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03


***


「……アさん!――ユリアさんったら!」


「――あ。……ごめんなさい、何だったかしら?」


 我に返って声のする方に顔を向ければ、隣を歩くターシャはどこか不満げに眉をひそめていた。きっと何度も名前を呼んでくれていたのだろう。彼女の黄色みががったグレーの瞳が、私の顔を覗き込むようにじっとこちらを見つめていた。


「大丈夫?さっきからずっとぼーっとしてるよ。連れの男の子……確かエリオットって言ったっけ。彼のこと考えてたの?」

「……え、ええ」


 私は一瞬どう応えるべきか躊躇って、けれどいい言葉も思いつかず、仕方なく肯定する。するとターシャはどこか腑に落ちないような顔をして「ふぅん」と小さく呟いた。


 彼女の風貌はどこかハンナを思わせる。私よりいくつか年下であるし、髪も瞳も色こそ違うが、ターシャの視線はいつだってハンナのように真っ直ぐで。そんな彼女の眼差しに私は居心地の悪さを感じ、つい視線を逸らしてしまうのだ。


 ――あぁ、私は一体何をしているのかしら。


 確かにターシャの言う通り、エリオットのことを考えていたのは嘘ではない。けれど本当に悩んでいたのはもっと別のことで。……とはいえそれを彼女に明かすことも出来ず、私は彼女の向ける眼差しに、言葉に、本音を返すことが出来ずにいる。

 彼女はそんな私のよそよそしさを感じ取っているのだろう。あまり深く事情を尋ねてこない。それだけが救いだ。


 彼女は再び屋敷の方へ向き直り軽快なテンポで歩き出した。彼女の無地の黒いドレスが、山頂から吹き下ろす風にふわりと揺れる。そんな彼女がふと呟いた。


「恋人なんだよね?」

「……え」


 ――それはあまりにも唐突に。

 思わず足を止めれば、前を歩くターシャも同じように歩みを止めて私の方を振り返る。彼女の瞳が、それを確信していると言うように私を見ていた。


「……ええっと」

 再び私が躊躇えば、彼女はどこか煩わし気に目を細める。


「違うの?」

 そう言って、再び顔を覗き込まれた。

 ――あぁ、私、本当に何をやってしるのかしら。こんな……ところで。そうは思っても、私の頭は以前のようには働かず……曖昧なフレーズすら浮かんでこない。


「そうなんでしょう?」

 ターシャの瞳は好奇心に揺れていた。


 あぁ、否定しなければ――。だって今の私はアメリアで、婚約者はウィリアムなのだ。断じてライオネルでは無い。でも、本当に否定していいの?彼は――ライオネルは……エリオットかもしれないのに?

 そんな思いが頭をよぎり、喉の奥で絡まった声は、私の予想を超えた言葉を吐き出した。


「……昔……は、そうだったかも」

「……え?」

 ターシャの瞳が、驚いたように見開かれる。


「つまりそれは、“元”ってこと?」


 囁くような声に私が曖昧に微笑みかえせば、呆れたように肩をすぼめるターシャ。そんな彼女の姿に、私の心に自分自身への苛立ちがじわじわと沸き上がる。


 あぁ、本当に馬鹿。私は今一体何と言った?昔はそうだった――と、この口はそう言ったのか?


 私はもうそれ以上何も言うことができず、ターシャの腕に視線を落とした。彼女の両腕に抱えられた籠の中には、今日の夕食の食材であろう野菜や卵がぎっしりと詰め込まれている。


「それ……一つ持つわよ」

 誤魔化すように伝えれば、彼女の立体的な赤い唇が「わ、嬉しい」と気を遣ったように動く。


 私は籠を一つ受け取ると彼女の横に並び、屋敷に向かって歩き出した。



 ここはエターニア最西端の町の、ダミアというところらしい。――らしいというのは、辺境すぎて王都に出回る地図にも乗らないような町だからだ。現に千年の記憶がある私でも、この町の存在を知らなかった。


