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04



「――アム、……ウィリアム」

「――……あ」


 ウィリアムがアーサーの声に瞼を上げれば、そこは暗闇の中だった。右も左もわからない、自分の足元さえも伺え知れない闇の中を、彼は左手をアーサーに掴まれた状態で立っていた。けれどそれでもどういうわけか、アーサーの姿だけはくっきりと目に映っている。アーサーは安堵したような表情を浮かべ、ウィリアムをじっと見つめていた。


「……ここが、君の夢の中なのか」

 ――暗いな。

 そう思いながらウィリアムが呟けば、アーサーは小さく頷く。


「そうだ。――拍子抜けするくらいあっさりだったな。ここに人を入れるのは初めてだ」

 そう言って、彼は暗闇の先を見透かすかのように首を回した。それはまるでその先が見えているかのように。


 ――アーサーには、見えているのか?

 考えながら、ウィリアムもアーサーの視線の先を追う。けれどやはり、ウィリアムの瞳には何も映らなかった。


「俺には何も見えないのだが、君には何か見えているのか?ローレンスはどこにいるんだ」

 尋ねれば、アーサーは皮肉げに口角を上げる。その横顔は、どこか憎らし気な様子であった。


「なに、俺にも何も見えないさ。だがどちらへ行けばいいかはわかる。恐らく、ローレンスもそこにいるだろう」


 そう言ったアーサーの視線がウィリアムへと移される。暗闇の中で、アーサーの右目が赤く煌いていた。それはウィリアムが目にしてきた数ある宝石のどれよりも色彩深く、透き通った赤色で……ウィリアムはその眩しさに思わず目を細めた。一筋の光さへも差し込まない闇の中で、自ら輝く恒星のように光を放つ、その瞳に。


「――アーサー、眼が……」

 ウィリアムの表情に悟ったのだろう。アーサーはぎこちなく微笑んで、ウィリアムの左手を握るその手に力を込める。


「……行こう。この眼が俺に道を教えてくれる。

 ――だがいいか、ウィリアム。決してこの手を離すなよ。はぐれたらどうなるか、この俺にもわからない」

「……あぁ、わかっている」


 二人は頷きあい、ゆっくりと歩き出した。ウィリアムはアーサーの手に引かれ、闇の中を進んで行く。



 どれくらい歩いただろうか。暫く進んだところで――ふと、ウィリアムが呟いた。


「その眼――凄いな」

「何がだ」

「何も見えないのに、行き先がわかるんだな」

 そう言って、心底感心したように感嘆の息を漏らすウィリアム。そのどこか間の抜けた声に、アーサーは肩を揺らしてぶはっと吹き出した。


「はははは!何だそれは!お前の言葉とは思えんな、他に何か言うことはないのか!?」

 アーサーは笑いを堪えようとして、けれどどうしても堪えきれずにくぐもった笑い声を上げた。ウィリアムはそんなアーサーの後ろ姿を、さも不満げに眉をひそめる。


「何だ、何がそんなに可笑しい」

「いや、今のお前は、俺の知っている伯爵ではないなと思ってな」

 そう言って、アーサーはウィリアムの方を振り向くとニヤリと口角を上げた。それはウィリアムをどこかからかうように。

 けれどウィリアムには、アーサーが何を言っているのか皆目見当もつかない。


「それは一体どういう意味だ」

 ウィリアムが尋ねれば、アーサーは更に笑みを深くする。


「そのままの意味だ。先ほどの朝食のときの戯れといい、少し前のお前と今のお前は、まるで別人だぞ。自分では気づいていないんだろうけどな」

「――な……。そ、そうか?」

「そうだ。あいつらにもそう言われなかったか?」

 あいつら、というのがエドワードとブライアンのことだというのはすぐに察しがついた。ウィリアムは押し黙る。


 ――確かに言われた気がする。オペラ座で令嬢たちからアメリアを庇ったときに。……あぁ、ならばそれは間違いなく、永らく預けていた自分の心をルイスより返して貰ったからだ。そしてその心で……アメリアを確かに愛したからだ。


「昔の俺は……どんなだっただろうか」


 呟いたウィリアムの脳裏に、一昨日の彼女の寂し気な微笑みが蘇る。それはこの一日の間に、何度も何度もウィリアムを苦しめていた筈のアメリアの面影だった。けれど不思議と、もう絶望感は感じない。

