手話DANCE
五日後。アオは自分と同じ名前の色をした空をしかめ面で見上げていた。
最高気温は三十五度と六度、どっちだったろう。そのくらい上がればもうどちらでも一緒だ。視界の脇にベタッと濃い白の入道雲。夏が広がっている。
まだ午前中だけど、ちょっとじっとしているだけで、見えない焚き火を鼻先に突きつけられているように暑い。カーキのハーフパンツに突っこんでいたフェイスタオルで、汗ばんだ首をゴシゴシと拭くと、肌がひりっと痛んだ。
『アオー』
静香とポコちゃんが連れ立って歩いてくる。早くも風呂上りのように汗だくになっているポコちゃんの隣で、白いワンピースの静香は同じく白い日傘をさしてアスファルトを優雅に歩いていた。
ポコちゃんは大事な幼なじみだけど、この二人を見るといつも「美女と野獣」という言葉が頭に浮かぶ。野獣というより従順な牛というかんじだけど(幼なじみのために、豚という言葉はあえて避けた)。ポコちゃんはともかく静香には久しぶりに会う。こちらに向かって微笑む静香になにを言ったらいいのかわからず、代わりにポコちゃんに文句を言った。
『遅かったじゃないか』
『そう? 時間ちょうどじゃない?』
ポコちゃんは腕にはめた時計に目をやる。教室の壁にかかっている時計のように味も素っ気もない、けれど長針と短針の位置は一目でわかる実用的なデザイン。
『他の人たちは?』
ポコちゃんはそう言って辺りをキョロキョロ見渡した。アオも視線を周囲に移す。周りは人でごった返していたけれど、待ち合わせ場所にほかのメンバーはいない。やっぱり僕ら遅くないよ、とポコちゃんが文句を言うのを無視する。
『ねぇ、ここって』
静香が不安そうにアオを見る。近すぎると傘の先が目にあたりそうで、アオはわずかに身を引きながら後ろの建物を振り返った。
千駄ヶ谷の駅前すぐにあるその体育館に、駅から流れ出た人たちがぞろぞろと入っていった。髪をドレッドに編みこんだ小学生グループや、部活のジャージで来ている中高生たち。ドラムバッグを提げ、さらに両手にはチアリーダーが持つポンポンを持って笑っている同い歳くらいの女の子たちもいる。手製の横断幕や幟を抱えている両親や、その子どもたち。
目の前の光景があまりにも二年前にそっくりで、一瞬時がもどったように感じた。
四人は、ジャパン・ダンス・アワードが行われる会場に来ていた。五日前の夜、マコトからサークルの全員にメールが来たのだ。
五日後に、千駄ヶ谷の体育館に来てください!!
メールには時間と具体的な待ち合わせ場所が書かれていた。にもかかわらず、当の本人はまだ現れない。アオは両腕を組んで人の群れを睨んだ。
あいつ、どういうつもりなんだ?
ポコちゃんに肩を叩かれる。
見ると、ヨウとアキバがこちらに歩いて来ていた。アキバは首をめぐらし、大会前の独特の高揚感に包まれている会場を恐いものでも見るように眺めている。遠目に見ると、以前は骨と皮だけだったアキバも、筋肉がついたことがわかる。まだまだポコちゃんの肉を分けてやりたいくらいだけど、それでも日焼けした肌には成長の証が見えた。
ヨウがアキバになにか話しかけた。唇の形がマコトと動く。ヨウは犯人を探す刑事のように胡乱な目つきで周りを見回している。この数日の間で、ヨウの中でマコトの印象はずいぶん悪くなってるようだ。
そのとき、ヨウの後ろに隠れるようにして歩いていた人物が顔を上げた。 黒田だ。
アオと目が合う。めがねの奥の目が、ハッとしたように見開かれる。おもわず視線をそらすと、腕を強く握られた。
