6.発症
翌朝、顔を洗っていると何やら食堂の方で音がして、誰かの悲鳴が聞こえた。
俺が廊下に飛び出すとシスターが走り寄ってくる。
その鬼気迫る様子に、一体何が起きたのかと焦る。
シスターの後ろから、院長先生がこれまで見たこともない顔をして、最後まで落ち着いて聞きなさいと前置きをした。
今朝起きてきた梨花に、朝の挨拶をした時、少し顔色が悪いと指摘すると梨花はなんでもないと笑ってみせるので、様子を見ることにしたのだと。
しかし、朝食の時に突然椅子から滑り落ちた。
まるで体が固まってしまったように、落ち方が異常だったと。
梨花は【結晶病】にかかっていた。
必死に俺に梨花の様子を伝えようとしてくれているのだろうシスターを押しのけ、俺は信じられない思いで梨花をさがして食堂に足を踏み入れた。
開いていた扉の向こう側には信じたくない光景が広がっていた。
床に落ちて割れている皿と中身をぶちまけたシチュー。
見覚えのある、空色のワンピースの背中。
横たわりピクリとも動かない。
周りに駆け寄る子供たちと、深刻な表情で梨花を見下ろすシスターたち。
ぐらりと視界が回る。
体が軸を失くしたように力が入らず、その場にへたり込む。
訳が分からなかった。
ひどい悪夢でも見ているのかと思った。
スカートのめくれた梨花の足先が青色に染まっている事実が、たまらなく恐ろしい。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
昨日まではあんなに元気に笑っていたじゃないか!
俺の横であんなに楽しそうにはしゃいでいたじゃないか!
頭を撫でて、髪が伸びてきたなと言うと願をかけているとはにかんで。
だから俺は次に帰ってくる時は梨花に似合う髪飾りを持ってくるよって。
そしたら梨花は嬉しそうに笑っていたじゃないか約束だと指切りしたじゃないか!
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
こんなのは嘘だ!
抜け殻になってしまった俺は、その後のことをよく覚えていない。
気が付いたら院長室のベッドの横にある椅子に座らされていた。
目の前には眠っている梨花がいて尋常ではない量の汗をかき、苦しげ表情を浮かべてながら弱々しい声を洩らす様子に、どうしていいか分からず、途方に暮れたような気持ちになる。
そんな俺がよっぽど情けなく見えたのだろうか、温かい感触が肩に触れ、振り返ると院長先生が何とも言えない顔で立っていた。
このファミリーでみんなの親のように、いつも優しく厳しく、病気の時には手を握って直ぐに治ると安心させてくれた院長先生。
流石の先生でも、大丈夫だと安易に下手なことは言えないのだろう。
言いにくそうに視線をさまよわせた。
「桜、言いにくいことだが……」
先生は医者の免許を持っている。
俺がここにいた頃は、ある程度の怪我や病気は病院になど行かなくても先生が診てくれていた。
だけど【結晶病】は医者には治せない。
先生は悔しそうに唇を噛んでいた。
昔、先生には同い年の奥さんがいて、二人でこの孤児院を経営していた。
奥さんは灰色の髪を結い上げ皺さえも美しく感じられる美貌の御婦人で、孤児院の皆から先生同様慕われていて、俺も梨花も大好きだった。
しかし、彼女はもういない。
八年前【結晶病】にかかって亡くなったのだ。
葬儀の日、先生は無力さに体を震わせ泣き崩れていた。
俺達の前では落ち込んだ様子を見せたことはないが、今でも奥さんの写真を見て遠い目をしていることがある。
奥さんが亡くなってからシスターたちが手伝いに来てくれるようになって。
あの時の先生が感じた痛みを身を持って実感する。
【結晶病】は発症してから一日で死に至る。
このままじゃ、梨花が明日には、死…ぬ……?
恐ろしくてその先を考えることができない。
どうすればいい?
どうすれば梨花を助けられる?
どうすれば……。
瞬間、閃いた俺は急いで立ち上がると院長室にあった電話に手を伸ばした。
もう、これしか方法がない。
興奮に震える指先で番号を押した。
程なくコールが繰り返されてから目的の電話に繋がった。
早く早くと焦ってしまう。
声が上ずる。
「棗っっ!今すぐにファミリーまで来てくれっ!はっ早くっ、お前の足なら五分もかからないはずだ!」
相手を確認する暇さえ惜しくて叫ぶように懇願すると、相手は俺の様子に戸惑ったのか、数秒の沈黙をつくった。
『……サクちゃん?わたくし、撫子よ。棗様は今外に出ているの。わたくしでよければ要件を聞くけれど』
「撫子さん?撫子さんでもいいんだ!いっ、妹が【結晶病】になったんだ!頼む!お願いだ撫子さん!あんたの血を分けてほしい!」
棗の血じゃなくてもいい、純血の、吸血鬼の血であれば誰でもいい。
梨花を助けられるなら誰でも!
