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04


 そうは思っても、言ってしまったものはしょうがない。今さら撤回など出来る筈もないし。


「凄いなぁ、王都なんて。ユリアさんのお家って、実は結構お金持ち?」

「え……」


 ターシャは興味津々といった様子で目を輝かせている。確かに彼女の言う通り私は貴族の家の生まれだが、それは流石に口に出来ない。


「ターシャ、あなた何か勘違いしてるわよ。王都に住んでいるからって皆が皆お金持ちなわけないじゃない。うちはただの小さな花屋。確かに貴族の家にも花を卸しているけど、家族が食べていくだけで正直精いっぱいだったわ」

「そうなの?」

「そうよ」

 そう言って私が微笑めば、彼女は「なぁんだそっかぁ」と呟いて私から一歩離れる。けれど、王都への興味は薄れていないようで……。


「でも都会なのは間違いないでしょう?ね、王都のこと教えてよ!私、いつかエターニアに住んでみたいんだ!」

 そう言って、顔をキラキラと輝かせた。

 どうやら彼女は都会に憧れているようである。まぁ、こんな田舎に住んでいたら無理もない。けれど……。


「ターシャはどうして王都に行きたいの?ここはとても素敵なところだと思うけど」


 そうだ。私はまだここに着いて日は浅いが、とてもいい町だということはすぐにわかった。人々は皆心優しく、温かい。別に王都が悪いというわけではない。けれど、ここに比べて何倍も早く時間が過ぎていくようなあの場所は、私にとっては息の詰まる場所でしかなかった。そう……ウィリアムに出会うまでは。


「うん、わかってる。確かにこの町はとても素敵だし、私も本当に大好きだよ。でも……私のお父さんとお母さん、ここに来る前は王都に住んでたんだって。もう、死んじゃってるんだけど」

「――え?」


 ターシャの瞳が一瞬揺れた。それはどこか寂しそうに……。けれどその顔には、すぐに先ほどまでの明るい笑顔が浮かべられる。


「だから、いつか見てみたいんだよね。お父さんとお母さんがどんなところに住んでいたのか」


 それは……そう、ただ純粋な、まっさらな笑顔。そのキラキラした横顔に、私の心がチクリと痛んだ。

 あぁ、彼女は本当に強い女性だ。


「あ、ごめんね、別に気をつかってくれなくて大丈夫だよ。顔も覚えてないくらい小さいときの話だし、悲しいとかは思わないんだ。時々ちょこっと寂しくなるくらいで」


 そう言って、屈託なく笑うターシャ。


 そんな彼女の強さに、どこか心を惹かれている自分自身に気付く。ターシャと言いハンナと言い、いつでも笑顔でいられる彼女たちは私なんかよりずっと心が強いのだろう。


 それに――あぁ、そうか。だから彼女は先生の屋敷に住んでいるのか。どういうわけか住み込みの使用人の一人もいないあの屋敷に、メイドでも無さそうなターシャが一緒に住んでいるのは……家族がいないから。


 ――だとしても。


「ねぇターシャ。どうして先生の屋敷には使用人の一人もいないのかしら?執事はともかく……メイドの一人くらい居てもおかしくないと思うのだけど……」

 私が尋ねれば、彼女は「うーん」と首をひねる。


「そうなんだよねぇ。あれだけ広い屋敷だし、お金もあるわけだから住み込みで雇えばいいと思うんだけど、それだけは嫌みたい。気を遣うんだって。あ、でも、住み込みじゃなくて通いのメイドは何人かいるよ」

「……そう」


 それはやはり、私と同じように過去の記憶がある為なのだろうか。それとも他に理由が……?

 いずれにせよ、私に何一つ教えてくれない先生を少しでも信用してはいけない。ともかくまずは、ウィリアムに手紙を出さなければ……。


「ターシャ、後で便せんを一枚貰えないかしら?」


 私が再び尋ねれば、彼女は屈託のない笑顔で「勿論だよ」と返してくれる。――本当にいい子だ。私は彼女に微笑み返して続ける。


「あとね……私が手紙を出すことは、誰にも内緒にして欲しいの。先生にも、エリオットにも……」


 そう、これは絶対だ。先生からは手紙を出すな、ここに居ろとは一言も言われていないけれど、きっと知られれば面倒なことになる。それに、何となく……エリオットには知られたくない。


「……どうして?」

 けれど、ターシャからは当たり前のように聞き返されて。でも、それはそうだ、確かにそんなのおかしすぎる。あぁ、けれど……理由は一体どうしよう。いい理由が何ひとつ思いつかない。


 少し前までの私なら、これぐらいの問いには簡単に応えられた筈なのに。適当な嘘で誤魔化して、信じさせてしまえた筈なのに……。


 私が俯けば、ターシャは不思議そうな視線を投げかけて来る。ただ真っ直ぐに見つめる彼女の視線が、とても苦しい。


「――私、ね」


 あぁ、嘘なんてもうつけない。例え嘘をついたとしてもきっとすぐにわかってしまう。

 だって今の私はアメリアじゃないもの。アメリアなのに……ユリアなんだもの。あの日教会でライオネルに“ユリア”――と、そう呼ばれたあの時から、私はどういう訳かあの頃の自分に戻ってしまったみたいで……。

