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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
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Ⅲ.違うからこそ、



 駆け付けた研究者たちに状況の説明をしだす。

「報告書が増えました」と笑顔で嘆く蓮に二言三言慰めをかけてから、俺はK機関支部に戻った。

 玄関にあるやたら主張の激しい柱時計(おそらく棗の趣味)は一時を指していた。

 ゲ。

 俺、一体今日は何時に起きたんだよ?

 流石にこの時間は梨花も目を覚ましているだろうか、と俺は気を取り直して梨花に会いに行こうと、エレベーターに近づいた。

 上下のボタンを押そうとしたら、タイミングよく下からエレベーターがやってくる。

 ……下?

 珍しいな、下にいる住人なんて変わり者の梔子ぐらいじゃねえのか?

 しかも引きこもり。

 とか思っていると、チン、と到着を知らせる音が鳴り、開いた扉から当の梔子本人が出てきた。


「おまっ、……っ」


 あいも変わらず汚れたフードを目深にかぶり、顔が全然見えない梔子の顔辺りを思いっきり指さして、俺は二の句がつげずに固まってしまった。

 あの引きこもり人間、他人と全くコミュニケーションのとれない人間が、地下から出てきた!


『随分と失礼なことを考えているようだな』


 何故わかる!?

 無機質で感情の灯らない機械音が言い、それに合わせるように梔子は肩をすくめる。

 エレベーターから降りてくると、入り口で固まっている俺の体をその華奢な手の平で軽く押した。


『いつまでもそこに居られると邪魔だ』


「わ、悪……い……って、おい待て!」


 衝撃から立ち直れずに脇にどき、梔子の通行を許す。

が、梔子が躊躇なく玄関から外へ出ていこうとするのに、呼び止めずにはいられなかった。

 フードを目深くかぶり振り返る梔子。


「外に行くのか?お前が?」


『ああ。……悪いか?』


 その格好に問題がある。

 とは、さすがに言うまい。

 服の好みは様々だ。


「あー、いや。梔子でも、外に出ることとかあんだなって」


『ナツメから連絡がきて、吸血鬼と『狩人ハンター』が起こした事件の検証に行く。君は私を引きこもりだと決めつけているようだが』


 ばれている。


『……仕事以外でもたまには私だって外を散歩したりはする。運が良ければ実験のサンプルに出会えることもあるからな』


 おい。

 ツッコミをあわや飲み込み、俺は吸血鬼と『狩人ハンター』が起こした事件、というキーワードに。


「蓮が現場押さえているやつのことか?だったらさっき蓮と一緒に立ち会ったぜ」


 興味を示してくれるかなと話してみると、梔子は何がお気に召さなかったのか急に黙り込んだ。

 しかし、もともと常に何か物事を考えている奴だ。

 今までも話の途中で黙り込んで、口を開いたら『ん?サクラ、いつ来た?』だったことが何度もある。

 何を考え込んでいるのか、と思っていたら、やや乱暴に梔子がフードを引き下げた。

 まるで、顔を隠すように。

 どした、と目をみはると、無機質な機械音が言った。


『なんだ、君はここで私と世間話がしたいのか?』


「……」


 ちょっとフードを引き下げるしぐさを可愛いな、と思っていた俺は閉口する。

 可愛いしぐさに騙されそうだったが、愛想の欠片もない機械音に固まる。

 自分でもどうして梔子の興味のありそうな話題を探したのか、わからなかった。

 手持無沙汰にズボンのポッケトに両手を突っ込んで、何かが俺の指先に触れた。

 取り出してみるとそれは、梔子が用意してくれたという、あの端末だった。

 画面はあの時のまま、ブラックアウトしている。


 わ、忘れてた。


「ち、ちげーよ。これをかえそうと思って。……ありがとな、梔子。おかげで助かった」


 お礼が言いたかっただけなんだと、俺は端末を差し出す。

 蓮も梔子も、命を張って俺を助けてくれた。

 そのことを忘れていたなんて、申し訳なくていくら俺でも言えない。


「蓮から聞いたんだけど、俺を逃がそうって言ってくれたの梔子なんだってな」


 梔子はピクリと小柄な体を揺らし、いっそうフードを引っ張る。


『端末は持っていろ。ブラックアウトしているのは、こちらでもう一度回線をつなげば直る。……またこうして、サクラと話ができるとは思わなかった』


 端末を冷たい指先で俺の胸元へ押しやると、少しの沈黙の後こぼす。

 この端末の画面に棗が映った時は死を覚悟したくらいだもんな。

 俺もだよ、と苦笑する。

 と、梔子はフードから手をはなし、自慢げに腰に手を当て、胸を張った。


『私は他人の感情の機微に乏しいらしいな』


「……いまさら何を言っている」


 何で周知の事実に胸を張ろうと思った。

 小首をかしげ、腕を組む梔子。


『私は、君は生きては返されないだろうと思っていた。アサギリの人質としての意味を失くした時はナツメが君を殺すと思っていた。普通はそうだ。物語のセオリーだろう。だから私は君を逃がさなければならないと考えた』


