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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第一部 『胎動』
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7.過去の縁-えにし-



 目がチカチカする。

 天井にぶら下がっている眩しい光を発する豪華なシャンデリアを見上げてなつめは眉をしかめた。

 三十畳はゆうにある広さの部屋の床には上質な紅の絨毯が敷かれている。

 漆を塗っているのか、テラテラと輝く黒い木製の机と椅子が部屋の奥に置かれ、そこに厳かに腰かけているのは初老の男だ。

 墨色の着物に身を包み、浅黒い額に刻印のように刻まれたしわが彼の威光を物語っている。

 彼の両隣には二人の人間が立っていた。

 一人は胸元まではだけた艶やかな着物姿の、二つ結びの美女。

 黒い髪と紫苑しえんの瞳、右目の下にある泣きボクロは見る者に柔らかな印象を与える。

 年のころは二十代前後だろう。

 もう一人は白と青を基調とした軍服を着た、こちらは二十代後半に見える男だ。

 淡いレモン色の髪を爽やかにかきあげている。

 サファイアの瞳は鮮やかすぎ、この部屋では少し浮いていた。


 ここはK機関本部。


 支部のある街から数十分ほど電車に揺られ、辿り着く場所に建っている。

 棗が約一か月ぶりにK機関本部を訪れたのにはある理由があった。

 その理由のため、相手の出方をうかがおうと、注意深く言葉を選ぶ棗。

 四人の間に流れる沈黙を破ったのは初老の男だった。


「用件は何だ。お前から私を呼び出したのにいつまでも黙っているなど、礼節を欠いているとは思わないのか」


 その声はしゃがれて聞き取りにくいものであったが棗は露ほども気にならない。

 吸血鬼の鋭い神経が一言一句を聞きのがさないからだ。

 棗は長椅子に行儀悪く足をのせ、嗤った。


「おっと、これはこれは。大変失礼いたしました、天皇陛下」


 からかいの響きのある声に反応はない。

 彼のその様子に棗は立ち上がると、傍らに置いていた銀色のトランクケースを担ぎ上げ、机の上に叩きつけた。

 怒りからではない。

 これは相手の腹を探るためのパフォーマンスの一種なのだ。

 頑丈な机が振動し、静かな室内に固い音が響き渡る。

 来客のあまりの態度の悪さに、隣に控えていた女がたまらず声を上げた。


「棗はん!それが鈴蘭すずらん様にすることなん!?」


「よい、露草つゆくさ。相手にすることではないわ」


 主に片手で制され、ぐっと拳を握り耐える女――露草。

 左に控えていた男が棗が持ってきたトランクケースを開ける。

 中には赤い液体が瓶詰された状態で五本、入っていた。


「今できる『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)の中で一番効果が強いモノ、一応できたけど。これ以上はちょっと無理かも。前に鈴蘭言ってたよね、限界まで効果の強いモノを作ってほしいって。わざわざ持ってきてあげたんだから、怒られる謂れはないと思うけれど」


 欠伸をしながら言う棗を一瞥し、彼――鈴蘭は瓶を手に取った。

 冷たい瓶の感触を手の平で感じながら、鈴蘭は疑問の眼差しを棗に向ける。

 普段、棗から本部に出向くことは少ない。

 本部から呼び出されてこちらに出向くか、様子見として本部の幹部、露草か左隣の男――椿ツバキがあちらに出向くかすることが多く、棗は滅多なことでは自分から鈴蘭と顔を合わせようとはしないからだ。

