3.僕は女の子だよ! 並木・アリェーニャとの出会い
初夏の柔らかくも鋭さを覗かせる日差しを手庇で遮り、僕は空を見上げる。
たゆたう雲も数少なく、風も穏やかな良い日だ。
通っている高校への道程も半ばまで来た頃だった。僕はふと気がついて歩みを止める。
T字路の分かれ道で一人の女の子が視線をきょろきょろと彷徨わせている。時折、手にした小さい紙切れにも視線を落としながら。
見るからに道に迷っている、ということも気がついた理由なのだけれど、何よりも女の子の外見の特異さが大きかった。
真っ先に目が行くのはその髪の毛、さらさらときめ細かく輝くような銀色の髪だ。その見事な銀髪を肩甲骨の辺りまでの長さで二つに縛っている。ツインテールだ。
そして髪の毛だけではなく、その肌もまた新雪のような白さを持っていた。まるで雪の国からやってきた妖精のようだ。
雪の国かは分からないけど、彼女の目は美しい青色をしている。外国から来たのは間違いなさそうだ。なんとなく、ロシアあたりから来たような気がする。
可愛い女の子が困っている。それも外つ国からの来客ともなれば、親切にしない理由はない。
僕は彼女に近づき声をかける。
「こんにちは、何かお困りですか?」
その瞬間、ハッとする。もしかしたら日本語が通じないんじゃないだろうか? でもその心配はすぐに杞憂となった。
「はい、道に迷っています」
見た目に違わない涼やかな声で、彼女が口にしたのは流暢な日本語だった。安心した僕は言葉を続ける。
「僕は地元の人間ですので、もしよろしければお力になりましょうか?」
切れ長の目が、青い瞳が僕を捉える。近くで見ると本当に綺麗な子だった。身長も僕より頭ひとつ分位低いために若干見上げるような視線だ。
少しの逡巡の後、彼女の小さな口が動いた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます。こちらの住所に行きたいのですが」
そう言って彼女は手にしていた紙切れを差し出してきた。受け取ってみると、整った字で見覚えのある住所と、朽木中学校の文字。
朽木中学校――。それはかつて僕が通っていた公立の中学校の名前だった。
なるほど、よく見れば彼女の年の頃は中学生ぐらいだろう。これはひょっとして、
「もしかしてキミ、留学生だったりするの?」
「……? いいえ、私は日本生まれで日本育ちの日本人です。この町には昨日越してきました」
「えっ、そうなんだ。ごめんね、僕はてっきり――」
「母がロシア人なんです。つまりはハーフですね。この見た目はそういうワケです」
僕の言葉を遮り、彼女が淡々と言った。
なるほど、ハーフという線を忘れていた。ロシア人だというのは当たっていたから、半分正解というところかな?
「ちなみにロシア語はほとんど話せません。ボルシチも作れません」
真顔でそう言った。……冗談のつもり、なのかな?
少し気づいたのだけれど、どうやら彼女は感情表現というか、表情があまり豊かなタイプではないみたいだ。
「ははは、そうなんだ。あ、朽木中学校はこっちだよ」
僕は彼女を先導するべく歩き出す。
「宜しいのでしょうか? 貴方も学校があるのでは?」
「んー、この後走れば間に合うから大丈夫だよ。それに、中学校が見えるところまではそんなに遠くないからね」
「……そうですか。ありがとうございます」
彼女はぺこりと頭を下げる。
そして僕と彼女は連れ立って歩き出す。せっかくなので、ちょっとお喋りでもしながらね。
「僕も朽木中学校に通っていたんだよ。卒業生なんだ」
「そうなんですか。では先輩になりますね」
「キミは何年生?」
「二年生です」
「どうしてこの町に引っ越してきたの?」
「……」
そこで、彼女の言葉が詰まった。
「あっ、話しにくいことだったらスルーしてね」
「いえ……、そうですね。その質問に関してはノーコメントにしておきます」
貴方の為にも、と彼女は付け加えた。小さな呟きだったけれど、僕にははっきりと聞こえた。
どういう意味だろう? ……考えても答えは出なさそうだった。
その後もちょっとした世間話をして、気がつけば朽木中学校が目で確認できるところまでやってきた。
「本当にありがとうございました。とても助かりました」
彼女はまたぺこりと頭を下げる。相変わらずの無表情だけど、礼儀正しくていい子だと思う。それに可愛いし!