振り返ると、ポコちゃんがアオを見つめながらゆっくりと首を振った。
『なんだよ』
アオは腕を振り払って、ポコちゃんに向かい合った。二人の間を、静香が心配そうに視線を往復させる。
そのポコちゃんの後ろから、マコトが走ってくるのが見えた。
アオに向かって大きく片腕を上げる。
アオ! 言葉が口に浮かんでいるのが見えた。振り返った黒田が警戒するように肩を上げ、両腕をきつく組んだ。
アオは目の前の信号の向こう側にある千駄ヶ谷駅を見た。アネサンと功の姿はない。まだ来てないだけなのか、それとも来ないつもりなのか。
ため息を吐く。長い一日になりそうだった。
マコトは駆け寄ると、順番に皆の顔を見た。
ポコちゃんが笑って「マコト君」と手を振る。静香が日傘の下で微笑んでいる。ポコちゃんから聞いたのか、この間のように不安げな顔をしてなかった。ほっとして笑い返す。やっぱり静香さんにはいつも笑っていてほしい。
アキバがヨウの顔色をうかがうように隣を見る。鼻息も荒くマコトを睨みつける彼女に恐れをなしたように、周囲の観客たちを眺めはじめた。
ヨウと同じようにこっちを睨みつけているのは黒田だ。前世からの因縁の相手がやってきたと言わんばかりの形相。
アネサンと功の姿はなかった。
余計なことを考えたらそれだけで思考が停止しそうだったから、
「中入ってください。もうじき始まりますから」
追い立てるようにポコちゃんとアキバの背中を押す。
「始まるって、マコト君。我輩たちはダンスを見に来たのではないぞ」
アキバが振り返りながら咎めるように言う。黒田もマコトをジロッと睨むと、
「ダンスに興味あるの、あなただけでしょう」
「チャント説明してクダサイ!」
黒田とヨウは徒党を組むように寄り添ってマコトににじり寄った。こういうときに宥め役だった功が今はいない。
「いいからいいから」と笑いながらポコちゃんを前に押した。ちょうど高校生の集団がキャーキャー笑いながら後ろから来たので、その子たちに押される格好で入り口になだれこんだ。
映画館の扉のような厚みのある扉を押して会場に入ると、正面の舞台を三方から取り囲む形で一階席とニ階席が設けられていた。開演前の会場は薄暗く、これからはじまる祭典への期待と緊張感で張り詰めた空気が流れている。
黒田とヨウもこの中では騒げないと感じたのか、両腕を組んで不機嫌そうにあたりを見回している。その黒田の視線が、ときおりポコちゃんの隣に座るアオに向けられていた。アオも気づいてるんだろうけど、頑なに目を合わせようとしない。
一階席の、前から三列目の端の席が空いていた。通路側から順番に皆を座らせる。
「マコト君、なにを考えてるのだ」
マコトの隣に腰を下ろしたアキバが、訝しげに横目で見る。マコトはニッと唇の端を上げて笑った。黙って立ち上がると、後ろを振り返る。
姿勢よく座る、体幹を鍛えぬいた、踊る人たち。プログラムをまじまじ見る家族。鞄だけ置いて空いてる席も目立つ。皆ギリギリまで廊下や外で打ち合わせしたり練習したり、トイレに行ったりしている。
かつて自分が追い求めていた場所を、マコトは眩しいものでも見るかのように目を細めて眺めた。
「あれ、あの人って泉ヶ丘の人じゃない?」
どこからか、声がする。自分を見る視線と目が合う。声が呼び水となり、チラチラと複数の視線がマコトに向けられる。あたたかい暗がりからムリヤリ日光の下に引きずり出された、夜行生物のような感じがした。
――なんて思うほうが負けだ!