 当然だろう。

 棗たち吸血鬼側は一方的に戦争を仕掛けてきた人間側を憎んでいる。

 もっとも、棗は人間を憎んでいるというよりは鈴蘭を憎んでいるといった方が適切だが。

 そんな棗が自ら鈴蘭に会いに来た理由が本当にそれだけなはずがないと鈴蘭の眼光が探るように棗を見ていた。

 まとわりつく視線に気づいて、棗は慎重に言葉を選ぶ。


「あと、気になることがあって、ね」


「ほぅ。気になること、とは?」


「戦争が終わってもなかなか『吸血鬼狩り』がなくならないね。終戦を結んだボクたちにとっては不本意なんだけど」


「それが気になること、か。しかし最近『吸血鬼狩り』は落ち着いてきている。なるべく全ての結晶病患者に薬を配れるよう、我々も力を尽くしているのだ。もうしばらく我慢してくれればきっと明るい未来は来るさ。人間側にとっても、もちろん吸血鬼側にとってもだ」


 すらすらと並べ立てる鈴蘭をしばらく見つめる。

 いわのように固く動かない顔からは何の表情も伺いしれない。

 棗は腹の底で、相変わらず食えないやつ、と溜め息を吐いた。

 もともと頭で考えることはあまりしない。

 考える前に敵は全て潰してきたから。

 しかし不自然なまでに動かない鈴蘭の様子は、こちらの推測はあながち間違ってはいないと裏付けるものではだった。

 収穫は、あったかな。

 棗はひっそりと笑みを浮かべると、内心の満足感につい気を抜いて余計なことを言ってしまった。


「信じてもいいのかな、ボクたちは君たち人間を」


 そして、それを見逃すほど鈴蘭は一枚岩ではない。

 鋭い眼光が鷹のように怜悧なものに変わる。


「完全に信用せずともよい。我々が再び手を取り合い未来など想像もつかないからな。しかしある程度の信頼が両者の間になければ結びも約束も何の意味もない。……のぅ、棗よ」


