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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第一部 『胎動』
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12.呪いを破る、その言葉



 戦慄が走った。

 逃亡がばれたことに。

 蓮や梔子が危険な目にあっているかもしれないという可能性に。

 棗が追いかけてきていることに。

 何より。


 棗が、笑っていることに。


 足がアスファルトに縫い付けられたように動かない。

 毛穴という毛穴から冷汗が噴き出す。

 朝霧は、立ち上がれないでいる俺の膝に梨花をそっと載せると、革のジョンパーを翻した。


「棗は我が食い止める。おぬしは梨花を連れて逃げろ!」


「ざっけんな!そんなことしたらあんたが……!」


「守らせてくれ、我に、おぬしたちを」


 黒い背中は振り返らない。

 たとえ俺がどれだけ言葉を尽くしても。

 その覚悟が伝わって、思い出すことがあった。

 あの廃墟で朝霧が俺に語った過去。

 きっと彼は助けたかったのだあの時。

 逃げ出したくなんて、なかったのだ。

 しかし、彼ができたのは敗走。

 ただそれだけだった。

  だから今度は守らせてくれと、言われている気がした。

 最後まで朝霧は振り返らずに、


「逃げることも、勇気だ」


  そう言って来た道を引き返していった。

 ものすごい速さで、アスファルトをえぐり粉塵を巻き上げて。

 俺の静止の声も聞かず、すがろうと伸ばした腕に見向きもせず。

 もう姿も見えない。

 やめろよ。

 捨て台詞みたいに言うなよ。

 お前格好つけているつもりかもしんねぇけど、全然格好良くねぇんだよ。

 膝の上の梨花を抱きしめる。

 怒りじゃない。

 この胸を引き裂く痛みは。

 逃げることも勇気?

 そんなの知るか!

 恐怖を無理やり押さえつけ立ち上がる。

 そして俺は朝霧の消えて言った方向へ走り出した。

 ここから逃げてどうなる?

 戦争の復興で他人の面倒まで見てくれる人間なんていない。

 例えいたとしてもそんな優しい人やファミリーの皆には甘えちゃ駄目だ。

 今この場を逃げ切ったとしても、K機関は次から次へと追手を送ってくる。

 確実に巻き込んでしまう。

 きっと逃げても逃げてもきりがない。

 それとも、これからずっと隠れてK機関の影に怯えて過ごす人生を送るのか?

 ふざけるな!

 できるわけねぇだろ。

 そんな人生くそくらえだ!

 俺は逃げない。

 棗と戦って。

 グダグダと嘘ばっかのめんどくせーあのバカをぶん殴ってやる!

 そして堂々と、胸を張って帰るんだ。


 朝霧を追いかけながら腕の中の梨花を見下ろす。

 梨花をこれから向かう場所へ連れて行きたくはない。

 絶対に危険だと分かっているから。

 停留所に置いてくれば、もしかしたら誰かが見つけて保護してくれるかもしれない。

 そうも思ったが、すぐにそんな甘い考えは棄却する。

 悪い人に見つけられてしまったら?

 酷い目に合わされる梨花を俺は助けられない。

 何より梨花は【結晶病】で純血の血がいる。

 こんな所に置いてしまって俺が帰ってこられなかったら、梨花を一人ぼっちで逝かせることになる。

 それは絶対に嫌だ!

 梨花を一人になんてできない!


「ごめんな、梨花。絶対俺が守るから、辛抱してくれ」


 危険でも、連れていくしかない。

 俺のやることは、棗を殴る。

 ただそれだけだ。

 大丈夫。

 それぐらいできなきゃ、大切な人を守るなんてできやしないさ。


 ビルとビルの間の通路を抜けると、広い場所に出た。

 高い建物の影をずっと走っていたので突然の日光に目が眩む。

 深く瞬きをして次に目を開くと、予想以上に酷い光景が広がっていた。



 建物の壁を幾筋もの爪痕が削り取り、付近の建物の窓ガラスは全て割れていた。

 そして、アスファルトが大きく陥没して幾つものクレーターをつくっている真ん中で、鮮血を滴らせながら蹲っている朝霧。

 立ち上がろうと手をつくが、体のいたるところから吹き出す血は止まらない。

 上から何かに抑えつけられているかのごとく、ぐぐ、とアスファルトにめり込んでいく。


 これが朝霧の言っていた、能力……!棗の!