半鬼の俺は所詮半分人間。
君の血じゃ【結晶病】の薬にはならない。
俺の血を採取し調べた後、梔子に言われた事実だ。
だったら、撫子さんや棗に頼るしか、ないじゃないか。
支部には大量の『吸血鬼の血』を保管している。
知らない仲じゃない、少しなら譲ってもらえるかもしれない。
頼めば棗たちの血を提供してくれるかも。
一縷の望みを込めて、受話器ごしの撫子さんに縋り付く。
しばらく無言になったあと、撫子さんの吐息が聞こえてきた。
『できないわ』
たった一言に目の前が真っ暗になる。
息ができない。
「ど、どうして」
『戦争に負けて、わたくしたちは政府のモノに成り下がってしまった。国に許可なく他人に血を与えることは、終戦時に結んだ契約に反すること。それは社員でも例外は無いわ。……サクちゃんなら分かっているわよね?』
ああ、よく知っている。
いやになるほど分かりきっていたよ。
自分が欲する側になるまでは!
『サクちゃん、ごめんなさい』
精一杯の謝罪が込められた声を最後に、通話が切れる。
こちら側とあちら側に線が引かれたようだと他人事のように感じた。
どこかで俺は、彼女が仕方なさそうに許してくれることを期待していたのだろうか。
本当に困っているときは、すぐに助けてくれるって。
バカか、俺は。
自分の甘い考えに呆れ、拳を机に打ち下ろす。
院長先生が何も言わず、ただただ痛ましげに俺を見ていたことを背中越しに感じていた。
言われなくてもちゃんと理解している。
無断でK機関にある吸血鬼の血を他人に与えることは禁じられていると。
棗たちがどれだけ自由にふるまっていようと、彼らは十年前の終戦からずっと政府の奴隷なんだ。
彼らが悪いわけじゃない。決して。
身勝手に責めたい訳じゃない。
だけど。
だけど、今まで頑張ってきたのになんで俺の唯一、たった一人の妹を失うはめになっているんだ。
どうして、どうして俺の妹なんだよ!
理不尽な不条理さに頭が湧いて吐きそうだ。
あれほど守ると誓ったのに、俺は梨花のために何もできない。
――守りたい者のためなら全てを壊すことができるなんて嘘だ――
だってその想いは、一見すると愛する者を一途に想っているように映るかもしれないが、自分の身を顧みない行動は結局、愛する者を傷つけるだけだから。
だから俺は、大事な梨花を悲しませないためにも自分が死ぬわけにはいかなかった。
そのために、日々行われる実験も頑張った。
今も、俺は死ぬわけにはいかない。
ベッドで横たわる梨花を、網膜に焼き付け、そっと部屋を後にする。
悪魔が囁く。
梨花のためなら、どんなことだってしてみせる。
たとえ、あの優しい棗を、支部のやつらを裏切っても。
俺は梨花だけは、失いたくない。
失うわけにはいかないのだ。
帰ってくる、必ず。
『吸血鬼の血』を手にして。
✞
棗が帰ってくる前に用を済ませなければ、見つかったら俺は間違いなく処分される。
撫子さんも手強いだろうが、棗には絶対に勝てない。
前にお遊びで戦った時にひどい目にあった。
俺は出かけてくると言って孤児院を飛び出した。
太陽は雲に隠され、灰色を重ね塗りしたかのように陰鬱な空模様は俺の胸中を表しているようだ。
霧が出てきて、肌にまとわつく。
構わず急いで街の中を走りながら、泥の水たまりで裾を汚した。
ポケットの中の社員証を握り締めて、歯を食いしばる。
これを貰った時の棗の笑顔を思い出す。
信頼を、心を預けてもらえて嬉しかったのに。
俺はそれを、踏みにじろうとしている。
K機関支部まで電車を使っても片道一時間はかかる。
時間がもったいなくて緊急時にしか使用しない、半鬼の力を使った。
これくらいの距離なら十数分で着くことができる。
問題はどうやって盗むかだ。
景色が秒で変わっていく中、俺は考える。
薬としての名前は『吸血鬼の血』
それがどこに保管されているのか、前に棗がこっそり教えてくれたはず。
最近のことだ、まだ記憶に新しい。
確か、社長室の隣の部屋に大事に保管されてあると言っていた。
すぐ隣に棗がいれば、セキュリティに問題はないだろうと本部が考案し、部屋からすぐに入れるように繋がっていて、仕掛けをいじると扉が開くと。
「ほら、これをこうしてー、こうするとねー」
棗は仕掛けさえぺらぺらと俺に話していた。
無邪気な信頼がまた俺の罪悪感を刺激する。
仲間を、棗を裏切る気か?