マコトはにっこり笑った。手の甲を正面に向けた右手で、数字の三を作ると、左手で右手の甲を包む。「泉」の手話。温泉って意味もある。続いて右手で丘の形を描く。「丘」の手話。
「泉ヶ丘高校出身の新川マコトです!」
両手を動かしながら、大きな声で叫ぶ。観客が、驚いたようにマコトを見返す。
「マコト君、なにやってるの」
あわてた声でポコちゃんが尋ねる。振り返ると、アシオトのメンバーはポカンとした顔でマコトを見ていた。黒田とヨウが、口を半開きにしてこっちを見ている。その顔がなんだかそっくりで笑えた。
アオが素早く手話をする。
『なにやってんだ、座れ!』
それがなぜか、そのときのマコトには反対の意味に感じた。
つまり、立ち上がれ。
マコトはふたたび観客席を見ると、笑顔で通路を抜け、二列目を通り越し、一列目を過ぎ――舞台の上で進行の打ち合わせをしていた司会者と主催者のおじさん二人がギョッとして振り返る。マコトは笑った。
鼓動が心地良く身を包む。これはリズムだ。だれもが持ってる、だれもが聞いてるリズムだ。
舞台の袖の階段を駆け上った。スポットライトの熱が頬にあたる。ライトで白くひかる舞台。みんなが見渡せる。だれかが「おい、連れ戻せ」と叫び、打ち合わせをしていたおじさんたちがマコトに駆け寄る。
「君、なにしてるんだ。降りなさい」
すでに開演時間が迫っていた。廊下の売店でジュースや軽食を買っていた観客たちもぞろぞろと席に戻ってきている。舞台の上での騒ぎに、会場中が注目して口々になにか言い合っている。
マコトは舞台からアシオトのメンバーを見下ろした。あまりのことに声も出ないのか、口を開けたまま呆けたようにこっちを見ている。その地味な反応が、なんとも彼ららしくて、すっかり嬉しくなった。
けれどマコトを取り押さえているおじさんたちは嬉しくもなんともないらしく、「まったくけしからん。ほら、降りた降りた!」「君、学校名と名前は」とマコトの顔をのぞきこんで問い質している。
「いいじゃねぇか、まだ開演前なんだろ」
マイクもないのに、その人の声はよく響いた。女とはとても思えない、ハスキーヴォイス。マコトはハッと顔を上げた。
入り口のドアの前。逆光を受けてアネサンと功が立っていた。マコトの視線をたどって、観客の視線がアネサンと功に集まる。
「開演前ってことは、大会前ってことで、大会前ってことは、まだここはなんの空間でもない。ただの体育館だ」
言いながら、ゆっくりとした足取りで歩いてくる。後ろを歩く功は笑いを噛み殺すのに必死だ。
ほんとに、もう、世の中はあなたの思うがままですよと言いたくなるアネサン論理。この論理に何度振り回されただろう?
アネサンは、呆然と見守るアシオトのメンバーたちの前を素通りしてマコトの前まで来た。両腕を組んで顔を見上げる。いきなり舞台に上がった後輩を見てもいつもと変わらない態度。さすがうちの女王様だ。
アネサンの堂々とした様子に毒気を抜かれたのか、マコトをつかんでいたおじさんたちの手が緩んだ。その隙にマコトは手を振りほどいて、また観客席に目を向けた。自分を指さす。
「俺、二年前にここで踊りました。でも」
右手の甲をひっくり返す。「でも」の手話。拙い手話を懸命につなげる。 ふっと思う。
そうだ。アオだけじゃない。この広い体育館の中に、声が聞こえる人しかいないなんて、誰が言い切れる?
「今はダンスやってません。手話やってるんです」
手話? シンと静まり返っていた観客が、シュワ、シュワ、とその単語を伝言ゲームのように伝えあう。どこかで笑いが起きた。小さな笑い声が、あちこちでドッとあがる。マコトは両手を思い切り振り上げて――。
パン!
