表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
27/27

Ⅹ.創生



 あれから一週間。

 棗の計画の詳細が確定するまで俺たちはおもおもの時間を過ごしていた。

 俺は梨花と蓮とともにトレイニングルームで体を鍛えたり、今の世界の様相を詳しく知るために、世界を飛び回っていたという朝霧から話を聞いたりしていた。

 日課であった実験はもうない。

 梨花は蓮に教えてもらっているせいか、銃を扱い始め今では十発中二発当たるかどうか、というところまで力をつけていた(俺はいくら練習しても一発も当たらなかったからな)。

 銃は剣や打撃など、他の攻撃手法と比べてまず、相手に当てることが難しい武器だ。

 相当、射撃訓練を繰り返さなければならない。

 三日三晩で身につくものではないし、それは梨花も蓮も分かっているだろう。

 加えて梨花みたいに小柄な、しかも女性では銃を撃った時の反動に耐えうる体も必要だ。

 肉体の支本を作り、柔軟性や筋力アップ等、梨花は一生懸命にトレイニングに取り組んでいた。

 もう守られるだけは嫌だと、強気な瞳が言っていた。

 報われるはずだ、梨花の努力は、絶対に。

 俺はといえばもちろん自分のトレイニングもしてきたが、主に撫子さんや朝霧、時には薔薇や棗と実戦訓練をしていた。

 人間よりもはるかに強い吸血鬼との戦いはいい経験になる。

 それとは別に、彼らと真剣に戦ってみて分かったことがある。

 吸血鬼は強力な力を有する。

 それ故に人間みたいに戦術を利用して戦ってこなかったのだ。

 十年前の敗因は力に驕り人間の策に嵌ったこと。

 彼らの強すぎる力は良くも悪くも作用する。

 だからその要素は此度の作戦までに排除しなければならない。

 日本刀を扱う撫子さんと、爪を駆使した斬撃を行う薔薇には必要はなかったが、眼力のみで戦う朝霧と、重力のみで戦う棗には絶対に必要だった。

 自分の力に頼らない戦い方が。

 あの二人と初めて実戦訓練をした時のことを思い出して、ため息をつく。

 あいつらは、本当に、馬鹿だった。

 まず、朝霧は訓練開始とともにこちらを睨んでくる。

 で、勝てると思っている。

 俺が目をつむると何故瞠目する!と焦りだす。

 論外だ。

 次に棗だが……。

 額に手をやる。

 こいつこそ論外だ。

 訓練開始直前に「そうだ。お前、重力使うのなしだからな」と声をかけると「え?じゃあボクどうするの?」

 ……知るか。

 とまあ、いろいろと問題が浮き彫りになったところで、俺は朝霧と棗に訓練中の能力の使用を禁じ、体術を教えて弱点を失くすために連日彼らのトレイニングに付き合っている、というわけだった。

 成果として朝霧はとりあえず、目の見えない(もっとも、兵士や鈴蘭の護衛の中に盲目の人間がいるわけもないので、この場合、朝霧の能力に対抗するため目をつむる手段用いる相手が出てきた場合)相手にも対応できるようになったし。

 棗はガードできるようになった。

 ……数千年も生きてきて何してきたんだか。

 というか、数千年も生きてきてガードする必要がなかったってことなのか。

 今日は久しぶりに梨花と蓮とのトレイニングに混じって体を動かしていた俺たちは、透明な扉の向こう側で微笑んでいる撫子さんに気づいてトレイニングを中断させた。


 「どうしたんですか、撫子さん?」


 汗を拭いもせずに嬉しそうに扉を開ける梨花にトレイニング頑張っているわね、と撫子さんは声をかける。

 仲睦まじく笑いあう二人は姉妹のようで、絵になる。

 最初、事情を知り、ファミリーの皆を危険な目に合わせたK機関支部という組織に思うことのある梨花も、あれは俺が『吸血鬼の血』を盗もうとしたから取られた至極当たり前の対応だと飲み込めてきたようで、今では棗たちとフレンドリーな関係になれてきていた。