 約束、という言葉が耳に突き刺さった。

 棗たち純血の吸血鬼が政府のモノに成り下がった理由はまさにその約束にあることを思い出す。

 思わぬ反撃に鈴蘭を睨みつけると、棗の真紅の瞳にかすかな怒気が立ち上った。

 鈴蘭は嘲りと侮蔑の間の色をした瞳を向けている。

 駄目だ、落ち着け。

 言い聞かせるが、


「……それも一理あるかな。ボクの嫌いな考え方だけれど。話はそれだけ、邪魔したね」


 怒りを押し殺すことはできても声にはどうしても怒気が含まれた。

 これ以上ここに長居するのはこちらの動きを悟られる危険性がある、引き下がるしかないか。

 空になったトランクケースを閉じ、机からドスンとおろす。

 くるりと背を向けて退室しようとする棗に、今までずっと黙っていたレモン頭の男――椿が声をかけてきた。


「棗、玄関まで送っていくよ」


「……勝手にすれば」


 振り向きもせず、急に棘の入った言葉を投げつけて退室する棗の背を嬉しそうに椿は追いかけていく。

 扉を椿が閉めた時には棗はすでに廊下の角を曲がるところだった。


「待ってよ棗ー」


 慌てて自分を追いかけてくる椿に構わず足を速める棗の背中にようやく追いつくと、


「あんな話をするためにわざわざ本部まで来たの?」


 今までずっと疑問に思っていたのか、尋ねてきた。


「あんな話って何?ボクにとっては大切な家族のことだ、とっても大事なことだよ」


 棗にとって自分と同じ種族である吸血鬼は皆家族だ。

 頭として家族を守らないと、という思いをいつも抱えている。

 自分の気持ちよりも他の吸血鬼たちのことをないがしろにされたように感じ、イライラとしながら答えた。


「そっか。てっきり棗は俺に会いに来たのかと思ってたのにな」


「バカなの!?何でボクが椿に会いにこんな所までこなくちゃいけないのさ!」


 いきりなの聞き捨てならない言葉に目をむく。


「あれ、違った?」


 わざとらしく笑う椿を睨みつけるが、その行為は椿をさらに喜ばせたのか嬉しそうにする。

 うんざりして肩を落とすと、でも、と今度は咎めるように声をかけてきた。


「でも、あんまり鈴蘭様にたてつかない方がいいよ。処分されちゃう。俺は、棗に死んで欲しくないから」


 コロコロと変わる彼の表情の中に本当のものなんてないんじゃないのか。

 と、思うことがある。

 どこまでも薄っぺらく余裕のある彼が大嫌いで、一緒にいると虫唾が走った。

 しかし、面白いことを馬鹿正直な顔で言うので、憂いをたたえたサファイアの瞳を一呼吸分見つめ、棗は妖しい笑みを浮かべる。

 この愚かな人間をからかってみたかった。


「椿ってば深刻な間抜けなんだね。このボクが殺されるとでも思うの?バカにするにもほどがある」


 トランクケースを振り回し、下から椿の顔を覗き込む。


「みな潰すよ」


 低く囁かれた言葉に気圧されたように息をのむ椿を達成感とともに振り切ると気分よく歩を進める。

 しかしトランクケースを振り回す棗の手を懲りずに掴できたのにはさすがに驚いて足を止めた。

 見上げた先には椿の綺麗に整った顔があった。


「じゃあ、もし死んじゃったら棗の死体は俺の好きにしていいかな」


 女性ならば誰もが惚れ惚れとする美形だが、言葉はとても邪悪で歪んでいた。

 そのまま棗の顎に指をかけ、少し持ち上げる。


「俺の部屋に飾ってあげる。よかったね、棗。死んでもずっと一緒だよ」


 まるでいい考えだという風にニコッと笑う椿の顔を至近距離で見つめ、棗は吐き捨てた。


「……本っ当、歪んでるね、君は」


 顎にかけられた指を払い、玄関へと進む。

 後ろで何か言ってついてくる椿を無視して棗は鈴蘭との会話を頭の中で反芻して、にやりと嗤った。

 何もかも、計画通りだ。



 ✞



 つい先程まで悪夢を見ていた。

 詳細は思い出せないが、とてつもなく恐ろしい夢だったはずだ。

 はっきりとそう断言できるのは目を覚ました時、全身が寝汗にまみれ、動悸がなかなか収まらなかったから。

 夢から覚めて最初に視界に入ったのは、蜘蛛の巣だらけの薄汚い天井だった。

 思考回路に靄がかかったようになって、いまいち状況が掴めない。唯一理解できるのはここは俺――桜と梨花が暮らす孤児院ではない、ということ。


 ここはどこだ?