 それはきっと、昨日のルイスの去り際の言葉――それが確かにアメリアの無事を示唆していたからだ。ウィリアムは一晩考えた末、ルイスがわざわざ別れを言う為に教会に姿を現したわけではないという結論にいきついていた。危険を冒してまであの場所に現れたのは、アーサーを挑発する為だけでは無かった筈だと。きっとあの行動は、アメリアの無事を知らせるものだった。


 ――だから俺はお前を信じる。ルイス……お前を。そして、ここにいるアーサーを。


「――着くぞ」


 ウィリアムがそう考えていると、唐突に囁かれるアーサーの声。同時に今まで辺りを覆っていた暗闇が波が引くように消えていき、視界が開けた。突然現れた目の前の光景に、ウィリアムは眼を見張る。


 そこは回廊だった。荒れ果てた広大な庭をぐるりと囲むように続く長い長い回廊、そしてそこを押しつぶさんとするかのような重たい鼠色の空が、ウィリアムの視線の先に広がっていた。


「……ここ、は」

「俺の夢だ」

 淡々と答えるアーサーが、ウィリアムから手を放す。ここまで来れば大丈夫だろうと、彼は続けた。


「これが……本当に、夢なのか」

 ウィリアムは自分の両手を見つめ――そして、ぐるりと庭を見渡した。


 うっそうと生い茂る雑草と枯草。朽ち果てた噴水。ひび割れた壁と柱を覆いつくす野バラ。そして、今にも雨を降らせそうな暗い空。


 先ほどまでの暗闇と違い――ここはやけにリアルすぎる、とウィリアムは感じていた。ひび割れた柱にそっと手を触れてみれば、固く乾いた感触が指から伝わってくる。色も、匂いも、風や温度さえも感じる。これが本当に夢だとは、そう言われても信じられないほどに。


「――見ろ」

 アーサーの声に振り向けば、彼は回廊の壁を指さしていた。そこには何十、いや、何百、何千という絵画が掛けられている。それらをよく見れば、そこに描かれているのは全て――。


「……これは、君なのか?」

 ――ぞくり、と、一瞬ウィリアムの背筋が凍った。気味が悪い。どの絵にもアーサーと瓜二つの姿の人物が描かれている。年齢はそれこそ2、3歳のものから成人を迎えたころか、それ以上のものまであった。


「――何だ、ここは」

 冷やりとした汗が、ウィリアムの背筋を伝う。思わず壁際から後ずさっていた。一歩、二歩と後ろへ下がり――背中が、アーサーの肩にぶつかった。


「あ――。す、すまない」

 強張った顔で振り返れば、けれどアーサーはウィリアムの方を見ていなかった。彼は酷く顔をしかめて回廊の先を睨んでいる。その右目は――赤黒く燃えているように見える。


「――アーサー?」


 呟けば、アーサーがウィリアムを庇うように前へ出た。それと同時に回廊の奥から人影が現れる。ウィリアムは再び驚きに目を見開いた。何故ならそれは間違いなく、出会ったばかりの頃のアーサーの姿をしていたからだ。


「あれは……君、か?」

 ――どういうことだ。あれが、ローレンスなのか?


 ウィリアムからは、前に立つアーサーの表情を伺い知ることは出来なかった。けれど、尋常ではない緊張感は嫌というほど伝わってくる。アーサーの、怖いほどの殺気が――。


 子供の頃のアーサーの姿をしたその少年は二人の前へと音もなく歩みより、すぐそばで立ち止まった。彼はにこりと張り付けたような笑みを浮かべ、それと同時に、肩まである銀の髪がさらりと揺れる。


「2ヶ月ぶりだね、アーサー。それと……君はウィリアムだね。ウィンチェスター侯爵の息子の」

「俺を……知っているのか?」

 ウィリアムの言葉に、少年は頷いた。


 少年の右目はアーサーと同じように確かに赤い色をしている。けれどその色は酷く濁っているように見えるのだ。少なくともウィリアムには、少年の右目はアーサーのそれに比べ、禍々しい何かを秘めているように感じられた。