 桃色のマーメイドドレスを着た撫子さんはハンカチで梨花の額の汗を優しくふき取りながら告げた。


「計画について、話があるわ。今すぐ来てくれる?」



 ✞





 『全員集まったな。では私とナツメが考えた計画を伝えよう』


 例のごとく向かった薔薇の部屋には、もう俺と蓮、梨花と撫子さん以外がそろっていた。

 面倒くさそうに佇む薔薇と、壁にもたれかかる朝霧。

 ベッドに座る棗と梔子。

 今から始まるのは、母さんを奪還し政府を乗っ取る計画の伝達。

 フードの闇から梔子の機械音が前置きし、練りに練ったという計画の全容を伝えようとするのを遮って、梨花が口を開いた。


 「その前に、聞いてもいいですか?」


 『なんだ、リカ?』


 「前から疑問だったんですけど、どうして蓮さんと梔子さんは棗さんたちに協力するんですか?……お二人は、棗さんたちを監視するために来た、本部側の人間ですよね?」


 言いにくそうに、けれどうやむやにする気はない語尾のはっきりした梨花の発言に、いの一番に薔薇がカハ!と噴きだした。

 意表を突かれたような顔をその場にいた梨花以外の人間がする。

 俺も、不思議に思う。

 蓮と梔子が本部側の人間なのは本当だ。


 ―――()()()()()()()()()()()


 まさか梨花は、棗たちを監視するためにいる蓮と梔子の目的が見えない、と言っているのか?

 棗たちの計画に協力することも、監視のうちに入るのではないかと?


 『……君は、私たちが、ナツメたちを欺くために協力しているというのか?』


 機械音が発するのは変わらない無感情。

 けれど梔子も蓮も、梨花の発言の本質に気づいたみたいだった。

 梔子はフードで表情は見えないが、蓮は苦笑していた。

 梨花は梔子の言葉に驚く。

 ち、違います、と声を上げた。


「あの、誤解させたならごめんなさい。私は、蓮さんと梔子さんが信用できないと言っているわけではないんです。でも、もともと本部側のお二人が棗さんたちの計画に協力するには何か理由があるのではないかと。そうでなければ、お二人が本部を裏切ることに、私が納得できなくて。お二人の理由が知りたいだけなんです。」


 梔子の言葉に、自分が二人を疑っていると誤解されたと理解した梨花は慌てて弁明する。

 蓮と梔子が俺たちを欺いている可能性を指摘しているのではなくて、二人が本部を裏切ってまで吸血鬼側につくその理由が知りたかったのか。

 気づいた途端、俺も蓮同様、苦笑してしまう。

 こいつらが裏切ることなんてありえない。

 理由を聞くまでもない。

 こいつらは今まで棗たち純血が起こした数多の不始末を本部に秘匿し、家族のように棗たちと接してきた。

 だから裏切りなんてありえない。

 しかしさも愉快そうに薔薇は舌を突き出した。


 「カハハッ!確かにこいつらなんで俺様達に協力してんだろうなァ?なんか腹に一物抱えてんじゃねえのかァ?」


 「馬鹿言わないでください、薔薇さん。梔子ちゃんは知りませんけれど、僕には僕の考えがあって棗様たちに協力しているだけですよ」


「考え?」


 うんざりと言う蓮の言葉に、棗が首をことんと傾げた。


 「僕は今の、誰かと誰かが殺し合う世界が大嫌いなんです。だから『人間狩り』で変革をもたらそうとした棗様に協力したいと思ったまでです。たとえ『人間狩り』をやめても、世界を変えようとする棗様についていきますよ。梔子ちゃんの理由は知りませんけれど」


 『おい、私をこき下ろそうとするのはやめろ。……私も似たようなものだ。私の目的はこのまま本部にいても達成されそうにないからな、世界を変えるというナツメ、君についていけば私の目的に近づける可能性が生まれるのではないかと期待したのだ。それだけだ』


