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手話、サークル?

 音楽がホール一杯に鳴り響く。

 それよりも大きなボリュームで頭の中にくり返し響く「ワン・ツー・スリー・エン・フォー」のカウント。もう寝る寸前まで、いや、夢の中でも聞こえている音。音に心臓の鼓動が重なる。手を伸ばすと、汗が視界を遮った。

 目に染みて痛みがじんと広がる。が、死んでも顔には出さない。音楽が終盤に向けて一気に加速する。ここでターン――フィニッシュ!

 スポットライトが太陽のように身を照らす。突き上げた拳がそれに重なる。今、俺は太陽をつかんでいる。そう思った。割れるような歓声と拍手。スタンディングオベーション。

 完璧な瞬間だった。




 ガタタンッ。

 振動が伝わってきて、マコトは目を覚ました。隣に座っていた男子がパイプ椅子から立ち上がると、こちらをチラッと一瞥して、マコトの膝を跨ごうと足を上げた。マコトはあわててダランと伸ばしていた足をひっこめ、男子を通らせた。

 周りを見ると、大勢の学生が椅子から立ち上がり、ぞろぞろと出入り口へと向かっているところだった。好き勝手にしゃべり合う声が講堂にワンワンとひびく。

 気づけば入学式は終わっていた。

「ふあ~ぁ」

 大きなあくびが口からもれる。受験のときにパンフレットで何回も見た学長が壇上に上がったところまでは記憶してる。そこから先は……まったく覚えてない。

 うつむいて眠っていたせいで痛む首をバキバキと音を立てて回しながら、パイプ椅子の下に置いていた紙袋に目をやった。中身は授業の内容が書かれた冊子や学生生活のガイドブックみたいな分厚いテキスト、そのほか文芸サークルが発行している薄い雑誌やら学校の地図やら、とにかく目を通しそうにないものばかりで、いっそ置いていってしまおうか本気で迷う。

 もちろん誰もそんなことしてないので、ため息をついて学校の紋章が記された紙袋に手を伸ばした。 

 出入り口へと向かう流れに合流しながら、高校のときみたいにネクタイを緩めてみる。

 黒いスーツの集団がすでに何人かずつグループを作って、しゃべりながら講堂を出ていく。ついこの前まで自分と同じ高校生だったはずなのに、スーツ姿だからか、皆やけにオトナっぽい。女の子たちだって、高校とちがい化粧オーケーだからなのか、素材の差か、マコトの周りにいた女どもとはまるでちがう。すれちがうときイイ匂いのする女の子が多くて、おもわずニヤけてしまった。


 講堂が薄暗かったせいか、外に出ると天気の良さがやけに目にしみた。水色に発光している空。陽光が首の後ろや肩甲骨の辺りに降りそそぎ、ジャケットの内側が早くも熱をもつ。講堂の正面の中庭を眺めると、式が終わってもまっすぐに帰らず友だちや親と話しこんだり写真を撮ったりしている人たちが大勢いた。


「ねぇ、写真撮ってー!」

 入学証書を持った女の子が桜を背に立っている。今年は冬が長く、三月になっても気温が上がらなかった。そのせいで桜の木もまだほとんどがつぼみだ。日当たりのいい一部の枝だけ、淡雪が積もるように白い花びらが咲いている。そのわずかな桜の下で、女の子はうれしそうに笑っていた。写メールのシャッター音が笑い声とともに空に吸いこまれていく。

 撮影会はそこかしこで行われていた。これから始まる大学生活への期待に満ちた空気が、シャボン玉のようにあちこちでふくらみ、光り、はじける。


 私立宝仙(ほうせん)大学。通称ホウ大。マコトが今日から通うことになる大学の名前だ。なぜかかわいい女子大生が多いと、去年この大学を卒業した従兄弟に教えてもらったことをきっかけに、高三の夏に偏差値を六上げてようやく入学した大学。

 緩めたネクタイをキュッと締めなおすと、両頬を軽く二回叩く。昔から自分に気合を入れるときにするジンクスのような行動(もの)

 ――よし、やるぞ!

