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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
23/27

Ⅵ.貴女と交わす約束-ねがい-



「私も参加させてください!!!」


屋上の扉を勢いよく開いて飛び込むように躍り出た梨花は、俺の姿を認めるとその場に凍りついた。


「梨花!」


「お兄ちゃん……!?」


先程までの勢いはどこへやら、梨花はそう叫ぶと両手で頬を覆って赤面した。

 お互いの気配を辿れる純血の薔薇は、付近まで来るとこの場に俺もいることに気づいていただろうが、あえてその事実を黙殺していた。

結果、梨花は兄に隠したかった本性を垣間見せてしまい、棗に殴り込みにきた妹になってしまったのだ。

 可愛い妹の乱入に目を白黒させる桜。

 敬愛する兄にはしたない姿を見られ、しゃがみこみ恥ずかしさに悶絶する梨花。

梨花の後ろから顔をのぞかせた薔薇が腹をよじって爆笑していたのはまた、別の話。



会いたかった。

声を聞きたかった。

息をし、動き、生きていると、確かめたかった。

この目で。

梨花が生きていると。


  「り、梨花……。さっきの言葉はどういうことなんだ?そんなに動いて、か、体はなんともないのか?」


 枯れ葉のように乾きよれよれの声は、我ながら情けない。

走ってきたのか、梨花は少し息切れしながら、火照った頬をほころばせた。


 「うん、私は大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 それからもう一度、顔を引き締める。

 ビックリしたまま固まっている棗に向き直り、


「棗さん、ですよね?母のこと、棗さんの計画のこと、薔薇さんから聞きました。私も計画に協力させてください」


「梨花!?お前にそんなこと……」


 させられない。

続けようとした言葉をしかし、梨花本人が、


 「お兄ちゃん、私も…私だって、お母さんを助けたいの」


 はねのけてしまった。

 俺と同じ想い。

 決意。

 意志。

 梨花を止めるということは、それらを踏み躙るのと同じこと。

 なにも言えなくて、俺はただ、もごもごと口を動かすだけ。

 棗はチラリと一度、薔薇を見た。

 薔薇は肩をすくめると、いつものムカつく笑みを浮かべた。

 一度大きくため息をつくと、棗は梨花の群青の瞳を見つめ返す。


 「桜がいいなら、ボクはかまわないよ」


 「ありがとうございます!」


  可愛らしくお辞儀をする梨花。


 「お、おい、棗!」


俺は慌てて抗議の声あげた。

 棗なら断ってくれると思っていたのに。

 だが、棗が口を開く前に梨花が凄い勢いで振り返ってきた。


 「お兄ちゃん、お母さんは、私のお母さんでもあるんだよ?お兄ちゃんだけじゃなくて私も、お母さんを助けにいきたい、戦えなくてもせめて協力したい気持ち、分かって……」


泣きそうに潤んだ瞳に、俺は喉に声を詰まらせてしまう。

 傍らの朝霧に目線で助けを求めたが、何故かいい笑顔を返されてしまった。

多分、俺の真意は伝わらなかったのだろう。

 このやろう。

 梨花が棗の計画に加わること。