「……俺を助けようって、思ってくれたんだな」


『そうだ。君は純血と人間の血を引く、この世界に二つとない存在だ。リカはキキョウの娘だが、吸血鬼の力を有してはいない。それもまた興味深いが、サクラほどの希少価値ではない。とにかく、私は君の体に興味がなったからな。失うわけにはいかなかった。……しかし、私が計画を練っているとレンが来て、お前を助けたいなら手を貸すと言ってきたんだ。思えばあの狐男め、ナツメがサクラを殺す気がないと理解していたくせに、わざと私に何も言わなかった』


 梔子の体から立ち上る怒気を、合成機械の声は感情がないがゆえに伝えはしない。

 が、それが逆に怒気を増して聞こえる。


『おかげで私はいらない手間をさいてしまった!何もしなくともサクラは無事だったというのに!』


 ふーっ、ふーっ、と荒い鼻息がフードの暗闇から聞こえてくる。

 こえーよ。


「要するに、早とちりして必死に俺を逃がしたはいいけれど、実は必要なかったんです、と、そういうことか?ははは、お前でもそんな可愛い間違いするんだな」


 普段は機械的に雑務をこなし、必要最低限の話しかしない、無駄を嫌う人間であるはずの梔子が。

 女子を可愛いと思ったことは梨花以外ではあまりない俺でも、今目の前にいる梔子のことを可愛い、と思った。

 他人の気持ちを考えたり、察したり。

 今までしたことがなかったのか、その無知を梔子は恥じているのだろうか。

 棗の気持ちを察することができたら、今回の失敗はなかったはずだと。

 ああ、だから私は他人の感情の機微に乏しいらしいな、なのか。

 頭の中でようやっと梔子の意味不明な切り出しがつながる。

 確か梔子は俺と同じ、十六歳だったはずだ。

 六年勤務して、初めて梔子が年相応の少女に見えた。

 微笑ましさに破顔すると、梔子は腕組をとき、片手を腰に当てる。


『君に可愛いと言われるのは不快だな。屈辱を受けた気分だ』


「なんでだよっっ!!褒めたのに!」


 前言撤回。

 かわいくねえ!


『サクラの知能でひねり出した褒め言葉などたかが知れている』


 人がせっかく印象を改めようとしていたのに、ほんっとかわいくねえやつ。


「そうかよ、引き止めて悪かったな」


 俺は端末を軽く振り、踵を返した。

 エレベーターのボタンを押す。

 サクラ、声が呼んだ。

 肩越しに振り替える。


『……君が死ななくて、よかった』


 背中越しにひらひらと手を振り、梔子は玄関の扉を出ていく。


「……ったく」


 無意識にもれた声は自分でも驚くほど、優しい響きをしていた。



 ✞




「我の言った意味が分かったであろう、棗?」


 K機関支部屋上。

 四方を三メートル近い網目の細かいフェンスで囲まれた屋上は、下の階で爆発したにもかかわらず、その驚異的な強度で見た目にも、また実質的にもそのようなことを感じさせない。

