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7.山王丸静流と喋るゴキブリ

 並木さんに連れられてやってきたのは、町内の住宅街にあるごく普通の二階建てアパートだった。

 二階の一番奥の部屋が彼女たちの一時的な拠点になっているらしい。

 太陽はほとんど落ち切って、夜一歩手前の薄暗さだ。


(葉子、心配するかな?)


 そう考えていると、ピンポーン、と並木さんがチャイムを押す。

 ……反応はない。誰もいないのだろうか?

 並木さんがドアノブを捻ると抵抗なくドアが開いた。


 はぁ、と小さく溜息を吐く並木さん。確かに、留守なら少し無用心だ。

 並木さんはそのままドアを開け中に入り、「どうぞ」と僕を促した。


「お、おじゃましま~す」


 鬼が出るか蛇が出るか、ではないけれど、一応警戒しながら中に入る。

 短い廊下を抜け、突き当りのリビングに繋がる扉を並木さんが開けると、


「おかえりなさぁ~い」


 と、ふんわりと間延びした女性の声がした。

 一足遅れで部屋の中を見れば、カーテンを閉め切って薄暗い部屋の中央の円卓に、座椅子に座った状態で突っ伏している女性が一人。


 なぜ電気を点けないの? どうしてテーブルに突っ伏したままなの? ていうか人いたんだ。

 いやそれよりも気になったのが……


(汚い部屋だなぁ)


