表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/61

05


***


「如何でしたか、彼女の様子は」

「まぁ……予想通りの反応だったよ」


 部屋に入ってくるなりそう口にしたナサニエルに、エリオットはベッドに背をもたれながら煩わし気に息を吐いた。


「ウィリアムを愛しているから、僕とは生きられないってさ」

 そう答えながら彼は先ほどのアメリアの様子を思い浮かべ――自嘲気味に顔を歪める。


 それは確かに、先ほどエリオットがアメリアより告げられた言葉に間違いなかった。彼は確かに予想していた。アメリアが自分だけを受け入れることは無いであろうと。何故ならエリオットは既に気が付いていたからだ。10日前に教会で彼女を抱きしめたときに、彼女の身体から漂うウィリアムの香水の匂いに――。


 ――アメリアは既に、ウィリアムを受け入れた。その事実をあの日、エリオットはライオネルの中で確かに知ったのだ。


「――それで?」


 けれどナサニエルはそんなことは気にも留めない様子で、エリオットに続きを求める。その言葉に彼は睨むような視線を窓の外に向け、わざとらしい口ぶりで続けた。


「一応ショックを受けた振りはしておいたよ、怪しまれたらいけないし。――あぁ、でも、正直ちょっと安心した。彼女は昔の彼女のまま。ウィリアムを確かに愛してはいるけど、僕のことも忘れられないって顔してたんだ。これならきっと……上手くいくよ」

 そう言って微笑みを浮かべ、ゆっくりとその視線をナサニエルに向けた。

 ナサニエルは「そうですか」と、短く答える。


「それより――先生。傷が痛むんだ。さっきの注射、もう一本お願い出来ないかな」


 ――決して動ける筈のないライオネルの身体。それを動けるようにする為に、ナサニエルはライオネルの身体に注射を打っていた。それは非常に強い薬。確かに痛みを麻痺させ動けるようにはなるが、傷を治しているわけではない。


 ナサニエルは小さく溜息をつく。


「いけませんよ、これはあくまで一時しのぎ。麻薬のようなものですから、打ちすぎると癖になります。それに、痛みは生きる為に必要な感覚です。消し過ぎるのも良くない」


 けれどこの言葉を、エリオットは鼻で笑った。 


「――はっ。何を今さら。そもそも先生から言い出したんだろう、動けるようにしてやるからユリアをけしかけて来いって」

「……君はこの千年の間に随分口が悪くなったようですね」

「僕を馬鹿にしてるのか!?千年だぞ、変わらない方がおかしい!――彼女だって、確かに本質はあの頃のままだが確かに変わってるんだ。僕のせいで、彼女は苦しみ深く傷ついた。……今度こそ、彼女を幸せにしてみせる」

 そう言って、エリオットは拳を強く握りしめる。ナサニエルはその横顔を無言のまま見つめた。そして僅かの沈黙の後、「ところで」とエリオットが再び口を開く。


「――先生が手に持っているそれは何ですか」

 その問いに「あぁ」と呟き、ナサニエルは右手に持つ地図を、エリオットの膝の上に広げた。


「この国の地図です。最新ですよ」

「――地図?……あぁ」

 エリオットは口角を上げる。先ほどのアメリアとターシャの会話を思い出したのだ。

 そう、アメリアは言っていた。ウィリアムに手紙を出す――と。つまりこれは、ウィリアムをおびき出すチャンスという訳だ。


「さっきの彼女たちの会話、先生も聞いていたんですね」

 彼が語尾を上げれば、しかしナサニエルは呆れたように肩をすぼめた。眼鏡の奥の藍色の瞳が微かに細められる。


「――まさか。ご婦人の会話を盗み聞きするようなことなど致しませんよ。私はただ、彼女もそろそろ気づく頃合いだろうと思っただけで」

「はっ――本当に嫌な言い方をする」


 エリオットが毒づけば、ナサニエルはにこりと微笑んだ。そして笑みを浮かべたまま、地図の上に指を差していく。


「ここがダミア。そしてここが王都です。東の森を抜けると道は三つに分かれ、それぞれ王都との間の大河にかかる三本の橋へと続いています。ウィリアムを呼び出すなら、ダミアの南東にあるここ――」

