夢の中の少女
あの子と出逢ったのは、雨の日だったろうか。
場所は確か、公園。
降りしきる雨の中、あの子は傘も差さず、濡れたままその場に立ち尽くしていた。
ぬかるんだ地面に裸足をうずめ、着ている服は薄手の黒いワンピース一枚。それでいて赤いマフラーで口元を覆っているのだから、暑いのか寒いのかさえよく分からなかった。
雨粒を纏った長い黒髪は、しかし湿気に負ける事なく乱雑に飛び跳ね、ブラシ一つ梳かされていない事を明け透けに強調していた。前髪も伸び放題で、マフラーと相まって少女の表情をほとんど覆い隠してしまっている。かろうじて窺えるのは目だ。赤い虹彩の両眼だけが、前髪の隙間からじっと僕を見つめていた。
目しか見えないのだから、表情は分からない。
分からないけど、僕にはなぜかその時、少女が小さく笑ったような気がした。
そしてこう言った気がしたんだ。
「あ」
「そ」
「ぼ」
そう。
「あそぼ……」、と。
※
ふと、視界に影が差し、俺はハッと顔を上げた。
目の前には、美湖の不機嫌そうな顔がドアップで迫っている。俺は思わず仰け反った。
「うわっ、びっくりした……?」
美湖は唇を尖らせ、「びっくりした、じゃないよ!」とまくし立てた。
「話、聞いてる? あたし結構マジに相談してるんだけど!」
普段ニコニコ笑顔を絶やさない彼女が、眉をひそめて俺を睨みつけている。これは相当頭に来ているようだ。俺は慌てて取り繕った。
「も、もちろん聞いてるって! えーっと、何だっけ? ほら、その……。そうそう!《あそぼ》の呪い……の話だろ?」
実際、中学からの腐れ縁の俺でさえ、美湖の本気で怒った顔なんて数回しか見た事がない。そしてその数回は凄まじい修羅場だった事を今でも忘れられない。いま対応を少しでも誤れば、今回修羅場で血祭りになるのは俺だ。それだけは避けなければならなかった。
「ふーん」
しかし美湖は冷ややかな視線を向けたままである。本当に話を聞いていたのかどうか、まだ信用していないらしい。
「じゃあどこまで話したか、言ってみてよ」
腕を組んで仁王立ちした。ブレザーの制服に包まれた豊かな胸が強調されるが、今は見とれている場合ではないようだ。
「だ、だからさ……よくある『聞いたら呪われる』系の都市伝説だろ? 《あそぼ》の話を聞いたり読んだりすると、夢の中に実際に《あそぼ》が出てくる。呪われたくなかったら他の人に《あそぼ》の話をして、《あそぼ》が他の人の夢に行くように仕向けないといけない……ってやつ」
《あそぼ》は少女の姿をしているらしい。そして《あそぼ》に呪われた人間は、夢の中で《あそぼ》と遊ばなければ、決して解放されないという。もちろんただ遊べばいいというわけではない。何か勝敗のつく遊びをして、《あそぼ》に勝てば無事に夢から目覚める事ができるのだ。そしてもし遊びに負けてしまったら、その時は……。
「その時は、二度と夢から覚める事はできない。……ま、よくあるパターンの都市伝説じゃないか。『ブキミちゃん』とか『メリーさんの落とし物』とか、あの辺に比べたらまだまだ生温い怪談話だよな」
幽霊の類が出てくる都市伝説はそれほど珍しくないが、そいつと遊んで勝負をつけるなんてのは、怖いかどうかは別として興味深いストーリーパターンだ。一歩間違えればギャグにしかならない。
放課後に美湖から「相談したい事があるから教室に残って」なんて言われた時は、すわ告白か? 俺にもいよいよモテキ到来? なんて浮かれたものだが……切り出された話がこんな三文都市伝説ときたもんだ。さすがにヘコんだね。
途中から話半分に聞いていて、そういえば俺も昔、知らない女の子に「あそぼ」って言われた事あったなぁ……とか思い出に浸っていたら、目の前に美湖の怒り顔が迫っていたってわけだ。
「どうだ? ちゃんと聞いてただろ?」
笑顔を繕ってそう言い張ってみるが、目の前の美湖の視線は相変わらず凍てついたままだった。「肝心なところを聞いてない」と突き放したように言い放つ。
「肝心なところ?」
「言ったでしょ? 出てきたのよ」
「出てきた? 何が?」
「話の流れで分かんないの? 《あそぼ》に決まってるじゃない!」
「どこに?」
「あーのーねーっ! 夢の中に出てくるお化けの話なんだから、あたしの夢の中以外のどこに出てくるっていうのよ! 《あそぼ》が、あたしの夢の中に、毎日毎日出てくるの! 連続で! 一日も欠かさずに!」
夢に出てきた?
