21.優衣、決意する
仲良し六人が伊藤先生を交え楽しくお昼を過ごした後の、5時限目の社会の授業はまったりと進んでいた。教室内は閑静に包まれ、社会科教師が走らすチョークの音だけが小気味よく室内を響かせている。耳をすますとグラウンドで体育の授業をしている他クラスの生徒たちの声が微かに聞こえてくる。
後ろの方の席からクラスメートたちの背中を眺めると、男子生徒の内の数名は背中を丸め自らの前腕を枕にして寝に入っていることがわかる。昼食をとり昼休みに運動でもしていたのであろう。春のぽかぽかと暖かい陽気が睡魔を誘い、力尽きて机に突っ伏している。
後ろの席からでもはっきりわかるので、一段高い教壇からも彼らが真面目に授業を取っていないのが一目瞭然であろう。きっと社会科教師の心の評価票には、彼らにマイナスの正の字が書き加えているに違いない。
中学校の成績は絶対評価である。市立第一中学は5段階で評価され、学期末に通知表で本人と保護者に通知される。三学期制の第一中学では、年に三回通知表を受け取ることになる。
学校の方針や担当教諭の評価の仕方にもよるが、『授業態度』は少なからず評価に影響する。絶対評価だからといって定期考査のテストの結果のみで教科の評価が下されるものではない。宿題や提出物、挙手をしたり質問をしたりという授業への積極的な参加、私語をしない居眠りをしないといったことまで・・・。
これらの情報を数値分析し成績に反映させるのだが、教師たちは極力定性情報を排除し定量情報で評価を下そうと心がけている。定量情報とは集計可能で数値化ができる情報で、定性情報とは数値やグラフで表せない主観的な情報である。
例えば『中学生活は充実していますか?』と一年六組の生徒28人にアンケートとったとする。充実の尺度は個人個人差異があるものの、とても充実している/まあまあ充実している/どちらとも言えない/あまり充実していない/全く充実していないと5通りの回答を得ることができ、数値化・分析が可能である。これが定量情報を基にした定量分析である。
しかし『どのようなときに充実していると感じますか?』との問いには、答える生徒の主観的な感想が回答になるため数値化や評価が難しく、基準も曖昧である。これが定性情報である。
ある生徒に対し、『授業態度が真面目』というだけではただの定性情報である。しかし一度も授業を欠席したことがなく(クラス平均授業出席率92%)、宿題や提出物を一度も忘れたことがなく(同提出率71%)、といったような定量情報の結果、その生徒の授業態度が真面目であると分析することは可能である。
また教師も人の子である。積極的に授業中に挙手をしてくる生徒の印象は、無口な生徒に比べると強くなる。居眠りをしていたり私語をする生徒も教師の目にとまりやすく、マイナスの印象を与えることになる。
結果、定期考査の成績に、定量情報を基に若干の定性情報も絡められ評価が下るので、似たような成績であったのに通知表の評価が異なるといったことも発生するのだ。
水曜日の5時限目、今は社会科の授業。週に四回ある社会科の授業のうち、地理が二回、歴史が二回あり今日は歴史。前回は人類のおこりと旧石器時代/新石器時代を学び、今回は4大文明を勉強中だ。
教室の後ろの席で、優衣は黒板を写しながら時折教室の様子を眺めていた。今週初めにクラスの席変えがあり、今は悲願であった教室後ろ側の席に移ることができた。入学時は出席番号(名前)順に男女が一列おきに並び、彼女の席は真ん中よりも黒板寄りであった。
庭山優衣、市立第一中学の一年六組で楓とはクラスメートだ。小学校時代はその背を活かしミニバスケット部に入っていた。優衣が小学校が違う楓と知り合ったのもミニバスの試合であった。隣の校区でよく合同練習や練習試合をしていた関係で二人は友達になった。
小学生の頃ミニバスにおいて優位であった長身も、当時の優衣にとってはコンプレックスであった。第二次成長も早く、小学四年の後半には初経を迎えた。またミニバスの練習中、同学年の男子に自分自身も気づいていなかった脇の発毛を指摘され、暫くは当時のことがフラッシュバックして悶え苦しんだ。胸の成長も早く、男子に冷やかされたり注目を浴びるのが嫌で背を丸めて過ごしていた。
