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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
26/27

Ⅸ.いつも想う

 


 パッパ―。

 カンカンカンカンカン。

 ざわざわざわ。

 車のクラクション、踏切の音、雑踏のざわめき。

 ここはエリア東京二十二区域。

 K機関本部がある二十二区域を南下した場所にある、コンクリートジャングル真っ只中。

 かつて俺達家族がくらしていた場所、かつての東京。

 十年前の『吸血鬼狩り』、その戦禍の中心地。

 そして復興の済んだ、今の日本のネック。

 十年前と変わらない耳の痛くなる喧噪の中、俺は梨花と二人、とある孤児院の扉の前に立っていた。

 病院を思わせる真っ白い外観。

 扉の前にはかわいらしいチューリップ型の木製の立て札がかかっている。


 『深光院しんみついん


 院長先生の知り合いの孤児院。

 ここにみんないる。

 院長先生も、シスターたちも、ガキたちも。

 扉の横のインターファンはすでに押していた。





 「え、なに?」


 混血の吸血鬼、アマリリスの説得が失敗に終わってから、三日が過ぎた。

 昨日の朝、一緒にトレイニングルームで汗をかいた俺と棗は別室のシャワー室でシャワーを浴びていた。

 濡れた髪をタオルでごしごしこすっていた棗は俺の言葉に小首をかしげる。

 ふわふわの銀髪は生乾きで頬に張り付いている。

 必死にごしごししていた腕を下ろし、棗は言った。

 


 「だから、いろいろ忙しくて余裕なかったけど、大分ひと段落したろ?だから俺、梨花と一緒に明日、孤児院の皆に会いに行くけど、いいよな?何も用事ないよな?って」


 「ああ、そういうこと。うん、大丈夫!行ってきなよ」


 棗はあばらの浮き出た華奢な体をそらしてにっこり笑った。

 そう。

 俺が『吸血鬼の血』を盗もうとしてからいろいろあって、すっかり孤児院の皆に会いに行くタイミングを逸していたのだ。

 あの後、院長先生から連絡があった。どうやら孤児院の皆は、今、院長先生の知り合いの孤児院で暮らしているらしい。

 アマリリスと会ってからの三日間、俺は他の吸血鬼たちに協力を仰ぎに、様々な区域をまわっていた(薔薇と行った際には、あいつが俺以上に説得や話し合いに向いていないこと、人を挑発することが異様にうまい、ということを新たに発見した)。

 結果的に十人ほどの混血の派閥のリーダーに会い、二人人のリーダーたちが協力してくれることになった。

 派閥としてはどちらもそれほど大きな派閥ではないが、二つの派閥とも温厚で友好的だった。

 ……やはり、心に思うことはあるようだったが。

 そして昨日、予定の確認をすると、あとは計画の練り増しだけということだったので梨花にも確認を取って(前日から大はしゃぎしていてマジ天使だった)今日、俺たちはここにいる。