 校門をできるだけゆっくりと出る。大学の最寄り駅から直線で伸びている大通りを脇に入り、大学へと続く上り坂はホウ大前の坂だから「ホウ坂」と呼ばれていた。

 今、マコトはホウ坂の頂上から下界を見下ろしている。歩道には、期待に満ちた顔でこちらを見る男女であふれていた。

「お、来たぞ!」

 誰かの声がする。そうだ、来たぞ! マコトは心の中で返す。

「皆、準備はいいか」

 同じ人の声。そうだ、準備はいいか? タイミングが大事だぞ、お互いさ。

「よし、かかれー!」

「かかってこーい!」

 マコトはおもわず叫んだ。

 声と同じタイミングで、歩道に一列に並んでいた男女がワッとマコトに押し寄せる。赤いジャンパー、白いスタジャン、黄色いパーカー、エトセトラ。数人ずつ、同じ上着をはおっている。一番手前の赤いジャンパーの男(オリラジのあっちゃんに似ている)が叫ぶ。

「どうぞ、新歓きてください!」

 赤いジャンパーがチラシをマコトの手にねじこもうとするのを防ぐかのように、白いスタジャンをはおった女の子がその前に出てニッコリ笑う。

「テニスサークルです! 初心者大歓迎です☆」

 笑った瞬間、女の子のクルンとカールした髪の上部についたプラスチックのリボンが光に反射してピカリと光った。マコトは赤いジャンパーが渡そうとしたチラシをパッと手放し、入学証書をもらった時より厳かな顔で

「必ず行きます」

 と白いスタジャンの女の子を見つめた。女の子は一層笑みを深くし、

「ぜったい来てね。新歓の場所も書いてあるから――」

「ちょっと、こっちも新歓やります! チラシ持ってってください」

 黄色いパーカーをはおった、マナカナのようにそっくりな双子が叫んだ。その双子の脇を通り過ぎてもまだ続く人の列。知らない人が見たら、新たな選挙運動と思うかもしれない。それくらいの熱の入れよう。

 あれよあれよという間に、マコトの両手は新歓案内のチラシやサークル紹介のパンフレットでいっぱいになった。こんな紙ぺらでも、枚数が重なるとけっこうな荷物になる。

 どんどん厚みを増すチラシの束を感心して見つめながら、それでも受け取り損ねることがないよう、ゆっくりと坂を下りていった。




「いやぁ、大漁大漁」

 笑いながら通りを歩く。右腕に入学式でもらった紙袋を提げ、両手は大量のチラシで塞がっている。歩きにくいことこの上ない。それでも目的が果たされて満足だった。

 ガラにもなくガムシャラに勉強してホウ大に潜りこんだからには、世に言う「バラ色のキャンパスライフ」とやらに是が非でも参加したい。それにはまずサークルだ。そしてコンパだ。女の子だ。かわいい女の子だ。従兄弟からは、「入学式の日のホウ坂は、出会いのチャンスであふれてる」というありがたき助言をもらっていた。かわいい女の子が多いサークルに巡り合うためなら、何回だって新歓に行ってやる。飲みすぎてもいいように、ウコンの力とか、今のうちに買っておこう。


「やっぱテニスサークルかな。王道だし。さっきの白いスタジャンの子、かわいかったよなー」

 にやにや笑いながら呟く。ホウ坂を下って、駅へと向かう大通りと合流する。春から住み始めたアパートは駅の向こう側にあるため、進む先は駅をめざす人たちと同じだ。駅前に近づくにつれ、人通りも多くなる。なにやらブツブツ言っては笑う青年を、通り過ぎるサラリーマンが怪訝な顔で見ている。

「やっぱ、合宿とかすんのかなー。で、夜ふたりっきりで抜け出して……ウワすげー。漫画みたい」

 くふくふと笑っていると、ななめ前のファミリーマートから人が飛び出してきた。

「静香、早く! もう新入生帰っちまうよ」

「アネサン、ごめんなさい先に行って」

 姐さん?

 普段の生活で聞かない単語に反応し、おもわず声の方を見る。


 自分と同い歳くらいの女の子だった。ショートカットのド金髪。透き通るような白い肌に、猫を思わせるツンとななめ上を向く瞳。アネサン、と呼ばれた女の子は長い手足を思う存分使って、一瞬でマコトの傍を通り過ぎて行った。陽の光を吸って、金髪が白く発光していた。

 すげー……バービー人形みてぇ。

 おもわずぽうっとなる。女の子が走り去っていった方を目で追いながら、無意識に足だけは前に向かって歩いていた。

 だから正面の人には気がつかなかった。


 ――どん!