 周りの様子をうかがおうと軋む首を動かすと、すぐ傍に誰かがいる気配がして、そちらの方向に手を伸ばしてみた。

 そこには革のジャンバーを着た、薄緑色の長髪の男が、あの男が、いた。

 俺を見て、安心したように微笑む。



「目が覚めたか」


 聞き覚えのある声にギョッとして伸ばしていた手をひっこめる。

 一気に血の気が引き、気を失う前までの記憶が蘇ってきた。

 膨らみ破裂していく、人の形をした肉塊。

 あのむせ返るような血の海を作ったのは今目の前にいるこの男なのだという恐怖に俺は飛び起き、後退あとずさろうとして壁に背中を打つ。

 退路を探して、慎重に辺りの気配を窺ってみる。が、この建物の中には俺とこの男の気配しかないみたいだ。

 等間隔に開いた位置にある柱やつたの這う壁からして、どこかの廃墟の一室らしい。

 退路は隙間風の入ってくる割れた窓ガラスくらいのものだ。

 それも目の前に男がいるせいで阻まれてしまっている。

 まずい、退路がない。

 男は俺の反応に不思議そうに首を傾げる。


「何を怖がっておるのだ、桜?」


「っ!俺の名前、何でっ」


 顔色を変える俺に「おお、そうだったそうだった」と男は嬉しそうに革のジャンバーのポケットから何かを取り出す。

 その何かが手の平サイズの社員カードだと知り、男への警戒心が増していく。


「勝手におぬしの服のポケットを調べたことは謝る、すまない。返す」


 差し出された社員カードを今の俺に、裏切り者の俺に受け取る資格があるのか迷っていると、男の手が伸びてきて、有無を言わさぬ強い力で俺に手の中に握らせた。


「そのカードのおかげで結果的におぬしの名や、おぬしの住んでおる場所を知ることができたのだ」


 そうか、だから俺の名前を。

 納得しかけて、疑問が頭をもたげる。


「どうして俺を助けた?俺の住んでいる場所が分かっていたのなら、何故俺をこんな人気のない廃墟に連れてきた」


 本当はすぐにでも梨花のもとへ駆けつけたい。

 『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)を盗むことができなかった俺は梨花の結晶病の進行を遅らせることができないのだ。

 一刻も早くファミリーのもとへ帰還し、最期まで、梨花の傍にいてやりたい。

 だが、この男の真意が分からない以上、ここを動けない。

 俺が深く考え込んでいたからだろうか、男は、


「質問が多いな。まあ、無理もない事だが。おぬし、自分が皆のもとへ帰られると思っておるのか」


 まるで俺の心の中を読んでいるみたいに的確な応えを返した。

 質問の意図が分からず、俺はいつもの癖で、噛みつく。


「質問に質問で返してるんじゃねーよ」


「……どういうつもりで『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)を盗もうとしたのかは存ぜぬが、K機関の実験の産物を盗むことは大罪だ。おぬしには遠からず追手がかかるだろう。この手の有名な話には一族皆殺しの例もある。今おぬしが孤児院に帰ったところで、の者を巻き込むだけだ。おぬしは二度と孤児院に帰ってはならぬ。巻き込みたくないのであれば、な」


「なっ……」


 一族……皆殺し?

 真剣に教えさとしてくる男の言葉に俺は言葉を失った。

 現実感のない言葉は俺の表面をつるりと滑っていく。

 大罪なことは知っていた。罰せられて俺は殺されるだろうことも。

 けれど、一族皆殺し?

 梨花のためならなんだってやってやるつもりだった。


 だけどそのことで院長先生たちが巻き込まれることを俺は全く考慮していなかった!


 己の浅はかさに歯噛みする。

 何て。

 何て愚かなのか。

 ただの自己満足で。

 身勝手で、穴だらけの覚悟を俺は振りかざしていたのだ


「い、妹が、結晶病にかかって。救いたくて、俺は棗たちを裏切った。院長先生たちのこと、全然、考えずに。俺、俺、っつ、……馬鹿、野郎っ!」


 胸を潰す後悔と自責の念に吐き捨てると、しばらくの沈黙ののち、男は真面目に引き締めていた顔をへにゃりと崩した。


「そう気に病むでない。これからどうするかを考えるのだ。大丈夫、必ず何か方法はあるものだ」


 まるで小さな子供のように俺を励ましてくれる男を拍子抜けして見つめる。

 あの時、血の雨を浴びる男のことが心底恐ろしかった。

 けれど今は子供並みに陽気なの男にそんな殺伐としたものは感じない。

 逆に、とても好感が持てる。

 何か目的はあるのだろうが、厳しくさとし、励ましてくれるこの男に対する警戒が少しずつ緩んでいくのを俺は感じていた。


「おぬしの行動の理由は承知した。よかろう、妹のことは我が救ってみせる」


 ん?

 突然のトンデモ発言に俺は耳を疑う。



「我の血を飲ませれば、おぬしの妹は最低でも二週間は生存できるぞ。喜ぶといい」


 ん?

 んんん?


 この男、なんて言った?


