記憶を無くした男
結局、男を放っておけずにアイーシャは途中まで引きずって行くことにした。
幸いにも、荷物はおいていってくれた様で、無一文になるのは回避出来たようである。
「盗賊にっ、襲われてっ、知らない奴をっ、運んでっ、あたしっ、本当っ、何してんだろっ!」
最早やけくそになりながらも男を引きずる。
「目がっ、覚めたらっ、絶対にっ、運搬費っ、請求してやるっ!」
ゼェゼェ言いながらも足は止めない。日が落ちる前にはある程度の距離を稼がねばならない。暗くなれば移動すらままならなくなるので獣に襲われる危険もある。
先程の盗賊に襲撃される可能性もある。
兎に角、ぼやきながらもひたすら前進する。
だが、そんなアイーシャに追い討ちをかけるように雨が降り始めた。
「あぁ……ツイてないわ……」
それでも必死に足を動かして少したった時である。道はずれに洞窟があるのを見つけた。これ幸いと洞窟に避難する。
男をぞんざいに放り投げ、荷物を降ろして自分もへたりこむ。体力の限界であった。
眠気もひどいがするべき事をしなければならない。ぼーっとする頭に渇を入れて暖をとる準備をする。
荷物から非常用の藁と薪を取りだし、濡れていない事を確認。焚き火の土台を作る。
不備がないか確認した後、アイーシャは左手の人差し指にマナを集め、フォースへと整えていく。放つは火の法術における第一階梯。
「【ティンダーライト】」
指に灯った種火がじわり、と藁に移り燃え始める。それに合わせて右手からもフォースを放つ。唱えるは風の法術における第一階梯。
「【ブリーズ】」
緩い風が火を舞い上がらせ、やがて炎へと変わるのにさほど時間はかからなかった。
焚き火が完成した事を見届けた後、ようやく押さえていた眠気を解放する。暖かな空気の中でアイーシャは導かれる様に意識を手放した。
何かの唸り声が聞こえた。獣の襲来かと思い、アイーシャは跳ね起きる。
同時に身構え、辺りを見回す。
しかし野生動物の姿はあたりにはない。
何事かと思い首を傾げていると再び唸り声が聞こえる。
もしやと思い先程ほっぽっていた男を見れば、案の定彼の腹が鳴る音であった。
やるせない気持ちを押さえて、そういえばこの男が倒れる前に言い放った最後の言葉は「めし」であった事を思い出した。
自分も空腹である事に気づき、この際、食事の仕度をする事にした。とはいえ大したものは持っていない。保存食として用意した少しばかりの潰した燕麦、乾燥肉と焼き固めた乾パンくらいのものである。
折角なので暖かいものが食べたいと思い立ち、簡易粥を作ることにした。食事は手間をかけるとなお美味しいのである。
小鍋を取りだし、水の法術における第一階梯【クリエイトウォーター】で水を産み出して注ぐ。
注いだ水に細かく刻んだ乾燥肉と燕麦を入れてひと煮立ちさせる。途中、匙で焦げないように具を混ぜる。
食欲を刺激する良い匂いがあたりに漂い、アイーシャの腹もぐう、と鳴る。
そろそろ完成か、と鍋を火から下ろし、食べる仕度をしていれば、不意に視線を感じ、振り向く。
黒髪の男がアイーシャの背後、超間近にいた。四つん這いの状態で、眼は血走り、鍋を凝視している。顔の筋肉は力強く固まり、さしずめ、鬼神の如き恐ろしい形相を呈している。
アイーシャの口からひう、と引き攣った声が出た。間近で直視して悲鳴を上げなかっただけでも凄い事である。
その形相がアイーシャを捕らえる。そして、一言告げた。
「めし」
恐怖のあまり、何の事かをイメージ出来ないアイーシャだったが、本能からか猛烈に首を縦に振る。