 ぶつかったはずみで、半歩後退する。おどろいて振り返った。

「うおっ」

 もらったばかりのチラシがアスファルトに盛大に散らばっていた。ぶつかったときに落としてしまったらしい。

「きゃあ、すみません」

 正面に立っていた女の子があわてたようにしゃがみこんで、チラシをかき集める。

「いや、こっちこそ――」

 マコトもしゃがみこむ。チラシと一緒に、受け取った覚えのないピンク色の紙の束が固まりになって落ちているのに気づく。

「すみません、これって」

「はい?」

 チラシを拾っていた女の子が顔を上げる。その瞬間、言葉を忘れた。

 つやのある黒髪が、まっすぐにネイビーのカーディガンに向かって流れている。大きなアーモンドの形をした二重瞼の瞳。すっと通った鼻筋。唇。白い肌。

 そしてきわめつけに、なんだかとてもいい匂いがした。

 マコトの脳内で審判がピーッと笛を吹いた。

 ストライク!

 

 鈴のようだ、と思った。キリリと澄んで、柔らかな音を出す鈴をおもわせる声音。

「いや、むしろこちらの不注意でした。申し訳ありません。それにしてもアスファルトに広がったチラシの束は、さながら桜の花びらが地面に落ちてるようじゃないですか。ちょっとロマンチックですね。わはは」

 など言えるわけなかった。

「いや……」

 徹夜でカラオケした翌朝のようなしわがれた声が出た。鈴の声の人物は、大きな丸い瞳でマコトを見つめている。

「あなた、新入生?」

 はい、そうです! と言いたかったが、焦って舌を噛んだ。

「え?」

 鈴の声は(便宜上、鈴さんとする)はマコトの反応にひるんだように肩をすぼませ、眉を八の字に下げた。マコトは急いで

「いやいやいやちがいあす(また噛んだ)。俺新入生です、そこの、ホウ大の、今日から」

 文法がめちゃくちゃな日本語で、

新川(しんかわ)マコトっていいます!」

 どさくさにまぎれて自己紹介。

 鈴さんはマコトの勢いに押されてか、一瞬ポカンとした後、表情を和ませた。薄紅色の唇の両端がかすかに上向く。マコトはそれを見てウワーウワーと心の中で叫ぶと、まだ回収していないチラシを猛然とかき集めた。

 そのチラシの中に、先ほどのもらった覚えのない紙の束を見つけ、鈴さんを振り返る。

「あの、これ」

「あ、どうもありがとう」

 案の定、鈴さんのチラシだったらしく、白い手がすっとマコトに向かって伸びる。薄ピンクに塗られた爪がつるんと光っている。どぎまぎしながら、手元のチラシに目をやる。

 

 サークル アシオト 部員大募集中!

 