 棗は朝霧の数歩手前に立っていた。

 血が付着した指を舐めとっているそのしぐさは、背筋が凍るほど蠱惑的だ。

 白く長い袖と、日の光で輝く銀髪が風もないのに浮き上がっている。

 満身創痍の朝霧に対して、棗は無傷だった。

 いくらなんでも力の差がありすぎはしないか。

 朝霧だって棗と同じ純血の吸血鬼なんだぞ。

 理不尽な怒りのままに。


「棗ええええぇぇ!!」


梨花を小脇に抱え、叫び散らしながら棗に飛び込む。

 振りぬいた拳がきょとんと振り返った棗の横っ面にめり込み、その小さな体は吹っ飛んだ。

 数メートル先を派手に転がっていく姿を、拳をさすりながら爽快な気分で見やる。


「桜!おぬし、逃げろと言ったであろう!」


「黙れ、この上半身露出狂!」


 ぴーちくぱーちく喚わめくバカを黙らせる。

 捨て台詞はいて、格好つけて一人で行きやがって。

 こんなにボロボロになって。馬鹿だよお前。

「露出狂……」と傷ついた声が上がったが、それも黙殺する。

 アスファルトに沈む朝霧に近づき、梨花を託して頼むと告げる。

 朝霧の傷は再生しているようだった。

 物音で振り返る。

 ゆらりと起き上った棗は鼻血を出していたが、俺を認めると、ニィッと三日月形の笑みを浮かべた。


「いきなり顔面なんて酷いな。そんなに怒ってさ、よっぽどボクに嫌いだって言われたのがショックだったの?」


 挑発している。

 そんなに俺を煽って楽しいのかよ。

 まどろっこしさに腹が立つ。

 まだ後ろから俺を呼び止める朝霧を置いて無言で棗に歩み寄ると、楽しそうな笑顔のバカの、今度は逆の頬を殴り飛ばした。

 最初よりも、強く。

 華奢な棗の体はよく飛ぶ。

 壁まで吹っ飛んだ棗はしかし、怒りに任せて反撃してくることも、怒鳴り散らすこともなかった。

 ただ何も言わず壁に背を預けていたと思ったら、いきなり棗から半径三メートル範囲の壁、地面がへこんだ。

 蜘蛛の巣のような形のクレーターができ、多少なりとも驚いた俺の体に形のない何かがのしかかってくる。


「ぐっ……!」


 空気の塊のような、抗い難い何かが圧倒的な力で全身を地面に抑えつけてくる。

 重い。

 体に岩がのしかかって押しつぶされているみたいだ……いや、もっと大きな。

 骨がみしりと鳴り、四肢がバラバラになりそうな感覚に呻うめいていると、上から棗の声がした。


「純血の吸血鬼にはそれぞれ特化した能力がある、って話は朝霧から聞いた?前にも見たよね桜。これは、ボクの能力なんだよ。別に隠すことじゃないし、教えてあげる。ボクの能力は重力操作。この力でボクは邪魔な存在(モノ)ぜんぶ潰してきた。ねぇ」


 風が凪ぐ。


「―――――――そんなに潰されたいの?」


 静かな問いかけは悲哀に満ちていた。

 烈々たる憤怒でも、空虚な侮蔑でもなく、湖面を凪ぐように静かな悲哀。

 自分の重力を軽くしているのか、ダメージを感じていない身体を揺らして、真紅の瞳は血のように赤く、深い哀しみを湛えている。

 その瞳を見て、やっと俺は、蓮が言っていた言葉の意味を理解した。

 俺は棗に嫌われていない。

 理解すると同時に頭を掻きむしりたい欲求に駆られる。


 ああ、なんだ。

 気づいてしまえば呆気なく。


 足に力を込める。

 立ち上がろうとする俺に気づき、さらに重みが増す。

 みしみしと体の内側で音が響く。

 これが棗の能力。重力を意のままにする力。

 ぐっと顎を突き出して上向くと、俺は棗の瞳を真正面から見返した。


「お前、俺のこと好きだろ」


「ふぇっ?」


  他人のここまで間抜けな声は聞いたことがない。

 そう思えるほど、棗は間抜けな声を出して見事に固まった。

  鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、ぽかんと。

 そのお陰で棗の能力が解除され、重力も元に戻る。

  押さえつけられていた反動で体を軽く感じた。このチャンスを逃さず一気に棗との距離を詰めた。華奢な肩を掴んで逃がさないようにする。


「社長のお前がさ、直々にスカウトしに来たり、孤児院の借金肩代わりしてくれたり、外泊許してくれたり!なあ!ただの実験体にそこまでするか?!」


 考えれば考えるほど。

 思い出せば思い出すほど。

 俺は恵まれていた。

 嫌いの一言じゃ、片づけさせねえぞ!


「ただの気紛れだよ、深い意味なんてない!ボクは桜のこと嫌いだもん!」


 今の今まで何を言われても、顔面を殴られても動じなかった棗が目に見えて狼狽する。

 この期におよんでまだ言うか。

 俺の左手首を掴んで必死に嫌いだと言い募る棗に苛立って頭突きを食らわせる。

 ややこしい事とか、まどろっこしい事は苦手だ。

 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

 それだけでいいだろ何を悩む必要があるんだよ!いつまでもうじうじしてんじゃねえ!


 ―――あなたは優遇されていたんですよ。何故だと思いますか?―――


 何故って決まってる。

 好きじゃなきゃ、しないだろ?

 棗は俺が好きだろ?

 そうだよな、蓮?