すると男はどっかりと鍋の前に座り、匙を手に取れば、猛烈な速さで粥を貪り食べた。
「ああーっ!? あたしのご飯んんんんんーーーーッッ!!!!」
我に帰ったアイーシャが慌てて食べようと鍋を覗き込めば、既に空になっていた。
絶望にうちひしがれるアイーシャ。どうして世界はこうも残酷なのだろう。現実は非情である。
犯人の男は匙を置いて、ふう、と一息。がっくりと肩を落とすアイーシャに視線を向けると、一言。
「おかわり」
「あんたぶっ飛ばされたいの!?」
絶叫が洞窟に響き渡るのと、空に雷鳴が轟いたのは同時であった。
*
「で、あなたは何者なの?」
結局乾パンと水で空腹を凌いだアイーシャは目の前で胡座をかいて瞑目している男へ問いかける。
黒髪で左頬に十字傷をつけた男は、赤い蛇腹状になった鎧に藁で出来たサンダル。さらには先程見た片刃剣、とレムリア、ひいては北大陸では見ない服装をしている。噂に聞く極東の生まれではないかと推測する。
瞑目していた男はぽつり、と一言だけ告げた。
「わからん」
「わからんって……何がよ」
「全てよ。全てがわからん」
男の言葉に気が遠くなりかけたアイーシャである。今日はよく気を失いかける日だ。
男はどうやら記憶をなくしているらしい。決してブラフでは無さそうだ。
「何か覚えてる事とかないの? 何でもいいから」
アイーシャがそう問いかけると、男はふむ、と暫く考え込む。数分して思い出したように頷いた。
「やまと。そん言葉ば覚えちょる」
ヤマト。初めて聞く言葉だ。それに男の言葉にはかなり訛りがある。恐らくは北、南大陸の出ではないであろう。アイーシャは一瞬だけ思案したが、すっぱりと考えるのをやめた。
「ヤマト、ね……わかったわ。あたしはアイーシャ。探索者をしているわ」
「ほうか」
「とりあえずヤマトっていう言葉が名前なのか故郷なのか、もしくは民族なのかもわからないけど、アタシはあんたをヤマトって呼ぶことにする。それでいい?」
「よか。俺も妙にしっくいくる」
男あらためヤマトはゆっくりと頷いた。
それを見た後、アイーシャはにっこり笑って手を差し出した。
「ま、良いわ。それじゃあ、はい」
「何じゃいそん手は」
「決まってるじゃない。お金よ。食費に運搬費ね。はい」
「持っとらんぞ。素寒貧よ」
あたりの空気が一瞬にして凍る。
「なんですってぇ!?」
「目ェ覚めたんが貴様らが襲わァた時ど。持っちょるわけないじゃろ」
「ああ……考えてみれば解ることだったわ……あたしとした事が……」
上げていた手を力なく下ろして哀しみにくれるアイーシャであった。
*
「そも、こは何処ぞ?」
アイーシャが復活した事を見計らい、ヤマトは彼女へと疑問をぶつける事にした。
「ここはレムリアの中央区から延びている西の街道ね。大体もう数日歩けばアレティアの街が見えるわ」
「あれてぃあ、ちゅうんは、貴様らのような耳長の街か?」
「みみなが、て……。エルフの事を言ってる?」
頷くヤマト。
「そういう事なら半分正解。アレティアは色んな種族が集まるの。あたしみたいなダークエルフのハーフも、普通のエルフも、あなたみたいなヒューズも、それこそワイルドやパック、ドワーフなんかもね」
「えるふ? ぱっく? どわあふ? ようわからん」
「まあ、その都度説明するわよ」
わからない事が多すぎて首を傾げるヤマトに思わず苦笑するアイーシャ。とはいえ自分も旅に出たときは同じようなものだった、とふと思い出して懐かしい気持ちになる。
「ヤマトの持っている剣? は珍しいわね。どういう武器なの?」
アイーシャはヤマトの右側に置いてある片刃剣に視線を向けた。
