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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
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Ⅳ.選択

 


 梔子と別れてエレベーターで撫子さんの部屋がある四十九階まで上がる。

 最後に梨花と言葉を交わしたのは三日前。

 その間にいろんなことがありすぎて、感覚的にはもう長い間会っていない気がする。

 胸に、巣くう不安が消えなくて。

 ちゃんと梨花が生きて、元気でいることを実感したい。

 今は大丈夫なんだと。

 俺の目に焼き付けて、認識させてくれ。

 けれど俺の願いもむなしく、撫子さんの部屋を訪たずねると、どうやら撫子さん自身が留守のようで、二、三回強めにノックを続けたが、扉を開ける人はいなかった。

 仕方がない。

 流石に主人の留守中に勝手に部屋に入るほど非常識な人間ではないので、後ろ髪をひかれながら、俺は食堂へ向かった。

 先程の血なまぐさい事件で、すっかり食べるタイミングを逸していた昼食を済ませるつもりで。

 半鬼である俺は人間同様、食べ物から栄養を摂取できるので、あまり血を飲むことを必要としない。

 それでも突然の吸血衝動に悩まされることもあるが。

 あれほどのことを聞いたが、けれど俺の食欲は減衰することはない。

 日常的に行われていた実験の数々を思う。

 ……やっぱ俺、神経ずぶとくなってるよな。

 食堂は二階にあるのでもう一度エレベーターで二階へ向かう。

 今日は行ったり来たりだな。

 気分転換のつもりだったけれど、そんなことをしてる場合なのか?

 問題を、選択を、先送りしているだけじゃないのか?

 考えてしまうと、性急に答えを出さなくてはいけない気がしてきて、俺は思考に沈んだ。

 食堂のおばちゃんにカツカレー大盛りを頼み、昼時を過ぎてガラガラに空いている席のど真ん中に座る。

 俺、棗たちと過ごすことの方が多くて外の世界をあまり知らなかったから、今まで実感がなかったけど。

『狩人ハンター』の男を思い出す。

 男が口にした言葉。

 吸血鬼は【結晶病】のために殺されて、恨みのために殺されて。

 扱いが、まるで奴隷だ。

 こんなに、ひどい仕打ちを受けてきていたのか。

 棗たちが政府の奴隷なのは知っている。

 けれど特に意識したことはなかったし、棗たちに接する蓮や梔子の態度もいたって普通だったから、こんなに酷いものだとは、俺は分かっていなかった。

十年前の『吸血鬼狩り』で人間と吸血鬼の両者の間に、決して分かち合えない深い溝ができたこと。

 その結果生まれた、戦争に勝利した人間が、吸血鬼たちを奴隷として扱い統べる世界。

 悪いのは誰だ?

 どうしてこうなったんだ?

 両者はともに手を取り合い、共存の道を選んだんじゃないのか。

 誰が、何が悪いのか。

 もう、問題はそんなことじゃない。

 そんなことじゃ、終わらない。

 棗は『人間狩り』をすると言った。

 人間に対する復讐か、人間からこの世界を奪い返すのか、この奴隷境遇から生まれる、同胞の無惨な死をなくすためか、戦争を仕掛けると言った。

 『狩人ハンター』の男は自分の大切なものを、吸血鬼に奪われたという悲しみを、吸血鬼を殺すことではらそうとしていた。

 蓮は、妹を奪った戦争という行為自体が悪であり、この世界からなくすべきものであると考えていた。

 ……どれも違う。

 そうだ。

 ふっと、何かが俺の中でつながった。

 どれも違うんだ。

 そんなことをしたって、お互いを憎むものは無くならないし、戦争は終わらない。

 棗のやり方じゃダメだ!

 全く減っていないカツカレーを慌てて胃の中にかきこみ、席を立った。

 俺たちが変わるんじゃない。



 変わるのは、この世界の方だ。



   ✞




「棗、話があるんだ」


 目の前で唖然としている棗の目を射抜きながら俺は口を開く。

 丁度いい、朝霧もいる。


「……よく考えて、答えが出た。俺はお前らと一緒に母さんを助けに行く」


「「!!」」


 棗と朝霧、二人が同時に驚きと困惑と嬉しさで、奇妙にゆがんだ顔をした。

 その反応だけで、俺が計画に加わるのに、二人がどんな思いを抱いていたかが分かる。

 すぐに嬉しさが表情に現れないのは、俺を心配してくれているからか。


「でも俺は『人間狩り』には協力できない、反対だ。考え直してくれ、棗」


  「……桜、人間を殺すのに少しでも抵抗があるなら、無理して計画に加わろうとしなくていいんだよ?誰に何を言われてもボクは、『人間狩り』をやめる気は」


  「何の勝算があってだ?」


  棗の強い否定にかぶせるように鋭く問いを放つ。


  「数でお前たち吸血鬼は人間には勝てない。不意打ちだって、最初の隙をつけるだけだ。そもそも、今、なんとか保っているこの秩序を『人間狩り』で崩してしまったら、もう収束がつかなくなる。そんなことは棗だってわかっているはずだ」


