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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第一部 『胎動』
13/27

11.逃走


 足元も見えない、暗い通路だが、手元で青白く発行している端末をかざすと何とか足元付近を照らすことができた。

 足音を立てないよう注意しながらまっすぐに走る。

 残り五分。

 悠長に構えている暇はない。

 少し走ると前から生暖かい風が吹いてきた。

 夏特有のねばつく熱気だ。生臭い臭いも目に染みるが、出口らしき光は既に間近まで迫っていた。

 手前で立ち止まると、それまでの勢いでふらつく。

 出口は出口だったが、下をのぞき込むと真下に残飯の大山ができていたからだ。

 縦十メートル、横五メートルくらいの大きさの緑色の長方形型のゴミステーション。

 その中には大量の残飯が入っている。

 強烈な臭みが熱風とともに上へ上へと漂ってきていた。

 思わず足を止めてしまったが、飛び降りるしか施設外に出る方法はない。

 K機関支部の一階は主に玄関だ。

 食堂は二階。

 二階分の高さから落ちても死ぬことはないだろう。

 後ろに下がり助走をつけると、俺は全力で跳躍した。

 縦十メートルほどのゴミステーションの上を跳び、アスファルトに着地する。かすかな痺れを両足で味わう。

 ふう。

 ゴミの山にダイブという事態におちいることは免れたようだな。

 胸をなでおろしていると、いきなり肩に手が置かれた。


「やっと来たか。一度後ろに下がった時はどうしたのかと思うたぞ」


「うおっ……お、おう」


 叫び声を上げそうになるのを堪えきれず。

 ごまかすように手を上げて応じると、俺の肩に手を置いたまま、朝霧は不思議そうに首を傾げた。


「何をそんなに驚いておる?」


「あ、いや、その……何でもねぇよ」


 もう誰かに見つかってしまったのかと焦っただけた、とはさすがに恥ずかしくて言えまい。

 目を逸らす俺にそうか、と笑いかける。

 久しぶりに会った(最後に会ってから二日、いろいろなことがありすぎて、そう感じる)朝霧はどこか疲れて見えた。

 手を組んだといっても、本意ではなかったのだろう。

 そして、梨花は朝霧にしっかりと、両腕で横抱きにされていた。

 梨花は大きめの桃色のネグリジェに身を包み、健やかな寝息を立てていた。

 結晶病にかかっていたはずだが、その寝顔からは病に対する苦痛などは感じられない。

 連の言っていた事は本当だったのだ。

 ほどけかけた三つ編みがさらさらと朝霧の腕から零れている。

 上半身裸の男に俺の可愛い妹の梨花が抱かれていることには平時であれば怒り狂うだろうが、今はそんな場合ではないし、朝霧のおかげでここに梨花がいるのだと分かっている。

 梨花に異常がないのを確認して、やっとほっと息をつけた。

 それから朝霧の顔を見上げる。


「朝霧、あ、ありがとな。俺たちを助けるためにいろいろ蓮達と計画を立てたって聞いた。俺、あんたには助けられてばっかで。ほんと、わりぃ。あんただって、大変なのに…無茶ばっかりさせて」