 結晶病の進行を遅らせることができる『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)はほとんどが混血の吸血鬼の血をもとにつくられており、遅らせるといってもほんの数日しかもたない。

 混血の吸血鬼はあらゆる点で純血の吸血鬼に劣る。

 だから男が言うように二週間も結晶病の進行を遅らせることができるのは―――。


「純血の吸血鬼の血以外にありえない……!」


「いかにも。我は純血の吸血鬼。五人のうちの一人、朝霧あさぎりだ」


 胸を張り得意げにする男――朝霧をまじまじと見つめる。

 普通ならこいつ頭おかしーんじゃねえの、と一蹴するところだ。

 だが、五十階のビルから飛び降りて傷一つ負わなかったことや合成種を手も触れずに倒したこと、何より初めて味わった死の恐怖は朝霧が只者ではないことを訴えかけてくる。

 半信半疑で口を開いた。


「五人いるうちの二人は十年前の『吸血鬼狩り』で亡くなったんじゃ……」


「……世間に公表されておるものには多大な嘘が含まれる。我はずっと正体を隠して旅をしてきたのだ。赤い瞳もからーこんたくととやらで隠してきたのだぞ?これが目が疲れる疲れる」


 純血の吸血鬼の特徴は赤い瞳。

 混血の吸血鬼の場合は吸血時にのみ瞳が赤く発光するが、彼らは常に赤の瞳を有している。

 まるで、目印のように。

 おどけて言う朝霧は自分の瞳を指さした。

 薄緑色の前髪からチラリと覗くのは、夜空に浮かぶ月のように輝く瞳だった。

 綺麗な瞳に見惚れていると、「おお」と朝霧が今更、


「何故おぬしを助けたか、という質問だったな。……うーむ、そうだな、しいて言えば、おぬしを助けたかったから、だ」


 数分前の俺の質問に答えた言葉に既視感きしかんを覚える。

 そういえば一番最初に会った時も、どこかで見たことが……と感じたことを思い出す。


「あんた、どっかで」


「思い出してくれたか、少年よ」


「!」


 少年、の言葉にやっと記憶と意識が結び付く。

 一気に記憶が十年前の雨の日にさかのぼった。

 目まぐるしい日々に埋もれ、思い出すことも少なくなっていた幼い俺たちを助けてくれた男の姿が朧気にだが、瞼の裏に蘇る。

 改めて朝霧を見てみると、あの時の男に酷似していた。

 ぴっちりとしたジーンズと、裸の上の革のジャンバー。

 黒く艶を帯びた編み上げブーツ。

 ずっと探していた人物が目の前にいたのに、気づかなかったなんて。

 つい最近、夢にまで見たくせに。


「どうしてすぐ言ってくれなかったんだよ」


 十年前、この男の非常識な発言に怒りを覚えた。

 けれどあの時この男が助けてくれなければきっと梨花と共に飢え死にしていただろう。

 一応感謝はしていたのだ。

 その人物が手を伸ばせば、触れられる距離にいる。

 抱いていた警戒心が解けていき、安堵とも喜悦きえつともつかない感情に胸が熱く燻った。


「言うつもりはなかったのだ。我は陰ながらおぬしたちを見守っていければよいと思っていたからな」


 ぽんぽんと頭の上に置かれた骨ばった細い、大きな手の平。

 子ども扱いされているようで、ムカつく。


「……その、ありがとな。助けてくれて」


 手の平を払いのけながら恥ずかしさに顔をうつむける。


「良い、顔を上げよ。礼を言われるほどのことではないのだから」


 梨花が結晶病にかかったと知ってから頬の筋肉がおかしかった。

 うまく、笑えなかったんだ。

 それが今、やんわりと、凍り付いていた頬が解けていって。

 俺は笑うことができた。


 ――笑いかけることが、できた。


「ときに、桜。おぬし、傷の治りが早すぎではないか?再生能力だけなら純血をも凌駕しておるぞ」


 唐突すぎる質問に俺はきょとんとしてしまう。