 「はいはい、どちら様ですか?」


 扉から身を乗り出してきたのは、すらっと背の高く細身の、快活そうな雰囲気の女性だった。


 「あ、あの、ファミリーでお世話になっていた桜と梨花です。こちらに……」


 「ああ、義兄さんとこの!よく来たねー!」


 扉の向こうの俺と梨花に不思議そうな顔をしていた女性は、俺の挨拶の途中で合点がいったらしく、相好そうこうを崩した。


 「は、はい。あの、こちらに」


 「ふたりともかっわいいねー!義兄さんは奥にいるよ。さあ、はいったはいった!」


 「えっと、あの」


 「桜くんと梨花ちゃん、だよね。いやー、二人ともほんとかわいいわ!目に入れても痛くないくらい!ガハハハハハハハ」


 口を挟む隙も無い。

 俺の言葉を何度も遮りながら、女性は大口を開けて笑い、扉を開け放ち俺たちを孤児院―――『深光院』へ、招き入れた。

 ものすごく明るいこの女性に俺と梨花は、扉を開ける前の緊張をすっかり抜かれ、半ば呆然としながら後に続いた。

 室内は目に優しい色合いの白で統一されており、壁いっぱいに子供たちの絵が描かれた紙が貼られている。

 廊下の向こうからは懐かしい、子供たちの賑やかに遊んでいる声が聞こえてきていた。


 「あたしはエーデルワイス。義兄さん―――君たちの孤児院の院長先生ね。の、奥さんの妹で、この深光院の院長だよ」


 使い古された感じのワイシャツにジーンズ姿の女性は口元の細かい皺から四十代に見える。

 栗毛色の髪は恐ろしく短く、薄く引いたベージュの口紅や、白く光を弾くピアスなども、快活な雰囲気の女性―――エーデルワイスさんにとてもよく似合っていた。


 「こっちが姉さんとあたしの実家なんだけど、今はお袋も親父も死んじまったから、あたしが一人で経営してるんだ。ま、気楽でいいよー。ガハハハハハハハ」


 自分の両親が亡くなっていることさえガハハハと話す。

 ……あ、明るい人だ。

 口を挟む余地なく喋り続るエーデルワイスさんに、俺が話そうとする意志を放棄した時、背後で梨花があの!と声を発した。

 それは頑張って勇気を振り絞ったような、震えた大きな声。

 うん?

 笑顔の間々振り返るエーデルワイスさんと一緒に俺も振り返る。

 不安そうに顔を曇らせた梨花が、両手を胸の前で組み合わせていた。


 「みんなは、無事ですか!?どこもケガしてませんか!?」


 「ああ、ごめんごめん。あたしの話なんてどうでもいいね」


 「や、そういうわけじゃ……」


 「ハッハッハ!安心しな。みんなピンピンしてるよ」


 にっこり。

 不安に押しつぶされそうに小さくなっている梨花を、温かく優しい微笑みで見ると、告げる。

 廊下の先の扉、子供たちの声がする扉を開け、おはいり、というように笑いかけてくる。


 「―――!」


 俺も梨花も、二人して扉の向こうの部屋に飛び込む。

 真っ白い空間。

 ホールのような大広間に、二十人ばかりの子供たちがいる。

 見たことのない子供たちは十人ほど。

 後は見覚えのある、ファミリーのガキたち。

 ゴロゴロとカーペットに転がり絵を描いたり、お昼寝をしたり、ままごとをしたり。

 キャッキャと幸せな声の中心に、サンタみたいな髭の院長先生がいる。

 洗濯籠をせっせと運ぶシスターたちがいる。

 幸せの象徴のような光景。

 何日ぶりに彼らを見たのだろう。

 こんなに離ればなれになったのは初めてで。

 ファミリーの屋根が吹っ飛んだ惨状に彼らの身を案じて。

 傍にいた時はどうしようもない悪ガキばかりでしょうがねえななんて顔をしかめていたのに、こんなに胸が潰れそうなくらいに会いたかったなんて。

 くっそお。

 今更実感する。

 俺はこいつらが大好きだ。


 「あー!サクラとリカだー!」


 「わあああ!ほんとだ!」


 「サクラァ!リカァ!」


 一人が画用紙から顔を上げて俺達を指さすと、ほんとだほんとだと、わいわい言いながらこちらに突進してきた。

 まったくもう、弾丸のように。

 小さい体の群れに、顔に浮かぶ笑顔たち。

 子供特有の高い体温が俺と梨花の体に群がって、熱い。

 勢いに押されて尻もちをつくといつもはそこで止まるのに、今日はさらに俺たちの体に飛び乗ってきて勢いが止まらない。

 深光院の子供たちは急に猪突猛進しだしたガキたちにきょとんとした目を向けている。

 その子供たちに囲まれていた院長先生とシスターたちも、こちらに歩み寄ってくる。


 「おまえらどこ行ってたんだよお!」

 半べそをかきながらライラックが俺の腹を叩く。

 地味に痛いし、重い。


 「リカ、お病気もう大丈夫なのっ?」

 「すっごく痛くて苦しそうだったの!」

 「どこ行ってたの、何してたの?」

 ガーベラ、ノバラ、リラの三姉妹がリカに取り付きて泣いている。

 梨花まで彼女たちに影響されて泣いている。

 嗚咽交じりにうん、うん、大丈夫、ありがとう。

 梨花の声が聞こえてくる。


 「あのねあのね、ファミリーの屋根吹っ飛んだの!魔法みたいだったの!」

 「院長先生が戦ってたよ!かっこよかったー」

 「ああ、あれはしびれた!おい、サクラも見習った方がいいぞ!」


 久しぶりに聞くやかましいまでのガキたちの歓声に不覚にも俺も涙ぐむ。

 壊れそうに小さくて、温かくて、エネルギーの塊なガキたちの体をいつものように両手いっぱいに抱きしめる。

 力いっぱい抱きしめたくて、でも壊してしまいそうで怖くて、それでも、強く強く優しく抱きしめる。

 ガキたちの元気いっぱいのエネルギーを補充するように。


 「っ、お前ら、けが、してねえか?怖かったろ?っ……ごめんな、俺、間違えちまった……」


 ごめんな、ごめんな。

 意味のない謝罪、でも言わずにはいられない謝罪を繰り返す俺に、ガキたちは何言ってるんだ?みたいな顔をする。

 …あれ?


