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一話


脇目も振らずに走る影がある。


ここは人が住まなくなって久しい廃れた町。既に名も無き町の一角を、一人の男が左手で右肩を押さえて走っている。


時折後ろを気にしながら、しかし、すぐに慌てて前に走る。


顔は血塗れだ。頭から流した血もあれば、目の上の裂傷や、歯が折れて口から漏れた血もある。


顔だけではない。服に隠れて見えないが、身体中に無数の傷を負っている。折れてはいないだろうが、右足は引き摺って走っている。


そんな状態でも、男は必死に前に向かって足を動かす。


逃げているのだ。自分の体を傷だらけにしたモノから。


既に体力は限界で、今にも倒れそうな体を廃墟にぶつけながら走る。そうまでしてでも、プライドも何もない醜態を晒してでも、男には逃げないという選択肢はなかった。


心なんて遠の昔に折られている。


息も絶え絶えに走り続ける。追っ手を振り切る為に路地裏を何度も曲がり、時には廃墟の穴を潜って。


T字路を左に曲がろうとした瞬間、背後に嫌な気配を感じた。


直感に従い、傷めた右足も使って全力でT字の右側に跳ぶ。


男の両足が地面から離れると同時、男の居た場所を何かが勢いよく通過した。男の左肩を掠め、行き止まりの廃墟に激突し、廃墟の壁に穴が空くどころか、廃墟そのものが瓦礫に変貌した。


飛んできたのは鎚だ。人の頭ほどの大きさの鉄塊に太い木の棒が刺さっただけの、粗雑な鎚。しかし、それは激突するだけで脅威であるし、廃墟を崩すほどの勢いがあれば尚更。


直撃すれば、必殺の一撃だ。事実、掠めただけの左肩は衝撃で力が抜けてしまっている。


全力で跳んだ体はバランスを失い、それを左足だけで支えられるはずもない。疎らに草の生えた石畳の上を、男の体が転がる。仰向けで止まった男には、既に起き上がる力はない。


倒壊する廃墟に向かって、何かが歩いてきた。それこそが、男の心を折り、ここまで追って来た者である。


人間、だろうか。


胴体の上に頭があり、二本の脚を動かし、二本の腕を揺らして歩く姿は、どう見ても人間だ。だが、人の形をした別の何かである可能性は否定出来ない。


顎のすぐ下から手首までを覆い隠すような迷彩のジャケットに、足首まで隠すような迷彩のズボン。手にはシューティンググラブを嵌め、足には軍用ブーツを履き、顔にはゴツいガスマスクを着けている。見えているのは頭から生える短く尖った金髪だけ。その隠された顔や姿が、本当に人体と呼ぶべき物なのか、それがわからない。


倒壊によって巻き起こる粉塵にも何一つ影響されることなく、その軍人のようなモノは瓦礫に向かって歩く。そして足場の悪い瓦礫に足をかけ、危なげ無く移動し始めた。


手足を使って瓦礫を退けているのは、恐らく先程投げた槌を探しているのだ。自身の倍ほどもある巨大な瓦礫すら、片手で軽く余所に投げていく。恐るべき膂力だ。


「もう逃げねぇの?」


軍人のようなモノが、一瞥もせず男に声を掛ける。軽い雰囲気で掛けられたその声は低く、軍人が男であることを窺わせる。


「まぁ、いいけど。よく逃げた方だよ、アンタ。おっ」


瓦礫の下に槌を見つけ、力強く引き抜いた。槌に付いた砂を軽く払い、肩に担ぐ。


「で?もう限界か?それとも、もう一度逃がしてやろうか?」


瓦礫の上を男に向かって歩き、無造作に槌を回す。それだけで槌の頭部が空気を裂く音が辺りに響く。


「た、助けて……」


「もう一度逃げたいんだな?オッケー。じゃあ、次は(・・)左腕・・な」


軍人の振り上げた槌が、男の左肩に振り下ろされる。ベキャリ、という骨の砕ける音、だけに留まらず、べチャリ、という血塗れの槌が石畳に叩きつけられる音が響く。


続いて男の絶叫が廃墟の町に響き渡った。


痛みで転がる男。その左腕は、先程と同じ場所から動かず、男だけが石畳を転がった。


「両腕とも、無くなっちゃったなぁ」


肩を揺らして笑う軍人の言う通り、男の両腕は肩から千切れている。それをやったのは、この軍人のような男なのだが。


潰れた傷口から大量の血液が溢れ出し、石畳を赤く汚していく。急速に血液を失った男は、絶叫が止まり、痙攣し始めた。口からは泡を噴き、白目を剥いている。誰が見ても、男に命の危機が訪れているのは明らかだ。