 「梔子、お前の目的は?」


 何の理由もなく、こいつらが裏切るわけがないと俺は信じている。

 けれどあの研究狂な梔子が掲げる目的。

 興味を惹かれないわけがない。

 梔子はフードの闇を俺に向ける。闇からは鋭い眼光が伸びてきた。


 『たった一人の、私の家族を探している』


 「ふむ、利害の一致というわけか。下手に情に流されないことを鑑みるに、信用よう、梨花」


 人を疑うことが嫌いなのだろう、朝霧は心底ほっとした顔で梨花を見た。


 『満足したか?』


 梔子の憮然とした機械音に、梨花は満足げに微笑んだ。


 「はい、とっても」


 今ここで二人の理由を聞くことは、険悪な空気をつくってしまうこともあった。

 それでも梨花は二人の理由をうやむやにすることなく、ここで尋ねる、という手段に出た。

 自分がうとまれるかもしれなくても。

 今まで抱えていた疑問が氷解したことに嬉しそうに笑っている梨花の横顔を見る。

 ついこの間まで俺が守ってやらなくちゃって思ってたけれど、それは今も変わらないけれど。

 ……強くなったな。

 感慨深げに見つめていると、梔子が話を再開させた。


 『では、作戦を伝えるが、まずこれは政府を乗っ取り今の世界、吸血鬼が搾取されるだけの世界を改変するための戦いだ。その成功に必要な条件は二つ。人質であるキキョウの奪還と、現トップのスズランとの、人質がいない状態、つまり対等な状態での手の取り合いだ。この二つを同時進行で進めるためには今回の計画に、二つのグループを作らなければならない』


 「桔梗を助けるのが、桜と薔薇。鈴蘭との話し合いはボク、撫子、朝霧、蓮がする。梔子と梨花は全体の連絡役だね」


 「ちょ、なんで俺が薔薇と一緒なんだよ!」


 たまらず抗議する。

 こんな、いつ俺の血を吸うかも分からない奴と行動を共になんてできるか!


 「俺様も納得がいなねえな。どうして棗、てめえと一緒じゃねえ?」


 意外なことに薔薇も真っ白な包帯に不快そうな皺を寄せて低く尋ねた。

 お前に嫌がられるのもなんか、無性に腹が立つな。

 二人の抗議に棗はにこにこしている。


 「だって、桜は桔梗を助けに行きたいでしょう?でも桜一人では心配だし。その点、薔薇なら安心して桜を任せられる。薔薇なら、万が一なんてないもの」


 「てめえは俺様がいなくてもいいっつーのかよ」


 「うん。ボク、薔薇より強いし」


 いつもニヤニヤむかつく嗤いを浮かべている薔薇は、不機嫌なオーラを隠しもしないで棗に毒を吐く。

 しかし薔薇の態度をものともせず、あっけらかんと棗が笑うと、チッと一つ舌を打って、押し黙った。

 ここまで不機嫌な薔薇は初めて見るな。

 薔薇は結構何が(自分に不利なことが起こっても)あっても愉快そうに嗤っている。

 感情がぶれないというか、多分、自分が強いがゆえに何が起こってもまあ、何とかなるかぐらいに思って、問題を重くとらえないのだろう。

 むしろその問題が起こることを楽しんでいる節がある。

 だから常に愉快そうで、激しない。

 それが今、あからさまに話しかけるなオーラを吹き出している。

 それだけ、薔薇には棗の決定を覆せないことが分かっているのだ。

 だから黙るしかない。

 そしてそれが薔薇には面白くないのだろう。

 なんか、子供が拗ねているみたいだな。


 「桜も、それでいいよね?」


 「……しょうがねえか、計画の成功の為だもんな」


 薔薇の子供じみたすね方を見て、ここは俺が引いてやるか、と決める。

 正直、いやかなり薔薇と一緒なのは不安だが、薔薇が強いことは事実なのだ。

 俺の身を案じる棗の為にも、俺の個人的な好き嫌いにはこの際目を瞑るか。


 「棗さん、私は……」


 俺の隣で梨花が聞く。

 確か梨花は連絡役。

 ……あんなに特訓してたもんな、そりゃ不満か。

 梔子がたまらず憤慨するように肩を上げた。


 『君たち、黙って話を聞くこともできないのか?そういちいち突っかかってこられたら話が進まないではないか!』


 「ご、ごめんなさい。でも納得できなくて」


 『もういい、説明してやる。アサギリの広範囲の眼力はもし話し合いが決裂し向こうが武力行使してきた場合有効的だし、レンやナデシコの力も利用しない手はない。サクラとソウビが二人だけなのは、キキョウをK機関本部で探さなければならないからな、少人数の方が動きやすい。そしてリカ、君は頭がいいだろう?』