 あちこちに洋服や雑誌やお菓子の空き袋なんかが散乱していて、足の踏み場もないような状態だ。

 人はこうした惨状を目にしたとき、ゴミ屋敷や夢の島や腐海などと表現するんだろう。


 ふと並木さんを見ると、俯いて表情は分からなかったけど、ドアノブを握ったままの手がぷるぷると震えていた。

 僕がなんと言おうかあぐねていると、並木さんはズカズカと洋服などを踏みながら部屋に入っていき、部屋の中央にぶら下がる電灯の紐を引っ張った。

 ちかちかと明滅を繰り返した後、電灯が室内を明るく照らす。


「まぶしぃ~」


 女性が間延びした声を上げる。しかしそれでも動こうとはしない。


「静流さん、今朝私が出るときに部屋を片付けるように言っておきましたよね?」


 淡々と、しかしどちらかといえば冷たい声で並木さんが言った。

 静流、と呼ばれた女性は「ふぇ?」なんてとぼけた声を出した。そして、けらけらと笑い出す。


「だぁ~ってぇ、めんどくさいんですものぉ~」


 なるほど、こういう人か……。

 僕は何となくこの静流という女性がどういう人なのか分かった気がした。

 年齢は僕より上のようで、たぶん二〇台半ばくらい。緩いウェーブのかかった栗色の髪を背中まで伸ばしていて、大人な雰囲気を漂わせる美人さんだ。


 ……こんな状態でなければ、だけど。

 よく見れば髪もあちこち寝ぐせのようなものが跳ねているし、着ているものもTシャツに綿パンとラフだ。それに、こんな状況でもまだ机から顔を上げようとしない。

 これは……筋金入りのものぐさだ。


「あらぁ、ひょっとしてお客さぁん?」


 女性――静流さんが僕にようやく気づいたらしく、もったりとした声を出した。……机に頬を付けたまま。


「そうですからちゃんとして下さい」


 少し苛立たしげに並木さんが言って、静流さんの首根っこをつかまえて後ろに引き倒した。座椅子の背があるためそこにもたれるような姿勢になる。


「あぁん、乱暴はやめてぇ~」

「(イライラ)」


 クールな並木さんが露骨にイライラしている……。もし【激情の双角蟲】を開放している状態だったら大変なことになっただろう。


「あ、あの。僕は霧生零夜といいます。並木さんには危ない所を助けていただきました」


 僕は頭を下げる。

 静流さんは少し目を丸くして、


「アリェーニャちゃん、髪切蟲カミキリムシ? それともまさか蜻蛉トンボ?」

「髪切蟲の方です。恐らく目的は私たちと同じだったのでしょうが、私たちの目的には彼女たちのことも含まれていましたから」


「それでぇ?」

「いい機会でしたので始末しました」


 何やら物騒な会話をしている……。


「あらぁ~。それじゃあ零夜ちゃん大変だったでしょ~? 二人の戦いに巻き込まれてい~っぱい痛い思いしたんじゃなぁい? 服もボロボロだしぃ」

「え、あ、はい……」


 急に振られて思わず生返事をしてしまったけど、痛い思いをしたのは全くその通りだ。

 静流さんはけらけらと笑った。


「だよねぇ。アリェーニャちゃんの双角蟲ってぇ、ちょ~っと周りへの配慮が欠けてる所あるからねぇ~」

「言っておきますが、私は霧生さんへ危害を加えてはいません」


 ムッとした様子で並木さんが言った。


「あらぁ、そぅお? でも零夜ちゃんは痛い思いしたってぇ」

「そ、それは……! 髪切蟲がわざと霧生さんを……」


「うふふぅ、だめよぉアリェーニャちゃん、言い訳なんてしちゃぁ。あ~あ~、あたしがその場にいたら零夜ちゃんには傷一つ付けなかったんだけどなぁ~」

「何が言いたいんですか」


 並木さんのイライラがMAXだ。激情の双角蟲なしで怒りが爆発しそうなほどに。

 そんな並木さんに対して、静流さんが初めて自主的に動きを見せる。背もたれから身体を起こし、緩んでいた表情筋を引き締めて。

 そして、並木さんの目を見ながら言った。


「戦うときは、ちゃんとあたしにも連絡して。じゃないと、守ってあげられないから」


 それは真摯な訴えに思えた。語尾も伸ばしていない。

 並木さんは面食らったようで口をパクパクさせてたけれど、ややあって搾り出すように言った。


「すみません……軽率でした」

「分かってくれればいいのよぉ~」


 ふにゃっと静流さんの表情が緩む。真面目モードは長く続かないらしい。


『お言葉ですが山王丸様。わたくしが必死に並木様の交戦をお伝えしたにも拘らず、貴方様は我関せずと惰眠を貪っておられたではありませんか』


 その声は突然、何処かから聞こえてきた。

 僕の物でも並木さんの物でも当然静流さんの物でもない、なぜか若干エコーの掛かった少女らしき声。


「だ、誰?」


 狼狽え、思わず声に出してしまう。


『これは大変失礼を致しました。私は蟲籠の蟲飼として末席を汚しております、【慇懃の御器噛】と申します。今、姿をお見せ致しますので』


 いんぎんの……ゴキ、カブリ?

 え、ちょっと、それってもしかして――


 もぞもぞ、っと。床に散らばったゴミの隙間から、黒光りするアイツが姿を見せる。長い二本の触角を探るようにゆらゆらさせて、こちらを見ている。

 僕の顔から一気に血の気が引く音が、まるで細波の如き勢いをもって聞こえた。


『お初にお目にかかります、改めまして私が――』

「ぎょわあああああぁぁーっ!!」


 僕は足をばたつかせ、足元に散乱しいてた洋服を踏んづけて見事に足を滑らせ、大きく尻もちをつく。


『ど、どうされました霧生様? 何か――』


 エコーの掛かった少女の声を発するゴキブリが僕に近づいてくる!


「いやだあああぁああぁ!! ご、ゴキ、ゴキブリいやあああああぁぁ~!!」


 半泣き、半狂乱で叫ぶ僕。情けないかもしれないけど、ゴキブリだけは本当にダメなんです……。


『あっ……、これは大変失礼を致しました! この姿が苦手な方への配慮を欠いておりました』


 不似合いな少女声のゴキブリは元居たゴミの隙間へと隠れ、僕の目からは完全に見えなくなった。


『完全に私の不手際でした。何卒ご容赦下さい』


 まさに【慇懃いんぎん】といった感じで、少女声のゴキブリが声だけで謝罪をする。

 姿が見えなくなったので、僕も何とか落ち着きを取り戻せた。


「い、いえ……こちらこそ、取り乱してごめんなさい……」

「あらあらぁ~。零夜ちゃんはゴッキーが苦手なのねぇ? かぁわゆぃ」


 静流さんが小動物でも愛でるかのような目でクスクスと笑う。


「でぇもぉ。男の子なんだからゴッキーちゃんくらいで取り乱してたら女の子に愛想尽かされちゃうぞぉ~?」

「ぼ、僕は女ですっ!!」


 本日何度目だろうかこのやり取り!


「あらぁ~……そうなのぉ? それはちょっと残念ねぇ」


 しかも残念がられた! 僕の乙女心がッ!


「それはどうでもいいとして」


 どうでもよくないよ並木さん!?


「静流さん、私が戦っている間爆睡していたそうですね」


 並木さんがずいっと静流さんに詰め寄る。あ、やっぱりそこは突っ込むんだ。

 勢いに押された静流さんが背もたれに追い詰められて仰け反っている。


「お、落ち着いてぇアリェーニャちゃん? あの時はとっても眠くってぇ、よく覚えてないのぉ」

「…………」


「だからぁ、そのぉ~……」

「……………………」


「ご、ごめんなさぁぁ~いぃ」


 無言の圧力に負けて謝罪の言葉を口にする静流さん。


「あっ、あっ、ほらぁ、ところでぇ!」


 耐え切れなくなったのか、追及を逸らすように静流さんが話の転換を試みる。


「零夜ちゃん、零夜ちゃんのこと! どうするつもりなのぉ?」

「……そうですね」


「やっぱりぃ、『処置』をするのぉ?」

「しょ、処置!?」


 なんだか穏やかじゃない単語が!


「いえ、処置はしません。言うのが遅れましたが霧生さんは蟲飼です。それも、先ほど目覚めたばかりの」

「気付いていたわよぉ~それくらい? 【蟲毒コドク】の連中にとられる前に確保できて良かったわねぇ~。それでぇ、どんな蟲なのぉ?」


「見た限りでは【蛆蟲ウジムシ】です。自分や他者を治癒する能力を持っているようです。性質・性格は現時点ではわかりません」


 ハッキリキッパリと言い切る並木さん。

 うーん、事実かもしれないけど、やっぱり蛆蟲ってヤだなぁ……。姿は見えないからよしとして、名前の響きとか、ね。


「僧侶タイプかぁ~。でも蛆蟲ねぇ~。確かにマゴットセラピーってゆ~のがあるから治癒能力は理解ワカるんだけどぉ、女の子を蛆蟲呼ばわりするのはあんまり宜しくないわねぇ」


 僕の気持ちを分かってくれる人がいた!