 「何言ってんだよ、サクラが間違わなかったことなんてねーだろ?」

 「そうそう!いっつも院長先生がうまーく解決してくれてるんだから」


 おい待て。俺を馬鹿にしたように笑っているガキたちの笑顔。

 ……これは幻覚か?

 涙で滲んだ視界のせいか?

 確かに、いつも俺たちが起こす問題を院長先生が解決してくれるのは本当だが。

 もっとこう、なんかさ、優しい言葉ねーの?

 俺が悪いのは認めるけど、でもさ、お前ら、デレ終わるの早くね?


 「お、まえらなあ!人が弱気になってりゃ調子に乗りやがって!」


 とりあえず一番近くにいたライラックの両頬をびにょーんと引きのばす。

 ふがふが豚みたいになくライラックをきゃはははと他のガキたちが指差して笑う。

 ライラックの頬から手を放し、別のガキの脇をくすぐる。

 そうやってファミリーにいた頃と変わらず馬鹿騒ぎをする俺たちに、近づいてきていた院長先生たちが

 言った。


 「桜、梨花。おかえり、また逢えたね」


 最後に会った時、次はないかもしれない。

 もう会えないかもしれない。

 そう覚悟した。

 だけど、もう一度会えた。

 会えた。


「「ただいま!!」」


 梨花と、声が重なる。




 ✞




 子供たちの遊び部屋である大広間ではエーデルワイスさんとシスターたちが子供たちと遊んでいる。

 食卓である足の長いテーブルと椅子について彼らを見守りながら、俺と梨花は院長先生に今までのことを説明していた。


 「梨花、良かった……」


 全ての説明を聞き終わった後に、院長先生が零したのはその言葉だった。


 「桜が死ななかったことも本当に良かったが、梨花、君が生きながらえる方法を手にできて、本当に、本当に良かった」


 目元に涙を滲ませて声を震わせる院長先生の姿。

 院長先生の自分の無事を喜んでくれる姿にしかし、梨花はつらそうに目を伏せている。

 いつも温和で悲しみを見せたことのなかった院長先生がここまで感情を殺せずにいる姿に、心配をかけた、という罪悪感で胸が軋んだ。

 梨花もそうなのだろうか?

 それでもずっと謝罪を繰り返していた俺には、もう院長先生に告げる言葉は謝罪ではないのだと、無理に口端を上げた。


 「いったろ?梨花連れて帰ってくるから、て」


 「まったく、ひやひやさせる」


 院長先生は顔の上半分を片手で覆う。

 口元は笑みをつくっていた。

 けれど震える声が、院長先生が泣いていることを教えてくれた。

 院長先生には、棗の計画のことは伏せて、いろいろと機密をぼかして話した。

 俺の説得で許しを与えてくれた棗たち。

 今まで通りK機関で働くことを許可してもらえたこと。

 母さんが実は生きていることが分かったこと。

 その母さんを探しに俺と梨花はしばらくはここに帰ってこれないこと。

 院長先生はちょっぴり寂しそうに目を細めたが、母さんが生きていたことにまるで自分のことのように喜んでくれた。

 深光院に正式に身を置くことになったファミリーの皆は今、学校に行っていた子たちはその手続きをしている最中なのだという。

 平日なのにこんなに子供たちが多いのはそのせいだろう。

 もともと一人で深光院の子供たちの面倒を見ていたエーデルワイスさんは院長先生やシスターたちの手が増えてとても助かると喜んでいるらしい。

 短い時間で感情を立て直した院長先生は、涙で充血した瞳を弧型に細める。


 「今日はゆっくりしていくんだろう?なんなら泊っていきなさい」


 「マジ?じゃあ、一応棗に連絡入れないと。電話ってどこだ?」


 「それならこの……」


 「あの、二人とも聞いてほしいんだけど、いい?」


 テーブルの上、新聞の下に隠れていた今時珍しい黒電話を示す院長先生と、黒電話に手を伸ばしかけた俺は二人して声の主―――梨花を見る。

 どうしたんだ?