音がして、ざわめきが統率されたオーケストラのようにピタッと止まる。 音に驚いたのではない。だれかが、「あいつ大丈夫か?」と言う。
マコトは思い切り自分の両頬を叩いていた。
自分に入れる気合い。いつも、コレで乗り切っていた。
今回ちょっと、力入れすぎちゃったけど。ひりひりする両頬に軽くて手をやって、クスリと笑う。
「今から、俺がやる手話ダンス、見てみませんか? この」
舞台の上に掲げられた横断幕。そこに書かれた金色のゴシック体の字を見る。
第五十一回 ジャパン・ダンス・アワード
「すばらしい大会の、前座ってことで」
ね、と後ろのおじさんに笑いかける。おじさんの周りには人が増えていた。大会の運営委員なのか、揃いの黒いポロシャツを着ている三十代くらいの男女がどやどやと集まって、なにごとですか、と厳しい顔で尋ねた。
一方、面白そうな顔でこの成り行きを見ている人たちもいる。薄暗い中でも目立つように蛍光塗料の専用ベストを着た男の人たち。望遠レンズを首から下げている。専門誌の取材陣だ。
黒ポロシャツの男の人たちが、厳しい顔でマコトに詰め寄る。
「君、なにしてるんだ。降りなさい」
飴にたかるアリのように、黒ポロシャツたちはあっという間にマコトを包囲した。否も応もなく舞台袖に連れて行かれる。そのとき、
「いいじゃん、やらせれば」
だれかの声がした。観客たちは、この一連の流れをショーのように楽しみ始めている。期待に満ちた顔で声の主を探す。
「…………楓」
一階席の真ん中。楓は腕を頭の後ろに組んで座っていた。楓の隣では、チームメイトの男が、おどろいた顔で楓を見ている。
楓は憮然とした顔で、
「たしかにまだ開会宣言も出てないんだし、ちょっと踊ったら満足なんだろ? じゃあやらせりゃいいじゃんか」
だけど、と楓は声を張り上げる。
「なに踊るにしたって、音楽もないこんな状態で、たいしたものが見れるとは思わないけどな」
楓の目が遠くからでもわかるくらい、強く光った。夏合宿で、夜中まで踊っていた楓の後ろ姿を思い出す。果てない努力の結果、得た者にしか出せない美しさ。その美しさと強さを、この男はもう持っている。
だれかが手を叩いた。叩く手が、だんだん増えていく。「見たーい」「やってみて!」笑う顔。中には、囁きあってクスクス笑う顔もあった。
ここにいるのはただの観客ばかりじゃない。大会の出場者が半分ほどだ。自分の出番が来るまでの間、シュワダンスなんてとても真剣にやってるとも思えない踊りを見て、緊張を紛らわしたい。そう思っているのがわかった。
それでもよかった。マコトは観客に向かって両手を上げて答える。
黒ポロシャツたちが困ったように顔を見合わせた。大人たちが囁きあう声を打ち消すように、叩く手の音はどんどん増えて体育館中を包むほどになる。黒ポロシャツの女性が、時おり打ち合わせの輪から顔を上げて途方に暮れたように観客を見上げた。
数分後、最初から舞台にいたおじさんが苦い顔で言った。
「こんなことは異例なのだが」
チラッと観客に目を向ける。もはや会場を包んでいた緊張感は欠片も残っていない。だれもが気軽なショーでも見物に来たように隣の席の人と笑ってしゃべり合っている。「早く言えー」と誰かが野次を飛ばす。
「五分間だけ、えー、この、君名前は?」
「新川です」
「新川君が、ダンスをしてくれるというので……ご覧ください」
おじさんはマイクも通さずそう言うと、疲れたように肩を落として黒ポロシャツと一緒にぞろぞろ舞台に下がっていった。ワーッと拍手が起こる。
慌てたのはアシオトのメンバーだ。
「ちょっと、そんなの聞いてないわよ!」
黒田がいつもの調子で怒る。ヨウは真っ青になってアキバのシャツをグイグイ引っぱる。
「無理デス私!」
「わ、我輩も……」
ガタリ。真っ先に椅子から立ち上がって舞台の下に来たのは、
『マコト』
アオは渋い顔で手を動かした。
『最初っからこうするつもりだったのか?』
マコトは黙ってニッと笑った。
アオは眉間にシワを寄せて手を動かした。速い手話はやっぱり読み取れない。けど、その顔で文句をダラダラ言ってるのがわかる。
それなのに一番に来てくれる。こいつはそういう男だ。マコトは舞台から手を差し出した。アオはためらわずその手をつかむと、勢いよく舞台に飛び上がった。
舞台の上、マコトとアオは向かい合う。強いスポットライトが、いつも黒いアオの瞳に反射して光る。