「あ?なんだよ。もう終わりか」


グチャ、と、男の頭のあった場所から放射状にピンク色の液体が飛び散り、頭の代わりに槌の先端の鉄塊が置いてある。軍人のような男が、男の頭に槌を叩きつけたのだ。


ピクリとも動かなくなった腕無しの死体。だらだらと血液を流す死体に、既に軍人の興味は無いらしい。


一度鼻を鳴らすと、めんどくさそうに槌を振るい、鉄塊にこびりついた血液や骨片を散らした。


槌を背中のホルダーに掛け、軍人が死体を跨いで歩き出す。転がっていた眼球の一つを踏み潰したが、見向きもしない。


どこかを目指しているのか、軍人の足は迷いなく進む。


「ハンマーくん」


何度か道を曲がり、細い路地を軍人が通り掛かった時、どこからか声が聞こえた。少し高めの声といったところだが、声の主はどこにも見当たらない。


その声に反応し、軍人が足を止める。音源を探す気も無いようで、前方を見据えたままだ。


「撤収します。会議室に集合してください」


「…………了解」


返事と同時、軍人の姿が虚空に掻き消える。まるで初めからそこにはいなかったかのように、突然の消失だ。


誰もいない路地に、新たな音や声が響くことはなかった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



材質不明の白い壁、白い床、白い天井。一辺三〇メートルの正方形の箱の中は、光源不明の白い光に照されている。


床には楕円形の白く広いテーブルがボルトで固定されていて、テーブルを囲うように七脚の白い椅子がある。その椅子に、それぞれ個性的な格好をした七人の男女が腰掛けていた。


うち一人は、先程虐殺を行っていた軍人だ。椅子に浅く腰掛け、足を組んで背を凭れている。ガスマスクは着けたままで、その表情は伺えないが、ひどくめんどくさそうに見える。


「さて、全員集合しましたね。はい。取り敢えずお疲れ様でした。負傷者も無く、満足いく結果だったのではないでしょうか」


陽気な声が白い箱の中に響く。先程、軍人に掛けられた声と同じだ。


声の主は軍人から見て左隣。楕円形のテーブルの頂点の椅子に座っている。


軍人が着けているものと同じガスマスクを着け、『サクラ第一』と書かれた工事用の黄色いヘルメットを被っている。カーキ色の繋ぎを着て、手には軍手、足には安全靴、首には白いタオルを巻いている。


その男は工務員にも、工事現場の職員にも見える。だが、腰に巻いたポーチからドライバーやペンチ等の工具が覗いているから、恐らく工務員だろう。


「ね、サクラさん?」


繋ぎの男が、自身の左隣に寄り添うように座っている女に顔を向ける。ガスマスクで表情は見えないが、笑みを浮かべていると容易に想像がつく声色だ。


女は白いジャージの上下を着ている。背中には『桜』と無駄に達筆な文字が書いてあり、服全体に桜吹雪が刺繍されている。


桜色のフレームの眼鏡を掛け、『勝』とこれまた達筆な文字のハチマキを巻き、背中まである黒髪は後頭部で一つに纏めてある。ハチマキや髪を縛る布、緑色のスニーカーには、桜の花弁が刺繍されている。全身が桜尽くしである。


「私に言われても……」


女が繋ぎの男から顔を背けると、男はオーバーなリアクションで肩を落とした。それを見て、サクラと呼ばれた女は困ったように繋ぎの男を目だけで何度か見るが、結局何も言わずに俯いた。