 書いた人物の気合が透けて見えるような、紙いっぱいの大きな文字。

「足音?」

 おもわず呟いた声が、鈴さんにも聞こえたらしい。マコトの反対の手にあるサークル勧誘の束に目をやると、

「サークルに興味ある?」

「あ、はいもちろんっ」

 鈴さんはニッコリ笑った。マコトの頭の中にふたたびストライク! という声が響きわたる。

 鈴さんは手の中にあるチラシの束のうち一枚を、そっとマコトの手にもどして、

「私、宝仙大学二年生の静香です。もしよかったら、新歓来てくださいね」

 ウオーと再び心の中で吠える。首をブンブンとたてに振って、

「必ず行きます!」

 と答えると、鈴さん改め静香はうれしそうにふたたび笑った。

「それじゃ、私もう行かなくちゃ。アネサンに怒られちゃう」

 さっきのバービー人形のような人が一瞬脳裏によみがえった。あの人のことだろうか。

 静香はニ、三歩いったところでもう一度振り返ると、

「一緒に楽しい大学生活にしましょうね」

 と言って微笑み、マコトの頭の中で三度目のストライク! が鳴り響いた。


 静香が去った後、一人残ったマコトは、自分の汗でふやけたチラシをあらためて見た。

「ところでこれ、何のサークルなんだ?」




 宝仙大学には四つの校舎がある。授業を受ける一号館と二号館。入学式などの式典につかわれる一方、体育館も兼ねている講堂。

 そして四つ目が、今マコトのいる宝仙館と名付けられた建物だった。

 宝仙館は、宝仙大学の部室専用の建物だ。マンションのように等間隔に同じ扉が並んでいて、扉の脇にはサークルの名前が書かれた表札がかけられていた。

 廊下を歩いていると、時折それぞれの部屋から笑い声が聞こえる。姿は見えないけれど、学生たちの楽しげな気配に満ちている。管弦楽部が練習をはじめたらしく、トランペットかホルンか、楽器の低くて甘やかな音が流れていた。

 マコトはもの珍しげに、部室の前にかかっている表札を見ながら、一人でツッコミを入れて歩いた。

「出たー、アイドル研究同好会。どこにでもあるんだな。お、落語研究部。これが落ち研ってやつか。……なんだよカブトガニ研究部って。マニアックすぎるだろ」

 各サークルの扉を横切りながら、持っていたチラシにふたたび目を落とす。

 サークル アシオト 部員募集!

 何回見てもそれしか書いてない。扉の前を通り過ぎるたびに「アシオト」の表札を探す。

 アシオト。いったいなんのサークルなんだろう。


 だいぶ奥まで進んだとき、ある表札を見つけた。自然と足が止まる。

 ダンスサークル

 表札には、そう書かれていた。その文字を無表情に見つめる。ふっと記憶が舞い戻る。


 


 音楽がホール一杯に鳴り響く。

 それよりも大きなボリュームで頭の中にくり返し響く「ワン・ツー・スリー・エン・フォー」のカウント。もう寝る寸前まで、いや、夢の中でも聞こえている音。音に心臓の鼓動が重なる。手を伸ばすと、汗が視界を遮った。

 目に染みて痛みがじんと広がる。が、死んでも顔には出さない。音楽が終盤に向けて一気に加速する。ここでターン――フィニッシュ!

 スポットライトが太陽のように身を照らす。突き上げた拳がそれに重なる。

 今、俺は太陽をつかんでいる。

 そう思った。割れるような歓声と拍手。スタンディングオベーション。

 完璧な瞬間だった。

 



 扉の向こうからマイケル・ジャクソンの「スリラー」が聞こえる。ぼんやりと立っていたマコトはふーっと息を吐いた。

 もう考えるな。そんなことより、バラ色のキャンパスライフだ。せっかく大学生になったんだ。

 新しいスタートを切るんだろう?

 流れ続ける「スリラー」から逃れるように視線を廊下に戻すと、手に持っていたはずのチラシを失くしたことに気づいた。あわててきょろきょろと周りを見渡す。歩いてきた廊下を振り返って――。

 二メートルほど離れたところから、自分を見ている目と目が合った。

 

 マコトと同い歳くらいだろうか。真っ黒な髪の毛、黒いロンTにジーンズ。少し厚めの前髪の向こうから、大きな瞳が覗いている。なにかの計測をする人のように無表情な顔でマコトを見ていた。

 その男の手には探していたチラシが握られていた。

「あー、すいません。それ俺のです」

 言いながら近づいていく。男は黙ってマコトを見たまま、チラシを握る手をだらりと下げている。マコトは男の正面まで行くと、

「あの、それ」

 チラシを控えめに指さした。向かい合うと、百七十センチのマコトより十センチは背が高いことがわかる。見下ろす目は夜の海みたいに陰影のない黒だった。

 男はマコトの視線を追うようにチラシを見ると、再びこちらに視線を合わせた。相変わらずの無表情。なんだか気味が悪い。

「返してくれない、それ」

 やや強い口調で掌を差し出す。命令に従うロボットのように、男は表情筋をひとつも動かさずマコトの掌にチラシを戻した。頷きもしなければ、「はい」も「どうぞ」もない。

 なんだこいつ。

 訝しげにじろっと見上げると、半ばむしり取るようにチラシを奪い返すと、そのまま無言で脇を通り過ぎていった。自然と来た道を戻ることになってしまったが、もうさっきのように「アシオト」を探したい気分でもなかった。


 階段を下りていったマコトを、男はじっと見ていた。やがてまっすぐ向き直ると、廊下の奥へと向かって歩いていき、一番角の扉を開ける。

 室内では数名の部員がくつろいだ様子で座っていた。丸いめがねをかけた小太りの男が振り返る。

 

 どうしたの? 


