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桜は微笑む。  作者: 青柳 兎蝶
第一部 『胎動』
12/27

10.ともだち

 


 もっとうまく、梨花を助けられたんじゃないのか。

 ファミリーの皆を巻き込まずに、何とかできたんじゃないのか。

 幾度も思考を重ねて頭を巡らせるが、どう考えても結局同じ結果になった。

 ただいたずらに時間だけが過ぎていって。

 格子窓から見える空があれから二回明るくなったから、二日経ったのかとぼんやり思う。

 固いコンクリートの床にうつぶせて、力の入らない手の平を見つめた。

 こうなったのは全て俺の自業自得だが、棗たちを許せない気持ちも、ある。

 だけど結局、俺が起こした軽率な行動で梨花も、ファミリーの皆も、朝霧だって巻き込んでしまったのだ。どう考えても悪いのは、俺だ。


 て、ゆーか、そもそも【結晶病】なんか無ければ、梨花は苦しまなくて、俺が皆を裏切ることもなかったし、人間と吸血鬼は戦争なんかしなくてよかったわけだし、そしたら棗たちだって傷つかなくてよくなって……。

 あれ、でもそうすると俺と棗たちは、出会ってなかったのか?

 ……それは嫌だなぁ。

 意味のない事ばかりを繰り返し、考えて考えて。

 もともと無い頭を使い続けた俺は疲れ切り、何もする気になれないでいた。


 本当に。

 どうすれば、よかったんだろうな。


 こんなに悔やんだのは初めてかもしれない。

 だけど俺は、今度こそ選択を間違わない。ここで静かに待つんだ。

 殺される時を。

 どこにも動けない。俺の弱点を枷に使われた時点で勝負はついている。

 これが、ここで大人しくしていることが今できる、最善なんだ。

 涙を流すことを必死で耐えていると扉が開く機械音がして、ステンレス製のワゴンを押しながら、蓮入ってきた。

 ワゴンは大きく、押しにくそうにしている。


 食事を持ってきたのだろう蓮は鉄格子の前に立つ。


「随分やつれていますね。今日こそはちゃんと食べてくださいよ」


 中にある手を付けられた形跡のない昨日の分の食事を一瞥して、蓮は言った。

 一日三食、必ず蓮や梔子が運んでくる食事に俺は一度も手を付けていない。

 食事をする気分になれない。生きようという気力も湧かない。

 なのに、二日も食べていないというのに、俺の身体はまだまだ元気だ。

 半鬼の血が俺を生かす。

 他の吸血鬼たちは食べ物を食べても栄養にならないらしいが、俺は違う。

 ちゃんと人並みに、食事からでも栄養を取ることができるのだ――血の方が良いのは仕方ないけど。

 牢屋の鍵を開け、いつも無言で食事を新しいものに取り換える。

 しかし、壊れた人形のように動かない俺を見かねたのか、今日の蓮は、横たわる俺の傍に片膝をついた。


「棗様の計画が終われば、そこから出られます。大丈夫ですよ、桜くん」


 蓮は俺を安心させようとして言ったのだろうが、逆効果だ。

 出られる、それは可能性の話で普通に考えて計画終了後に俺たちは殺されるだろう。

 殺されずに、隙を突けて逃げられたとしても、梨花を盾にされれば俺はおとなしく連れ戻されることを選ぶ。

 ようするに、逃亡の道は無いってことだ。

 うまいやり方だ。

 まるで穴がない。

 虚ろな頭でぼうっとしていると、うんざりした声が降ってくる。


「早く食べてください。桜くんが食べ終わるまで、僕はここで待っていなくてはいけないんですから」


「……いつもは置いたらとっとと行っちまうだろうが」


 蓮の足元を見ながら呟く。

 久しぶりに喋ったな。

 やつは地獄耳なのか、俺の蚊の鳴くような声が聞こえたらしい。


「それは仕事が入っていて忙しかったからです。今日は休日ですから、いくらでも待ってあげられますよ、あなたが食べ終わるまでね。貴重な休日の時間をあなたのために割いてあげている僕の気持ちに応えようという気はないんですか?」


「嫌なら待たなくてもいい。俺は、食わない」


「もう二日も食べていないでしょう。このままでは飢え死にしてしまいますよ」


「……それも、いいかもな」


 まるで仕方のない子供を見るように肩をすくめ、真顔になる、蓮。


「梨花ちゃんはどうするんですか?病によっていつ訪れるともしれない死や痛みに、不安なはずの彼女は、それでも懸命に明るくふるまっているそうですよ。……少しは見習ったらどうですか」