 西側には隣国との国境線である高い山がそびえたち、北と南には広大な森が広がっている。隣町へ行くには東の森の街道を抜けなければならないが、それすら馬車がぎりぎりすれ違えるかどうかという程の幅しかない。必然的に物の流通は少なく、人口も三千人ほどだと聞いた。王都に比べて半世紀程時代が遅れているような気すら感じられる本当に小さな町である。


 私がここダミアに連れてこられてから三日が――ライオネルと共に教会で何者かに襲われたあの日から、既に十日が過ぎていた。あの時気を失った私は、気が付けばライオネルと共にナサニエル先生の馬車に乗せられていた。


 正直、わけがわからなかった。どうしてナサニエル先生が生きているのか、彼は本当に先生なのか。何故私たちは馬車に乗せられているのか。馬車は一体何処へ向かっているのか。

 それに、教会で最後に私を抱きしめたライオネルは……確かにエリオットだったのか。


 何もわからなくて、先生に尋ねても何一つ教えてくれなくて――けれど彼は私のことをユリアと呼び、ライオネルをエリオットと呼んだ。怪我を負って高熱にうなされるライオネルを……エリオット、と――そう呼んだのだ。


 だから私は逃げられず、ここまで連れて来られてしまった。逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せたのに、ライオネルのことが気がかりで。私を守って怪我を負ってしまった彼をおいて、一人で逃げだすことなんて出来なくて……。


 宿を転々としながら一週間かけてこの街に辿り着いた私たちは今、先生の屋敷で衣食住の全てをお世話になっている。いや……お世話になっているだなんておかしな言い方だ。私達は誘拐されたのだ……先生に。


 あぁ、どうして先生が生きているのか。何故先生は私やウィリアムのようにあの頃の姿のままなのか。


 私のことをユリアと呼び、ライオネルのことをエリオットと呼ぶ先生は、屋敷の皆にも、この町の皆にも私たちをその名前で紹介した。――ということはつまり、彼は間違いなくナサニエル・シルクレットだと言うことで。私達の知っている先生だと言うことで……。そんな彼が千年ぶりに私たちの前に姿を現した。――それは一体、何故?まさかこのタイミングで――偶然である筈がない。


 あぁ、今頃ウィリアムはどうしているだろう。ルイスは――ハンナは?きっと皆、急に居なくなった私のことを心配している。お父様やお母様にまで連絡がいっていたら……。それにもしも本当にライオネルの中にいるのがエリオットなのだとしたら、……ウィリアムは一体誰だと言うのだ。彼は確かに、エリオットだった筈なのに――。


 わからない――もう、何ひとつわからないわ……。


 この十日間、ライオネルは殆ど眠ったまま。ようやく熱は下がったが、それでもまだ目を覚まさない。時折うわごとのように私の名前を呟いては、苦しそうに顔を歪めるだけ。あぁ、だけど、そう。彼が呟く私の名は、アメリアではなく、ユリア……。その名前はライオネルが絶対に知る筈のない、私の古の名前。


 ライオネル……あなたは本当に、エリオットなの……?


 今でもそれがわからない。ウィリアムは一目見ただけでエリオットの魂だとわかったのに。ライオネルの魂はエリオットのものではないのだ。彼に抱きしめられたあの瞬間は、確かにそうであるような気がしたのに……今のライオネルからは、エリオットの気を感じられない。


