10.ロード・トゥ・ユキ
楓の部屋に昨日まではなかった物が増えている。◯RVILLEの白いギターと、M◯RSHALLの白いギターアンプだ。アンプは経年変化により気持ち白地が黒ずんでいるが、同様に経年により若干アイボリー色に変色したSGと並べると、とてもマッチしている。
現在楓は、ヘッドホンを使ってギターの運指の練習をしている。SGのメンテナンスが終わり、父の颯太から大まかな説明や使用方法を聞いたのが1時間ほど前のことだ。
その後、楓は自室にギターとアンプを運び初音出しをしたのだが、思いの外ボリュームつまみとゲインつまみを上げすぎていたらしく、家中に大音量で歪んだギター音を鳴り響かせてしまい、真っ先に駆けつけた母親の風花に叱られてしまった。
そこでもう一度颯太にお願いをして、彼が使っていないサブのヘッドホンを借りて練習中なのだ。
楓はベッドのふちに腰掛け、足を組んだ上にギターを抱えている。右利きの人の場合、右手はピッキング、左手はフレットを押さえる役割をする。
初めはギターの抱え方が難しく四苦八苦していたが、横を向いているSGのボディ下側のシェイプを右足に乗せ、上側のシェイプにまだ控えめだが最近成長著しい右胸をフィットさせると途端にギターの収まりが良くなった。
いざ練習を始めてみると、ピックを弾くタイミングと弦を押さえるタイミングを合わせるのが難しい。また1フレット1フレットゆっくりと押さえているが握力が弱く、加えて少女の小さな手では指が開きづらいために苦労しているようだ。
小6の11月まで部活でミニバスをやっていた楓。彼女は身長で言えば全国平均より2cmほど高いだけ。ミニバス部の中で楓より身長が高い同学年や後輩は少なくなく、クラスでも半分よりは上といったところだった。ボールのサイズも5号と、一般の公式球よりも小さくシュートも両手シュートだったので、体や手が大きくなくてもミニバスをやるぶんには問題はなかった。
しかし楽器を演奏する人にとっては、手が小さいと演奏が不利であることは間違いない。フレットのある弦楽器は、構造上ヘッド側のフレット間隔が広くボディに近くなる程狭くなる。また当然ヘッド側は体から遠くにあるため、1フレットや2フレットを抑えようとすると、慣れてないうちは手首が攣りそうになる。
(もっと上手く抑えられるように手が大きくなってほしいけど、大きくなったらちょっとヤだな)
男子が思っているよりも手や足の大きさを気にする女の子は多い。なんともジレンマである。
先ほど颯太にSGとアンプを受け取った時、練習用にと様々なギター関連用品をもらった。その中にはフィンガーグリップもあった。スプリングの弾性を利用して、指一本一本を鍛えられるトレーニング器具だ。ギターの練習をしていない時でも指を動かす練習になるし、握力も増ししっかりとフレットを押さえることができるとのことらしい。
すでにくたくたになった左手でフィンガーグリップを握ってみると、薬指と小指が他の指ほど握れなかった。そう言えば、と楓は学校でのある一場面がフラッシュバックする。
以前クラスの男子がハンドグリップを学校に持ってきて、体鍛えてるんですアピールをしていたのを思い出した楓。中には手や足に巻くウェイトをしてくる男の子もいた。きっと彼らは漫画やアニメの影響でも受け、『重りを外した俺チョー早えー』をやりたかったのであろう。気分は白◯くんかロ◯ク・リーか。少し早い厨二病にかかってしまったらしい。
結論だけ言うと、体育の授業中に全く動けず周りは大迷惑で、楓も他の女子たちもドン引きであった。
体力トレーニングの一環にウェイトを用いるのならば効果はうかがえるが、そもそも日常生活で多少のウェイトをつけただけで筋力が劇的に向上することなどない。言うなればただの足枷である。
またそんな彼らに限って部活動やスポーツ教室などには入っていなかった。ダイエットと同じで、楽して体力をつけようなどとしても結果は見えているのだ。
(とりあえずグリップを学校に持っていくのは止めよう)
その後15分ほど颯太から教わった指を動かす練習法を続けたが、痛みが限界に達して中断した。颯太が言うには、この運指の練習を一ヶ月ほど続けていく内に指先が強くなって痛くなくなるとのことだ。初めの内は辛い試練のようだけどその内痛みもなくなり思い通りに弦を抑えられるようになるよ、と。
(んーっ、過酷)
楓は抱えていたSGをギタースタンドに立てかけると、ずっと前かがみだったため固まっていた背骨を伸ばす。
(こんなに痛くて難しいなんて思わなかったよ)
一目惚れという勢いで手に入れたSG。父颯太にメンテナンスをしてもらい、アンプや小物類まで譲ってもらい意気揚々と練習を始めた初日から挫折を味わってしまった。
しかし楓に後悔の念はない。彼女には『ユキ』のように格好良くギターを弾けるようになりたいという高い目標があったからだ。
この辺りはスポーツ少女だったことで精神的に鍛えられていた。ミニバスの地区大会を勝ち上がって県大会に出場することがチームの目標で、そのためのキツイ練習にもへこたれず汗を流した。筋肉痛でも練習を怠ったことはなかったし、試合では足が攣るほど必死にコートを駆け回っていたほどだ。
結果は地区大会の準決勝敗退で終わってしまったが、日々の地道な練習が技術を向上させることを身を持って知っていた楓は、明日からもギターを弾き続けようと心に誓うのであった。