 そんな危ないこと許せるわけがないのに、梨花に泣きそうな顔で懇願されると、断りきれない。

 けれど、危険すぎるこの計画に梨花を参加させることはできない。

 したくない。

 大切だから守りたい。

 大事だから頼みを聞いてやりたい。

 複雑な兄心をどう言葉にすればいいのかと迷い、頭をかいていると、


 「計画の内容については梔子と練り直してから、みんなに伝えるよ。それまではゆっくりしてて」


 優しく微笑んで棗が言った。

 おいおい、闘いの前にゆっくりもなにもねえだろうが。

 そんなに呑気でいいのかよと言いたいのをおさえて、俺と梨花、朝霧は屋上を後にした。

 梨花に計画をぺろっと話した薔薇は棗に手招きをされ、釘を刺されていた。


 「あんなに計画のことは他言無用だって言ったのに。まったく、次からは気をつけてよねー」


 そんな言葉を背後に聞きながら屋上の扉を後ろ手に閉める。

 なんて軽い説教だ。



 ✞




 ゆっくりしていろと言われても困る。

 どこか遠慮がちに俺の手を握る梨花をとりあえず、俺の部屋につれてきたのはいいが……。

 少しの気まずさに頭をかく。


 「悪いな、こんななんもねーとこにつれてきちまって」


 むき出しの灰色コンクリートの壁に、いかにも固そうなベッド。

 それに、ちょっと、汗臭いかも、しれない。

 この部屋の内装は可愛い梨花には不釣り合いだ。

 なんで俺はこんな部屋に招待しちまったんだ。


 「撫子さんの部屋のほうがいいか」


  振りかえって、頭一つぶん低い梨花に呼びかける。

 すると、どしん、と強い衝撃が腰に直撃した。


 「り……」


「……っ、本当のことなんだよね?お母さんは生きてるんだよね、みんなはっ……。それで、お父さんは……っ」


 俺の胸元に顔を埋め、震えた声で尋ねる梨花に、俺ははっと、胸を抉られた。

 そうだ。

 梨花は棗たちとは今まで面識がなかった。

 純血の吸血鬼に会うこと自体初めてなんだ。

 俺のように、十年前の真相にすぐには気持ちの整理ができるわけがないのだ。

 その胸のうちに荒れ狂っているのは、怒りか、憎しみか、悲しみか。

心のなかで梨花に真実をばらしやがった薔薇にくそ、と毒づく。

 隠したかった。知られたくなかった。

 けれど、けれど。


 「……こんな形で知らせちまって、本当に、ごめんな」


 いつかは話さなくてはならないとも、思っていたんだ。


「こんな大事なこと、他の誰でもない、俺自身の口から伝えるべきだったのに」


 くそ、くそ、くそ。

 悔やんでも、時間は戻りはしない。

 どれ程願っても、迷ったぶんだけ、時間の取り返しはつかない。


 「あ、謝らないで、お兄ちゃん。確かにお兄ちゃんからちゃんと聞きたかったけど、私はどんな形でも、知れてよかったから。後悔、してないから」


「梨花……」


 その細い肩を抱きしめる。

 すると、梨花は感情が溢れだしたかのように、泣き声をあげた。


 「私はお兄ちゃんを、お母さんを助けるために、棗さんたちの計画に協力する。でも私はまだ、孤児院を壊して、お兄ちゃんを傷つけた棗さんたちを、許せないっ。……お兄ちゃんを見てたら優しい人達だって分かってるけど、今はまだ許せないのっ。ごめんなさいお兄ちゃん!もう、会えないかと思った!会いたかったっっ……」