  皮肉を無視して、梨花の名前に自然と頬が緩む。

 やっぱり梨花はすごい。俺の天使だ。

 名前を聞くだけでこんなに力が湧いてくるなんて。

 きっと怖い思いをしている。

 なのにきっと笑顔で、迷惑をかけまいと周りに気を使っているはずだ。


「……梨花の【結晶病】は、どうなった」


「今はこれ以上の進行を抑制できています。ここにいる以上、撫子さんの血を投与し続けられるでしょうから、桜くんが心配しているほど症状は酷くありませんよ」


 それを聞いて、安心する。

 【結晶病】の痛みは、時に精神を壊すほど熾烈だという。

 梨花が少しでも苦しんでいないなら、本当に、本当に、良かった。

 半ばやけくそで身を起し、盆にのった食事に手を付けた。

 総菜パンが一つと、大皿に野菜スープ。

 パンを口に押し込み、スープを喉に流し込む。

 塩気のきいたスープは温く、猫舌の俺にはありがたかった。

 いまだ暗い心とは違い、湧き上がってくる食欲に、一度食べ始めたら止まらなかった。

 犬のようにがっつく俺の耳にカツンと小さな音が届いたのはその時だった。

 出処を辿る。

 目を落とすと、食べ終えた皿の底に何かで貼り付けられた紙が貼ってあった。


  何だこれ。

  皿を持って近づけてみると、紙の上には秀麗な文字が躍っていた。


 〝あなたがここから脱出できるよう僕と梔子ちゃんと朝霧さんで計画しました。この部屋には監視カメラが作動していますが、九時から約十分間、梔子ちゃんが偽造した映像を流してくれます。そして同時刻に朝霧さんが梨花ちゃんを救出する手筈です。逃げてください〟


 何だこれ。

 何だよ、これ。

 スプーンが指の間から落ちて、派手な音を立てる。


「……蓮っ……」


 紙の上の文字を信じられない気持ちで見つめる。

 俺は裏切り者なんだぞ。

 なのに、どうして、こんな。

 思わず零れた言葉に、感謝と申し訳なさが滲む。

 情けない表情で蓮を見た。

 顔を歪める俺に向けて、黙って、無言で唇に人差し指を立てる。

 監視カメラを気にしているのだ。


「安心してくださいね桜くん。野菜スープ、気に入ったのでしたら、また持ってきてあげますから」


 この……狐野郎め。

 今日こんなに食べるのを待つとしつこかったのは、この紙を俺がちゃんと見たか確認するためだったのか。

 計画の開始は九時から約十分。……今は何時だ?

 この部屋には時計がないので、時間を知る術を俺は持たない。

 そんな俺の様子に気づいたのか、わざとらしく自分の腕時計を見て、ふうと蓮は息を洩らす。


「もう八時四十分ですよ?僕の貴重な休日の四十分を潰した責任はきちんととってくださいね」


「ああ。……助かる」


 あと二十分後に逃げられる、ここから。

 あの梔子までが俺を助けようとしてくれているなんて。

 嬉しいしすごく助かる……けど。

 俺や梨花、朝霧はいい。

 けれど、蓮や梔子は、どうなるんだ?

 人質を逃がしたのがばれたら、ファミリーのみんなの時のように、いやそれ以上の危険な目に……。


  「でも、その。大丈夫なのか、よ」


 たまらず聞いてしまう俺。

 きっと縋るような目をしている俺に、蓮は真剣な顔をしてしばらく黙った。

 そして、やがてふくよかな声で、甘く笑った。


  「だって僕たち、友達でしょう」


  「!」


 言い知れない衝撃が体を駆け巡った。

 ともだち?

 無気力で怠惰だった脳に火が灯り、体中の血液が全身を駆け巡る。

 友達なんてできたことなかった。

 いらないって思っていた。

 棗や蓮が同性で、はじめてできた仲間だと思っていた。

 もしかしたら友達だとも思い始めていたのかもしれない。

 自分で壊してしまったけれど。

 だけどそんな俺を友達だと言ってくれた目の前のこいつは、守ろうとしてくれている。

 俺たち兄妹を。

 俺は梨花を選んで皆を裏切ったはずなのに、そんな風に言ってくれるなんて思ってなかった。

 面と向かって言われても言ってもなかったけど。

 そうか。

 そっか。

 俺たちは。


   俺たちは、友達なんだ。


 暗闇の中に光が差したみたいに、恥ずかしいのに心が暖かくなる。

  拳を握ると、俺は改めて強く、蓮の顔を見た。


 こんなところで腐っている場合じゃ、ない。

 やれるだけのことをするんだ。


 力んで計画に備えようとする俺に向かって、蓮は突然話題を変えた。


「棗様はあんなことを言ってましたけど、あなたのことは嫌っていないと思いますよ」


「え?」


  「ショックだったんでしょう?嫌いだと言われて。あなたはなんだかんだ言って棗様のことを好いていましたから」


  「なっ…!」


  「ほら、そうやってあなたはすぐ顔に出る。分かりやすいんですから誤魔化しても無駄ですよ」


 反論しようとする俺に畳みかける蓮。

 確かに好きだったがそんなにあからさまな態度をとった覚えはない。

 っていうか。


  「何言ってんだよ!そ、それに俺が棗を好きでいたって意味ないじゃん。…蓮も聞いただろ。棗は俺のこと、嫌いなんだよ」


 嫌いなくせして好きだって言ったり、信用なんかしていないくせに信用しているからと言ったり。抱き付いて、笑いかけて。

 嫌いであるはずの俺に対して、あんなに好意的な態度がとれた棗の真意など想像もつかない。

 どうせ棗は俺が嫌いなんだ。

 嫌われている俺が何をどうしたって無駄なんだと考えることも途中で投げ出した。

 それが嫌ってないって?

