3.化け物の心
「チッ。足引っ張るんじゃねえぞ、えこ贔屓野郎」
実験室に踏み込む。
先客が一人。
そいつは、振り返り俺を見たとたん顔をしかめた。
ストリートファッションの男。
均整の取れた体で二十代後半に見える。
ガラが悪そうだが、体の重心を均等にかけて立っていること、耳がとがっていることから吸血鬼、
それも戦い慣れしていると分かる。
男は俺を汚物を見る目で睨み罵倒した後、視界に入れたくもないのか、ふいと目をそらした。
悪意のこめられた一言やその態度に少し胸が痛む。
俺は他の実験体に嫌われているのだ。
最初は、お前も大変だな、仲良くしようぜ。
そうフレンドリーに接してくれた連中もいた。
けれどしばらくすると彼らの態度は激変した。
理由は単純明快。
俺が、あらゆる点で優遇されていたからだった。
まず、実験体は五人一部屋が常だった。
しかし俺は半鬼という珍しい実験体、手違いで死んでもいけないと個別の部屋を与えられている。集団部屋では吸血鬼たちが暮らしている。仲違いで死人が出ることは稀にあった。
そして支部の社長である棗が、ことあるごとに俺のもとにやってきては俺の要求(例えば漫画が読みたいとか、最近実験続きできついとか)をすんなり通すことも。
幹部たちと仲良くお茶をしていたことも疑惑をよんでいた。
どうして俺たちと同じ、ただの実験体であるあいつだけが、と。
決定的だったのは、忘れもしない五年前のとある実験。
凶暴化した吸血鬼が混血の、名のある吸血鬼だった。
俺を含めた十人の実験体で処理を任されたが、数秒で七人死に、実験室は血の海になった。
だが、俺が殺されそうになった瞬間、危険がないように監督に来ていた棗が止めに入ったのだ。
凶暴化した吸血鬼は一瞬で灰になり、俺は棗に助けられた。
けれどそれを見ていた残りの実験体達は何故死んだ七人は助けなかったのに、俺のことは助けたのか、と憤ったのだ。
当然の怒りだと思う。
その事件をきっかけに以前からやけに幹部連中と仲良くしていたこともあり贔屓されているのではないか、という彼らの疑念は確信に変わった。
以来あいつは贔屓されて生き延びている、と実験体達に妬まれ、憎まれているというわけだ。
実際、俺も自分が優遇されていると感じてはいるのだ。
しかし半鬼だという以外、特に理由が思い浮かばない。
しかし棗に問いただすと、贔屓しているつもりはないのだけれど、ときょとんとした顔を返されるだけだった。
俺は金髪頭を睥睨した。
「お前こそ、俺の足引っ張るなよ」
「ああ~?」
憎まれているのも、嫌われているのも、分かっている。
けれどだからって、蔑まれ、罵倒されて大人しく黙っている、なんてそんな境遇に甘んじるつもりは毛頭ない。
聞き捨てならないとこちら振り仰ぐ男と睨みあう。
一触即発の空気が流れかけた時、実験開始のブザーが鳴り、部屋に吸血鬼が投入された。
映像に映っていた吸血鬼だ。
「「ッ!」」
息を詰める。
二人ともいけ好かない人間よりも、目の前の敵に意識を集中したのが分かった。
戦闘系の実験は、集中力をかかしてはならない。
一歩間違えれば死ぬ。
人影はのそのそと歩いてくる。
小さな体育館ほどの広さのこの部屋で俺達実験体はいつも人を殺している。
狂暴化しすぎて手に負えなくなった者たちを殺す実験。
何のデータが取れるのか何て実験体の俺たちには見当もつかないが、生きるためには戦うしかない。
すうっと深呼吸をして、両手に握る刃を構える。相棒はいつものように掌になじんだ。
吸血鬼は俺達に気づくとまたあの叫び声をあげた。
あの、悲しみから泣き叫ぶ声。
見開かれた瞳から血の涙を流し、部屋に入ってきた時の様子とは全く比較にならない速さでこちらに突っ込んでくる。
手前にいた男が軽い調子で左に回避。
と同時に腕を振るって吸血鬼の右腕を切り落とした。
爪を伸ばして、斬撃を加えたのだ。
常人には捕らえられないだろうが、半分吸血鬼の血が流れる俺の目にはその軌道がしっかり見えた。
「アアアアアアアアアアッ!」
右肩から血が噴き出す。
しかし土色の肌が粘土細工のように盛り上がり、一瞬にして右腕を再構築してしまう。
吸血鬼は不死だ。