「そんな、これくらいどうってことないよ。力になれて良かった」
「クスッ」
初めて彼女が笑った。本当に些細な変化だけれど、ほんの僅かに笑顔になった。
「お兄さん、見た目だけじゃなくて中身まで格好いいですね。私の名前は並木・アリェーニャといいます。またご縁があるといいですね」
「!?」
その時、僕に衝撃が奔る――!
「そ、そうだね。僕の名前は霧生零夜。でも僕はお兄さんじゃないよ? これでも歴としたお、お、女の子だょ……」
なんだか恥ずかしくて最後の方はちょっと小声になってしまった……。
そしてそれを聞いた彼女――並木さんの顔が凍りついたのが分かった。さて、この後の相手の反応はおおよそ二パターンあるけれど……。
「大変申し訳ございませんでした」
先ほどよりも深々と、彼女は頭を下げた。
その反応を見て僕は内心でほっとする。危惧していたもう一つのパターンは、露骨にがっかりされることだ。そんなことをされたらひび割れた僕の乙女心が粉々に砕け散ってしまう。
「白の学ランなどという『いかにも』な格好をしているのでてっきり……」
「うっ、そ、そうだよね……女の子は学ラン着たりしないよね、普通……」
「やはりその、生徒会長……なんでしょうか?」
「うん……よく分かったね……学校の伝統……らしいよ?」
「そうですか……」
いけない、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。
せっかくの一期一会、貴重な出会いと別れの時がこんな終わり方では残念だ。
だから僕は精一杯の笑顔で言った。
「それじゃあ、僕はもう行くね。また会えるといいね、並木さん」
「はい」
並木さんも微かな笑顔で答えてくれた。
僕は踵を返し、もと来た道を走って帰ろうとしたところで、
「待って下さい」
並木さんに呼び止められた。
「? どうかしたの?」
「一つ忠告を」
忠告――。
そう言う彼女の顔は真剣だった。無表情なのは変わらないけれど、先ほどまではなかった得体の知れない凄みを感じる。
「最近、この町で女性が襲われる事件が相次いでいます」
「女性が……? ニュースでやってたかな」
「いえ、ニュースにはならないでしょう。だからこそ気をつけてください。犯人は女で、髪を切るために近づいてきます」
「髪を切る!? そんな酷いことを……」
髪は女の命だ。それを無理やり切るということは殺人も同然……というのは流石に言いすぎだけれど、それくらい酷いことだ。同じ女性のすることとは思えない。
しかし、なぜ彼女がそんなことを知っているのだろう? 彼女はこの町に着たばかりでは? それに、すでに何人も被害者が出ているのなら、ニュースにならないのはなぜ?
様々な疑念が僕の中で渦巻く最中、並木さんは言葉を続ける。
「外出時、夕方から夜間にかけてはできる限り一人にならないように気をつけてください。出遭ってしまったら終わりです」
彼女の声は真剣そのものだ。とても嘘を言っているようには聞こえない。
だから僕は、
「分かった、気をつけるよ」
そう言うのが精一杯だった。とても色々聞けるような空気じゃない。
「それでは、私はこれで失礼します」
並木さんはそう言って僕に背を向け、朽木中学校の方へ歩いていった。
僕は少しの間、その背中を呆然と見送っていたけれど、
「やばっ、遅刻!」
時間が迫っていることに気がつき、大急ぎで来た道を引き返した。
――彼女、並木さんの『忠告』は本当のことなのだろうか?
女性が襲われ、髪を切られるという事件――。
結論から言うと、それは事実だった。