『一緒に踊ろうぜ』
そう言うと、驚いたようにわずかに目を見開く。その直後、仕方ないな、というその顔は少し笑った。
その様子を見て、ポコちゃんと静香が顔を見合わせ、立ち上がる。けれどそれより早く、椅子を飛び出したのは。
「黒田さん」
黒田は蒼白な顔で、目ばかりギョロギョロさせてマコトを思い切り睨むと、
「見てなさいよ」
震える声で言った。マコトは笑って頷いた。手を差し出すと、野良犬を追い払うようにフンと無視し、アオを見上げる。
黒田は震える手をアオに差し出した。アオはじっと黒田を見下ろしている。沈黙が二人を包んだ。
やがてアオはゆっくりとその手を取った。力強く引き上げる。アオの正面に立った黒田の手が、小さく動いた。アオは黙って頷いた。黒田が俯いて両手を顔に覆う。両手の間から嗚咽が漏れる。
アオはギョッと目をむいて、助けを求めるようにマコトを見た。もちろん無視した。
そんなことをしてる間に、ポコちゃんと静香が舞台に上がってきた。ポコちゃんは自分の体重を考えたのか、遠回りでもちゃんと階段を使って上った。ヨウとアキバは座席で言い合いをしている。アキバがなにか言うたびに、ヨウは首をものすごい勢いで横に振る。
やがて、アキバがすっくと立ち上がると――周りに座ってる人たちがどよめいた。アキバがヨウを「お姫さまだっこ」で舞台に歩いてきたのだ。ヨウは恥ずかしいのか、なにか母国語で叫んでいる。ヨウもアキバもトマトのように真っ赤だ。
しかし、アキバの細腕では限界があった。舞台まであとちょっと、というところで力尽きて転んでしまい、ヨウにつぶされて「ぐひぇっ」と声を出す。会場中から笑いが起きた。
マコトは舞台の下に立つアネサンと功を見下ろす。アネサンの猫の形の目は、じっとマコトを見上げている。なんの感情もうかがえない。講堂でのやり取りの再現のようだった。
「本当にすみませんでした」
マコトは深く頭を下げた。メンバーの視線が自分に集まる。マコトは皆を振り返って、両手を動かす。
『俺、アシオトが好きです。皆が好きです。アシオトが無くなるかもしれないって言われたとき、ほんとに嫌だった』
マコトは悔しげに顔をゆがめる。自分の気もちに手話が追いつかない。もどかしい。もっと伝えたいことはあるのに。もっと、こんなものじゃないのに。
『俺、もっと勉強します。今はヘタクソだけど、俺がんばるから。だからアネサン』
パンと両手を勢い良く合わせ、頭を下げる。
『アシオトに戻らせてください』
再び顔を上げたとき、アネサンも功もそこにいなかった。
「マコト」
すぐ隣にいた。
笑っていた。
「やるぞ」
猫の形の目が笑う。
「――――はい!」
声を上げて、観客を振り返る。二年前と同じ場所。空席のほとんどない会場。一階席に座る楓を見た。
ありがとう。
笑いかけると、嫌そうに目をそらされた。
後ろを振り返る。アオがアネサンに頭を下げていた。アネサンは何度か頷いた。なぜか功が反対からアオの頭をおもいきり叩いた。アネサンが笑う。アオも叩かれたくせに、胸の痞えが取れたような顔で笑った。
音楽はない。だけど皆の中に同じ音が今、流れてる。それは、聞こえるとか聞こえないとか関係なく、等しくもたらされる光のようだった。
ダンスだけじゃない、手話だけじゃない。すべてで表現する。たしかに、聞こえるように。
あなたのために。
マコトたちは目くばせし合うと舞台に並んだ。最前列は向かって右からアオ、マコト、アネサン、功。その後ろに、ポコちゃん、静香、アキバ、ヨウ。
マコトは片手を上げてカウントを取った。指が三、二、一、と減っていく。
アシオト再始動までのカウントダウンだった。
体を丸めてツーカウント待つ。全員同時に跳ね起きて、ジャンプ。着地の音で全員そろったことがわかる。マコトがいない間も、皆が練習を積み重ねていたことを全身で感じた。
みんな、ごめん。
『start ここから飛び出して蹴』
「start」。顔の前で重ねた両手を大きく外側に開く。扉を押し開くように。「始まり」の手話。
「出して蹴」。正面に向かって大きく右足を蹴りだす。
『start 足音たて踏み出して蹴』
「足音たて」。一斉にその場で足を踏み鳴らす。大きく右足を一歩前に踏み出し、「出して蹴」で再び足を蹴り上げる。楽しく。すべての人たちに伝わるように。会場の一番後ろの人に届くように。
笑う。笑う。笑え! お客さんを誘え!
