転生をさせる者
フルコース一品目。アンティパスト――そう、前菜です。
軽く摘んでいただきながら、当コースの塩梅を推し量りください。
お好みに沿えることができれば二皿目へ。
それではどうぞ。
偉大なるプロ野球選手――山田大輔選手が死んだ。
生前の彼は甲子園にも出場し大活躍、ドラフト会議でも引っ張りだこ。プロになっても物怖じしない強気なピッチングと豪快な投球フォームでお茶の間を熱狂させた、一世を風靡したといっていい大投手である。その名ピッチャー山田が死んだ。享年29。あまりにも若く、早い死だ。
「すごくいいピッチャーだったのにねえ」
カウンターの奥で皿を洗いながら、おかみがぼやく。聞けば、山田選手のいた球団を贔屓にしていたらしい。俺は珈琲を飲んで、「らしいですね」と曖昧に返す。葉を叩く雨音が、窓子を介して流れ込む。
店内に備え付けられたテレビでは、亡き山田投手を悼む旨の番組が流れていた。おかみの言う通り、やはりいい投手だった。らしい。野球には詳しくないが、職業柄彼のデータだけは持っていた。身長体重に始まり交友関係、性格、恋人の有無、その他諸々。
「おまけに人当りもよくて優しくて、人間としても文句なしのスポーツマンだったのにね」
「でしょうね」
だから彼にしたんですよとは、口が裂けても言えなかった。
「いい人が早く死ぬってのは、本当ね」
「本当ですね」
適当な相槌を添える。喫茶店の中には、俺しかいない。おかみとしても暇なのだろう、チョコレートまでサービスしてくれるありさまだ。それと引き換えに、話し相手になることが条件らしい。
「お兄さんもそう思うでしょ?」
なにについての同意を求めているのかわからないが、俺は首肯する。
「なんで山田選手なのかしらねえ。死んだらボールも投げられないのに」
おかみが息を吐く。よほど山田選手がお気に入りだったのだろう。その落胆は、俺の想像を遥かに超えている。
しかしその山田選手は今、異世界で石を投げている。
より正確に表現するなら『イッシュガル』という魔法の世界で『勇者』として転生し、ドラゴン相手に石を投げて国を守っている。ちなみに転生の恩恵で、ただの石投げが現代で言うところの戦車の一発に匹敵する。戦車には疎いからわからんが、上司曰くそのくらいの威力らしい。
珈琲の勘定を済ませ、俺は席を立つ。鞄を持ったところで、おかみに呼び止められた。
「あなた、そろそろ死にそうなくらい顔が白いわよ、気を着けなさいね」
ご安心ください。もう一回死んだ身ですから。とは冗談でも言えそうになかった。あははと苦笑いを浮かべ、店を後にする。雨は上がりかけらしく、傘をさすまでもない。
「さて」
腕時計を確認し、俺はぼんやりと独りごちた。
今回は、誰を殺そうかな。
物騒な独り言で誤解したかもしれないが、俺は別に殺し屋ではない。それに近い仕事だが、銃は使わないし暗殺拳法もない。ナイフなんてもってのほか。至ってどこにでもいる善良な国民Aだ。
ここからは俺にまつわる回想や振り返りである。少々退屈だが、お付き合いをお願いしたい。
そして突然で申し訳ないが、俺は確定申告に殺された。
刃物を握った確定申告に刺されたわけではないが、有力な死因は確定申告である。
俺は仕事柄確定申告を見ており、その時は繁忙期の絶頂。比喩ではなく本当に山ほど積みあがった確定申告と格闘し、起きているのか寝ているのかもわからないくらいの疲労具合で帰路についていた時のことだ。信号待ちをしていたら、居眠り運転の軽自動車に轢き殺された。半分眠っている脳では危機を危機と認識できずに、棒立ちで弾かれてしまったのである。結果だけ見れば事故死だが、ここまで脳を困憊させた確定申告こそが死因である。
で、いつの間にか俺は椅子に座っていた。混乱する間もなくいろいろと面接が始まってしまい、俺は以下のことを悟った。
俺はどうやら死に、第二の人生を与えられるということ。
聞いた瞬間、俺の体温が一気に上がった。これはもしかして神様の不手際で俺が死んでしまい、その詫びとしてすごい力を授かり、異世界で特に苦労もなく強い力を弱者に振り回すだけで女性からちやほやされる展開が待っているのではないか。言葉の壁や価値観の違いに苦労することもなくRPGでありがちなファンタジーゲームの100n+5番煎じくらいの世界観で無双し、挙句貴族の位をもらったりしてこの世の春を異世界で謳歌できるのではないか。
結論から言おう。なんてことは、まるでなかった。
さらに言うと、第二の人生をもらったにもかかわらず俺はこうしてあくせく働いている。なんでこうなったのかは、面接中の上司との会話でご賢察いただきたい。
「第二の人生もらったら異世界で楽できるんじゃないんですか?」