「こいは刀じゃ。俺らの大事なもんよ」
「カタナ……。ちょっと見せてもらっていい?」
「ならん」
じろり、と視線で抗議するヤマト。
アイーシャは射すくめられ、肝が冷えたが、特にヤマトが怒っている訳ではないと学習したのか、拗ねる事にした。珍しいものは調べたくなるのがアイーシャの性格なのである。
「何よー。けちー」
「ならんものはならん」
この話は終わりとばかりにヤマトが目を閉じれば、アイーシャも無理強いはしなかった。
*
雨は上がった様だが、既に日が傾いていた為に、結局この洞窟にて一泊する事にした。
弱まった火を元通りにすべく荷物から数本薪を取りだしてくべると火は勢いを強くした。これでしばらくは持つことだろう。
水分補給の為に、【クリエイトウォーター】で水を生み出し、鍋に注ぐ。それをふたつタンブラーに取り、ひとつをヤマトへと渡す。
「飲む? 暖かいのが良いなら暖めるけど」
「む、頂こう」
受け取ったタンブラーの中身を煽ると、目を丸くした。
「うんめェ……。全く、不思議な呪いば使うのォ」
「これ? 法術っていうんだけど……もしかしてはじめて見る?」
「うむ。手品、とは違うよォじゃの」
「手品じゃあ無いわね。マナとフォースって言葉は聞いたことある?」
「知らん」
「そう。なら、折角だし簡単に説明するわね」
マナとは簡単に言ってしまえば存在がするもの全てが持つ力である。
フォースとはマナより生まれ、マナを活性化させる力である。
自らの思念によってマナをフォースへと変化させる。
フォースはその思念により様々な変化をもたらす。
アイーシャは右手と左手にそれぞれ違うフォースを集める。生み出すは風の法術と水の法術における第一階梯を組み合わせた術。
「【アイシクルブリーズ】」
アイーシャの手から凍風がそよぐ。冷気は大気中の水分を凍らせる。すると水分が塊となり、落ちる。すかさずアイーシャがタンブラーで受け止めると、中には氷の欠片があった。
「……とまあ、こんな使い方が出来るわね」
それは地水火風であったり、活性や腐敗の技であったり様々なものがある。
そして、フォースの使い方、すなわち術を纏たものが法術というわけである。
「つまり、マナを使う方法をまとめた術が法術ってわけね。解ったかしら?」
「わからん」
きっぱりと言い放つヤマトに最早言葉も出ないアイーシャだった。
話も一段落した所で、アイーシャはヤマトへ本題をぶつける。
「ヤマトはこれからどうするの?」
「そうさのォ……。特に何も考えちょらん。見識ば広めつつ鍛えるのも面白か」
その言葉にアイーシャは行く先々で様々なトラブルを巻き起こす姿を想像した。主に戦いと食事関係である。まるで獣の様である。
「ならあたしの旅についてこない? どうせ行くあてもないなら、旅も道連れってね。どう?」
打算や親切心も勿論あるが、保護者的な感情も無いわけではない。半日の間に親心も芽生え始めていた。基本的に彼女はお人好しなのである。
その提案を思案もせず、ヤマトは縦に頷いた。
「良か。こいも縁よな」
「良かった。それじゃ、はい」
アイーシャの差し出した右手を訝しむが如く、ヤマトの眉間に皺がよる。アイーシャはそれを見て苦笑した。
「金ば無いと言っちょろォが」
「ああ、ごめん。そういうんじゃあないわよ。これはね握手っていうの。相手と同じ手を握り合ってこれから宜しくってね」
「左様か。こいで良かど?」
アイーシャの右手をがっちりと掴んで握手をする。アイーシャはにんまりと笑う。
「上出来よ。これから宜しくね、ヤマト」
アイーシャに旅の仲間が出来た。