けれどそれは純血に限った話。
混血の場合には、首を切り落としただけでは死なないので、心臓か脳を破壊するか、粉々に肉体を破壊すれば何とか殺すことができる。
まず狙うのは、首だな。
冷静に狙いを定め、刀身を顔面に構える。
さすが格闘術の使い手、吸血鬼は男と目も回す程速い命の駆け引きをしている。
突き出す拳、カウンターのアッパー。ラッシュ、パンチ、ブロー。ボディ、ローキック、またパンチ、ハイキック、カウンター、ラッシュ、二―キック。
吸血鬼が繰り出した正拳を男は最小限の動きでかわしながら左肘を右腕にめり込ませた。
右腕から白い骨が勢いよく飛び出す。
しかし吸血鬼の動きは止まらない。痛みを感じていないのではなく、彼らはもはや自我がない。
ただ血を欲する化け物だからなのだ。
男は軽く舌打ちをして、吸血鬼の懐に入り込むと下から顎に掌底を食らわせた。
人間ならば頭が吹き飛ぶほどの威力だろう。
けれど吸血鬼は一歩のけぞっただけで首をガキリと鳴らす。
「おいお前!俺が粉々にするから首落としてくれ!」
せっかく二人いるのだ。ダメもとで俺は男に叫ぶ。
「指図するんじゃねえ!誰が贔屓野郎の力なんて……ガハッ」
余裕のない声が返される。
言葉を発していた男はしかし、その隙を突かれて腹に蹴りを食らった。
口から鮮血が飛び散る。
吸血鬼は動きの鈍る男にさらなる追い打ちをかけようと突進する。
「くそっ!」
俺は身を低くして突っ込んだ。
だが間に合わず、吸血鬼は男の頭に上段回し蹴りをみまう。
男はとっさに爪を強化して右頬手前で蹴りを止めた。
何とか頭を吹き飛ばされることは免れたようだが、風圧で男の体は文字通り、ぶっ飛ぶ。
壁に衝突して亀裂を走らせ、動きを停止させた。
実験室は特別に強化されている。
けれど亀裂を入れたその衝撃はどれほどか…俺は思わず唾を飲み込んだ。
俺の背中に冷たい汗が滑る。
あんな威力の蹴り、二度も食らえば終わりだ。
なおもトドメをさそうする吸血鬼の両足を、俺は刀身を交錯させて切り落とす。
叫び声が上がった。
数十センチ低くなった吸血鬼の首を切り落とそうと片手を振るう。
しかし、
「……なっ?」
気づくと俺は天井に叩きつけられていた。
遅れて全身に衝撃が走る。
状況を理解する前に体が落下する――こちらを見上げて泣き叫ぶ吸血鬼の元に。
まずい、と思ったが空中で回避行動が取れるわけもなく。
刀身を重ねてガードを敷く。
しかし吸血鬼はそのガードを避けて後ろに回り、俺の背に回し蹴りを放った。
「っが、はぁっ……」
吸血鬼の足元の床に正面から沈む。
口から空気が吐き出された。
が、俺は痛みも構わず右に回転。
直後俺のいた場所に吸血鬼の踵がめり込んだ。
一瞬先を通過した死にひやひやしながら跳躍して吸血鬼と距離を取り直す。
油断した。
格闘術の使い手の間合いに簡単に入り込むんじゃなかった。
切り落とされた両足はすでに再生されている。
あの時、片足だけ優先させて再構築し、俺の体を蹴り上げたのか。
背中が痛む。
もう一度刀身を構えなおし、相手との距離を測っていると。
「はっはー!何していやがる贔屓野郎!」
先ほどまで壁元に倒れていた男が、吸血鬼の背後から爪を振るった。
吸血鬼の首がスパッと右に平行に飛ぶ。
ずっと聞こえていた叫び声が途絶え、遅れて赤黒い血が間欠泉のように噴出した。
首を失った吸血鬼の体が痙攣する。
男は哄笑した。
「はははははは!どうだ!こんな奴、俺だけで仕留められるんだ!てめえなんていらねえんだよお!!はははははははhッ……」
哄笑が途絶える。
一瞬の静寂。
男は不思議そうに自分の体を見下ろした。
「あ、り?」
男ははるか下方に見える己の体と、赤い首の断面を見て、そう口を動かした。
しかし口内から声が発せられることはない。
みし、と男の頭を掴む。
頭部を失った吸血鬼は手に力をこめる。
みしみし。
嫌な音だ。
みし。みしみし。
頭蓋が、悲鳴を上げる音だ。
「や、やめろおおおおおおおおおおお!」
走る。
男は涙を流しながらぱくぱくと口を動かす。
助けて。
悲鳴が、聞こえてくるようだった。
吸血鬼の右腕を切り落とそうと片方の剣を払う。
間に合わないっ……!