 静流さんはしばし頭を捻っていたが、ポンと手を打った。何かを思いついたようだ。


「【蝿王子はえおうじ】! 蝿王子でどうかしら? いい呼び名だと思わなぁい?」


 蛆蟲は蝿の子供だから、蝿王子か……。蝿は蝿でいやだけど、蛆蟲のままよりはずっとマシだ。


「ね、ね、これで決まりぃ~。それじゃあこれで登録お願いねぇ~五鬼上ゴキスケちゃん」

『それは宜しいのですが……』


 先ほどのゴキブリの声だ。名前、ゴキスケって言うんだ……。ていうかどうやって喋っているんだろう?


『できましたら、性質・性格も教えて頂けますと幸いです』

「う~ん、アリェーニャちゃんの話だと不明って事じゃなかったぁ?」

「そうですね……、蟲の事に関しては蟲飼本人が誰よりも詳しいもの。霧生さんに直接聞いてみましょう」


 並木さんと静流さんが同時にこちらを見る。

 少したじろぐ僕に、並木さんが説明をしてくれる。


「いいですか霧生さん? 蟲には能力のほかに、【性質】や【性格】と言ったものがあります。【傲慢の髪切蟲】なら傲慢な性格、【激情の双角蟲】なら感情の起伏が激しい性質、といったようにです」

「それって蟲に由来するものだったんだ……。じゃあ、並木さんの性格がいきなり変わったのも?」


「はい。蟲の性質・性格が私に影響を及ぼしたんです。蟲の能力をより強く引き出そうとすると、同時にその蟲の性質・性格も強く現れることになります」


 なるほど……。確かに、並木さんが急に強くなったのと性格が過激になったのは同じタイミングだった。髪切り女がすごく尊大な態度を取るようになったのも。


「ち・な・み・にぃ。私がこぉんなに怠け者なのもぉ、蟲の性質のせいなのよぉ~」

「嘘を吐かないでください。蟲を顕現していない時でも常に怠けているじゃないですか」


「なによぉ~。蟲飼になる前はもうちょっとマシだったわよぉ?」

「……。話を元に戻します。つまり、霧生さんの蟲――蝿王子にも何らかの性質・性格があるはずなんです」

「って、言われても……」


「蟲の力を引き出したとき、何か変化はありませんでしたか?」

「う~ん、あの時は必死だったから――」


 よく覚えてない、と言おうとした時。

 ぐうぅぅ~、っと僕の腹の虫が悲鳴を上げた。


「あ……」


 思わず顔が熱くなる。年頃の乙女としてこれは恥ずかしい……。


「あらあらぁ~。零夜ちゃんたらもぅ~うふふ~」

「いやぁあはは……」


 思わず笑ってごまかす。

 でもおかしいなぁ。お昼御飯はしっかり食べたはずなのに。晩御飯までにこんなにお腹が空くなんてこと今までなかったんだけどなぁ。


「零夜ちゃん、良かったらこれ食べるぅ?」


 静流さんが散らかったテーブルの下をごそごそして何かを取り出し、僕に差し出してくる。

 ……アンパンだ。


「あ、ありがとうございます」


 遠慮するべきかもしれないけど、正直かなりお腹が空いてきたので嬉しい。このまま腹の虫にグーグーいわせながら話を聞くのも失礼だしね。

 でも一応、賞味期限は確認してしまう。

 ……三日オーバーかぁ……。まあ、これくらいなら大丈夫だよね?

 包装をを開けてアンパンに噛り付く。


 パクッ。パクパクッ。

 あっ! と言う間に食べ終わってしまう。


「零夜ちゃん、食べるの早いわねぇ~」

「三口でいきましたね」


 静流さんと並木さんが目を丸くする。

 自分でも不思議だった。僕はどちらかといえば食べるのは遅い方だったはずなのに。


 それに――

 ぐううぅ~きゅるる。


「あ、あれっ?」

「ひょっとしてぇ、まだ足りないのぉ? 意外といやしんぼさんなのねぇ~」


 静流さんがちょっと呆れ顔でもう一つパンを差し出してくる。

 恥ずかしながらもそれを受け取って食べる僕。

 ……さらに追加でもう一つを平らげ、ようやく腹の虫は収まった。


「ち、違うんです……。いつもはこんな、大食いでも早食いでもないんです……うぅ」

「なるほどねぇ……」

「これは……そういうことでしょうか」


 顔から火を噴いている僕を見ながら、二人がなにやら頷き合っている。


「霧生さん。蝿王子の性質・性格が判明しました」



 霧生零夜――蟲名・【大食たいしょく蝿王子はえおうじ】――能力・【自己及び他者の治癒】。

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