  「っ……」


  言葉が。

  梨花にかけられる言葉を俺は何一つ持っていやしなかった。

  梨花の体をいっそう強く引きしめ、陽の匂いのする髪に顔を埋めた。

  俺が棗に噛まれて呻く声を聞いて、すごく不安だっただろう。

  その後も俺に会えなくて、一人で強がっていたに違いない。

  会いたかったと泣く梨花を、俺はただ安心させたくて抱きしめていた。

  共に寄り添い、再会を静かに泣きながら喜ぶ俺たち兄妹を、朝霧は壁に寄りかかり微笑んで見つめていた。



 ✞




  まだ日は完全にはのぼっていない。

  窓から差し込む光はなく、薄いカーテンを開く向こう側に広がっているのは薄曇が垂れた灰色の世界。

  暗闇の中、枕元に置いた目覚まし時計が発する緑色の光は5時半を伝えていた。

  はて。

  蓮は首をかしげる。

  アラームは6時に設定してある。

  何故自分は三十分も早く目が覚めたのか。

  何か、音がしたような気もしたが。

  考えていると、コンコン、と、控えめなノックの音が耳に届いた。

 ようやく合点がいく。

  自分はこの音で起きたのだ、と。


 「はい、どなたですか?」


  壁にかけた鏡で寝起き姿を整える。

 しわひとつないシャツの下に走る無数の傷。

  嫌でも視界に入るそれを、シャツの前をかきあわせて隠すと、部屋の電気をつけ、扉を開く。

 こんな時間に尋ねてくる酔狂な知り合いを持った覚えはないのだが。

 しかし、扉の向こうには誰もいなかった。


「……あの、すいません、朝早くに」


 いや、頭二つ分ほど下に視線を下げると、


「梨花ちゃん?」


 いた。

申し訳なさそうに立つ、桜が愛してやまない妹である梨花が。

いつもは三編みにしている青の髪は、今は結ばれていない。

蓮は予想外の訪問客に面食らった。

面識は、ある。

桜と一緒に何度か孤児院を訪れたことがあるからだ。

 友人として訪れた孤児院で、梨花はよく、桜には気づかれないように、彼の仕事での様子を自分に尋ねてきたものだ。

無理はしていないか、危険なことはしていないか、(おとず)れるたび、何度も。

 昨日、薔薇に事情を全て明かされ、その上で棗の計画への参加を望んだらしいと梔子から聞かされていた。

 その話が事実なのか判断できずにいたが、彼女の願いが叶うことはないだろう。

 そんなことはあの過保護な桜が許すはずがないからだ。

 だから、梨花の次の言葉に反応が遅れた。


「私に戦い方を教えてください」


「……」


本気ですか、ともらしそうになった言葉を慌てて飲み込む。

聞かなくても分かる。

彼女は本気だ。

群青の瞳はいかなる反論もねじり伏せる、と言っている。

 これは説き伏せるのに骨が折れそうだ。

 ため息を吐くと、蓮は扉を後ろ手に閉め、廊下に出た。


「三つ、お尋ねしたいことがあります」


 真剣な目をした彼女としっかり向き合う。


「どうやってここまで来たのですか?社員証を所持していない貴女がここまで入ってこれるはずがありません」


 尋ねると、梨花は目に見えて狼狽した。

 しばらく言いにくそうにしていたが口元にそっと手を添えて、内緒話をするように。


「寝ているお兄ちゃんのポケットから、拝借しました」


 反射的に額を軽く押さえる。ため息が出た。

K機関の社員証を、こんなに簡単に盗まれる杜撰な管理をしているなど。

桜の間抜けさに呆れてしまう。


 「それ、後で必ず桜くんに返してくださいね」


 蓮のうんざりとした声音に梨花は歯切れよく応じた。

 額に落ちる一筋の髪を優雅にかきあげると、蓮は目をすがめた。


 「何故、僕なのですか?稽古をつけてくれる相手なら他にもいるでしょう」


 言ってから考える。

  桜……は無理だ。そもそも梨花が戦うことに賛成するはずがない。

 撫子さん、も、無理か。

 撫子さんたちは吸血鬼、初対面のうえにまだ彼女の中では桜のことでわだかまりが解けてないはずだ。

 では、梔子……はそもそも面識がない。

 となると。


 「消去法……ですか」


溜め息とともに静かに告げると、梨花はえっ、と言葉をつまらせた。

 おや、この反応は予想外ですね。


「違います。あの、薔薇さんから、お兄ちゃんと私をK機関から逃がそうとしてくれたのは朝霧さんと蓮さんと、梔子さんだと聞きました。私は、自分の身を省みず、お兄ちゃんを助けてくれたお三方が、このK機関の中で信頼できる人だと思ったんです」


誰が敵で、誰が味方なのか。

 疑心暗鬼の中で信頼できる人間を作り出すことは、自分の生存率をあげることに必要不可欠だ。

 しかし、兄を助けた、というだけでこれほど他人を信じることができる彼女は、まだ甘い。

世の中、信用を得るためにわざと窮地を救うような人間もいる。

 だというのに、たったそれだけの理由で簡単に僕を信じる彼女は、なんて甘いのだろう。


 「でも」


「?」


「朝霧さんは戦闘に関しては自分には教えられることがないと言われて断られましたし、梔子さんは戦闘要員ではないということでしたので」


「……一応、納得しておきます」


 なるほど。

 思ったより、現実的な思考で判断できる娘のようですね。


 「それでは、最後に。戦う術すべを持って、貴方は何を成したいのですか?」


「私は、兄を守りたい。今のまま、弱い私じゃ足手まといにしかならないから。そんなのは嫌なんです。もう二度と兄には傷ついてほしくない。守られるだけじゃない、守れる私になりたいんです。何をしても、例え私が死んでも、兄を守れる私に、なりたいんです」