目の前で赤い花が咲き、頭から全身に生暖かい血を浴びた。
濃厚な血臭。
ドロドロの脳漿。
目玉、鼻。耳。
アアアアアアアアアアアア!
頭部を再生した吸血鬼が叫ぶ。
俺は噎せかえる血の匂いに、一瞬体の動きが鈍る。
血の匂いが気持ち悪いのではなく。
血の匂いに酔いそうで。
喉が渇く。
干からびそうだ。
熱い、熱い、喉が熱い。
普段は抑えている吸血衝動が抑えられなくなる。
飲みたい。
血が欲しい。
「あ、あ、あああああああああああ!」
俺は本能の間々に吸血鬼に相対する。
放たれた蹴りを身を屈めて躱す。
剣をふるい、吸血鬼の四肢を切り落とした。
「……ギッ?」
半鬼の力を全開にした俺の速さを吸血鬼は目で取れえられなかったらしい。
いつもは半鬼の力を抑えてある。
人間に適して作られている世界ではあらゆる面で強すぎる吸血鬼の力(例えば握力等)は生活するのに不便なのだ。
しかし、今みたいに命の危機を感じたり、強烈な怒りや悲しみ、精神に支障をきたす問題が発生すると制御のリミッターが外れる場合がある。
火事場の馬鹿力のようなものだ。
首を切り落とし、その断面からあふれる血を飲みたい。
しかし直前で体に制御をかける。
やめろよぉっ……!
喉が渇いて仕方がない。
けれど、首を切り落として生首から血を飲むなんてそんなこと、したくない。
俺は、血を欲するだけの化け物にはなりたくない!
四肢のない吸血鬼が尻もちをつく前に心臓のある場所に的確に二本の刀身を差し込み、そのまま両手を左右に開く。
左右に切開された胸から血しぶきが上がる。
心臓を破壊された吸血鬼は、殺された男と一緒に、全ての吸血鬼たちが死んだらそうなるように、灰となって宙に霧散していった。
履いていたズボンさえ、ボロボロと崩れていく。
俺の全身についた血も蒸発して、消えていく。
きちんと仕事をやり終えたことに、俺は張りつめていた気を緩める。
はあっと息を吐いてその場にへたり込む。
空気を吸い込むと血の一滴も残さず灰になったというのに、何度嗅いでも慣れることのない濃密な血のにおいがした。
俺は半鬼だ。
半分人間で、半分吸血鬼。
中途半端な存在だけど、心は人間でいたい。
✞
実験が終了すると自動で実験部屋の扉が開く。
入ってきた時と同じその扉をくぐってすぐ先にある研究室へ入ると、
『お疲れ、サクラ。君が生首から吸血するのではないかとハラハラしたぞ。よく耐えたな。今日の実験はこれで終了だ。もう帰ってくれてもいいよ』
ハラハラ、と言っているが梔子の性格上、ワクワクと言い換えた方が適切だろうな。
梔子は労いもそこそこにいきなり「帰ってもらっても構わない」宣言をする。
決して実験がしたいわけではないが、今日のように一日の仕事がたったの数十分で終わってしまうことは珍しいことではないとはいえ、それってどーなの、感はぬぐえない。
世のサラリーマンたちが知ったら恨まれるだろうなあ。
蓮は梔子から少し距離を開けて(梔子は一人で大量のパネルを操るので、彼女の操作を邪魔しないために)回転イスに座っていた。
膝の上に薄型のパソコン置き何やら打ち込んでいる。
仕事をしているのだろう。
単独でK機関支部内を歩くことができない俺を、実験が終わるまで蓮や撫子さんは仕事をしながら待っているのが常だ。
他の実験体達も外出するときは他の研究者たちがつく。
実験や食事等、一部屋五人制の彼らはその都度グループで行動している。
最初のうちは棗の権限で出入り自由だったのだが、中には脱走したり廊下を歩く研究者たちを殺したりする奴もいたので体制が変わった。
面倒だし窮屈だろうが、仕方がない。