  「勝算は少ない。分かっているよそんな事は。それでもボクはやめる気はない」


  「……お前が人間を許せない気持ちも、人間が吸血鬼を憎む理由も、俺には分かるよ。父さんを殺した鈴蘭が憎いし、その鈴蘭たち人間が、お前たち吸血鬼をいいように扱ってること、めちゃくちゃむかつく。共存なんてもう、夢物語だってわかってる」


  棗の顔が共存、という言葉にぐしゃりと歪む。


  「でも!そんな人ばかりじゃない。院長先生やシスターたちみたいに、半鬼の俺を育ててくれた、優しくて偏見のない人だっている。人間と吸血鬼、二つの種族が手を取り合う未来を、俺はまだ捨てきれない!」


  拳を握る。

  意味も分からないのに、自分の感情が爆発しそうで、涙が視界を覆った。

  都合のいい話かもしれない。棗がとことん考えて、やっと出せた結論に水を差す。

  こんなにもう綻んでボロボロの絆を、けれど捨てられない、なんて。

  俺は棗に人間を許してほしいと、言っているのだ。

  棗たち吸血鬼は人間に惨殺された。

 絶滅一歩手前まで。

  それは終わらず、口に出すのが憚られるほど酷い仕打ちを、今も受け続けている。

  吸血鬼たち自身は、ただ日々を過ごしていただけなのに。

  院長先生たち人間も同じだ。

 彼らも、ただ日々を過ごしている。

 同じように愛情深い者同士。

 希望を捨てきれない。

 寄り添い合える未来が、あるんじゃないのか。

 それなのに、棗が『人間狩り』を始めたら、どうなる。

 優しい人間が、巻き添えになる。

 戦いで必ず損をするのはそういう人達だ。

 棗はその間違いを繰り返そうとしている。

 全世界の人間を巻き込んで。


「戦争を仕掛けて、人間を殺しまくって、それで何が変わる?この世界の何が変わるんだ?憎しみが、悲しみが増すだけだ。棗、お前の求めているものは、そんな選択で本当に得られるものなのか?人間にだって、お前と同じように大事に思う存在がある。それを奪われる悲しみをお前が、一番理解しているはずだ」


  半鬼で、人間とも、吸血鬼とも呼べない中途半端な俺。

  けれど両者に寄り添い、共に暮らしてきた。

  院長先生たちと、あの協会に似た施設で、人間の持つ温もりに触れてきた俺だから。

  K機関支部で棗たち吸血鬼の仲間を思いやる絆の強さに触れてきた俺だから。

  分かる痛みがある。


  「『人間狩り』で大事な人を失くした人間は、今のお前のようにまた『吸血鬼狩り』を起こすだろう。……悲しみの連鎖が、止まらなくなる。お前の計画は二つが今後手を取り合えるかもしれない未来を潰すだけだ!」


  「……じゃあ、桜はボクにどうしろっていうのさ?ボクは吸血鬼の頭として、皆の敵を討たなくちゃいけない!今更これまで残酷に嬲られて人を恨みながらゴミみたいに殺されたみんなに、人間を許してやれだなんて言えないよ!そんなの!死んでいった皆があまりにも、報われないよ……っ」


  悲鳴に近い叫びをあげる。

  語尾はかすれて、俺の胸にまで棗の苦悩が突き刺さった。

  朝霧がそんな棗を痛ましさの溢れる瞳で見つめた。


  「棗、おぬしはやはり、人間への復讐から『人間狩り』を計画したわけではなかったのだな」


 誰かを嫌いになれない棗。

  誰のことも好きな棗。

  憎しみから人を殺せば、同じように吸血鬼も殺される。

  そんなことは間違っていると、俺は棗に言うつもりだった。

  でも。

  人間が好きで、嫌いになんてなれない棗。

  そんな彼は、死んでいった仲間に報いるために人間を殺そうとしていたのだ。

 自分の人間への愛を歪めてまで。

  自分は吸血鬼の頭だから。

 その決断は、悲しすぎる。


  「桜はわかってない。何かの頂点に立つものはその重責(じゅうせき)を負わなくちゃいけないんだ。個人の思想も意見も関係なく、その責務を果たさなくちゃいけない。でなきゃ、僕は何のために今まで皆の先頭に立っていたのか分からない」