実はそんな優衣の殻を破ったのが隣の校区の楓であった。楓は優衣の恵まれたプロポーションを羨ましいと、モデルさんのようでカッコイイと言ってくれたのだ。優衣からしてみれば、可愛く小さな(と言っても優衣から見たらであって、楓の身長は全国平均ほどである)楓が自分を理想だと好評価してくれたことで、自信を持つことができた。丸めていた背を伸ばし、胸を張り小学校生活を送ることができた。
母親には、まだ早いと言われていたが、これまでのカップ入りインナーからスポーツブラを着けるようになってミニバスでも揺れを気にせず動けるようになった。ブラジャーをつけたことで、当然クラスの男子の一部から冷やかされもしたが、すでに以前の彼女ではなかった。容姿端麗で成長の早い自分ににちょっかいを出したい助平男子たちの下心を見透かした優衣は、クラスの女子を味方につけセクハラ男子と壮絶な口撃合戦の末に謝らせ勝利を掴んだ。
そんな優衣であったが、中学になってからも自分の体型で未だに気にしているところがある。それは座高が高いこと。こればかりは身長コンプレックスを振り払ってもどうにもならない。個人差はあるが身長と座高はおおよそ比例し、男女ともに座高平均は身長のおおよそ53%〜54%。仲良し6人組の中でもダントツに高く、自分より背が低い男子よりも当然に高いのだ。しかもお団子ヘアのため、席変え前までは授業中など後ろの席の子が黒板を見えないのではないかと気を使っていた。なので、今の席は他人に気を使わず授業を受けることができる優衣の特等席なのだ。
そんな気の休まる席で受ける午後の授業。黒板をノートに写しながら、優衣は時々物思いに更けていた。昼食時の楓の話についてである。楓はこれまで続けてきたバスケットボール部には入らず、軽音楽の同好会を作りたい事を先生に伝え、先生も顧問になると約束していた。彼女は明日からギターを持ってきて空き教室で練習しながら同好会員を募るとのことだ。
優衣は未だに部活に入るかどうかを決めかねていた。先輩にバレー部に誘われたものの固辞した。かといって他にやってみたい部活動があった訳ではない。勉強もそうだが、中学生になったら楓や新しい友達との時間を大切にしたいと思っていたからだ。
あっという間に社会科の授業は終わり掃除の時間も過ぎ去り、楓はじゃあまたねと手を振り生徒会の手伝いに向かった。それを見送る優衣や友達たち。楓は中学で自分の目標を見つけ動き出している。それを羨ましくも思い、自分が取り残されてしまったようで寂しくも感じる。
自宅に戻ってからもお風呂に入って夕食をとった後も、優衣の心のモヤモヤは晴れなかった。自分はこのままでいいのか。以前自分を勇気付けてくれたように今度は自分が楓にしてあげられることはないかなどと悩んでいる。
これは半分本心で半分欺瞞であろう。きっと優衣は楓に同好会に誘ってもらいたかったのだ。しかし他人を客観的に見ることはできても自身を客観視することは難しい。なので色々と理由をつけて自分がこれからとるであろう行動の理由付けを行っている。
優衣は楽器はできないが、幸い歌を歌うことは好きだ。先週も学校帰りに仲良し六人でカラオケに行ったばかりである。
「よしっ!」
自室のベッドに横たわっていた優衣は一言、気合の入った言葉をあげると手帳を広げ、部屋に備え付けの固定電話の子機を握りプッシュボタンを操作する。彼女はまだ自分の携帯/スマホを持っていない。
時間は夜の8時を回ったばかり。以前楓は夜10時までは連絡可能と言っていた。
電話の待ち受けコールが鳴り始める中、優衣は自身の心拍数が若干速度を増しているのではないかというほどドキドキしていた。好きな異性に告白をする恋する乙女か。いや好きな異性など優衣にできたことはないのであるが。
明日なんて待てない。伝えなくっちゃ。私の素直な気持ちを、今すぐ楓に。