 「えっ」


 『ここ数日君を観察して理解したよ。君は非常に頭が切れる。戦士としてではなく、策士として私とともに計画の指揮を執れ』


 「……」


 思いもよらない展開に梨花の困惑した様子が伝わってくる。

 梨花は生まれつきIQが高く、学校のテストでも常に満点を取る子だった。

 世界的天才児である梔子にそれを認められるなんて、梨花はやっぱり凄かったんだな。


 「珍しいな、梔子。お前が他人を褒めるなんて」


 妹が褒められたことに気分良く笑いかけると梔子はふんと鼻を鳴らした。


 『君を褒めたわけではない。……どうだ、リカ。納得したか?』


 相変わらずそっけないな。

 首をかしげる梔子に、梨花は少しだけ悩む。

 全体の指揮を執ることに責任の重さを感じているのだろう。

 けれど意を決したよう強気な瞳を上向けた。


 「お兄ちゃんを守る為にできることは戦うことだけじゃないんですね。……つっかかってごめんなさい。がんばります!」


 全体の指揮は絶対になくてはならない大事な器官だ。

 彼女たちの指示一つで俺たちの生死は左右される。

 梔子と梨花なら、安心して任せられるぜ。


 『納得してくれたようで良かった。……では話を戻す。まずサクラとソウビは秘密裏に本部に侵入し、キキョウを探す。ナツメたちは正面から本部に入り、スズランと話し合う。この時キキョウを奪還してからでないと、ナツメ達はスズランに対等な関係を要求ができない。侵入したら早急にキキョウを奪還しなければ計画は破綻するから心しておけよ』


 「つまり、ボクたちは鈴蘭に、桔梗は取り返した、もう君たちに従う道理はないけれど、これからは共に世界を変えていこうと説得する。人質なんて取らなくても、ボクたちは君たちに協力する、ということを分からせるためには、桔梗を絶対に取り返してからでないといけないわけだね」


 「待てよ。俺、んな、何処にいるかもわからない母さんをそんな素早く見つけられる自信ねーぞ」


 『キキョウが捕らわれている場所はおおよその見当がついている。安心しろ』


 「!?」


 一歩、梔子に向かって足が出る。

 ぎゅっ、梨花も思わずといったように俺の右腕にしがみついてきた。

 今更ながらに襲い掛かる、母さんに会えるという実感。

 もうすぐだ。

 もうすぐ、会えるんだ。

 嘘でも夢でもないんだ。

 震える俺達兄妹を無感動(に見えるだけかもしれない)に見つめ、梔子は身にまとったローブのポケットから、端末を取り出した。

 薄く手のひらサイズの端末を片手で素早く操作すると、パッと端末から(みどり)色の光が伸び、空に映像を浮かび上がらせた。

 それは建物の設計図。

 一階建てで、奥に長い造りをしている。


 『これは私がK機関本部のサーバーに進入して手に入れたのK機関本部の設計図だ。見ての通り縦に長く外観からはシンプルに見えるが複雑な内装をしている。最奥がスズランの移住空間だがそこまでたどり着くのは地図を見ただけの外部の人間では不可能なほどだ。間にはスズランの護衛部隊の宿舎が入っており、いたるところに屈強な兵士が待機している』


 幾筋も線が重なって見えづらい地図を指で示しながら説明する梔子。


 「サーバーに進入って、お前、バレたらどうすんだよ」


 『私が証拠を残す程の愚鈍と思うか?君じゃあるまいし』


 ……すいませんでした。


 『キキョウの居場所だが……ここだ。おそらくここ付近に捕らわれている』


 そう言って梔子が示したのは、設計図からかなりはみ出した何もない空中。

 赤い点が打たれた場所。

 ……地下か。


『本部の人員のさき方がおかしい。調べれば明白だ。何もない地下に、人の出入りがある。加えて電気が回っているのだ。何かあるとみて間違いない』


 「ボクたち純血は互いの気配を感じることができるんだ。だから本部に呼び出されるたびに探していた。桔梗の気配も、地下からするの。だから桜たちはまっすぐに地下を目指してくれるといいよ」