 問いに、男は訝しげな顔をする。

 なにが?

 だってなんだか嬉しそうだよ。

 男はほかの部員が見ている、ドラマのDVDに目をやりながら答えた。

 なんでもない。


 


 週末をはさんで、迎えた月曜日からの数日間は怒涛の日々だった。

 やたら時間がとられる健康診断。不要だと思っていた入学式にもらった冊子を隅々まで舐めるように見て、一週間の授業を決めていく。学生課はいつ行っても、自分と同じように履修登録が分からず事務員に泣きついてる一年生でいっぱいだった。

 授業が始まれば始まったで、校舎前の掲示板を毎日見ておかないと、急に休講になったりしても気づかない。授業の九十分が長い。体は高校までの五十分授業に慣れてるから、「そろそろ終わりかな」と思って時計を見るとあと三十分も残ってたりする。

 がっくり肩を落として机に体を伏せると再び眠る体勢に入る。組んだ両腕を枕代わりにして頬を乗せると、教室の窓から満開の桜の木がのぞいていた。


 金曜日。午後の講義をやり過ごしたマコトは、その足で渋谷に向かった。ハチ公の前にある緑色の電車の模型にもたれかかりながら、四つ折りにしていたチラシを開いた。

 静香からもらったチラシの右下に書かれた「新歓のおしらせ」をもう一度確認する。

 渋谷ハチ公前七時集合!

 ここは渋谷でハチ公前で時刻は……左手につけた腕時計に目をやる。オシャレ感を重視して買った黒いブランド時計は、文字盤が無くとてもじゃないが正確な時間はわからない。あきらめて尻ポケットに突っこんでいた携帯を取り出す。六時五十五分。五分前集合とは、我ながら完ぺきだ。


 けっきょくアシオトが何サークルかわからなかったけど、少なくとも今日は静香に会える。そのことが最重要事項だ。静香がいるなら、サークルの正体なんて関係ない。テニスでもサッカーでもカブトガニ研究部でもドンと来いだ。

「テニスサークル新歓です!」

 居酒屋の勧誘をする店員のように、プラカードを持った男が人ごみの真ん中で声を張り上げた。他大学のサークルらしい。

 あらためて周りを見ると、自分と同じように新入生らしい大学生が大勢いた。無音にしていたテレビ画面の音量を元にもどしたみたいに、いっきにたくさんの声がマコトの両耳に流れこむ。数人で輪を作るように集まり、楽しそうに笑い合う女子大生。携帯を見ながら隣の男と話している自分と同い歳くらいの男。リクルートスーツを着た就職活動中の女の子も、周りのカジュアルな服装の友達となにか話して笑ってる。ダンボールにマジックでサークル名を書いた看板を、おざなりに片手でかかげる痩せた男。

 体中にまとわりついてくる、繁華街がもつ独特の猥雑なエネルギー。それでも、嫌いじゃないとおもった。

 皆よく笑ってる。だから笑い声がいちばん耳につく。春の夜を楽しみにきたんだな、とおもった。だれもが新しい季節を新しく出会う人と過ごそうと、浮き足立っている。  

 マコトは両手で頬を二回軽く叩く。気合注入。

 よっしゃ! 今度こそカワイイ彼女ゲット! 

「来てくれたんだ」

 背後から声がして振り返った。

「静香さんっ」

 マコトが名前を覚えていたことにおどろいたのか、静香は一瞬目を丸くさせ、その後にっこりと笑った。血圧が急上昇する。笑った瞬間、マコトの頭の中で鈴の音が鳴り響いた。

 こんな風に優しく美しく笑うことのできる人に、この東京砂漠で出会えた。運命だ。もうそうとしか考えられない。

「皆のところに案内するね。あっちにいるから」

 と、片手をハチ公の石像の正面に向けた。人ごみの中に向かっていく静香の後に着いていくと、

「アネサン」

 静香が声をかけた。ハチ公の前にしゃがみこんで下を向いている女の子を、とり囲むように立っている三人の男が振り返る。


「静香」

 男の中でも一番背が高いイケメンがチラッとマコトを一瞥して笑う。

「ナンパ成功か?」

 えっと思った。男の発言に対してではなく、しぐさを見て。

 男は話しながら、両手でジェスチャーをした。英語に不慣れな人がむりやり英語を使うとき、思わず出るアレみたいな。いや、でもアレよりもっとキレが良くて早い。まるで楽団の指揮者が振る指揮みたいだった。