 そういえば俺爆発に巻き込まれて結構重症だったっけ、と思い出し、一応傷の具合を確かめてみるが、火傷跡もガラスに傷つけられた右腕もきれいさっぱり完治していた。


「あー、俺、昔っから傷の治りだけはめちゃくちゃはえーんだ。ま、半鬼の能力ってやつかもな」


 気まずいような思いで答える。

 正確には気まずいというよりは早くこの話題を終わらせたくて、だが、無意識にそっけない声が出てしまう。

 物心つく頃から俺は他人よりも傷の治りが早かった。

 半分吸血鬼の血が入っているからだと思っていたが、幼稚園児の頃、派手に遊具から落ちて頭が割れたのにすぐに治ってしまったことで、周りから化け物だと恐れられた。

 それからもあまりに傷の治りが早すぎることに俺自身、自分は本当に化け物なのではないかという思いに駆られたこともあった。

 ……苦い思い出だ。

 俺の話したくないという顔に気づいてか、朝霧はそれ以上この話題を尋ねては来なかった。

 代わりに明るい話でもしようとしたのか、


「おぬしの血はすさまじく美味びみだな!」


 とキラキラした声で言ってきた。

 思わず首筋に手を当てる。

 忘れていた!

 こいつ、助けてくれたのはいいが、いきなり俺の血を飲みやがったんだ!


「今まで飲んできたどの血よりも美味だったぞ?」


「ってっめえ、あの時いきなり吸血しやがって!痛かったんだぞ!」


「す、すまない。だか血の匂いを嗅ぐとどうにもこう、吸血衝動に駆られて……。したら、予想以上に美味だったのでな、いささか飲みすぎてしまった。桜、できればもう一度飲ませてはくれぬか」


「反省してねーだろ、お・ま・え!」


「だが、危険ではあるぞ」


 急に声のトーンを低くした朝霧にを「な、なんでだよ」と睨む。


「我ら吸血鬼は欲望に忠実だ。美味うまそうな匂いの血の者に惹かれる習性がある。おぬし恐らく、自我のない吸血鬼に会えば、体中の血を吸いつくされて殺されるぞ?」


 げッ!

 俺の血ってそんな、危険なものだったのか?

 そういえば棗もことあるごとに俺をいい匂いだと言っていた。

 やはりあれはそういう意味、だったのか?

 あいつ、暴飲暴食だからな、……危ねえ。

 社長室での棗の振る舞いが記憶に蘇り、ゾッとする。

 それから、朝霧と会ったのも社長室周辺だったな、と思い出した。


「そういや、あの時棗の部屋の前で何してたんだ?」


 だが俺が口にした問いに、今まで快活に笑っていた朝霧の顔は強張った。

 戸惑いながらも、一応自分でまいた会話の種を運ぼうとしてみる。


「朝霧って、K機関の社員だったのか?……な、わけないよな。旅してたんだもんな」


「……我は棗たちとは違い、政府の物にはならなかったのだ」


 どこか影を含んだ、重い口調で朝霧は語った。


「十年前、我ら純血はあらゆる方向から攻撃してくる『吸血鬼狩人ヴァンパイアハンター』に対抗するため、集団となって行動しておった。一人一人の死角を互いに補って戦う戦略は効率的だったが、四六時中狙われつ続けておったのだ、ほんの気の緩みが生じたてな」


 『吸血鬼狩り』の詳しい被害は一般の人間には公表されていない。

 機関の人間であった俺でさえ、『吸血鬼狩り』で純血の吸血鬼は二人、亡くなった聞かされていた。実験体モルモットだったから当たり前なのだけれど。

 朝霧の言っていた、「世間に公表されておるものには多大な嘘が含まれる」というのは事実のようだ。


「闇にまぎれて戦っておった我らは仲間の危機に駆けつけ、自分たちが罠にかけられたことを知った。仲間の一人が人質に取られ、奴ら人間に政府の奴隷として尽くすことを強要された。棗たちがそんな選択を迫られているとき、我は全く違う場所で一人、『吸血鬼狩人ヴァンパイアハンター達と戦っておった」