「強ち間違いではないけど、あなたみたいなただの社畜を剣と魔法の世界に連れて行って何するの? 異世界で確定申告書くの? 税務署や役所の課税課もないのに? 書いても誰も何の興味をしめさないわよ。どうせならもっと適性のあるやつを異世界に送るわ」
「じゃあニートは……」
「あれは異世界に対するポジティブキャンペーンの一環よ。『選ばれし優良人種しか異世界に行けません』なんて公言したら、異世界へのイメージダウンにもつながるから渋々出版社のコネ使ってそういう風な本出してるのよ。誰だって何の役にも立たないニートなんて要らないわよ。転生したら急に会話ができるようになる? ありえないわね。鏡見てきたほうがいいわ」
「異世界も厳しいんですね」
「その異世界に適切な人員を送るのがあたしたちの仕事。依頼主の世界から要望が来るから、それにふさわしい人間をチョイスして頂戴」
「拒否権は」
「ないわよ。この仕事する代わりに、社畜時代よりも賃金休暇は大幅な色を付けてあげるから――」
「やります」
そんなわけで俺は、今日も働いている。ちなみにその上司、童顔なせいか俺と同じくらいの年にもかかわらず女子高生に見える。女子高生が背伸びしてスーツ着ているような微笑ましさもあって、それを拝むために軽自動車に跳ねられて死んだのもやぶさかではないなと最近では思うようになってきた。
さておき。
誰を異世界に送り込むか――要するに『誰を死なせるか』である。勿論転生先の世界(営業先とでも言えばいいか)からのフィードバックやご意見ご感想もある。下手な人間をむやみやたらに送ることは許されない。上司はそれを、結婚式と同じだと言っていた。
「いい? 誰かの結婚式だって式場から考えたらたくさんあるうちの一つよ。でも本人たちからすれば、一生に一度の大イベント。あたしたちの仕事も同じで、その世界にとっては世界の命運を握るビッグイベントなのよ。その考えを忘れないようにね」
お説ごもっとも。
ちなみに異世界というのは、現在確認されているだけでも一万を超えている。未だ先の見えない巨大な樹木さながらに世界はある程度繋がっており、こうして依頼が異世界から飛んでくる。依頼の種類も様々で、大道芸人や駅員、学校の教師、果てには「一流ホテルマンを転生させてほしい」なんて依頼もあった。顧客ニーズが多様化するのは昨今の行政のみならず、異世界でもその流れはあるらしい。
俺は今回の要望を反芻する。世界名はまだない。どうやら、新しい神様を探しているらしかった。元気でアグレッシブ、加えて創造性の高い神様をご所望らしい。俺みたいな下っ端に任せていいものかと再三上司に問い合わせたところ、いっそ清々しく「現場の声が一番なのよ。アンタが選びなさい」と一喝されてしまった。そして「何かあったらあたしが責任取ってあげるから、アンタは頑張って選ぶだけでいいわ」とも言ってくれた。高校生くらいの容姿をした女性に言われるのもあれだが、これほど心強い言葉もない。上司は少々横暴なところもあるが、こうした責任の伴う局面でしっかり前に立ってくれるあたり、人として尊敬するばかりだ。
さて。
俺は目当ての場所へ向かう。近くの県立高校で、転生候補はすでにおおむね絞っているのだ。二年生の、姫路という女子である。元気で友人も多く、気さくな性格。チャレンジ精神に富んでおり、容量もいい。彼女なら神様になっても、何とかしてくれるだろう。年齢や転生前の職業には一切触れられていないため、そこは俺のような現場の裁量になる。女子高生を殺すことに少々罪悪感があるが、これも仕事だ。
最後の調整も含めてもう一度素行を観察しよう。そう思い、高校をフェンス越しに覗いていたその時であった。
一人の少女が、校舎外れの草むらで腰を下ろしていた。
地味な少女だな。第一印象はこれだった。髪は黒く、眼鏡をかけている。休み時間は一人文芸に触れているような、いい意味で落ち着いている少女だ。
がさがさと草むらで何かを探している。セーラー服はところどころ汚れ、移動の拍子に転倒するほど要領が悪い。殺そうと思っている姫路とは、真逆かもしれない。
なにをそこまで探しているのかと思えば、少女が大きく右手を掲げた。見れば、安物のプラスチックボールが握られている。それを、フェンス越しの少年に渡していた。どうやら、あの少年のものらしい。
深々と頭を下げる少年に手を振る少女を見て、俺はふと好奇心に駆られた。
少年が去ったのち、俺は声をかける。
「あとで、少しお時間ありますか?」
「突然すいません。さぞかし驚かれたと思います」
俺の第一声に、少女はやんわりと笑ってみせた。聞けば、村田陽子と言うらしい。名付け親の奥さんには大変申し訳ないが、姿も地味なら名前も地味だなと思った。それが悪いわけではない。ただ、名は体を表すことを実感したに過ぎない。