 さっきからずっとつらそう、いや、申し訳なさそうにしている梨花の様子に戸惑う。

 ガキたちと再会した時はあんなに嬉しげだったのに、院長先生と話し出したとたん顔が曇っていった。


 「なんだい?」


 さすが、俺たちを小さい頃から見てきている院長先生は親のように包み込むような笑みを浮かべた。

 その笑みにますます梨花は顔を歪め、下唇を噛みしめた。


 「私、結晶病から助かっているけど、でも、やっぱり私、……」


 言うべきか、言わざるべきか。

 梨花の躊躇が伝わってくる。

 何をそんなにつらそうな顔をしているんだ?

 疑問を感じていた俺は梨花の言葉にまさか、と思い当たる。

 まさか梨花は、結晶病で亡くなった院長先生の奥さんのことを思っているのか?

 八年前、梨花は六歳だ。

 うすぼんやりと覚えていることがあってもおかしくない歳。

 院長先生もハッと目を軽く開く。


 「……ああ、梨花、君は私の妻のことを気にしているのだね?」


 こくり、無言で頷く梨花。

 俺は馬鹿だ。

 梨花が結晶病で死ななくてよかったと、そればかりを喜んで、院長先生の想いも梨花が、自分が助かったことに苦しんでいることにも気づかなかった。

 優しい子だ。

 日々結晶病で大勢の人が亡くなっている今の世界で、自分が助かって純粋に喜べる子なわけがなかったのだ。

 その苦しみに俺は兄でありながら気づいてあげられなかった。

 テーブルに両手をついて震える梨花の手に自分の手を重ねる。

 かわいそうなくらいに震える手をほっとけなくて。


 「梨花っ……」


 「わ、私自分が死ななくてよかったって思ったの。でもね、院長先生の奥さんが苦しんで亡くなったこと、ぼんやりとだけど覚えてる。だから私、お母さんを探すのを終えたら、死んだ方がいいの。二人には言っておこうと思って」


 「馬鹿、何言ってんだよ!」


 なんで。

 いや、ずっとずっと悩んでいたんだ。

 梨花は自分だけが結晶病から助かることに罪悪感を持っていたんだ。

 院長先生と奥さんに申し訳なくて。

 違うよ梨花。

 今わの際に零したあの人の言葉を俺は覚えている。

 あの人はそんなこと望まない。

 あの人は―――。


 「梨花」


 ぽん、と梨花と俺の手の甲に院長先生の節くれだった掌が合わさる。


 「あんまり馬鹿なことを言ってると、怒るよ?」


 「い、院長先生……」


 「彼女は、コグサはね、確かに結晶病で亡くなった。けれどどうしてそれで君が死ななくてはならないの。私も彼女も、君が死ななかったことを憎んだりしないし、ずるいと思ったりもしない。世界にはそういう人がいるのも事実だよ?けれどそれと君が死ななかったことは全く関係がない」


 院長室のベッドの上で、脂汗を滝のように流し荒い息を吐きながら、院長先生の奥さんは儚げに哂っていた。

 麻色のカーディガンの隙間から覗く胸元の肌には既に黒い結晶が浮かんでおり、指先まで青白く変色していた。

 異様な姿に変わってしまっても、体を内側から突き刺される激痛にもあの人は気丈に耐えて。


 「彼女は子供ができない体だった。だから親元を離れて私とともに孤児院を新設して、身寄りのない子供たちを、本当の自分の子供のように愛した。どの子にもわけへだてなく愛情を注ぎ、目に入れても構わないくらいに可愛がって。ずっと子供を欲しがっていた彼女にとって、君たちと過ごす日々はとても幸せな時間だったんだ」


 クリスタルのように綺麗な指先で院長先生の顎髭に触れて、あの人は言ったんだ。

 貴方たちを愛しているわと。

 私の可愛い子供たちをよろしくねと。

 最期の力を振り絞って、かすれて聞き取りにくい声でしかし、しっかりと、永遠とわに愛している―――。


 「そんな彼女が、自分の子供が結晶病で死ななくてよかったと、思わないと思うかい?」


 愛している、と。

 梨花の瞳から大粒の涙が落ちた。

 結晶病なんて絶対不治の病に罹って、どれだけの不安と恐怖を抱えていたか。

 その中で結晶病で亡くなっていった人たちに罪悪感を感じていた。

 想像もできないほどの重さの想いをその胸に秘めていたのだ。

 そのことに気づけなかった俺は自分の情けなさと、死のうと思うなんて口にした梨花への苛立ちからぐいっと強く、梨花の頭を抱きしめた。


 「ごめんな、お前がそんなに思い悩んでいたことを考えてやれてなかった。俺、あんなに守るって言ってたのに、お前の悩みにさえ気づけなくてっ!」


 「お兄ちゃんは何も悪くないよっ」


 「梨花……。あの人は、願ってたよ。最期まで俺たちの幸せを、願ってた。だから死ぬなんて言うなっ。お、お前が死んだら、俺はどうすればいいんだよっ?『吸血鬼の血』盗もうとすんの、めちゃくちゃ大変だったんだぞ?俺の頑張り無駄になっちまうじゃねえか。自分から死のうとするなんて、俺絶対許さねえからな!」