 ポケットから振動が伝わる。

 手を突っ込んで取り出した端末には、梔子から、本部の地図が転送されていた。

 画面に浮かぶ地図を指で拡大すると、赤い点へ向かって伸びる通路が表示された。

 俺が端末からその情報を確認したことを見ると、梔子は話を続ける。


 『その通路が地下に続く唯一の道だ。だが、本部の人間から隠れる必要はない。むしろ君たちがキキョウを奪還したと本部の人間からスズランに連絡がいけばより話し合いはしやすくなる。君たちはナツメにキキョウを奪還したことを伝えた後、ナツメと合流すればいい。これが大まかな計画の流れだ。理解したか?』


 ようするに、俺と薔薇は棗達より前に別経路で本部に進入し、地下を目指す。

 母さんを奪還したらそれを棗に報告して、合流すればいいわけか。

 思ったよりシンプルな作戦でよかったー。

 ほっと一息ついていると、ここにきて初めて、朝霧が発言した。


 「もし桔梗を奪還できなければどうなるのだ?」


 『元通り、君たち吸血鬼が奴隷として生きる世界の間々だ』


 なんてことはない。

 梔子は簡潔に答え、朝霧は表情を引き締めた。

 人間側には全く変化のない話。

 でも吸血鬼側としては、失敗すれば自分たちの首を絞めることになるだけだ。

 失敗は許されない。

 改めて此度の計画に対して、薄氷を踏むような緊張感に捕らわれる。

 ごくりと、しみ出てきたつばを飲み込んでいると、棗がふと、悲しそうに目を伏せた。


 「失敗は怖いよ?でも、ボクたちは、ボクは鈴蘭を野放しにする気はない。―――鈴蘭は、いや、日本政府は、世界中の皆に嘘をついている」


 「嘘?」


 朝霧の疑問にこくりと頷く。

 一同、一人一人を見渡して、


 「ここ最近、結晶病はその発症数を減らしているんだ」


 「「!!!」」


 口にした。

 衝撃が走る。

 脳が棗の言葉の意味を理解しても、すぐには感情が受け入れない。

 あれほど強力で恐ろしいウイルスが、減少しているだと!?

 驚き、動揺したのは俺と梨花、そして朝霧だけ。


 「本当なのか!?」


 『私の緻密な研究データだ。間違いない。そして、本部の研究機関なら難なく得られる情報だ』


 K機関支部最高の頭脳―――梔子。

 彼女の頭脳は世界の宝だと言われている。

 その彼女が支部を任されているということは、本部には彼女以上に認められた頭脳の持ち主がいる、ということだ。

 話のこれからの展開を追いかける。

 結晶病の減少……それを俺たちは知らなかった。

 世間に公表された様子もない。

 つまり、日本政府の嘘というのは……まさか、そうなのか。

 ぐらり、脳が回る。

 そんな非人道的な行為がこの日本で?

 信じられない。

 言葉を失う俺たちをあえて感情を抑えた瞳で棗は見る。

 そうしなければ言葉を紡ぐことができないほど、棗は悲しんでいるのだろう。


 「十年前に終戦を結んでから今まで、吸血鬼狩りが途絶えることはなかった。理由は、政府が『吸血鬼の血』を支給しきれていなかったから。なのに最近、吸血鬼狩りは落ち着いてきている。それは政府が頑張っているんじゃなくて、結晶病患者が少なくなってきているからなだけなんだよ。けれど、以前『吸血鬼狩りがなくならないのは不本意だ』とすごんだボクに対して鈴蘭は答えたんだ。


『政府も力を尽くしている』


 と。嘘をつき、結晶病の発症例が減少していることも伝えなかった。つまり、鈴蘭はボクらにこのことを知られたくないのさ。さて、どうして鈴蘭は結晶病の減少を隠すのか?それは―――」


 棗は眉根を寄せ、言いよどんだ。

 先を口にするのがつらそうに、苦しそうに、そして、許し難そうに。


 「それは、権威の持続」

 

「うむぅ……。人のさがよの」


 瞬時に納得の吐息を洩らしたのは朝霧。

 顔をしかめ、低く深い声は部屋に響いた。

 権威の……持続。

 駄目だ、全く分からない。


 「日本は、結晶病の治療法を見つけることに成功した唯一の国家。その功績からこの小国は、世界の中心として権威をはなつようになった。日本の意見は、世界中の政界に影響しうるほど。今の日本はそれだけの力を持っているんだ。それが、結晶病がこのまま減り続け、なくなればどうなるか」