 なんだよ。

 下手な慰めなんて、今更いらねぇよ。

 蓮の言葉を頑として聞かないでいると、子供みたいに拗ねないで下さいと笑われた。


  「初めからおかしいんですよ、考えてもみてください。半鬼だからといって、いち実験体であるあなたが純血の頭でK機関支部の社長である棗様にそう簡単に会えるわけがないでしょう?そして休暇や外泊。疑問に思ったことはありませんか?他の実験体はあなたのようにこの機関の外に出る許可を与えられていません。例外だったんですよあなたが。何故だと思いますか?」


 そう言われてみれば不自然な点はいくつかあった。

 自分は優遇されていると感じたこともあった。

 おかしな話だ。

 分からない。

 棗の行動の理由が。

 俺が嫌いなら、なんであんなに優しくしたんだよ!


「何故って……お前は、知ってるっていうのか?」


「考えるまでもなく簡単なことです。ただ、自分の事にものすごく鈍い桜くんには、気づくまでに少し時間がかかってしまうかもしれませんね」


 鈍いってなんだよと言おうとして、始まりと同じく突然話を断ち切るように、蓮は人差し指を口元にもっていった。


「…僕たちのことは本当に大丈夫ですから気にしないで。棗様は仲間だと信じた者にはとことん甘いですから。あなたは、逃げることだけに集中して―――時間です」


 意味ありげに笑うと、腕時計に目を走らせる。

 素早く立ち上がると牢屋を出て、ワゴンの下段のダンボールから大きな抱き枕を取り出した。

 牢屋の隅に転がっている薄いタオルケットの下に潜り込ませ、人が寝ているようにふくらみを付ける。


「時間は十分しかありません。早くダンボールの中に入ってください」


 今は気持ちを切り替えて集中しろ。

 棗のことは後からじっくり考えればいい。

 頷いて、ダンボール箱に身を収める。

 最初にえらくでかいワゴンだなと思ったが、このためか。

 中は身長が低い方である俺には窮屈ではなかったが快適でもない。


「食堂の裏口から外へと出られますので、そこまで僕が運びます。動かないで静かにしていて下さい。朝霧さんと梨花ちゃんとはそこで合流する予定です」


 施錠の音が響く。おそらく牢屋の鍵を閉めたのだろう。

 扉が開く音がして、部屋から出る気配。

 速足で歩いているのか、廊下に響くワゴンのガラガラというテンポが速い。

 心臓の音が忙しない。

 人の話し声が微かに聞こえるたびに、気づかれやしないだろうかと冷や冷やする。


 もう失敗はできない、しっかりしろ!


 薄暗い中でしばらく揺れていると、エレベーターが到着を告げる音を過ぎ、周囲が静かになったところで、ぴたりとワゴンは止まった。


「もう出てきても大丈夫ですよ」


 声が降ってくる。

 ゆっくりと警戒しながら出て行くと、眩しい光に包まれた。


「現在施設内全ての監視カメラを梔子ちゃんが制御しています。しかしそれも長くは持たないでしょう。残り五分です。他の人に見つからない内に早く、この裏口を通ってまっすぐ行けば出られます」


 ワゴンから出ると蓮の言っていたとおり、そこは食堂だった。

 その奥の調理場近くには野菜や肉の切りくずが積み上げられた窯かまがあり、蓮が指差した先の通路からは生臭い匂いが漂ってきていた。

 裏口とはどうやら余った食事の残飯を捨てるための通路のことだったらしい。

 調理場には何人か人の気配がしたが、残飯がうずたかく積み上げられたこの場所には俺と連だけだ。

 上着のポケットから青白く光る手の平サイズの端末を取り出すと、それを俺に差し出す。


「これで梔子ちゃんと通信できます。彼女が色々と逃亡ルートを考えてくれていますから、ここを出たら指示を仰いでください。ついさっき合図があって、朝霧さんも無事梨花ちゃんを連れ出せたとのことですよ」


 端末を受け取るときに、蓮と目が合う。

 短く頷き返すと、同時にお互い踵を返した。

 電球さえない暗い通路に一歩踏み出しながら、振り向かずに、


「ありがとな、蓮」


  と言葉を投げかけると、背後で微かに微笑む気配がした。

 何も言わずに去っていく足音。

 俺もそれ以上は何も言わず、通路を進んでいく。

 逃げ切ってみせる。

 協力してくれた蓮や、梔子のためにも、絶対に。



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