 物干し竿に干された白いシーツやタオル、社員(主に幹部たちの者だろうか)の衣類などは妙な生活感を感じさせる。

 上から見ればここは普通の建物に見えるだろう。

 社員たちの憩いの場でもあるのか、二つ置かれてある白いベンチの片方に腰かけ、朝霧はフェンスの上に危なげなく座る棗に話しかけた。

 もっとも、たとえ落ちたとしても我ら吸血鬼たちには何の支障もないが。

 二人の間は洗濯物を挟んでいることもあり遠い。

 それでも耳は音を拾う。

 五十階分の高みから空の向こうを見つめる棗はあは、と無邪気な笑いを響かせた。


「うんっ♪」


 あの日、棗は言った。

 桜が桔梗に似ているから、だから朝霧は桜を大事に想うのか、と。

 桜を桔梗と重ねているのかと。

 朝霧は違う、重ねているのは棗だと言った。

 桜と桔梗、二人が全く別の人間として存在しているから、朝霧はどちらも同じように大事に想える。

 その意味を、棗はやっと、理解してくれたらしい。

 棗の元気を取り戻した声に朝霧も微笑む。


「最初は桜の無鉄砲さとか、自己犠牲なところとか、桔梗にあんまり似すぎていて、怖かった。桜も桔梗みたいに自分の身を顧みずに、傷ついてしまいそうで」


 ……棗の中の桜がいささけなげすぎる気がする。


「だから桜を見ていると苦しかった。桜を、見たくなかった。でも、それでも桜のこと好きだし、嫌いになれなくて……」


 桔梗と同じ色の髪、瞳、面影のある顔かたち。

 視界に映るたびに嬉しさと苦しさにさいなまれて。

 風にあおられた長い袖がたなびく。


「でも昨日わかったよ。桜って、桔梗とは決定的に違うものがあるね」


 昨日、棗のことを好きだと言ってくれた桜。

 誰にでもジャックナイフなあの桜がくれた、精一杯の言葉は、一人傷つき支えを失って突っ走る棗を救った。

 そして、命には代えられないけれど、棗のことを守ってやるから、と言った。

 その言葉に、棗は本当に、本当に嬉しくて、安心して、泣いてしまったんだ。

 桔梗なら命に代えても守ると言っただろう。

 言われた人間の気持ちを考えることもなく。

 桜はきっとわかっている。

 命を犠牲にしてでも大切な者を守る行為は、美しくも悲しい行為だと。

 幼い時に守ると誓って姿を消した桔梗。

 おいていかれた桜は、どれだけの寂しさと不安を味わったか。

 その感情を知っている桜は、棗を置いていくことは絶対にしない。

 棗が一番に恐れていることを、大事な人においてかれるれるということを、絶対にしない。

 だから安心して、すごく嬉しくて。

 桜と桔梗の決定的な違い。

 己を犠牲にしてでも他者を助けるようとする、桔梗。

 己を犠牲にすることで生まれる悲劇を知る、桜。

 この二つの違いは些細でありながらも大きい。


「だから我はあやつを愛しく想う。桔梗とはまた、異なる理由で」


 小さな背中を眺めながら、朝霧はゆっくりと瞼を閉じる。

 たぶん棗は一人ではとまれなかった。

 一人きりで突き進んだ先には地獄が待っていただろう。

 桔梗は朝霧にとって正義のヒーローだった。

 自分を犠牲にしてでも他人を助ける彼女の理念をかっこいいと思っているし、実際にまねをした時期もある。

 今でも朝霧の根っこには彼女の理念に通じるものがある。

 朝霧が髪を切らずにいるのも、桔梗のまねっこであり、今では彼女を近くに感じるためだった。

 桔梗を好きな理由には桔梗の潔いまでの自己犠牲にあるし、それを取れば桔梗は桔梗ではなくなってしまうだろう。

 桜を好きな理由はその自己犠牲を否定し、自分か他人か、という選択を迫られても両方を選択できるように強くなろうとする、悲しいまでにもろく、優しいところにある。

 十年前、朝霧がたわむれに尋ねた桜と梨花、どちらかしか助けられないとしたらどうするか、という問いに、桜はどちらも助かる方法を探すと言った。

 あの瞬間、朝霧の中で今まで桔梗の子供という認識だった桜に対する感情の何かが変わった。

 必死に強がり、弱さを抱えた無力な自分に、諦めない桜の強さに、朝霧は感動した。

 感動して、愛しさが止まらなくなった。

 この胸に巣くう愛しさはもはや恋慕。

 よっと、という掛け声とともにフェンスからこちらへ飛び降りてきた棗は後ろで両手を組み、はにかんだ。


「これで安心して、桜を好きになれる」


戯言たわごとを。最初から好いておったくせに」


 しばらく二人で見つめ合う。

『人間狩り』を起そうとしている直前であるというのに穏やかな時間が流れる。

 堪えきれずに二人して笑いだした。

 そして気づく。

 およそ十年ぶりに、棗と笑いあうことができたな、と。

 その時、無遠慮に屋上の扉が開き、当の桜が現れた。


「あ、や、えと、楽しそうな声が聞こえたから」


 朝霧と棗、二人の唖然とした顔に見つめられて、気まずげに頭を掻きながら慌てて言い訳をする。

 それから打って変わって、眉をつり上げ、真顔になる。


「ちょうどよかった。棗、お前に話があるんだ」






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