 ぎゅうっときつく抱きしめて、離さない。

 もう絶対離さない。

 梨花が自分の命を粗末に扱うことには以前から気づいていた。

 でもまさか、これほどとは。

 優しさから、一途さから、梨花は簡単に自分の命を諦めてしまえるのだ。

 嗚咽が泣き声に変わると、大広間で遊んでいた子供たちがなになにどうしたの?と声を上げ始めた。

 リカ、どこかいたいの?サクラに泣かされたの?

 椅子に駆け寄ってくるガキたちの頭を撫でながら、泣き顔を見られないように慌てて目元をぬぐう梨花。

 違うの、お兄ちゃんは悪くないの。

 大丈夫だから、ありがとうね。

 何故だか一緒になって泣き出してしまったガキたちにあわあわと困りながら梨花と俺はガキたちをあやす。

 こらこらなんて、院長先生も困っていた。




 ✞




 「早く帰って来いよー!」

 「またねー!」


 翌日。

 ガキたちに見送られて、俺と梨花は深光院を後にした。

 昨日はずっとガキたちと遊んだり、深光院の子供たちとお話をしたりして、久しぶりに心安らぐ時間を過ごせた。

 ずーっと笑いっぱなしで、表情筋がつりそうだけどな。


 「せっかくこっちまで来たし、俺たちが昔住んでたとこ見てみるか?」


 朝ごはんも食べて膨れた腹をさすって聞くと梨花はうん、と頷いた。

 確か東京の池袋にあるマンションの一室だったはずだ。

 とりあえず電車に乗ろうとすっかり十年前と様変わりしているエリア東京の街を見渡していると、お兄ちゃん、と梨花の強い声が俺を呼んだ。

 いつもは天使のように愛らしい声が強く芯のこもった響きを持っていることにどうしたのかと見ると、梨花の迷いない瞳が俺を射抜いた。

 青い三つ編みが風に揺れる。


 「どした?」


 「昨日は死にたいとか、馬鹿なこと言ってごめんなさい。私、自分の命は自分だけのものだと思ってた。だから無茶も平気でできたし、死を覚悟することもできたの」


 突然の告白に俺は真剣に耳を傾ける。


 「でも昨日、院長先生とお兄ちゃん言われて分かったの。私の命は私だけのモノじゃなくて、私が生きることを望んでくれる人全てのモノなんだね。その人のために私は簡単に自分の命を投げ出しちゃ駄目だったんだ」


 「梨花」


 「お兄ちゃん昔から言ってたよね。守りたいモノの為に全てを壊すことができる想いなんて嘘だって。私、お兄ちゃんを守るためなら自分がどうなってもいいんだって思ってた。でもそんなことしたって、お兄ちゃんを傷つけるだけなんだよね。蓮さんにもね、生きなさい、自分の命を諦めないでって言われたの。何を言っているんだろう、て思ってたけどやっと分かった。私が信じていたやり方じゃ、誰も守れないんだって。誰かを傷つけるだけなんだって」


 そうだよ、梨花。

 何かを誰かを守るために自分の命を犠牲にできる奴は確かに凄いのかもしれない。

 けれどその行為は残された者を、助けられて生き残った者を傷つけるだけなんだよ。

 例え命を助けられても、その人の心は救えない。


 「だから私もう死ぬなんて言わない!戦って戦って、結晶病も、完治法を諦めずに探し続けるよ!」


 生きるよ、と梨花は桜色に上気した頬で叫んだ。


 「梨花ッ!」


 細いその体を抱きしめる。

 嬉しかった。

 昨日、梨花が死ぬと言い出した時、冷たい手で心臓を握りしめられたみたいに絶望した。

 だから梨花が生きると言ってくれて、諦めないと言ってくれて、安心して、嬉しくて、抱きしめた。


 「ああ、ああっ。戦おう、最後まで、諦めずに」


 「うん……っ」


  雑踏の中心で、俺と梨花は抱きしめ合い誓い合った。






【花言葉】

 エーデルワイス  大胆不敵

 ハハコグサ    いつも想う

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