いや、梨花を死なせたくない、たとえ誰を傷つけてもかまわない。
方法はこれしか残っていないんだ、相反する思いがせめぎ合って体がうまく動かない。
それでも、行くんだ。
時間がない。
自分を納得させようと無理やり頭を振って考えまいとするが、何度も何度も棗たちと過ごしてきた日々が浮かんで俺を責め立てる。涙が溢れて止まらない。
実験体の俺に優しく接してくれた。
蓮、梔子、撫子さん、棗のおかげで、K機関支部でも穏やかで楽しい時間を過ごしてこられた。
本当はこんなこと、したくない。
直前になってまだ腹の決まらない自身に腹が立つ。
そして卑劣なことに、俺の裏切りを棗なら許してくれるのではないか、とも思っていた。
あいつが渡したわけじゃない、俺が盗むんだ。
だから棗たちは政府との契約を破ったわけじゃない。
盗みがバレたとしても事情を話せば、なんだ、しょうがないねー、なんて。
打算的だ。
人の良さにつけこむ最低な考え。
それに問題はそれだけじゃない。
分かっている。
一回盗んだって生き続けられないなら意味なんてない。
『吸血鬼の血』は一時的に【結晶病】の進行を遅らせるだけ、それも数日しか持たない。
そんなものを人々はなぜ盗むのか、俺は今まで理解できなかった。
少ししか持たないなら、苦労して手に入れたとしても無駄なんじゃないかと。
だけど、たとえ一時的でも、梨花の命を伸ばすことができるならなんでもいい。
なんでもする。
こんなふうに思い知ることになるなんて。
大好きな人に、一分一秒でも生きていてほしい。
理屈ではないのだ。
おそらく棗からもらった社員証は薬の保管場所にも入れるだろう。
昨日コレを貰えなかったら俺は薬を盗み出すことなんてできなかった。
そう考えると運命めいたものを感じた。
やっと見えてきた支部の玄関入り口を睨みつけると、俺はさらに足に力を入れた。
ポケットから社員証を取り出し、入り口にスキャンする。入室許可の文字が出て、左右に開いた扉に体ごと飛び込んだ。
今までは幹部の誰かに駅のホームまで迎えに来てもらわないと施設内に入れなかった。
これからはわざわざ迎えに来てもらわなくてもいいんだな。
当たり前のように思ってハッとする。
これからなんて、あるわけないだろ。
通路を右折して素早くエレベーターに乗り込む。
最上階に着く間、息を整えながら社員証に目を落とすと、カードに貼られているうんざりした自分の写真と目があった。
相変わらず目つきわりーな。
たしかこの写真を撮った時は自分と梨花を守るのだと全身で周囲を警戒していた……ここに来たばかりの頃だ。
そんな俺を心配して、不自由はないかとお茶に誘ってくれた撫子さん。
孤児院への資金援助にも俺が頑張っているからと色をつけてくれた棗。
暇を持て余していた俺に、一緒にやりませんかとゲームを持って自室へ招待してくれた蓮。
痛みの伴う実験の後、甘いお菓子を渡してくる梔子。
最後に指切りをした梨花の笑顔が浮かび。
――静かに目を閉じて、俺は覚悟を決めた。
✞
エレベータが最上階に着いたことを告げる。
俺はカードを握り締め左右に開いていく扉を見つめる。
そのまま駆け出そうとし、ギョッとして足を止めた。
エレベーターの前に、人が立っていたのだ。
それも恐ろしく長身で、長髪な人が後ろ向きに。
予想だにしなかったことにすぐには冷静な判断ができない。
茫然と突っ立っていると、俺の気配に気づいたのか、そいつは「ん?」と声を洩らしてこちらを振り返ってきた。
薄緑色の腰まである長い髪が揺れる様子はどこかで見たことのあるものだったが、どこで見たのかは思い出せない。
彼は切れ長の目を細めて深く低い声で「ほう」と呟いた。裸の上に革のジャンパーを着ていたので男だと分かるが、やはりこの男、どこかで見たことがあるような。
しかし混乱している頭では深く考えることができない。
俺は考えながら動くことは苦手なんだと誰にともなく言い訳をしていると、
「おぬし、この部屋に用があるのか?」
棗の部屋を指しながら問うてきた。
こいつ、俺が薬を盗もうとしてるのに気づいていないのか!