「まぁいいです。とにかく今回の作戦行動は問題無しということで。何か改善点や意見などはありますか?」


「はい!はいはい!」


楕円形のテーブルの反対側。もう片方の頂点に座った少女が、元気良く手を挙げる。


首から下を銀色の鎧で覆い、動く度に鉄の擦れる耳障りな音が鳴る。仰々しい格好をしているが、顔は非常に可愛らしく、十代半ばから後半程度の年齢だと思われる。


「どうぞ、ソラさん」


当てられた少女は鎧をガシャガシャ鳴らし、身を乗り出して軍人を指差す。


「あの金槌野郎、ちょっと自由にやり過ぎだと思う!」


指を差されて言及されているというのに、軍人はどこ吹く風。ガスマスクの下で欠伸までしている。


「まぁまぁ。ハンマーくんにノルマ達成後の“遊び”を許可したのは僕ですし、作戦に支障は出ませんし。それに僕もある程度は様子を見てるんですから、いいじゃないですか」


「だからって、態と逃がしてからいたぶって殺すのは趣味が悪過ぎると思う!」


「ハンマーくんの破綻した人格に今更何を言おうと無駄です。諦めてください。っていうか、僕に言わせれば全員悪趣味です」


キッパリと意見を否定され、それも反論出来ない理由まで挙げられれば、少女は黙るしかなかった。納得はいかないから、悔しげに唸ってはいるが。


「そういえば……」


サクラの横に座った女が声を上げ、首を傾げる。


和風美女という評価が最も正しい顔立ちの、白い肌に黒髪の女だ。凛とした声は、どこか人を惹き付ける力強さがある。


しかし、純和風な顔立ちとは裏腹に、服装は文化を勘違いしたようなノースリーブで股下数センチ丈のミニ浴衣だ。


しかも浴衣は黄色と青の縦縞で、帯は虹色。足には鋲や鎖が大量に打ち付けられたロングブーツ。ネックレスやブレスレット、リングをこれでもかというほどに身に着けて、首にヘッドホンを引っ掛け、髪を纏める簪には金銀の髑髏が垂れている。


日本文化を勘違いした外人さんでも、ここまで酷い間違いは起こさないだろう。


「えっと、………なんだっけ?あれ?……………。あ、そうだ。マイの実験材料だ。一応檻に入れてんだけど、どうすればいいの?」


「おお!生きてます!?死んでます!?」


ミニ浴衣の言葉に過剰な反応を示したのは、ソラの隣に座った白衣の少女だ。ソラと全く同じ顔をしている彼女は、ソラの双子の妹である。


身を乗り出し、目をキラキラと輝かせる。


「全部生きてる。数は十か九だったと思う」


「流石です、お姉様!後で研究所に持って来てください!最近全く人手・・が足りてなくて困ってたんです!」


新しくゲームを買った子供のように、白衣の少女はそわそわと体を揺らす。早く帰って楽しみたい、という様子だ。


その様子を、ソラは微笑みながら眺めている。姉というより、母親に近い表情である。


「他に何か無いですか?…………フロウくん、何か無いですか?」


「あ、うん。何も」


フロウと呼ばれた短髪の美女は、無愛想に答える。男物のパンツスーツと短い髪が相俟って、男のように見えなくもない。男装の麗人というにも、女性らしいほどだが。


「ハンマーくんは……あ、いいです。次の予定は決まり次第掲示板に張るので、見逃さないでくださいね。じゃあ、サクラさん以外は解散です」


「えっ?」


繋ぎの男がサクラに抱き着くと、その間に軍人が消える。続いて白衣の少女、ミニ浴衣の女、と次々に消え、箱の中には二人だけが残った。


「リアルの方で、明日何か予定あります?」


「無い、かな……」


「デート行きましょう」


繋ぎの男がサクラの顔を覗き込むと、サクラの頬がうっすら赤く染まる。恥ずかしそうに目を逸らして、無言で頷いた。


「まぁ、予定は後で決めましょうね。晩御飯食べながらでも」


「うん………」


「っていうか、今日行きます?」


「う、うん…………」


「じゃあ、すぐ行きましょう」


二人の姿も同時に消え、箱には誰もいなくなる。


会議室と呼ばれる白い箱に、静寂が訪れた。



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