 意味なく俺は頭という、吸血鬼の頂点を指す言葉の響きがかっこいいなと思ってきた。

 けれどそれにこれほどの重みがあるだなんて、想像もしていなかった。

 棗はその言葉の重みに、みんなを統べる重みに、何千年も耐えてきていたというのか。

 その小さく、か細い身体で。


  「ボク個人の意思なんて関係ないんだ。だから人間を嫌いになろうとした。人間を食べて、桜の大事な人たちを傷つけて。桔梗の子供の桜と梨花にひどいことして、嫌いだなんて嘘ついて、そしたら、本当に嫌いになれると思った、嫌いにならなくちゃいけなかった。未練を断ち切らなくちゃダメだった!なのに、おかしいよ、皆を殺されて、桔梗も奪われて、それでも何でボクは人間を嫌いになれないの?おかしいよっ……」


 頭の中で、苦痛に顔を歪ませながら人間を食べていた棗がリフレインする。

 あの行為に、そんな意味があったなんて。

 あの日、棗が別人のように見えたのも、『人間狩り』を起こすために、冷酷にならなくてはならなかったからか。

 どうしてこいつの行動はこんなふうに言葉にしてくれないと、他人に伝わらないのだろう。

 俺はいつかのように棗に近づいて、ふわふわの頭を自分の胸元に引き寄せた。

 既に泣き出していた棗は俺の肩口で大きくしゃくりあげる。

 その耳元に言葉を落とす。


「バカだな、そんなのお前が人間を好きだからに決まってるだろ。周り皆がお前と反対の意見でもお前はそのままでいいんだ、曲げる必要なんてない、自分の気持ちに正直で。誰だってそうだよ。棗だけがそれを許されないなんて、あるはずがねえだろ?」


 「でもっ、でもボクはっ……、っつ、…っ…」


「言えよ、言いたいこと。お前が思ってること全部、吐きだしちまえ」


 華奢な腕からは想像もできない、激しく強い力で棗は俺の背中に腕を回す。


 「みんなが死んだのはボクのせいなの。ボクがみんなを守れなかったから。みんなを守る責任を負いながら、守れなかった!みんながひどい差別を受けていても守ってあげられない!だからせめてみんなの無念をはらしてあげたいっ……なのに、人間を殺したくないんだ。大好きだからっ。殺したくない、殺したくない、っつ、なんでっ?なんでこんなことになるの!?殺さないで、ボクたちを殺さないで!生きたいよ、一緒に、人間と、皆と、僕は生きたいのに!」