 そう思った瞬間、勝手に私の口をついて出て来る言葉。


「……王都に、婚約者がいるの」


 ――それは、自分でも信じられないような内容だった。


「ええ!?」

 同時に、ターシャが素っ頓狂な声を上げる。

「婚約者って、じゃあ……あの、彼、エリオットさんって……」


 ――あぁ、私は何を言っているの。でも、もう止まらない。


「……言ったでしょう?エリオットは……昔の、……恋人なの」


 ――そう、エリオットは昔の恋人。ユリアが唯一愛した人。今でもその気持ちは変わらない。私はこの千年の間、一度だって彼のことを忘れたことはない。ずっと追いかけて来たのだ、彼を、エリオットだけを……。――でも。


 私はウィリアムを愛してしまった。エリオットの魂を持つウィリアムを。あの頃のエリオットの姿をした、ウィリアムを。


 それが間違いだったと言うの?ライオネルが本物のエリオットだったの?でも、もしもそうだったとしても……ウィリアムがエリオットじゃなかったのだとしても……既に、私は……。


「……私」

 喉から零れ出た私の声は掠れていて。頬が、いつの間にか濡れていて……。


 もうどうしたらいいかわからない。本当に、わからない。エリオットが生きているかもしれないと知って、嬉しい筈なのに。あの頃の彼が、私の名前を呼んでくれる。それを確かに夢に見ていた筈なのに。


 今はどうしてか、とても苦しいの。とても――怖いの。知りたいのに、知りたくない。知るのが――怖い。


「……ユリアさん、好きなんだね。その婚約者のことも、エリオットさんのことも」

「――っ」


 あぁ、そうだ。私は好きなんだ。エリオットのことも、ウィリアムのことも。だって、だって――私はずっと、ウィリアムはエリオットだと思っていたんだもの。二人は同じ人だってずっと信じていたんだもの。


 あぁ、もしも本当にライオネルがエリオットだったなら――私、どうしていいかわからない。エリオットの手を拒むなんてこと、きっと私には出来ない。ウィリアムのことを愛しているのに。それなのに――私はそれでも、エリオットを拒めない。


「――あ」


 刹那、その場でうずくまる私に、ターシャのどこか驚いたような声が届いてきた。そしてその次の瞬間――聞こえてきたのは、懐かしい響き。ライオネルの声で、私の名前を呼ぶ彼の声。


「ユリア……、泣いているの?」

「――っ」


 その声に振り向けば……あぁ、――そこには、確かに。


「――エリオット、なの?」


 私の知ってるエリオットの表情で優しく微笑むライオネルの姿があって。でも、間違いなくその笑みは、声音は、私のよく知るエリオットのもので。懐かしい、彼の姿で……。


「そう、僕だよ、ユリア。君にずっと、会いたかった」

「――っ」


 あぁ、あぁ、エリオット――、あなたは本当に、エリオットなのね。私の愛する、エリオットなのね。


 私に向かってゆっくりと歩いてくる彼は……、傷だらけの身体を引きずるようにして、私に近付いてくる彼は、あぁ、やっぱり間違いなく……。


「――エリオット!」


 ごめんなさい、ごめんなさい、ウィリアム。ごめんなさい。


 気が付けば走り出していた私は、そのままエリオットの胸に飛び込んだ。バランスを崩した彼は、痛みに顔を歪めて私ごと地面に倒れ込む。けれど、その腕はしっかりと私を抱きしめてくれて――。


「エリオット、エリオット、私、ずっとあなたに会いたかった。ずっとあなたに謝りたかった。――約束したのに、守れなくて、私、本当に……」


 あぁ、あったかい。身体はライオネルでも、確かにその中には彼がいる。私の愛しいエリオットが、ここにいる。


 エリオットの腕が私の全身を包み込む。彼の切なげな吐息が、私の首筋で熱を持つ。エリオットの震える声が、今にも泣き出しそうな声が、私の傷付いた心を、頑なだった心を一瞬で解かしてしまう――。


「ユリア、違うよ、泣かないで。君は何も悪くない。全部全部、僕のせいなんだ。――ごめんねユリア、僕は君との約束を果たせなかった。君の傍を離れないと誓ったのに……。僕が君を苦しめて、僕が君を殺してしまった」


 エリオットの腕が、私をただ抱きしめる。強く、強く――それは離れ離れになっていた、この長い長い千年の時を埋めるように。


「好きだよ、ユリア。僕は君を愛してる。僕はずっと君を見ていたよ、この千年の間ずっと、君を見ていた。僕を追いかけて苦しむ君を、……ずっとずっとこの手で抱きしめたかった」

「――、エリ……オット」


「僕の気持ちは変わらない。千年前のあの日から何も変わってない。ずっと君を愛してた。今も、そしてこれからも――。聞いて、ユリア。僕はもう二度と、君を独りになんてしない。君の傍を離れないと誓うよ。――だからもう、君は泣かないでいいんだ。もう何も、苦しまなくていいんだ」

「――っ」

「ユリア、もう一度やり直そう。僕らの生活を、もう一度、僕と生きてくれないか」


 それは千年前に果たせなかった私たちの約束。叶わなかった願い。千年の間、願いつづけていたただ一つの望み。


 エリオットの熱い眼差しが、私の心を掴んで放さない。私の瞳には、もう彼しか映らない。


 でも――。それでも一瞬脳裏に過ぎるのは、あの日のエリオットの姿をしたウィリアムの顔で……。


「エリオット、エリオット。ごめんなさい、ごめんなさい。私、あなたとの約束を守れなかったの。私――あなたが好き。愛しているわ。……でも」


 私の言葉に、地面に背中を着けたまま、一瞬顔を強ばらせるエリオット。でも――私は言わなければならない。今、伝えなければならない。もう二度と、自分の気持ちを誤魔化したくないから……。


「でも、他に……愛してしまった人が……いるのよ」


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