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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
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Ⅷ.アマリリス・ウィステリア・ソルキルティス

 


「―――その計画にアマリリス。あなたたちにも協力してほしいの」


 全ての言葉を締めくくると撫子さんは本題を切り出した。

赤い瞳がアマリリスをとらえる。

耳が痛い静寂が場を支配していた。

 ライラックはアマリリスの意向に全て従うというように傍らに立ち続け、呼吸以外はかすかの身じろぎさえしない。

アマリリスはというと、何を考えているのか分からないくらい、撫子さんの話に無反応だった。

 本当に話を聞いていたのか?

 初めて見る自我を保ったままの混血の吸血鬼に、どうやら俺は緊張しているらしいと悟る。

 見た目は人間と変わらない。

そりゃそうか、彼らもかつては人間だったのだから。

 だが今相対しているアマリリスは、やはりどこか人間とは違う。

どこがどう違うのかは説明できないが、しいて言えば空気感、だろうか。

 身にまとう空気は人間とは違い、停滞している。

それは成長が止まり、人間から吸血鬼へと変質してしまったから、なのだろう。

 純血よりも混血と会う方が緊張する、なんて笑われてしまうな。

 でも、目の前のこいつらは、棗たち純血を憎んでいる種なのだ。

どんな話し合いになるのか。

緊張するなという方が、土台無理な話だ。

 重い沈黙ののち、空を裂く、鋭い言葉が放たれた。


「……断る」


 甘い甘い、ベビーヴォイス。

 それが告げる、無慈悲な拒絶。


「どうして――……」


 声が出る。

 なんで。

 断られる可能性もあった。

けれど俺はアマリリスが穏便派だと聞いて無自覚に協力してくれる、してくれるに決まっている、と考えていたのだ。

 融通が利かない、とも聞いていたのに。

 自分でも驚くくらい、そのことに俺は気づいていなかった。

 動揺する俺には目もくれず、アマリリスは撫子さんだけを見据える。


「理由を聞いてもいいかしら」


「……傷つけたくない」


 その一言で、撫子さんにはすべてが氷解したらしかった。

 そう。

 呟いて、俺と朝霧を見る。


「帰りましょう。話はすんだわ」


「うむ、そのようだな」


「ちょ、ちょっと待てよ。んなあっさり……」


 朝霧にもアマリリスの言葉の意味は理解できたようで。

 けれど俺には三人の間で何がやり取りされたのか、全く想像できなかった。

 意味が分からない。

 どうしてそんなあっさり諦めちまうんだよ?

 食い下がる俺を目で制すると、撫子さんは引き戸に手をかけ、肩口だけで奥の二人を見た。


「アマリリス。……、つらいことを思い出させて、ごめんなさい」


 撫子さんの瞳を、痛みと懊悩と、そして罪悪感が支配していた。

 その感情を目の当たりにして、ハッとする。

 アマリリスは傷つけたくない、と言った。

 誰を?

 それは、今も彼女の隣にいる、ライラックのことではないか?

 撫子さんと朝霧はすでに引き戸を開け、隣の部屋に入っていた。

 が、俺は二人に背を向け、アマリリスに向かい合っていた。

 棗の計画に協力するということは危険が伴うことだ。

 その危険から、仲間を守りたいその気持ちは至極当然のことで。

 でも、でもさ。


「アマリリス、あんたが仲間を傷つけたくないって思うのは当たり前だよ。でも、そうやって戦いから逃げて、どうすんだ?」


 ああ―――。

 俺だって、同じ立場ならそうするよ。

 梨花を巻き込むわけにはいかないって、思うよ。

 けれど。

 知ってしまったんだ。

 自分の気持ちなんて、想いなんて関係ない。

 ただ皆を守りたい。

 その為に危険を顧みずに進み続ける馬鹿がいることを。

 挙句の果てにその守りたい奴らからは臆病者だと憎まれて、それでも守りたいんだと泣きながら訴える優しいあいつの想いを。

 知ってしまったから。


「俺たちは政府を乗っ取る。それに失敗する気はさらさらねえけど、それでも失敗しちまった時、あんたたち世界中の吸血鬼は今度こそ根絶やしだ。その時にはあんたたちだって、戦わなくちゃいけないんだぞ?いつまでも逃げ続けられるわけないだろ。その時は、どうするつもりだ?」


「……逃げ続ける。殺されるその瞬間まで」


 彼女の緋色の瞳は死んでいた。

 抗う意志も、生きる意志さえもない瞳。

 彼女は惰性でこの世を生きている。

 気づいた瞬間、ブツン、と俺の中で何かが切れた。


「俺も、棗も、みんな戦う。絶対にこの計画を成功させる。棗は今も諦めちゃいない。俺たちは人間と吸血鬼が、互いに傷つけあわなくてもいい世界を作るために戦う。だからあんたも、諦めんなよ!逃げ続ける生き方を受け入れたって、本当に大事なモンは守れねえぞ!」


 諦めるなよ。

 まだできることはある。

 最後まであがいてあがいて、それでもだめならしょうがないかってあきらめもつくけどさ。

 でもまだあがける!