 十年前以前の日本は平和主義を掲げ、戦力を放棄した世界最弱国、アメリカやロシアなどの大国の影で生きていた。

 当然、政界に影響を及ぼす程の力も持たなかった。

 けれど結晶病により人口の減り続けた十年前、結晶病の治療法を発見した日本は文字通り世界を救ったのだ。

 それにより世界は日本を崇め、新たなる結晶病の研究に期待し、日本は大国をも従える力を手にした。

 そのきっかけとなった結晶病がなくなれば。

 ようやっと俺は話を飲み込み始める。

 朝霧が口にした、人の性。

 何百、何千年と生きた吸血鬼である朝霧は、簡単に思い当たったのだ。

 人の欲の、底知れなさに。


 「どんな栄光も奇跡も、時とともに風化する。結晶病がなくなれば、また日本は元の小国に戻るんだろうね。元通りだ、受け入れればいい。でも、世界が意のままになる状態を知ってしまった今の日本は、また周りの大国の顔色を窺わなくてはならないことを、受け入れられないのだろう。そう、だから鈴蘭たち日本政府は、結晶病の減少を、世界に隠している。自分たちの権威の為に」


 なんて、なんて身勝手で、浅はかな欲。

 結晶病で、今も苦しんでいる人たちがいるのに、どうしてそこまで自分の保身に目を向けられるんだ。

 醜い。

 人とはこんなにも、醜い生き物だったのか。

 怒りで、わめき怒鳴り散らしたくなる。

 けれど目の前で苦しそうに話す棗を見て、それができない。

 人が好きだと棗は言った。

 意地悪な人もいるけれど、そうじゃない人もいるから。

 だから、人だからって理由だけで嫌ったりできないと。

 ごめん、ごめんな、棗。

 人間は、お前を失望させてばかりだ。


 「ま、世界には優秀な研究者なんてごまんといるからね。結晶病の減少には気づかれているかもしれない。なのに今だその事実が公表されていない。もしかしたら、すでに秘密裏に何らかの取り決めがなされているか、日本が何かしらの圧力をかけられているか。どっちにしろ、このことを引き合いにださず話し合う気はない」


 棗の真紅の瞳が、陽炎のように揺らめく。

 梔子は緻密なデータから結晶病の減少を知ったと言っていた。

 世界中の研究者が、結晶病のデータを取っていないわけがない。

 もし日本政府だけでなく、各国に、結晶病の減少が知れているのだとしたら、何故、世間に公表しないのか。

 完全な治療法を発見したわけではない。

 無駄に世間を混乱させない為だろうか。棗の言う通りの理由なのか。

 分からないし、俺には知るすべがない。

 けれどもし本当に、自分たちの為だけだとしたら。

 拳を握りしめる。強く。

 許せない。

 鈴蘭だけじゃない、日本政府そのものの意向が、許せない。

 怒りで爆発しそうになる頭を抱えて、話に食らいつく。

 まだ話は終わっていない。

 感情を爆発させるな。


 『さらに興味深いことがあるぞ。政府はさらに強力な『吸血鬼の血』を創りだそうとしている』


 強力な……『吸血鬼の血』?

 それは、少しでも結晶病の進行を抑えるための?

 何が興味深いのか分からず首を傾げる俺に、梔子は冷え冷えとした機械ので答える。


 『強力な薬が必要になるとき、それは強力な病が表れた時だ。だが、結晶病の威力は十年前から変わっていない。今も変わらず、一日で人を殺す』


 「……もっと長く、進行を抑えるために、強力な『吸血鬼の血』を創っている、ってことか?」


 混血の吸血鬼の血の場合、結晶病の進行を二、三日抑えることができる。

 その時間を伸ばそうとしているのだろうか。

 凄い、それが成功すればもっと多くの人々に『吸血鬼の血』を支給できるようになるかもしれない。

 けれど、梔子の次の言葉は、俺の予想の斜め上を行くものだった。


 『違う。日本政府はより強力な結晶病を生み出しているのさ。その生み出した強力な結晶病の治療薬として、より強化した『吸血鬼の血』が必要なだけだ』

 