『散々だった昨日も 段々忘れられるから』
こめかみにかざした手をぱっと離す。「忘れる」の手話。両腕を組む楓を、マコトはじっと見た。
いつか、話をしたいよ、おまえと。
昔はしなかったような、他愛も無い話を。
『後悔 してたら切りねーじゃん
もっかい 這い上がれるように
笑い合って泣き合って
バカバカしいことで肩叩き合って』
「笑い合って」は笑顔で、逆に「泣き合って」はすげぇ悲しそうに。ポコちゃんの言葉を思い出す。
手話ってね、つい手先の動きを追いがちなんだけど、ほんとは表情に一番意味があるんだよ。
ポコちゃんの、あの教育テレビのおねえさんみたいな笑顔にはまだかなわないけど。
「肩叩き合って」で隣のアオと肩を叩きあう。そのすぐ後に反対隣のアネサンのほうを向く。
パン。小気味いい音で肩が叩かれる。アネサンは笑っていた。マコトはなぜだか泣きたくなった。だけどそれも一瞬のこと。ダンスは先に進む。
一番と二番の間の間奏部分。毎回、めがねーズが一番死んでたとこ。まずはクラップ。横を向いて背中の後ろで両手を叩いたり頭の上で叩いたり。観客を誘いこむ。最初はまばらだった手拍子が、次第に増えていく。
叩く。刻む。リズムが、無音のスピーカーから音楽を流しているようだった。今この瞬間、この会場中の誰もが同じ音を聞いている。マコトは笑っていた。
たのしい。
ワン・ツー・スリー・エン・フォー。
手を軽く握って、一斉にスクービードゥ。すかさず最前列のマコトから順番にスキーターラビット。つま先じゃなくてカカトから前に蹴って、頭の位置がぶれないように左右の足を入れかえて勢い良く着地。
着地したらその場でロック。一歩も動かない。会場のどよめき。拍手が起こった。成功だ!
『いつも いてくれてサンキュ』
ありがとうの手話。あぁ。マコトは目尻に涙が浮かんできた。
何度この手話を見ただろう。そうだ。まだこいつらに伝えてないことがある。これが終わったら言わなくちゃ。
ありがとう。
『たまには チラリこんな本音
支えるんじゃねぇ
支えられるんじゃねぇ』
首を振りながら左手の親指を突き出した拳を前と後ろから右手で二回ずつ叩く。リズミカルに。「支える」「支えられる」の手話。首を振って眉を寄せて、「ちがう」と表す。
ダンスがクライマックスをむかえる。
『対等にいこうぜ最高にな』
最高に――の手話で左の掌に向けて右手の指先を下から大きく突きさしながら、高くジャンプする。
わぁぁ!
歓声が、メンバーを包んだ。
心臓が鼓動を刻む。疲れではない。高揚感で、体が震えた。後ろを振り返る。皆、呆けたような、驚いたような、なんともいえない表情でお互いを見ていた。拍手は止まない。
黒田が唐突にしゃがみこみ、肩を小刻みに揺らす。嗚咽が漏れていた。静香とヨウが素早く座りこむと、両側から抱きしめた。アオと目が合う。自然と笑い合った。片腕が伸びて、拳が音もなく交わる。
マコトは観客席を振り返った。皆、笑っている。嘲笑ではない、本当の笑顔。立ち上がってる人もいた。
グイッと手が引かれる。アネサンがマコトの右手をつかんでいた。マコトはすぐに左手でアオの手をつかむ。アオがマコトを見て、反対の手でポコちゃんをつかむ。ポコちゃんは静香を、静香は黒田を、黒田はヨウを、ヨウはアキバを。
マコトは両手を高く上げた。つないだ両手から皆の熱と想いがつながって一本の太い線になる。
二年前、この場所で太陽をつかんだと思った。だけど今は、それよりもっと尊い物を、たしかにつかんでいると思えた。