 ナサニエルは地図の上で人差し指を動かし、ある一点で指を止めた。


「旧フラメル領、レトナーク。それなりに大きな街ですし治安も良い。シーズンオフのこの時期は更に南の海沿いの保養地との中継点にもなっていますから、他の貴族の目もある。ウィリアムも無茶は出来ないでしょう」

「……でも、どうしてわざわざ南東なんだ。王都とこことの中間なら、東の街の方がいいんじゃないの」

「いいえ、東はいけません。ユリウス王子がこちらに向かっていますから。彼と鉢合わせする可能性があります」

「――っ」


 その言葉に、エリオットは一瞬押し黙る。――そうだ、ウィリアムの身体を手に入れても、まだルイスが残っているのだ、と。


「……彼は、いつここに」

 エリオットの低い声が部屋に響く。そうだ、日数的に考えれば既にルイスはここに到着していても良い筈である。だが、まだ来ない。それは一体どうしてなのか。そんなエリオットの訝し気な表情に、ナサニエルはその顔から笑みを消して唇を薄く開いた。


「王子には刺客を放ってあります。ですが、あくまでそれはただの足止め。――彼らには王子を傷付けることを許していない。ですから、あと2、3日もすればこちらに到着されるでしょう」


 その何の感情も込められていないような声音に――そして氷よりも冷えた瞳の色に、エリオットは一瞬背筋が凍るような思いを感じた。けれど、なんとか尋ね返す。


「主人に刺客を放つなんて随分礼儀知らずだね。――それでも騎士なのか」

「言ったでしょう?私はソフィア陛下の騎士。ユリウス王子には忠誠を誓っていない」

「……へぇ」

 ――本当に怖い人だ。

 エリオットはそう思いながら、地図を丸めてゆっくりとベッドから降りた。傷の痛みに彼の顔が歪む。

 ナサニエルはそんな彼の眼前に、今度は左手を掲げた。その手の中でかちゃりと金属の擦れるような音が響く。そして開かれるナサニエルの白い掌……そこには――。


「――これ」

 それを確認した刹那――エリオットの目が大きく開かれた。そう、それは間違いなく千年前のあの日、自分と共に湖に沈んだ筈の黒い首飾りだったのだから――。


 ナサニエルは絶句したままのエリオットの左手を取り、その掌に首飾りをそっと握らせた。


「探すのに随分手間取りました。――これを君に預けます」

「何故……?」


 自分を真剣な表情で見つめるナサニエルの顔を、エリオットはじっと見つめ返す。

 この石は、ソフィアの大切な形見な筈――。それをどうして僕に預けるのか、と。


「よく見なさい。それはただの入れ物です。力は君の魂に移ってしまった。――ですが、その力を君から切り離す際には依り代が必要です。つまり、その石が」

「……」

「それに――それは依り代でありながら鍵でもある。その力を使う為の――鍵です」

「鍵?それは一体どういう意味です」

 エリオットの問いに、ナサニエルは静かに目を伏せ、続ける。


「君が千年前のあの日、彼女に自分を忘れないでと願ったように――もう一度願えばいいのです。今度は、そう。彼女が全てを忘れるように――と。あの日から今日までの全ての記憶を忘れるように、と」

「――、僕、が……?」

「ええ。最初は私がやろうかと思っていましたがね。君一人の方がやりやすいでしょう」


 ナサニエルの言葉に、エリオットの鋭い視線が据えられる。その言葉を信じても良いものかと。それを察したナサニエルは、やれやれといった様子で微かに微笑んだ。

 

「私は彼女に警戒されているようですからね。――君は、私をどのように扱ってもいいのですよ。私を悪者に仕立て上げようと――構いません」

「……先生は、僕のことを信用出来るのですか」

「信用?」

 その単語に、ナサニエルは口角を上げた。「面白いことを聞きますね」と、彼の唇が動く。


「――私は誰も信用しませんよ。ですが、君の彼女への想いの強さだけは信じています」

「……」

「君は必ず彼女を手にいれる。――さぁ、行きなさい、エリオット。君の決意を私に見せてください」


 そして、再びにこりと微笑むナサニエル。――その姿にエリオットは薄ら寒いものを感じながら、一度だけ頷いた。


 首飾りを首に掛け、シャツの下にしまいこむ。右手には地図を握りしめ、彼は静かに部屋を出ると――その顔に切なげな微笑みを浮かべ――アメリアの部屋の扉を、優しくノックした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