  顔を歪ませる俺に、からりと朝霧は笑いかけた。


「なぁにを変な顔をしておる。言ったであろう、我がおぬしたちを助けるのは、我がおぬしたちを助けたいからだと。おぬしが己を責めることではない」


「……お、おう」


 浮かべた曇りのない笑顔が妙に恥ずかしくて、むず痒くて、そっぽを向いた。

 そんな俺を優しげに見ている朝霧の視線にいたたまれなくなる。

 気づけば、よく朝霧は背中が痒くなるような優しい瞳で俺を見ていることがある。

 幼い子供を仕方なさそうに許す瞳だ。院長先生が孤児院の子供たちを見る瞳だ。

 きっと今もあの瞳をしているんだろう。

 なんとか空気を変えたくて周りを見渡す。

 だいぶ支部から離れられたようだ。

 支部からから一番近い街。

 その反対方向へ進んでフェンスを乗り越え、たどり着いた先はまだ復興の終えていない街の一角だった。

  ありとあらゆる建造物が傷つき劣化し、朽ちかけている。

 建物も数本のビルが建っているだけ。

 しかもそのビルも倒壊していたり、窓ガラスが割れていたりと損傷が酷い。

 ゴーストタウンのような有り様だ。

 その点は支部周辺と同じだな。

 だけどここにはほんのわずかに、人の気配を感じる。

 うまく身は隠せそうなものだが、ここら辺に移動手段なんてあるのだろうか。

 視線を彷徨わせていると、向こうの方に真新しい白の長椅子が設置されているのを発見した。

 真新しいと分かったのは、その長椅子の周りだけ伸び放題の雑草たちが随分と綺麗に刈られていたからだ。


「あれって……」


「停留所であろう」


  呟きに答えが返ってくる。振り返ると、俺と同じく座り込んだ朝霧が目を凝らしていた。


「見えんのか?この距離で?」


 三百メートルはあるぞ。


「我は眼力の能力を使うからな。他の純血よりも視力がよいのだ」


「眼力の能力?」


 「うむ。純血にはそれぞれ特化した能力があってな。我の能力は、目が合った者の身体全ての器官を破裂させることができるのだ」


 とんでもねえ能力だな。

 合成種たちを触れずに倒したのは、その能力だったのか。


「だがこの能力、そう万能でもないのだ。まず、生きている者以外には効果がない。それと、目が合うのが発動条件ゆえに、薔薇のように目を覆っていたりする者には効かぬ」


 便利な反面欠点もあるってことか。

 そういえば。

 確か、棗にお遊びで対戦して秒で負けた時……。

 開始の掛け声とほぼ同時に俺はコンクリートの床にめり込んでいて、何が起こったの理解できずにいたけれど。

 あれも朝霧の言う、純血の能力だったのか?

 その力で、朝霧もあの時、床にめり込んで。

 俺も朝霧に触れられなかったとしたら。

 棗の能力は、一体……。

 思案していると、


「あの停留所、どうやら運営しているようだ。次のバスは……十二時半か」


 朝霧が夏の日差しを手で遮りながら言った。

 こんなところ、観光でも人が寄り付かないだろうに。

 バスが運営しているなんて。

 首を捻る俺に、見てみろ、と後ろから倒壊したビルの下の方を指し示す。


「……あ……」


 壊れた跡ばかりを見ていて、気づかなかった。

 ひび割れ落ち窪んだアスファルトに無数の花や、ぬいぐるみが置かれていた。

 枯れた様子のない花々。

 手作り感漂う、兎や熊のぬいぐるみ。

 全て、弔いの品だった。

 ここは、十年前の戦争の被害にあった場所だったのだ。

 復興は進んでいても、まだ全ての地域が元通りになっているわけではない。

 全ての人々の、悲しみはなくならない。

 ここで亡くなった人を悼んでいる人たちによって、この停留所は保たれているのだろう。

 ちらりと朝霧を伺う。

 こいつはどう思っているんだろう。

 仲間を殺されて、戦争を起こした人間側を恨んではいないのだろうか。

 横目で様子を見ていたら、目が合ってしまった。


  「っ……そ、そういえば、梨花は撫子さんが監視してたんじゃねぇのか?どうやって連れ出せたんだよ」


 直前まで考えていたことが朝霧の傷に触れそうな事柄だっただけに、気まずい。

 すると朝霧は「うむ?」と変な声を上げた。


「ああ、あれは梔子どのに助けてもらったのだ。計画開始の少し前に撫子を研究室に呼び出してな。がら空きになった撫子の部屋から梨花を連れ出すことは容易かったぞ?」


「え、おいそれじゃ、俺たちの逃亡を手助けしたのが梔子たちだって、一発でばれちまうじゃねぇか!」


「……おぬしは、友に恵まれておるのだ」


 朝霧が悪いわけではないのに噛みついてしまう俺を、またあの優しい眼差しで見つめ、静かな声音で言った。


「実は我も驚いたのだ。何としてでもおぬしたちを逃がしてやりたいと思っておった矢先、蓮殿がこの話を持ち掛けてきた。発案者は梔子殿と言うておったが」


「……梔子が」


 発案者。

 手の中の端末を見つめる。

 普段は何考えてるか分かんない癖に、こんな時ばっか……かっこいいじゃねぇかよ。

 あいつらとまた会えるかは、分からない。

 けれど感謝してもしきれない、返せない恩ができちまった。

 会える、といいな。

 服の上から胸に拳を当てたとき。

 ザッーっと砂嵐の耳障りな音が耳をついた。

 端末からだ。

 目を落とすと、画面にノイズが走っており、シャム猫のマスコットが半分消えかかっていた。

 何事かと朝霧とともに端末を覗き込むと、梔子の機械音がとぎれとぎれに届いてくる。



『……ミツカッ……グソコカ……ハナレロ。……ナツメガ』


 音声が途切れ、一瞬。

 ほんの一緒だけ、笑いながら凄まじい速さで走っている棗が映った。

 そしてそれっきり沈黙する端末。

 画面は暗く、ブラックアウトしている。





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