 勝手に諦めて、土俵に上がってすらいない。

 怒りがわいてくる。

 十年前、戦火に包まれた街で梨花と二人、母さんを待っていた。

 爆発に人々が吹き飛ばされ、瓦礫に押しつぶされ、飢餓に飢えゆく人々を、目の前で、嫌になるくらい見てきた。

 みんな生きたいと望んでいた。

 死にたくないと、足掻いていた。

 なのに、目の前のこの少女は。

 十年前に彼女に何があったのかはわからない。

 もがいてもがいて、そして諦めることを決めたのかもしれない。

 それでも!

 今を生きている奴が、生きることを、諦めるな。

 喉に熱がこみ上げる。

 ああ、もう。

 叫んでから心の中で悪態をつく。

 だから俺、説得役には向いてないって言ったのに。

 棗の好意に気づいて、十年前の真実を知って。

 痛みを、喪失を、明かさなければ分かり合えない想いを、憎しみを、途方もない悲しみを知って。

 自分じゃどうにもならない現実せかいを。

 一人で頑張る棗とともに。

 変えたいと思ったんだ。

 何かを成したいと、初めて思ったんだ。

 顔を真っ赤にして訴える俺を湖面のように動かない瞳でアマリリスは見つめている。


「……青いな、小僧」


「うっ」


 駄々をこねる子供じみた真似をしている自覚はある。

 羞恥が頬を駆け上がった。

 目を眇める。


「……貴様に、十年前私たちが味わった地獄が想像できるか?」


「……っ」


「……青二才が、粋がるな。―――失せろ」


 透明な氷に亀裂が走るような鋭利な声。

 言葉少なな中に、絶望するほどの諦観。

 アマリリスは疲れ切った視線を俺に向けていた。

 俺の生意気な発言に怒りを感じるのもおっくうなように。

 その諦めきった瞳に揺らめく哀しみが分かって、俺はもう、何も言えなくなってしまう。

 届かない。

 俺の言葉は、彼女に届かない。

 どれだけの絶望を知ればこんな、死んだ瞳になるのか。

 悔しい。

 自分の言葉が彼女に届かないことが、彼女に届ける言葉がないほど俺自身が世界を知らないことが。

 何よりも、彼女が全く生きたいと思っていないことが。

 こんなに自分を悔しいと思うのは初めてで。

 悔しさに言葉が出ないのも、初めてだった。

 そのまま何も言わずに背を向けようとして思いとどまる。

 失せろなんて言われてすごすご帰るようじゃ、だめだ。

 何度か息をのみこみ、伝えたい言葉を探す。


「俺は絶対に諦めないからな。―――だからあんたも、最後まで足掻けよ」


 アマリリスの表情に変化はなかった。

 もっと、いろんなことを俺は知らなくちゃいけない。

 俺の言葉が、彼らにとって綺麗事にならないように。

 開いた扉の向こう側で待っていてくれた二人に待たせたな、と声をかける。

 話は終わった、その意図に朝霧は苦笑し、撫子さんは奥の二人に目をくれた。


「……それじゃあ、アマリリス、ライラック、お邪魔したわね」


「玄関まで見送ろう」


「あら、ありがとう」


 アマリリスの傍らからライラックが動く。

 彼が俺たちに近づき先立って歩くのを、アマリリスの無言の瞳が追いかけたが、彼女は何も言わなかった。

 玄関で靴を履いていると、


「正直言って、私は貴殿たちを助けたい。しかし、私は生涯をあの子に捧げると誓っている。申し訳ないが、貴殿たちの役には立てそうにない。―――せめて貴殿たちが無事に事を成せるよう、願っている」