《あそぼ》が?
怪談話の通りに?
美湖の話を聞いた俺は、しばらく呆気にとられてしまった。
そして。
「……あっははははっ」
大笑いした。
「な……ちょっと、なに笑ってるのよ? あたしマジに相談してるって言ったよねっ?」
「だ、だってよぉ……ははは、笑わずにいられるかよ。そんなの、ただの偶然じゃねーか。あんまり怪談話が怖いから、つい毎日夢に見ちまってるだけだろ」
俺の指摘に、しかし美湖は顔を真っ赤にして激昂した。
「そんなんじゃないわよ! 本当に毎日夢に出てくるの!」
馬鹿馬鹿しい。だいたい、その《あそぼ》とやらが夢に出たからと言って、何がどうなるというのか。仮に都市伝説の話が真実だったとしても、無視し続ければいいだけの事だ。《あそぼ》と遊ばない限り、勝敗がつく事は無い。つまり負ける事は無い。負けなければ、二度と夢から覚めないというペナルティも背負わずに済むのだから。
それでもしつこく夢に出てくるのなら、その都市伝説の作法に倣って、他の人に《あそぼ》の話をして、そいつの夢に行くよう仕向ければ……って、あれ?
そこで俺はハタと気が付いた。
現に今、美湖の奴は俺に《あそぼ》の話をしているではないか。これはつまり……俺の夢に《あそぼ》が出るよう誘導しているって事なのか?
「お前……っ!」
俺の表情を見て、「やっと気づいた?」とばかりに美湖はペロッと舌を出した。
「へっへーん、これで圭典も当事者だからね! 今晩から、《あそぼ》はあんたの夢に出るようになるから、よろしくっ!」
「あのなぁ……」
「何? ひょっとして怖いの? それはないわよねぇ、さっきあんだけ大笑いしてたんだから」
「別に怖くなんかねぇよ。ただ美湖がそんな奴だとは思わなかったってだけだ。まさか自分が助かるために平気で友達を人身御供にするとはなぁ」
もちろん美湖も本気で《あそぼ》の呪いの話を信じているわけではないのだろう。ただ連日夢に見てしまったために、自分を安心させるためのおまじない代わりに、俺に《あそぼ》の話をしただけだ。病は気からって言うからな。《あそぼ》が俺の夢に出るようになるから、もう自分は《あそぼ》の夢を見ない。そう自分に暗示をかけて、本当に《あそぼ》の夢を見ないように精神を落ち着かせようってわけだ。
それで美湖が安心するなら安いもんだ。
その時の俺はそう思っていた。当然ながら、俺は《あそぼ》の呪いなんて全く信じていなかったから。
「まぁまぁ、次は駿にでも《あそぼ》の話をしてみたら? あいつインテリだから絶対信じないよ、こんな話」
「俺は友達を売るような真似はしねーよ」
まさかこれが……。
これが、俺たちと《あそぼ》との、長い長い因縁の始まりになるなんて。
その時の俺は、想像さえしていなかった。