 髪をぽんぽんと優しくたたく。

 一体どれほどの苦悩をこの小さな体に抑え込んでいたというのか。

 けれど最後の言葉こそが棗の一番の願いなんだ。

 人間と、吸血鬼。

 過去のように手を取り合えたら。

 ああくそ、けなげすぎる。


「じゃあ、そうしようぜ、棗」


「えっ?」


 信じられない言葉を聞いたように、涙を流すのも忘れて俺の顔を仰いだ、その顔のなんという間抜けさか。


「俺たちは何も間違っちゃいない。間違っているのは、この世界だ。変えよう、一緒に。世界を、俺たちで、変えるんだ」


「桜、おぬし真かっ!?」


 今の今まで成り行きを静観していた朝霧が、慌ててガタガタとベンチから音たてて立ち上がった。

 若干きつい体制で振り返る。


「ああ。大マジだ」


  腕の中であっけにとられたような顔をしている棗に視線を戻す。


 「人間が吸血鬼を殺す。吸血鬼が人間に搾取される。そんな世界の方が間違ってる。だから、手始めにK機関本部に乗り込んで、政府を乗っ取ろう。な、名案だろ」


  「「……」」


  ニカッと笑うと、棗と朝霧、先程まで期待に満ち輝いていた二人の顔色が一瞬で非難の色に変わる。

  微妙な空気が流れる。

 な、何故だ。

  結構自分でも名案だと思ったのに。

 ほどなくして二人から呆れを多大に含んだ溜め息がこぼされた。


  「簡単に言うてくれるな」


  「ほんと。本部に乗り込むなんて、そんなサラッと言えるほど楽なものじゃないよ」


   風で乱れる長い髪を鬱陶鬱陶しそうにかきあげる朝霧と、きゅっと顔を俺の腕に沈ませる棗。

   何なんだお前ら。

   少なくとも全世界の人間を狩ろうとしていた棗の無謀な計画よりは余程勝算のあるやり方だろう。

   苛立ちから棗の頭をでこピンではじくと、イタッと体をはね上げ、額をさすりながら離れた。

   うーっと痛みに唸っていたが、ぱっと急に笑顔に戻る。


  「ま、もともと本部に乗り込む予定だったからいいけれどね」


  「うむ。桜から言うてくるとは思わなんだがな」


  「……お前らマジでいい根性してるな」


   ジト目で睨みつける。

   最近周りのみんなの、俺への態度が小馬鹿にしているようにしか感じられない。

   ……いや、前からか?

   と、とにかく、最近はそれに輪をかけて酷い気がするんだが……。

   渋い顔をしていると棗がフェンスの向こう側を見るような遠い目をした。


  「桔梗は、K機関本部の中にいるんだ」


  「!」


  「当然だね。桔梗が人質として政府に捕まっていることを知っているのは一部の人間だけ。鈴蘭の手元に常においているだろう。だからボクたちはK機関本部に乗り込むことを軸として計画を練ってきた。桜の意見には賛成。……でも本当に、いいの?桜はボクたちと違って、まだ普通の生活に戻ることもでき」


  「くどいな!母さんを助けに行くんだろ?そんで、政府を乗っ取る。上等じゃねえか、やってやるよ」


   しつこい棗の言葉を遮り、俺は棗と朝霧、二人の顔を見つめた。

   この選択に、後悔なんてしない。

   だから。

   今度は棗の、真紅に瞬く瞳を睨みすえる。


  「だから約束してくれ、棗。『人間狩り』はしないって」


  「……それは……」


  「お前がさ、死んでいった仲間に報いたい気持ち、分かるぜ。でも、それでも俺は人間を殺したくないっていう、お前の気持ちの方が大事だって思う。頭として果たさなくちゃならない義務よりも、ずっと、お前個人の意志を、お前自身が大事にしてやってほしい。……お前の人生だろ?いいんだ、お前の生きたいように、生きればいいんだよ」


   俺は棗はいつだって自分のしたいように自由奔放に生きていると思っていた。

   けれど、棗ほど周りの思想や意思に縛られている人間を俺は知らない。

   この十年間、どれだけ自分の感情を殺してきたんだろう。

   どれほど我慢することに慣れてしまったのだろう。

   いつも、他人のことばかり想って、その分自分は傷ついて。

   もういいんだ、棗。

   お前の好きに、生きていいんだ。


  「吸血鬼みんなの敵をとりたい。人間みんなと、前みたいに共に生きていきたい。どちらもボクのしたい事だよ。……でもね、ボクはやっぱり、吸血鬼の頭としての責務を放棄することはできない」


  「棗……」


  「だからさ、桜の言う通り、世界を変えよう。この世界を人間と吸血鬼、皆が共存していけるような、そんな世界に変えていこう。今生きているみんなの未来を、ボクは守りたい。それがボクのしたい事。そして、吸血鬼の頭としての責務でもあると思うから」


 ここまで来て俺は初めて気づいた。

 棗の言うみんな、という言葉にはひょっとしたら吸血鬼だけでなく人間も、という意味があったのかもしれないと。


「話はひと段落だな。当然、我も賛成だ。棗、計画を練り直す必要があるな」


「確かに。梔子に怒られちゃうかも。計画練ってくれたのほとんど梔子だし」


「おい、んな大事なことをほとんど梔子にやらせたのかよ」


 何はともあれ、一件落着だな。

 しかし、安堵から俺が息を吐き出した時、青空を切り裂くような凄まじい扉の開閉音が背後で上がった。

 三者同様に振りかえる。

 そこには疲労からか怒りからか頬を上気させ、肩を激しく上下させる梨花がいた。

 乱れ、髪を結んでさえいない髪の間から芯の通った鋭い瞳が俺を素通りして、棗を貫く。


「棗さん、ですよね?お願いします、私も参加させてください!!!」


 三日ぶりに聞く梨花の声は俺が聞いたことがない、決意に満ちていた。






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