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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第二部 『降臨』
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Ⅰ.明日を思え



 窓から差し込む月の光が横顔を照らす。

 明かりもない室内は墨色で、青白い月の光がないと何も見えなかった。

 青白い月明かりが、室内に満ちている。

 よかった。

 少しだけ、救われた気がした。

 あんな話を聞いた後の夜が、暗闇ではなくて。

 とわいえ、すぐに寝つけるわけもない。俺は棗から聞いた話を、自分なりに整理しようと試みていた。

 寝心地の悪い固いベッドの上で、俺は両腕を頭の後ろに組んで、仰向けになる。

 目を閉じて、つい先ほどまでの出来事を瞼の裏に映し出していく。


 ✞



「―――――『人間狩り』だよ」



 静かに。

 そっと、音を転がすように、棗は言った。


「……人間、狩り?」


 言葉の意味が理解できずに、俺は拾った単語をただ繰り返す。


「そう。ボクたちは桔梗ききょうを取り戻すために、鈴蘭すずらんたちに戦争をしかける。十年前は不意打ちだった。でも今回は違う。計画にも穴はない。でも、この計画を桜に話す気はないよ」


「なっ……」


「話はこれで終わり」


 パンと手を一度打ち合わせて、話を切り上げようとする棗の肩を俺は掴む。


「まだ話は終わってねー。どういうことだよ、全部話してくれるんじゃなかったのかよ」


 しかし、俺を見つめ返す棗の瞳は冷たかった。


「聞いてどうするの」


「話すっていう約束だっただろ。俺がどうするかは話をきちんと最後まで聞いてから、俺が決める」


「……」


「……なんだよ」


 何か文句があるのか。

 目で訴えると、棗はかすかに瞳を揺らした。


「君は『人間狩り』という言葉の意味を理解しているの?」


「おう、当たり前だ」


「ううん、君は分かっていない。戦争になれば、ボクはたちは人間をたくさん殺す。だから、桔梗を助けたい桜の気持ちもわかるけれど、一度ボクたちとともに桔梗を助けるこの計画に加担すれば、もう逃げられないんだよ。桜だって、人間を殺すことになる。いつも通りの日常は帰ってこないんだ」


「……母さんを助けると同時に、お前たちは人間側に戦争を仕掛ける、ということか?」


「そうだよ。だから、よく考えて。桔梗を、君のお母さんを助けるためにボクたち吸血鬼側に加担するのか、人間側として、今聞いた話を忘れて妹と平和な日常を過ごすのか」


 吸血鬼側に加担すれば俺は間違いなく母さんを助けられるが、人を殺すことになるだろう。

 棗は半鬼はんき―-半分人間である俺が人を殺すことの苦悩を心配して、言ってくれているんだ。

 そして、人を殺したくないのなら、梨花と日常を過ごしてもいいんだと、言っていくれている。

 今聞いた、棗たちが戦争を起すために計画を練っているという話を誰にも話さずに、忘れて。

 だから、計画を俺に話す気はないのか。

 どこで計画が洩れるか、わからないもんな。


「俺は……」


 続ける言葉が見つからない。


「桜が日常に帰りたいのなら、すぐにボクたちは計画にうつる。後は好きに生きるといい。遠くの異国の地に逃げた方がいいかもね。でもね、桜が桔梗を助けたいというのなら、ボクはとめないよ。妹のことも、必ず守る」


 母さんを助けたい。

 そう叫んでいる心をなだめる。

 今この瞬間によし決めたと言う。

 戦うと言う。そんなことはたやすい。

 でもそれで俺は、本当に、後悔しないのか?

 言葉を失う俺に棗は優しく、笑いかけた。


「でもね、ボクは桜と梨花には、普通に生きてほしい。桔梗は、絶対ボクたちが助けるから。だから、桜はゆっくり考えてごらん」



 ✞



 今日はもう寝よう、という薔薇の空気を読まない発言で話を切り上げることにした俺たちはおやすみ、という言葉を交わして薔薇の部屋を後にした。

 部屋を出ると、まっさきに蓮と梔子はエレベーターに乗り込んでしまった。

 俺は梨花に会って(と言っても梨花は寝ていたのだが、会いたかっただけなので良しとしよう)から、自分の部屋に向かった。

 部屋がない朝霧は当然(当然なのか?)俺の部屋までついてきた。

 別にいいけど。

 そして部屋に帰ってくると電気もつけずに自分のベッドに寝ころんだ、というところまで順をたどっていったところで、俺はコンクリートがむき出しでさぞ冷たいであろう床に寝転がっている朝霧に目を向けた。

 父さんの死の真相、日本国絶対権力者、鈴蘭の過去、人質の母さん、『吸血鬼狩り』と『人間狩り』。

 膨大な量の真実は頭が追い付かないほどに俺を混乱させていた。

 けれど、母さんが生きていることに、どうしようもなく、安心もしていた。


「朝霧」


「なんだ?」


 天井を見上げながら呼びかけると、朝霧はすぐさま言葉を返してきた。


「棗が『人間狩り』をするって、お前は知っていたのか?」


「うむ。おぬしが『吸血鬼の血』(ヴァンブラッド)を盗んだ日の前日に我は棗に会いに行っていた。その時に聞いておったぞ。だが、我は協力してほしいという棗の申し出を断ったが」