「……はあ?」


 『チッ。愚鈍な君にも分かるように説明してやろう。減少する結晶病を食い止めるには、人為的に結晶病を創ってしまえばいい。そうすれば結晶病はなくならない。だが、創ったはいいが治せなくても困る。だから強力な『吸血鬼の血』がいる。自分で創り、自分で治す。素晴らしい自作自演、というわけだな』


 おい、それじゃ、日本政府は―――。


 「カハハ!いつから日本は人殺し国家になったんだァ?カハハハハハハッ!」


 おかしくてたまらないというように薔薇は哄笑する。

 撫子さんと朝霧は痛ましそうに、人の本質に諦めきったみたいに瞠目し。

 蓮は不快の色を隠しもせず、端正な顔を歪め。

 梨花は血の気の失せた、青白い顔をこわばらせた。


 「つまり、鈴蘭たちは、自分で創った結晶病をわざと皆に感染させているっていうのか……?」


 なんだそれ。

 なんだそれなんだそれなんだそれ。

 そんな非人道的なことがまかり通っているのか、この日本で。

 怒りに震える俺を見ながら、棗は許し難そうに目を眇めた。


 「前にね、鈴蘭に言われて強力な『吸血鬼の血』を創って本部に持っていったことがあるんだ。少しでも、進行を長く止められるようにするための薬かと思うでしょう?でも違うよ。だって、強力な『吸血鬼の血』を創れ、なんて言われたの、十年間でその時が初めてだったもの。ちょっとおかしいよね。なんで今?鈴蘭は表情を動かさないようにしてたけれど、分かるよ。隠し事してるって。何百年、君たち人間を見てきたと思うの」


 棗はかすかな怒気をはらんだ瞳で空を見る。

 まるでそこに、鈴蘭がいるとでもいうように。


 「絶対に許さない。権威の持続も、より強力な結晶ウイルスの創生そうせいも。ボクたちは鈴蘭を野放しにはしない」


 かつて棗は『人間狩り』をしようとしていた。

 それはきっと、このこれだけのことを知っていたからなんだ。

 人間のあまりの醜さに苦しみ、そして見限った。こんなにも汚い人間はもう守れない。

 仲間の為に殺して、人間も吸血鬼も、これ以上殺されない世界にしようと思ったんじゃないのか。

 今は『人間狩り』なんてやめて、鈴蘭たちと手を取り合う計画だけれど。

 俺は。

 必死に棗を説得していた頃のことを思い出す。

 俺は俺の国がこんなに愚かだと知らなかった。

 醜いと知らなかった。

 何も知らずに共存、なんて言っていたのか。

 反芻する反芻する反芻する。

 今までの話を整理して、そして浮かんでくるのは一つ。

 ぶん殴りたい。

 今すぐ日本政府に乗り込んで、トップの奴ら全員殴りたい。

 ぶっ飛ばしたい。

 何が共存だ、何が話し合いだふざけるな。

 こんな自己中心的で自己肯定の激しい、保身ばっかの人間と手なんか組めるわけがない。

 難しいんだ、こんなにも、他人を許し受け入れることは。

 今にも罵詈雑言がほとばしりそうな俺の手に、優しく何かが触れた。


 「お兄ちゃん……」


 つらくないわけがない。

 怒り、やるせなさを感じないわけがない。

 だけど梨花は、俺の震える手を握り励ますように、元気を分け与えるように、笑った。


「絶対に、この計画、成功させようね」


「!」


 りか。

 梨花、梨花梨花梨花。

 梨花。

 お前が、ここにいてくれてよかった。

 心の底から思う。

 お前はやっぱり、天使だ。

 握られた手にそっと力をこめる。

 ぶん殴って、叫んで、鈴蘭たち政府の人間には自分たちの犯した罪を猛省させたい。

 けれどそれは、この計画を成功させなくちゃできないことなんだ。

 この計画を成功させなきゃ、何も始まらないんだ。


 「ああ。絶対に、こんな世界を、変えよう」


 理性を飲み込もうとした激情から俺を救い上げてくれた天使とともに、俺は棗を見据えた。


「作戦決行は、いつだ」


 棗は応える。


「二日後だよ」


 じんわりと空気は熱い。

 七月が終わり、猛暑が始まろうとしている。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