 当時のことを思い出してか、顔を歪める朝霧。


「棗が早い段階で捕獲されたと撫子が我のもとへ知らせに来てくれた。随分酷い怪我を負っておってな、命からがら、我に逃げろと訴えるのだ。我のことは、すでに死に灰になったことにするから、『吸血鬼狩り』が落ち着くまで身を隠していてと。愕然としたさ。あの棗が捕獲されたなど、悪趣味な冗談ではないかとな。だが、冗談ではないことは分かっておった。我は必ず助けに行くから、待っていてくれと。……逃げ出したのだ」


 静かな声で朝霧は言い切った。

 膝の上に置かれた拳が強く握りしめられ、真っ白に変色している。

 ……苦渋の決断だったのだろう。

 身を切るような、想いだったのだろう。


「我は身を隠しながらずっと『吸血鬼狩り』が落ち着くのを待っておった。捕獲された棗たちがK機関の幹部となり、政府のものに成り下がったのだとしても、生きていると知ってどれ程安堵したか。だから最近『吸血鬼狩り』が落ち着いてきておるのでな、会いに行ったのだ」


 そこで苦々しい顔を浮かべる。


「だがそこで我は初めて棗が人を喰らっておることを知った」


「……?」


「棗は大食いだったが、人を喰らおうとはしなかった。随分と昔のことだが、我が問うと『人とボクらは共存しているんだから、大事な仲間を食べたりしちゃ、ダメなんだよ』と怒ったようにそう答えていたのだ。その棗が人を喰らっておるというのは、解せぬ」


「え、と。確か三年くらい前は人間を食ってたの、見たことあるけど今は食べてないんじゃねえかな。少なくともここ数年、俺は見てない」


「真か!?」


「ああ。すごく辛そうに食ってたから、嫌なら食うなって言ったんだ」


 俺が告げると、朝霧は押し黙り、難しげに思考し始めた。


「それが(まこと)ならばあやつはやはり……いや、しかしならば何故……」


 ブツブツ呟く朝霧を見ながら、俺は人間を仲間だと語ったという棗の発言について考える。

 共存……。

 そんな話、とっくの昔に忘れていた。

 人間と吸血鬼が、まだお互い助け合い生活していた過去。

 人間ができないことは吸血鬼が、逆も然り。協力して暮らしていたという昔話。

 人間と吸血鬼の共存は不可能だと言われている今、彼らとの生活は均衡のとれた素晴らしいモノだったと語られて。


   壊したのは、人間。


 顔を上げ、朝霧に声をかけようとした、時だった。

  ドオオンッという、爆発音がした。


  「っ!?」


  大きな爆発音の衝撃で建物が振動する。

 立っていられなくてフラつく俺を、朝霧が支えてくれる。

 天井や壁が音立てて剥がれ落ちていく。

 さほど遠くもない場所からのようだ。

 目を走らせると、窓の外から黒い煙が上がっているのが見えた。

 曇天にとぐろをまいて上がっていく煙に、不吉な予感が駆け巡る。


   あの方向は、孤児院の!?


 飛び出そうと窓枠に足をかけると、後ろからふわりと抱きかかえられた。


  「あ、朝霧!」


 俺の慌てぶりにただ事ではない気配を感じたのか、朝霧の表情も険しい。

 朝霧は俺を小脇に抱えなおし、煙の上がる場所めがけて疾走した。

 身体能力は俺なんかより純血である朝霧の方がはるかに上だろう。

 だから移動は朝霧に任せた方が良いのは分かるが、こんなふうに運ばれるとなんだか子供扱いされているようでむず痒い。

 俺は朝霧に抱えられたまま、ファミリーのみんなの無事をただただ祈るばかりだった。

 耳の奥でこだまする、一族皆殺しという言葉。

 そんなはずない、俺の気にしすぎだ。

 思うのに、激しい鼓動に心臓が破れそうだ。


 俺のそんな不安を煽るように。



   ――――――ファミリーからは黒煙が上がっていた。





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