「なんでだよ」


「棗が、本気だと思わなかったからだ。だが我の浅はかな言動のせいでおぬしやおぬしの妹まで危険な目に合わせてしまった。我が断りさえしなければ、おぬしの家族も、死なずに済んだ」


「……何で、本気だって思わなかったんだよ?棗は、んなたちの悪い冗談なんて言わねーだろ」


 朝霧は数秒答えなかった。

 その沈黙はえるような、こらえるような、耳に痛い、静寂。


「話したことがあったであろう?棗は昔、人を食べていなかったのだと」


 ああ、とかうん、とか、俺は呟いた。

 はるか遠い昔のように思えて、記憶があやふやだったから。

 人間と共存しているから、とか、仲間を食べたりしない、とか、確かそんな理由だったはずだ。

 だが、共存という今は遠いその言葉に胸が締めつけられたのは、覚えている。


「棗は、人間が好きだった。何をされても許してしまうほどに。基本的にあやつは自分以外の全てものが好きだし、おそらく、嫌いという感情を抱いたこともないはずだ。少なくとも我は見たことがない。自分が信じたものは何があってもどんなことをされようとも、信じてしまうし、嫌いにはなれない。だから、『吸血鬼狩り』に一番ショックを受けていたのは、棗だ。そんな棗が、『人間狩り』をするから手伝ってほしいと言ってきた。我の能力は広範囲で使えるから、ボクらには我が必要だと。信じられるはずがなかった」


 悔いているのが、痛いほどに伝わってくる。


「だからまさか、あれほど人間が好きだった棗が『人間狩り』?そう、戯言たわごとに付き合うつもりはないと、我は棗を突き放した。今あやつはこの世を吸血鬼の統べる世にしたいと思うほどに、人間を嫌い、憎んでいる。しかし、我には分からぬ。真に、棗は人間を嫌っておるのだろうか」


 鈴蘭はずるい。

 父さんを殺して、棗たち吸血鬼が殺戮される原因を作り出して、自分は天下(てんか)にふんぞり返っている。

 人間は吸血鬼を殺して、死体から血を取り、死者を冒涜(ぼうとく)する。

 裏切られて、仲間とも引き裂かれて、奴隷のように扱われて。

 嫌いにならない方がどうにかしている。

 憎まずには、いられない。

 俺はきっとそうなる。

 憎んで憎んで憎んで、どうして自分がこんな目に合うのかと、怒り狂うだろう。

 自分が何をしたのだ、と。


「今は、どうなんだよ?棗が本気だってわかった今、それでもお前はあいつに従うのかよ」


「いや、棗はおぬしの意志に従えと言ってきた。計画には参加してほしいそうだが、桔梗を助け出した後でなら、おぬしたちとともに逃げてもかまわないと」


「でもお前、もう逃げたくないって」


「そうだ。だが、我はおぬしに従う。おぬしが棗とともに戦うなら我もそうするし、戦わないなら我も戦わぬ」


 なにいってんだよ?

 あんなに、あんなに逃げることを恐れていたのは、お前自身なのに。

 俺は朝霧に守ってもらうたびに目の当たりにしてきた朝霧自身の痛いほどの恐怖に思わず身を起して、朝霧を見下ろした。


「そういう選択をして、後悔してきたのは自分てめえだろ!?」


 同情なんかじゃない。

 ただ目の前のこいつの悲しみを知っているから。

 俺はどうしても歪んでしまう顔を抑えられなかった。

 朝霧はそんな俺を一呼吸分見つめて、眉を少し顰めて微笑を浮かべた。


  「だがこれは桔梗の願いでもある」


  「……母さんの?」


  「うむ。『吸血鬼狩り』が始まる前に我は桔梗に桜と梨花を頼む、と言われていた。我は一人だけ逃げた臆病者だ。せめて桔梗の願いは、叶えたかったのだ。だからおぬしたちを探して、探して、探して。やっと見つけたとき、しかし二人とも、ピクリとも動かなくて。我はまた間に合わなかったと、何もできなかったと、思っておった」


 よく、覚えている。


  「だがおぬしが、言葉を発した。生きていると、必死に、訴えていた。不覚にも泣きそうになったぞ。嬉しかった。生きていてくれたことが、(まこと)、真に……。ゆえにわれは誓ったのだ。桔梗の愛したおぬしたちを守ると。どんなことがあっても、我が守っていくと。だから我はおぬしの進む道にともにこう。おぬしの選択に従う」


  朝霧は、何度も何度も俺たちを助けてくれた。

  棗たちと敵対して、何度も死にかけて。

 それでもいつも、俺たちを守ってくれた。

「怒鳴って、悪かった。朝霧、……ありがと」


  恥ずかしくて目を逸らした。

 けれど、言わないよりはずっといい。

  朝霧はふっと、微笑したらしかった。

 俺は再びベッドに横になると明日あしたを思って目を閉じた。






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