「嫌い嫌いうるせぇんだよ!ホントのこと言えよ!お前が思ってる、本当のことを言ってみろよ!」


 頭突きをものともせずに棗は俺を睨みつけてくる。


「ボクはホントの事しか言ってない!桜なんか嫌いだ!」


 そんな風に泣きそうな顔してよく言うぜ。


「なら殺せよ!今すぐ俺を殺してみろよ!」


「……ひ、人質なんだから殺すわけ無いでしょ!桜にはまだ利用価値があるんだから……」


「それもそうか。……じゃあ、同じ逃亡した朝霧はこんなに傷つけたんだ、俺にも当然何かしらお咎めがあるんだよなぁ?何もしねえとか、おかしすぎんぞ!」


 後ろの朝霧を顎でしゃくって示す。

 自棄になって自分を痛めつけろとチンピラのように棗を脅す。

 なんだか可笑しな状況に朝霧はオロオロしていた。

 俺も訳分かんねぇよ!

 いい加減あんまり嫌いって言うなよな傷つくから!

 俺の言葉は今度こそ決定打となったらしい。

 言い返そうとしてできなかったのか口を開閉すると、今度は両耳を塞ぐ。

 瞳が。

 何も聞きたくないと、言っていた。


「違う。違う違う違う!嫌いなんだ、ボクは桜のことが嫌い!あいつに似ているくせにあいつじゃない桜を見ていると、あいつが傍にいる気がして気が狂いそうになるっっ!!」


 普段棗は人のことをお前と呼んだりしない。

 その棗があいつとまで呼ぶ人物。

 それはいつかの日に言っていた、十年前の『吸血鬼狩り』で亡くなった奴のことなんじゃないのかな。

 あいつ、と呼ぶ声には親しみが滲んでいる。

 棗にとってどれだけ大切だったのかが分かる。

 突き放す言葉とは裏腹に、苦しげに呼吸をしてる棗は、助けてと訴えているようで。

 棗の激情に任せて振るわれた能力は周りを陥没させ、傍にいた俺をも飲み込む。

 軋む体。

 意識までもっていかれそうになる。

 だけどそれに逆らい、俺は棗を抱きしめた。

 十センチ程差のある華奢で貧弱な体は予想以上に細く、強く抱きしめれば折れてしまいそうだった。

 構いやしない。

 ありったけの力できつく抱きしめると、棗の体の震えが止んだ。


「あいつと俺は関係ねーよ。俺は俺だ。棗の言う、あいつってやつに、まぁちょっとは似てるのかもしれねえけど、それは、似てるだけだろ。桜っていう人間は世界に俺、一人だけだ」


 ヒヨコみたいに柔らかな髪を不器用に、撫でる。


「お前が一体何に苦しんでるのか、言ってくれなきゃわかんねえよ。一人で何でもかんでも決めて、突っ走ってんじゃねえよ。言えよ、苦しいんだって。力になるからさ。お前のこと、裏切っちまったけど、もう間違えねえ。俺が、お前を守るから。流石に命に代えてもってわけにはいかねえけど、できる範囲で。だからよ、その、つ、つまりだな……」


 ああくそ、恥ずかしい……けど、照れてる場合じゃねぇ。

 首元からカッと熱くなっていく体温に戸惑いながら、一言。


「俺はお前が好きだぜ」


 一呼吸ののち、全てを投げ打つよう悲痛な声が辺りに響き渡った。


「うわああああああああああああ!ああああああああああ!」


 棗の泣き叫ぶ声だった。

 背中に回った手が縋り付いてくる。

 胸元で泣きわめく棗の顔は涙と鼻水でぐしょぐしょに歪んでいて、汚かった。

 しかもその顔を服に擦りつけてくるのでたまったものではない。

 生まれたての赤ん坊のように脇目も振らずに泣いている棗を微笑ましく思った。

 梨花以外に素直に好意を伝えることが俺にできるとは、思ったことがなかった。

 俺にとってそれは天地がひっくり返るほどにありえないことだったのだ。

 だけど今伝えなかったら、きっと棗はこの先、壊れてしまっていたんじゃないか。

 どこかそんな予感めいたものがあった。

 この場から今すぐ逃げ出したいくらいに恥ずかしいけれど、伝えられてよかった。


 やり遂げた感にこれまでの疲労が思い出したようにやってきて、ふらふらとよろめく。

 抱えていた棗を転ばせるわけにはいかない、と踏ん張ろうとしたら、とん、と後ろから何かに、―――誰かに、支えられた。

 大きな手のひらが肩に置かれ、背後に人の立つ気配。


「まさか、棗を止めてしまうとはな……」


 振り返ると、はるか頭上に苦笑気味の朝霧が、梨花を抱きしめて立っていた。

 服や髪は砂まみれだったが、全身にあった傷は完治していた。

 俺の無謀さに呆れているのか感服しているのか。

 あるいは両方か。

 それでもあの骨ばった細い、大きな手の平が、無造作に俺の頭を撫でた時、以前のようにはムカつかなかった。









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