 そうやって一人頭を悩ませる私に、再びターシャが話しかけて来る。


「それにしても本当に災難だったよね。浮浪者に襲われるなんて」

「――え?あ、ええ……本当に」


 そうだった、私とエリオットは浮浪者に襲われているところを先生に助けられたということになっているのだ。


「でも生きてて本当にラッキーだよ。確かに彼、酷い傷だけど、命に別状はないって先生は言ってたし」

「……そう、ね」

 確かに、生きていたのは幸運だ。彼に庇ってもらった私は、実際かすり傷程度で済んだのだから。

 あぁ、でも、そうだ……。この際だからターシャに少し先生について尋ねてみよう。


「ねぇ、ターシャ。もし良ければ教えて欲しいのだけれど」

「うん、なあに?」

「ナサニエル先生って、どういう方なの?」

 そうだ――確かに先生は私の知っている先生の様だが、それでもあれから千年も経っているのだ。私が変わってしまったように、先生だって変わっている筈。


 そう思って尋ねたが、彼女の口から出た答えは意外なものだった。


「先生?先生はね、この町のヒーローなんだよ!」

「……え?ヒーロー?」

 その言葉の意味がわからず聞き返せば、彼女はどこか誇らしげに胸を張った。


「そう、ヒーロー!あのね、この町には領主がいないの。元はどこかの貴族様の土地だったんだけど、辺境過ぎるし整備も大変で。税だって殆ど徴収できない。つまりお荷物だったのよ。そんなある日領主から、この町は無くすから全員隣町へ引っ越せって言われてね。でもそんな簡単な話じゃないじゃない。――そんな時に先生が現れて、目の飛び出るような金額でこの土地全てを買い占めた」

「……それ、本当に?」

 ――一体、何の為に?

 私が訝し気に目を細めれば、ターシャは瞳を輝かせて笑う。


「本当だよ!この町の人皆先生に感謝してるんだ。本人は医者だって言い張ってるけど、本当は王都の上流貴族様なんじゃないかって噂してるんだから!」

「……」


 確かに、いくら辺境とはいえこの土地全てを買い占める金額を簡単に出してしまえるなんて只者ではない。――先生は今、もしや貴族なのだろうか。ううん、そんな筈ない。もしそうなら私が知らないはずが無い。それに、いくらお金があったってそんなこと本当にするだろうか。唯の善意で?――いくら先生でも、そんなこと……。


 再び黙りこくる私に、ターシャは続ける。


「とにかく、この町の人は皆先生の味方!だから、先生が連れて来たユリアさんとエリオットさんは、私達の大事なお客様だよ!彼の傷が癒えるまで、ゆっくりして行ってね!」

 そう言って、屈託なく笑った。


「あ――そうだ、ユリアさん、明日は配達のトマスが来る日なんだよ。家族に手紙でも出した方がいいんじゃない?きっと心配してるから」

「……手紙?」


 その言葉に、私はパッと顔を上げる。そうだ、手紙!どうして言われるまで気が付かなかったのだろう、手紙なら――!そう考えて、直ぐに我に返る。


「……でも、お金が無いわ」


 そうだ、お金が無い。近隣の町になら兎も角、馬車で七日もかかる王都へ手紙を出すなんて……。あぁ、ここ暫くはずっと貴族の家に生まれていたから、お金の心配なんてしたことがなかった。それが今、まさか手紙を出すことすらままならないなんて……。


 俯く私に、ターシャは「なーんだそんなこと」と言って微笑む。


「着払いにしてもらえばいいじゃない?家の人だって、いなくなった娘から手紙が来たら流石に受け取るでしょう?」

「……着払い」


 あぁ、それはまさかのアイディアだ。確かにそんな支払い方もあった。一度だって利用したことは無いけれど……。


「でも、王都までなんて流石に……」

 そうだ、そんな長距離、もし受け取ってもらえない可能性を考えたら――リスクが高すぎる。そんな手紙を着払いでなんてお願いできるのだろうか。


 そう考える私に、ターシャの瞳が大きく見開かれた。そして右腕に抱える籠を取り落としそうな勢いで、ずいと私に顔を寄せる彼女。


「王都!?ユリアさんの家、王都なの!?王様の住む都!?」

「え、ええ。……そうだけど」

 ぎこちなく返せば、彼女は絶句し固まった。


 あぁ、まるで百面相だ。にしてもまさかこんなに驚かれるとは思っていなかった。先生からは特に口止めなどされていないからつい口にしてしまったが、内緒にしておいた方が良かっただろうか。


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