 「……ッ」


 五、十秒、時が止まった。

 そう、感じた。

胸に、熱くて重い塊が込み上げる。

言い知れない気持ち悪さ。

 その勢いのままに、蓮は顔にかかる髪を払う。


「駄目ですね」


「それは私が子供だからですか?」


簡単に許可がおりるとは端から思っていなかったのだろう。

 間髪入れずに鋭く尖った言葉が返ってくる。

 その顔を蓮は真正面から受け止め、鋭く見つめる。

 この、胸中に広がる泥のようなモノはおそらく、切望だ。


「違います。自分の命を投げ出す貴方の根性が気に入らないからです。自分の命を守ろうとしない者に、他の誰の命も守れません。桜くんに、そう教わりませんでしたか?彼が、貴女の自己犠牲など許すはずがありません」


梨花は、初めて触れた言葉のように頬を強張らせ、


「でも、もし、私とお兄ちゃん、どちらかしか生き残れない状況になったら……」


「自分と桜くん、両方を選べる人間になりなさい。今すぐじゃなくていい。最後に必ず、自分の命を望む人間になりなさい」


 梨花の、自分は死んでも桜を守るという、その精神は他者から見れば素晴らしいのかもしれない。

 なんて美しい、成人君主のような気高き魂なのだろうかと。

 くだらない。

  僕は、僕のエゴの為に。

  桜くんの妹だから、とか。

  説教、とか、教え諭さなければ、とか。

 どうでもいい、そんな指導者のような大人な感情じゃない。

 ただ、ただ、ただ、


  死なないでほしい。


  足をなくしても、腕をなくしても、指を、声を、視力をなくしても、生きてほしい。

  生きることを望んでほしい。

  足掻いてほしい。

  改めて、先ほどの蓮の言葉に悩んでいる梨花を見つめる。

  妹と、梨花を、これまでどれだけ重ねてきただろう。

  妹の面影を見て、彼女の中に妹を探してきた。


「貴方が子供だからこういうことを言っているんじゃありません。わかりますね?」


「はい」


「よろしい。ならば、約束してください。これから先、何があっても、生きると。例え誰かの命と自分の命を天秤にかける時があっても、最後の最後まで生きることを諦めないでください。そうして足掻けば、二つの命が生きられる未来があるかもしれません。そういう選択があることを、最初から決めつけて、閉ざしてしまわないでください」


「……それは、戦い方を教わるための条件、ですか?」


 眉間に皺を寄せ、お世辞にも可愛いとは言いがたい顔で問う梨花に、一気に張りつめていた糸が切れた。

 真剣な話し合いをしていたというのにこの子は。

 思わず笑いがこぼれて、


「な、何故笑うんですか?私は真剣です!」


「っ、ははっ、すみませ、ふっ、はははははははっ」


 心外だと頬を膨らます梨花は変顔にますます磨きがかかる。

 笑いすぎて涙まで浮かんできた。

 だめだ、予想以上に桜くんの家系は面白いですね。

 目尻にたまった涙を指先で拭う。

 やがて意を決したのか、梨花は蓮を睨みつけた。


 「条件には、従います。私はこの先絶対に自分の命を粗末に扱いません。だから蓮さんも私に生き延びるための方法を教えてください。手加減なしで厳しく、限界までお願いします」


 「その反抗的な態度からだと、本当に従ってくれるのか甚だ疑問ですね」


「私は約束したことは絶対に破りません。嘘は嫌いですから」


  一点の曇りもなく己を貫く瞳。


「分かりました、信じましょう。今からでいいなら、早速稽古をつけてあげられますよ。動きやすい服に着替えてきてください……そうそう、僕はスパルタですからね。泣き言を言っても終わりませんよ」


  茶目っ気たっぷりに微笑む。

  梨花は望むところだと言わんばかりに表情を引き締めた。


 「よろしくお願いします!」


  あまりに潔い決意と熱意。

  その真っ直ぐさがひどく息苦しくて。

  だから僕は柄にもなく、意地悪をしたくなったのでしょうね。

  自分の部屋に戻ろうと社員証をスキャンする手を止め、振り返る。


  「そうそう、言い忘れていました」


  不思議そうに廊下の途中で振り返る梨花。


  「確かに貴女に稽古をつけることには承諾しましたけれど、僕は貴女が戦闘に参加すること、本当は嫌ですからね」


  とても、とても。

  その蓮の言葉に梨花は意味の分からない言葉を聞いたようにぽかんとし、それから背を向けた。









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