 申し訳なさげにその大きな巨体をすぼめている。

 言葉通り切実に、彼の表情は俺たちの成功を願ってくれているみたいだ。


「貴方が気に病むことはないわ。でも心遣いは嬉しいわ、ありがとう」


 靴を履き終えた撫子さんと朝霧は先に外に出る。

 後に続こうとした俺をライラックが呼び止めた。


「桜、といったな」


「?ああ」


「先程はありがとう。見ての通りアマリリスは今、ナーバスになっている。君が今日口にしたこと、アマ

 リリスにはいい刺激になったと思う。感謝する」


「いや、生意気なこと言っちまったし、俺はアマリリスのこと傷つけただけだろ」


「そうだな。しかしどんなことでも、感情を感じるのはいい傾向だ。君とは今度、ゆっくり話がしたい」


 厳しく細い黄土の瞳が笑みを形作る。

 初めて会った時は興味もなさげだったのに。

 友好的な雰囲気に、俺の言葉を少しでも受け止めてくれたのかと嬉しくなって。


「俺も、あんたたちのこともっと知りたい。……またな、ライラック」


 片手を上げて再会を誓った。



 ✞




 駅まで歩きながら、撫子さんと朝霧は俺にいろいろと説明してくれた。

 多分、あんなにあっさり話し合いに片が付いたことに俺が疑問を感じていると察したからだろう。


 「アマリリスは五百年前に我が創った最初で最後の眷属なのだ」


 「……ケンゾクって、なんだ?」


 意味不明の単語に目を丸くする俺に朝霧は知らぬのも当然だろうな、と笑った。


 「眷属とは、我ら純血のみが創れるいわば自分のしもべのようなものだ。我らは契約とともに強い絆で結びつき、その絆は離れていても互いの居場所が分かるほど。特に、相手の危機には非常に強い思念で繋がる」


 「眷属は、わたくしたち純血にしか創れないわ。お互いの血を少量でも、交換し合えばいいの。とても簡単よ」


 「じゃあ、撫子さんにも、その、眷属っているのか?」


 俺の当然の疑問に、撫子さんはゆったりとかぶりを振る。


 「いいえ。眷属を持っているのは朝霧だけよ。初めて朝霧が眷属を、アマリリスを創った時、わたくしたちは二度と眷属を創らないと誓ったの」


 「……?なんで」


 自分の僕を持てるのだ。

 一人くらいいた方が何かと便利なんじゃねえのか?

 きょとんとしていると、朝霧がくしゃっと顔を歪めた。


 「元は人間だったアマリリスを我は吸血鬼にしたのだ。……彼女の絶望は、当時の我らにはどうすることもできなんだ」


 「あ……」


 アマリリスは、元人間だったのか。

 なら、二度と人間の体に戻れないと知った彼女は、その悲嘆は、確かに吸血鬼の朝霧達にはどうしようもない。


 「アマリリスは今から五百年前、不幸を煮詰めたような絶望の淵におった。死にたいと懇願したあやつに、別の人生を与えたくて、我はあやつを眷属とし、吸血鬼の生を与えたのだ。初めは喜んでおった。人外の力―――ましてや純血の眷属としての力は、混血よりはるかに強い。その力と、人でなくなった自分にアマリリスはたいそう喜んだよ。しかし、数年が過ぎても成長しない自分の体に、気づいてしまったのだ」


 より一層、朝霧は顔を歪めて、その言葉を口にした。


 「このままあと何年、自分は生き続けるのかと」


 吸血鬼は不老不死だ。

 致命傷でもたちまち治癒し、体も成長しない。

 半鬼である俺にもいずれ、成長がとまる時が来るだろう。

 傷がひとりでに治った時、周りの人間に奇異な目で見られたことは、今でも心の傷だ。


 「アマリリスはもともと死にたいと願っておった。だからあやつは、不死の体になってしまったことに絶望し、幾度も幾度も自殺を図り、それも叶わないことに懊悩し、やがて諦めた。我らを憎むこともできたのに、それもせず、あやつは生きる人形として生きることを選んだのだ」