しばらく考えてアッと思う。そうだ、俺はまだ『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)盗んではいないのだから、こいつの目には社長に用があってきた人だと映っているのだ。
だったら適当に話を合わせとくか!
「ま、まあな。社長にすっげー大事な話があってきたんだ。わりーけど、ふたりっきりで話させてきんねーか?」
「ふむ、かまわんだろう」
腕を組んで頷く男にわりーなともう一度謝ってから社長室へ歩いて向かう。
ここで走ったら変に思われるかもしれないから、ゆっくりと。
男は部屋の前で待っていると扉の前までついてきて、壁にもたれた。
横目で様子を確認するが不審な気配はない。
カードをスキャンして開いた扉をくぐりながらバカでよかったぜと息を吐く。
これが薔薇ならうまくいかない。薔薇は俺を信用していないからな。
背後で閉まった扉をもう一度確認してから部屋を見回すと、電気はついていないし、人の気配も全くなかった。
てっきり撫子さんがいるかと思っていたが、その撫子さんもいない。戦うつもりで詰めていた息をためらいながら吐く。
好都合な状況だが、ここまでうまく行き過ぎるとちょっと怖いな。
だがこれは好機だ。
急いで棗が言っていた仕掛けがある壁に向かう。
ちゃぶ台から歩いて五歩、棗の身長で手を伸ばし、壁を押す。
棗の身長に合わせるのに苦労したが無事に開いた扉の向こうには赤い光が満ちていた。
部屋全体を真っ赤に染めているのは瓶に入った『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)が赤く発光しているからだ。
床から天井までびっしりと整理されて保管されている光景に何の感想も抱く暇さえなくて急いで中に踏み込むと、一番手近なところにあった瓶を一つだけ取り出して部屋を出た。
途端、カッと瓶が光り、まずいと思ったと同時に瓶が爆発した。
強い衝撃が腹に走り、熱い空気の層が俺を部屋の隅まで吹き飛ばす。
目の前が白い光に包まれ、何も考えられないままに社長机に激突して勢いが止まった。
「っ、が、はあっ……」
全身に駆け巡る焼けるような痛みに顔をしかめながら部屋を見回すと、瓶は小型の爆弾だったのか、部屋は酷い惨状だった。
壁は熱で焦げ窓ガラスは爆風で割れている。
所々に火が移り、大きな火事に発展しそうになっている部分もあった。
焦りから注意を怠ってしまったことを後悔する。
反応が遅れ、充分な受け身ができなかった。
衝撃を受けた右半身が軽い火傷を負っており、幾破片ものガラス片が顔を庇った右腕に突き刺さっている。
火傷の鈍い痛みに顔を顰めるが、傷の心配をする暇もなくけたたましい音が部屋中に、施設内に響き渡った。
ブーッ、ブーッ、という音とともに先程部屋の前で待つと言っていた男が入ってくる。
異常な音のやかましさに何事かと様子を見に来たのか。
爆風で扉はボロボロだ、容易にくぐれる。
目の前の男だけじゃない、間もなく施設内にいる人間がここへ駆けつけるだろう。
失敗だ、早くここから逃げないと捕まってしまう。
焦って痛む体を必死に動かす。
瓶は棗が仕掛けたトラップだったのだ。
たった一度のチャンスだったのに、俺はそれを棒に振った。
これじゃあ梨花を救えない。
絶望しながら、それでも立ち上がる。
こんなところで捕まって殺されたくない。
梨花の最期まで傍にいてやりたい。
その後に俺も殺されてやるから。
「これはどういうことだ?」
近づいてくる男に突進しながら俺は叫んだ。
「ああああああああああああああ!」
腹部に重い頭突きを食らわせると男はぐらりと傾く。
その隙をついて駆け出すと、窓ガラスへ突っ込んだ。
五十階もの高さから無事に着地できるなんて到底思えない。
でも、窓からしか逃げ道がなかった。
いくら俺が戦闘戦に置いては純血にも引けを取らないからといって武器を持ってもいないのに建物内で俺を追ってくる純血とまともに戦って勝てるはずがない。
だったら、俺の中に流れる半鬼の力を信じて飛ぶしかねえだろうが!