 少年はウィリアムの言葉に答えるように、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。


「僕は何でも知ってるよ。少なくともそこにいるアーサーよりはずっと世界を知ってるし、君たちに比べれば、遥かに長く生きている」

「――っ」

「ま、身体なしで生きているなんて、死んでいるのと変わらないのかもしれないけどね」


 少年の笑みが、どこか自嘲気味に歪んだ。彼は二人から視線を反らすと、窓枠すらない腰高の窓に腰掛け、荒れ果てた庭を流し見る。


「ローレンスのことを聞きたいんだね」

 それは、既に全てを知っている、という口振りだった。


「彼女を助けたいんだね」

 ――彼女、というのは間違いなくアメリアのことだ。やはりこの少年は、すべてを知っているのだ。

 ウィリアムはそう確信する。それはアーサーも同じだったのであろう。淡々とした口調で述べる少年に、彼は静かに応え返した。


「そうだ。アメリアが何者かに拐われた。ルイスは、ローレンスなら犯人を知っている筈だと。そして、あいつはそのローレンスを殺したいと願っている。

 だからお前に問いたい。お前は本当は何者だ。お前が――ローレンスなのではないのか」


 アーサーの、低い――それでいて凛とした声が冷えた空気を震わせる。少年は視線を庭に向けたまま、つまらなそうに息を吐いた。

 

「あのさぁ、例え僕がローレンスだったとして、みすみす殺される為に出て行ったりすると思う?言わせてもらうけど、僕の使命はね、アーサー、君の命を守ることなんだ。君と、そしてこの力を守ること。ユリウスにこの力を渡すつもりは毛頭ないよ」

 そう言って、少年は一瞬だけちらりとアーサーを見やった。その視線はおよそ子供のものとは思えない覇気を秘めている。


 その強い眼差しに、そのユリウス――という名前に、アーサーは確信した。やはりこの少年は、少なくとも千年前のことを知っているのだ、と。

 だが本当にそうであるならば、疑問も残る。どうしてこの分身は12才の誕生日のパーティーでルイスを目にしたとき、ユリウスだと気が付かなかったのか。何でも知っている、果たしてそれは本当なのか。その言葉を、信じてもよいのか?

 ――アーサーの表情が、陰る。


「ならば何故もっと早く手を打たなかった。知っていたなら、こんなことになる前にルイスを捕らえることだって出来た筈だ。――15年前のように……手を打つことが出来た筈だ。なのにどうしてお前は俺に知らせなかった。それどころかお前は、この10年以上一度だって表に出て来なかった」

 アーサーの表情が困惑げに歪む。その表情は、少年を責めていた。けれど少年はそんなアーサーを呆れたようにじっと見つめ、今度はウィリアムへと視線を向ける。


「勘違いするなよ。出て行かなかったんじゃない、出られなかったんだ。2ヶ月前に僕が言ったことを忘れたのか?君が僕をここへ閉じ込めたんだ、10年もの時を。

 全部全部君が望んだことじゃないか。この力を疎ましがった君が……ウィリアムに心を奪われた君が、僕を忘れたせいじゃないか」

「――ッ」


 刹那――少年の右目が燃えるように赤く蠢いた。ウィリアムを見据える少年の全身から、黒々とした霧のようなものが立ち昇る。それは一瞬で炎のような形に変わり、そのままウィリアムへと襲いかかった。


「――な」

「ウィリアムッ!!」


 あまりに突然のことに、二人は一歩も動けなかった。黒い霧は一瞬でウィリアムを呑み込み――そしてそのまま、ウィリアムを拘束してしまった。ぎりぎりと締め付けるように、その黒い霧はウィリアムの全身をおおっている。


「……う、……アー…………サー」

 ウィリアムの顔が、苦しげに歪んだ。アーサーはその霧を引き剥がそうとしたが、触れることすら出来ない。


「どうなってる。――おい、ウィリアムを放せ!」


 アーサーは怒りに肩を震わせて、自分の姿をした少年へと掴みかかった。王子らしからぬ様子で、胸ぐらを掴み怒鳴りつける。けれど少年は顔色一つ変えない。


「僕は悪くない。彼をここへ連れてきた君の責任だ。君のことを知る人間は僕一人で十分だからね。可哀想だけど、彼にはここで死んでもらうよ」

「――なん、……だと」

「ウィリアムには死んでもらう。そして次はユリウスだ。あいつはウィリアムのことを少なからず大切に思っているようだからね。ウィリアムが死んだと知れば、途端に気力を失うだろうさ」


 そう言った少年の顔が昔の自分に重なって、アーサーは込み上げてくる酷い吐き気に顔を歪めた。右腕から力が抜け、少年の両足が地面へと降ろされる。


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