村田と俺は、現在喫茶店にいる。先ほどの店とは違う、チェーン店だ。
「よくついてきましたね」
俺の言葉に、少女は微笑む。
「最近、都市伝説があるんですよ」
「都市伝説?」
突拍子もない話題に、俺は目を瞬かせた。
カフェラテを飲みながら、村田は話す。
「『黒づくめの服をした男に会ったら、死期が近い』って話です。世間では、『死神さん』なんて呼ばれているんですよ」
なるほど。確かに俺は真っ黒な服装だ。職業上これが制服らしく、ほかの服は認められていない。クールビズもないから、一年を通して頭から足まで黒で塗りつぶされている。余談だが生き直したからと言って人間の生物的な感覚器官が神様の不思議パワーで優遇されるわけもなく、夏は汗にまみれる。正直死んでしまうのではないかと錯覚するほどだ。
さておき。
「で、興味があってついてきたと」
村田はこくりと頷いた。
俺は先の、なぜ草むらでボールさ探しにいそしんでいるのかを訪ねる。
「男の子が、困っていたんで」
それだけだった。
「声をかけられたわけでもないのか」
村田は頷く。
「自分から、服が汚れるのに? 見返りもないのに?」
もう一度頷く。
「やったところで、大きな意味になるとは思っていません。でも、体が勝手に」
「俗にいう『お節介体質』か」
村田は、気恥ずかしそうにはにかんだ。はにかむと、日陰でふわりと咲く花のような愛らしさが見える。目立った華やかさはないが、どこか可憐だったと覚えている。
「私は地味だし運動だってできないし、ないない尽くしです。でも、それでも何かできるなら、小さいことでも手を伸ばしたいなって」
俯きがちにしゃべる彼女に、俺は「へえ」と漏らす。
「それが、そう思うことが君の驕りだったら?」
我ながら、なんと無礼千万――いや億くらいは行くのではないかと思えるくらいには無礼だった。
腹を立てるだろうか。
そう思った俺の予想とは裏腹に、村田は「ですよね」と笑った。地味だが、暗いわけではないらしい。良く笑う、いい子だ。
「でも、動かずにはいられないというか、何とかしてあげたいってなるというか」
まとまらない言葉を聞きながら、俺は小さく笑った。
それから十五分ほど適当に話し、席を立つ。話した内容は取り留めもないことばかりだ。きっと、明日になれば忘れる。夕飯の献立より、曖昧で吹けば消えるようなものだ。
「ありがとう。楽しかったよ」
伝票をレジへ。村田は「自分の分は自分で払います」と言って聞かなかったが、財布を家に忘れてきたらしい。啖呵を切った手前奢られることが心苦しいのか、非常に申し訳なさそうに、耳まで赤くさせる姿が印象に残った。
村田を適当なところまで送り、携帯を取りだす。残念ながら異世界までは繋がっておらず、日本営業所の上司へかけた。
「候補者絞りました。よろしくお願いします」
「で、この子を転生者に選んだのね」
女子高生みたいな上司が、口をへの字に曲げる。書類には端的に『転生候補者:村田陽子』とだけ書かれている。
不満ですと顔に書かれていることは、見て分かった。しかし感情的にならず、しっかり目を見て話してくれた。
「地味な子ね」
「存じ上げています」
「クライアントは納得するかしら」
「彼女なら、きっといい世界を作ってくれると思います」
「根拠は?」
「現場で、それを見てきました」
ふうん。と上司は呟く。
「ま、現場の声をあたしは信じるだけよ」
了承の印を押し、「お疲れ様」とだけ告げる。これで、この案件は俺の手元を離れた。
帰路に就く。村田が死んで、どれだけの人が悲しむか。案件が終わるたびに、そんなことを考える。仕事と割り切っていながらも、仕事の直後は心をチクチクと刺す思いに駆られる。
少年がボールを高校に入れてしまったら、今度から誰が探すのだろう。彼女が手を伸ばしてきた些細なことを、誰がこれからやるのだろう。
死神さんが、代わりにお願いしますね。
そんな村田の声が、聞こえてくるような気がした。軽く笑う。
そこでふと、俺は頭を抱えた。
「新しい神様じゃなくて、転生官の求人かかったときに村田同僚にすればよかったかな」
それからどれだけの年数がたったのか、覚えていない。しかし俺は相も変わらず、毎日転生者を選定すべく街を歩いていた。
そんなある日のことである。いつも通り街へ繰り出そうとした俺の足を、上司が呼び止めた。何事かと振り向く。
「今日クライアントが直々にお出ましだから、要望をヒヤリングしてきなさいな」
顎で会議室を指す。そんな予定あったかと首を傾げながら、俺はドアノブをひねった。
直後、苦笑を浮かべる。
安物のパイプ椅子に腰かけた少女が、ふわりと笑った。いつかのどこかで見た、日陰で咲く花のように。
「また会いましたね、死神さん」