俺が外泊を許されているのは俺に脱走する理由がないから。
当然だ。
ここで働いていればファミリーに仕送りができるのだから。
それなのに俺にK機関支部内で監視がつくのはひとえに俺が他に例のない半鬼だからだ。
K機関内は廊下でさえ危険な場所だ。
脱走した実験体や自我のない吸血鬼に俺が殺されることを危惧して、俺には監視がついている。
パソコンから軽く目を上げると、蓮は微笑んだ。
「お疲れ様です、桜くん。キリがいいところまで仕上げるので、少し待っていてください」
「おう」
片手を上げて応える。
蓮は再び手元に集中した。
ここは梔子一人にあてがわれた研究室だが、それと同時に彼女の移住空間でもある。
トイレ、風呂場、キッチンなどが隠し部屋のように壁にはめ込まれている。
梔子は引きこもりで滅多に外には出てこないのだ。
まだ緊張で体が強張っている。
長く深く息を吐いて緊張をほぐしていると、梔子が赤い物を投げてよこした。
咄嗟に受け取ると、それは透明な袋に入った輸血パックだった。
すぐさま蓋を開けると、ひりつく喉にぎゅーと流し込む。
口内にムッとした血の味が広がる。
すぐに全身が温もり、疲労していた脳に血液が染みわたっていくのを感じる。
美味い。
一息に飲み干すと、空になった輸血パックを握りつぶし、血液の付着した口元を拭い、ぷはーっと息をついた。
実験体になるまでは母さんや父さんの血を飲んでいた。
今は 吸血鬼には個人が申請すれば輸血パックが支給される(梔子が今くれたのは、吸血鬼衝動にのまれそうになった俺に必要だと判断したからだろう)。
実験体になったおかげで、吸血しやすくはなった。
けれど。
先程、実験室で目にした光景が浮かぶ。
実験で実験体が死ぬことは稀だ。
本当に、稀だ。
だが、ないわけじゃない。これまでにも幾度となく目にしてきた事であったし、相手は俺を嫌っていたし。自分が油断したせいだし、弱かったからいけないんだ、と思う。
思うが、痛む心がないわけではない。
腰に差し戻していた双剣を抜く。
刀身についていた血は消えている。
蒼の燐光を帯びた刃には染みひとつなく、目つきの悪い俺の顔を映していた。
慎重に刃に目を走らせていく。
刃こぼれがないか、傷がついていないか。
確認し終わる頃に、
「お待たせしました、桜くん。終わりましたよ」
ふくよかな声がして見ると、蓮がパソコンを肩掛け鞄にしまい、席を立っていた。
「なあ、蓮。お前の部屋のシャワー貸してくんね?」
「かまいませんよ」
「サンキュー」
やっぱり実験後は汗をかいて気持ち悪いし、今日みたいに血を被ることもあって、すぐにシャワーを浴びたいのだ。
いつもは実験帰りに支部内に設置されている大浴場に行くのだが、今日は実験後、蓮の部屋でゲームをすることになっていた。
朝迎えに来るのが蓮だと知らなかったとはいえ、こいつが来るまでここで待つ必要がなくなってかえってラッキーだったかもな。
俺の部屋には洗面台とトイレとテレビぐらいの家具しかなく、そのテレビは部屋の規模に見合った小型テレビだ。
蓮自身はゲームをしないがこいつの部屋には超大型テレビがある。
そいつでゲームするのが今の俺の数少ない娯楽だった。
だからこうしてたびたび蓮の部屋へ遊びに行くのだ。
俺がゲームに興じている傍らで、蓮は仕事をする。
この間の続きを心待ちにしていた。
はやる期待に俺は出口へ足をはやめた。
「じゃ、行こうぜ」
「はいはい。……では梔子ちゃん、また明日来ますね」
「またな、梔子!」
『煩い、今話しかけるな』
……。
振り返らないのはいいとして、もう少しマシなこと言えねーのかよ?