ガラスの破片が突き刺さり、血が飛び散る。
景色が後ろに流れていくのを冷静に確認しながら、近づいてくる地面に備えて着地準備をする。
「自殺行為だな、少年よ」
「なっ!」
耳元で声がしたかと思うと、ふわっと体が浮き、先程の男が俺の体を抱き上げていた。
いわゆる、お姫様抱っこで。
羞恥に顔が染まったが、五十階から飛び降りたはずなのに、重力もないくらい自然に地面に降り立つ男に今度は驚愕で血の気が引く。
人間じゃ、ない?
「お前、な」
「来る」
何者だ、と尋ねようとする俺を遮ると、男は低くうなった。
その声とほぼ同時に黒い人影が六人現れ、俺と男を取り囲む。
『侵入者を確認。社員名、桜。データと一致。処分します』
機械の声には聞き覚えがあった。
こいつらは梔子がつくった人間と機械の合成種だ。
侵入者を捕え、主に殺処理をこなすためにつくったと前に自慢げに話していたな。
白く輝く槍を六人が同時に構えるとロケットの勢いさながら突撃してくる。
「つかまっておれ」
素早く囁くと男は瞬間移動かと見まがうほどのスピードで加速し、六人全員の包囲網から抜け出していた。
目を開けているのも難しいスピードに振り落とされないように死ぬ気で男の服にしがみついて叫ぶ。
「あんた何者だ!どうして俺を助ける!」
「そんなことより自分の身の心配をした方がよい気がするぞ」
もっともなことに何も言い返せずに押し黙るしかない。
目の前のこいつを信じるわけではないが、爆発に巻き込まれて思うように動かない体では合成種相手でも逃げ切れるかどうか。
後ろを振り返るとやつらは十メートル後ろを追ってきていた。
撫子さんや薔薇はまだ見当たらない。
良かった、まだ最悪の事態にはなっていないようだ。
だがこのまま逃げていれば、永遠に奴らは追ってくるだろう。
いずれ撫子さんたちも追っ手に加わるはずだ。
何とかしなければ、と男の服を握り締めると、男が仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「彼奴等を殺せばよいのだな」
「え?」
言葉の意味をすぐに理解できずに俺は間抜けな声を出す。
男はいきなり回れ右をすると、俺を地面におろした。
「おい……?」
「目を瞑っていることをお勧めする」
「な……ちょっ、何すんだよっ」
突っ込んでくる六人の合成種を気にもせず、いきなり男は後ろから俺を抱きしめてきた。
男の長い髪が服の中に入ってきて、この上なく不快だ。
槍の剣先が俺たちとの距離を縮めていく。
男は慌てた様子もなく腕を前に伸ばした。
そして、全てはスローモーションだった。
一瞬のことであるはずのそれらが、俺には永遠にも等しい時間に感じられた。
最初に腹部が風船のように膨らみ、次に頭、手足。
最後に六人の合成種たちは破裂した。
まるで風船が空気を吸い過ぎて破裂するように。
今まで人を形作っていた部品が黒いアスファルトに飛び散って、大量の血が雨と混ざり合い、俺と男を赤く染め上げる。
ただ目を見開いて、俺は呻くこともできずに目の前の光景を見ていることしかできなかった。
今起こったことに頭がついていかなくて。
なんだこれ。
人間業じゃ、ないだろ。
とにかく冷静にならなくちゃと息を吸い込もうとして、啼き声が洩れる。
俺の頭上で男が笑う気配がして、抱きしめる力を強めた。
男の顔が首筋に埋められ、血塗れの俺の首を舌でなめとる。
その感触に、一つの思いが全身を駆け巡った。
殺 さ れ る 。
俺もあのアスファルトに散らばっている奴らみたいにこいつに殺される。
怖い。
冷たい死の恐怖に、俺の体はびくともしない。
男が大きく口を開き、鈍く光る牙が視界の端に映った。
顔が引きつる。
首にちくっと痛みが走り、ごくりと自分の血が男の中で嚥下される音がやたらと大きく響いく。
そして間違いなく致死量に近い大量の血がアスファルトにぶちまけられるのを俺は乾いた瞳で見つめていた。