5.決まりごと
ママ登場。
一家で外食をした翌日、楓は母親の風花と近所の美容サロンに来ていた。昨年の11月末に部活を引退してからこれまで、前髪を風花に調整してもらっていた。
小4から学校のミニバスケットボール部に入り髪型はずっとベリーショートだったが、今では耳は完全に隠れ毛先は肩に付きそうだ。
ちょっと伸びすぎたかな、と感じた楓は中学入学を前に母親のカットとカラーに便乗していたのだ。
美容師のお姉さんにヘアカタログで選んだ髪型をお願いする。イメージはナチュラルショートである。
これまで髪が伸びすぎていたために耳下あたりにボリュームがあり、重苦しい見た目だったが、段をつけつつカットしたことで菱形のフォルムに変化した。また黒髪の重量感も、ヘアアイロンをあてゆるふわにすることで解消されている。セットが大変な時などは、ワックスを付けてもみ込むだけでもアクティブな印象になる。
その髪型は、ぱっちり目な楓の顔立ちと相まって、マニッシュでありながら可愛らしさが引き立つ。
隣り合った席の横で風花は今後のことなどを楓に伝える。スマートフォンのこと、お小遣いのこと、帰宅時間(門限)のこと、塾に通いたいか、など。そして昨日颯太に買ってもらったギターのことである。
凪にスマホを与えた時にはそれほど抵抗感がなかった風花であるが、娘の楓に与えるに当たって不安がないわけではなかった。
しかし、今の世の中持っていないことの弊害も大きい。家族とすぐに連絡が繋がることは保護者を安心させる。
颯太と風花は凪にスマホを使わせる際に、インターネットの検索サイトで、他の親たちがどのようなルールのもとで子供に使わせているのかを調べ、左藤ルールを作った。その内容を暗記・理解し守れると約束してサインをして、子供達は所持を許された。
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・個人情報や個人写真をネットに書き込んだり掲載したりしません
・スマートフォンの利用時間は、朝7時から夜10時までを守ります(アプリで制限)
・自宅ではリビングでのみ使用/充電します
・家族位置情報を共有し、オフにしません
・必要なアプリは親と相談のもとでダウンロードします(PASSは親が管理)
・課金はしません(誤ってしてしまった場合はお小遣いから天引き)
・学校においては、学校の携帯・スマートフォンの利用規則を守り遵守します
・スマートフォンを介したいじめに加担しません 巻き込まれた場合は直ぐに親・担任に報告します
・スマートフォンを破損・紛失した場合は、自己負担です(お小遣いから天引き)
上記の約束に違反した場合、1週間スマートフォンは没収されます。また没収期間終了後1ヶ月以内に立て続けて違反をした場合は次回から1週間づつ没収期間が延長されます。
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「あの誓約書、覚えるだけですごく大変だったよ」
髪を美容師のお姉さんにカットされながら、横にいた風花に訴えた。
「あれはね、楓を守るためのものでもあるから忘れないようにね」
ちなみに兄の凪は以前、文面を自分の都合の良いように縮小解釈して没収されたことがある。その間はメールも通話も不可能となるのだから、1週間もの間手元にないとどれだけ不安なことか。以降凪はルールを守るようになった。また彼はこの4月より高1に進学するので、使用時間や使用場所など中学時代よりも多少制限は緩和されているようだ。
「はーい、気をつけまーす。」
お小遣いに関しては小6の3月までは1,000円だったが、4月からは倍の2,000円に増額される。以降1年おきに1,000円づつ増加し、高3時には7,000円に達する予定だ。兄の凪は4月から5,000円もらえることになる。またスマホの利用料金は颯太の方で払うことになっていて、小遣いには含まれていない。
門限は、小学生時代にミニバスの練習で夜7時まで学校で汗し、子供達の送迎も保護者が持ち回りで分担していたこともあり、左藤家はもともと門限に厳しくなかった。
中学の門限も、楓が部活に入ってからその終了時間を考慮して決めることになった。
塾に関しても同様で、楓本人が通いたいのならいいよ、くらいである。
さて、風花が憂慮したかったのはギターに関してである。
夫の颯太が下手の横好きで、結婚前には複数本のギターや複数台のギターアンプ、大量のスコアブックやレコードやCDを所有していた。
結婚し一人目が生まれた後に新居を構えたことで、ようやく場所を占有していた颯太のコレクションが新居の[書斎]に押し込まれた。
結婚生活に必要ない夫の趣味の物は整理してほしい、と思わなかった風花ではない。しかし鉄道模型やフィギュア、ガ◯プラなど、夫や彼氏の趣味のコレクションを勝手に捨てたり売り払った女の末路を過去、掲示板のまとめサイトで知った風花は強硬な手段に移すことは無かった。また颯太の趣味が言うほど深刻なものでもないと風花は感じていた。
ターニングポイントは娘の楓が生まれ、彼女がドアを一人で開けられるようになって、階段を一人で上り下り出来るようになった3歳のある休日の出来事だった。
書斎のドアが完全には閉まっていなかったのであろうか。書斎に侵入した楓は、ギタースタンドに立てかけられていた黒いギターに興味を示したのか触れてしまい、倒してしまったのだ。幸いにもドアが開けっぱなしだったことで、楓の鳴き声に気づき駆けつけた颯太と風花は、ギターの下敷きになっている愛娘を目にした。きっとペグから飛び出たギター弦が頬をなでてしまったのであろう。楓の柔らかそうなほっぺには薄っすらとではあるが血が滲んでいた。
そこで颯太がうっかりとってしまった行動が、その後の颯太のコレクションの行方を左右した。
颯太は何の気なしに、楓ではなくギターを抱えて、キズはないか確認してしまったのだ。
ハッと風花の視線に気づいて取り繕っても後の祭り。我が子が泣いている横でギターの心配をしてしまった颯太に弁解の余地はない。当然である。当たり所が悪ければ失明していたかもしれない事例だ。
風花は楓を抱きかかえながら意を決して強い口調で言い放った。
「ギター、売り払って」
「・・・はい」
勝手に書斎に入った娘のせいにはできない迫力が風花の言葉に込められていた。左藤家には、トイレとお風呂以外の部屋には鍵がない。新居を建てる際、颯太と風花の相談の上での決まり事ある。子供が触ったら倒れるような物を出しっぱなしにしていた自分に非があるのを瞬時に理解した颯太であった。
その後なんとか交渉の末レコードとCDとスコアブック、そしてギター2本とアンプ1台を除いて、残りのギターとアンプを売り払うことになった。買い取ってもらった所は、何の因果か今回楓がSGを買ってもらったリサイクルショップ。合計20万円ほどの買取金額になったが、子供のために使ってくれと、風花に全額渡した。
(あの頃からかな、颯くんの子供っぽさが抜けたの。放任だった家庭のことも良くフォローしてくれるようになったんだよね)
9年以上前の話である。掠った程度であった楓の頬の傷は、子供の活発な新陳代謝のおかげか、1週間もせずに痕も消え去った。風花は隣の座席にいる楓の方を向く。触り心地の良さそうなほっぺたをしていた。
「颯くんから買ってもらったギター、しっかり練習して上手くなりなさいよ。」
昨日、服の軍資金をギターに使ってしまったので何かお小言でも言われるかと思っていた楓であったが、母の肯定的な言葉に気持ちが軽くなる。
「うん。弾けるようになったらママに披露するね」
「そうそう、スマホと同じで夜10時以降の演奏はダメよ。ヘッドホンをしててもね」
そんな会話をしながら、母と娘の美容サロンでのひと時は過ぎていくのであった。