 やがて近しい人も死に、自分だけがこの世界に取り残される。

 それでも死ぬことは叶わず、終わりのない生を生きるしかない。

 それが、吸血鬼。吸血鬼の生。

 朝霧を、撫子さんを見る。

 彼らは何百、何千年と生きてきたのだ。

 膨大で終わりのない時間に狂うことなく、生きてきた。

 俺も、そうなるのかな。

 半分吸血鬼である俺の寿命が人間と同じなのか、それとも吸血鬼と同じなのか分からない。

 けれど、もし、俺も吸血鬼と同じく不老不死ならば、俺も生きるのだろうか。

 無限の生を。


 「だから、撫子さんたちは、眷属を創らないと決めたのか」


 「そうよ。もう二度と、アマリリスのような子を創りたくなかったの」


 生き続けた俺の隣に、梨花はいなくなる。

 年を重ねていく梨花の横で、俺は若いまま。

 い、いや、だ。

 梨花のいない世界で生きていたって、なんの意味もない。

 怖いくて、悲しくて。

 激情に飲まれそうになるが、俺は自分の肩を抱いて気持ちを落ち着かせようとする。

 落ち着け、落ち着け。

 大丈夫だ、まだ俺が不老不死と決まったわけじゃない。

 それにもし俺が不老不死であっても、すぐ梨花と別れが来るわけじゃない。

 まだ、大丈夫だ、今すぐ焦ることじゃない。

 例え問題の先延ばしだとしても、今狂ってしまうわけにはいかない。

 そんなことには意味がない。

 様子の急変した俺の背中をなぞりながら、朝霧はふと優しく微笑んだ。


 「だが三十五年前、アマリリスは、ライラックと出会い、変わった。五百年間変わらなかったあやつは変わったのだ」


 顔を上げると、薄黄色の輝く瞳と出会った。


 「当時ライラックは五歳だったそうだ。あやつはライラックと何十年も寄り添い生き、よく笑うようになった。人として、生き直しているようであった」


 冷たい諦観の仮面を張り付けたアマリリスが浮かぶ。

 ライラックの、斜めに刻まれた凄惨な傷跡も。

 傷つけたくないと言った、アマリリスの本心。


 「本当に、幸せそうであった……。十年前、『吸血鬼狩り』が起きるまではな」


 また、『吸血鬼狩り』。

 十年前に起こった戦争は、一体どれだけのものを引き裂いていったのか。


 「あやつは幸せを見ても、何度もそれに裏切られ絶望してきた。もう足掻くことにも疲れきっているのだよ」


 静かに朝霧は言った。

 そんな彼女に、俺は諦めるなと言ったのだ。

 それはなんて無知な子供が口にした言葉だったろう。

 俺にはアマリリスに生きてくれと言う、資格も権利もない。

 けれど願うのはいいはずだ。

 せめて悲しく冷たい瞳をした彼女と、あの堅実な彼が二度と引き裂かれることないようにと。





 十四時頃。

 K機関支部に戻った俺達はその足で、棗に事の旨を報告しに来ていた。

 相変わらず社長室は工事中。

 よって現在ここはあの無機質な薔薇の部屋であった。

 薔薇はベッドに横たわり呑気に昼寝中である。

 全裸で。

 ……。

 もはやこいつの異常性については何も言うまい。

 一応下半身にはうっすいシートがかけられている(ぶっちゃけ形が丸見えで意味はないけどな)。

 恐らく棗がかけてあげたのだろう。

 優しいな、棗。

 棗はというと、どうやら食事中のようで輸血パックからチューチューよろしく血を接収していた。

 撫子さんと朝霧から交互に結果を報告する。

 俺が勝手にアマリリスに訴えかけたところでは非常に愉快気に笑った。


 「うん、しょうがないね。分かったよ、三人ともありがとね」


 話を全て聞き終わると困ったような、残念そうな、複雑な顔をした。

 目線を俺に移す。


 「桜も、いい経験になってよかったね」


 複雑そうな顔から一転、アマリリスもライラックもいい子だから~なんて、語尾にキラッと星でもつきそうなテンションだ。

 おうともああとも濁しながら応える。

 しばらく談笑した後、飲み干した輸血パックをゴミ箱に捨て、棗は軽々とベットから飛び降りた。

 どうするのかと思っていると、いきなり撫子さんの手を握る。


 「じゃあ、用事も済んだし。遅くなったけれど撫子。いこっか」


 「……え?」


 撫子さんが、呆けた声で聞き返す。

 かつて見たことのないほど、目を大きく見開いて。

 その撫子さんの様子にきょとん、とまた棗も不思議そうにする。


 「え、あれ?今日、一緒に出掛ける約束だったよね?」


 違った?

 聞き返す棗にいいえ、とうわずった声を返す撫子さん。

 予期せね言葉に、心底驚いているのがこちらにまで伝わってくる。

 撫子さん、よかったな……!

 思わず俺は感極まってしまう。

 撫子さんの反応が遅れる。

 見る見るうちに大人の色香にじむ撫子さんの瞳が潤み、頬が真っ赤に染まる。


 「いいえっ、棗様っ」


 溢れんばかりの喜びで応えた撫子さんは少女のように、幸せそうに笑っていた。







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