白な軍服に深紅のマントを装った男はそのまま腰から剣を引き抜き、それを今にも逃げ出そうとしている少年の肩へと、躊躇いもなく突き刺した。


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