 静香が笑いながら首を振る。

「そんなことしてません」

 イケメンの隣の男がマコトをジロジロと見た。男はこの時期だというのに、黒いダウンジャケットを着ていた。チャックが首の一番上までしっかり上がっている。痩せこけた頬、神経質そうな尖った細い目。黒い髪が鳥の巣のように眉まで覆いかぶさっている。

「アネサン、新入生は最低でも十人は固いのではなかったか? 彼はどう見てもお一人様ですぞ」

 ずいぶんおかしな喋り方だ。そしてやっぱり、イケメン同様両手を素早く動かしている。イケメンの動きとはビミョウにちがう。このサークルで流行ってる遊びだろうか。マコトが怪訝な顔で男を見ていると、


「っかしーな……」

 低い声。その人は男たちの間からゆっくりと立ち上がった。マコトはおもわずあっと声を上げた。

 バービー人形。

 ファミリーマートの前ですれちがった、金髪の女の子が立っていた。間近で見て、やっぱり美人だと改めて思う。

 バービー人形が赤い唇を開く。

「よう新人」

 低っ。

 おもわず心の中でツッコむほどのハスキーボイス。この歳でもう酒焼けか? と聞きたくなるような低い声だ。目を見開くマコトにはかまわず、バービー人形は両腕を組んで不満げに眉を寄せた。

「あんだけチラシ配ってこれだけってどういうことだよ。せっかく静香とか(いさお)とか、見てくれいー奴使ったってのによ」

「だから言ったのだ、世の中の女性は見た目より知性を重視していると。我輩にもチラシ配りをさせればよかったのに」 

 ダウン男が主張した。一人称に「我輩」を使う人なんてはじめて見た。

 そのとき、それまで黙って立っていた、男たちの中でも一番背の低い男がバービー人形にチラシを見せた。丸いめがねに丸い顔の小太りな男。マコトはマトリョーシカを連想した。

 マトリョーシカの両手が他の男たちのように素早く動く。両手に合わせるように、口を大きく開いて――しかし、声は出なかった。マコトはギョッとしておもわず後退する。

 なにしてるんだ? 

 しかし、バービー人形をはじめ静香たちもなんでもないことのようにマトリョーシカをじっと見て、ときおり浅く頷いた。まるで、ボディージェスチャーだけで相手の意思がわかるというように。そればかりではなく、バービー人形たちも同じようにジェスチャーと口パクで返しはじめた。いよいよマコトはわけがわからなくなった。目の前で唐突にパントマイム劇がはじまったみたいだった。

 待ち合わせをしている暇人たちが携帯をいじりながらこちらをジロジロと見ている。何人かの女の子たちが、なにあの人たち、と言ってるのが聞こえ、おもわず逃げ出したくなった。すがるように静香を見るが、こちらの視線にはまったく気づかずマトリョーシカを見ている。


 だしぬけに、バービー人形が声を上げる。

「そういうことか」

 ダウン男とイケメンがチラシを覗きこみ、眉を寄せる。

「これはいかん」

「おいアネサン、一番大事なとこ抜けてんじゃんか」

 イケメンがバービー人形に向かって言った。姐さん、とはバービー人形のことだろうか。そういえば、静香もそんな風に呼んでいた。

 うんうん、と納得しあう面々に着いて行けずポカンとしているマコトに、静香が振り向いた。静香はちょっと笑いながら、

「チラシに、サークルの名前しか書いてなかったみたい。それじゃあ新入生も来ないよね」

 あ、そうっすね、とマコトは曖昧にうなずく。サークルの名前しか書いてなくてもノコノコ来てる自分に聞かれても、答えづらい。アネサンが、チラシをマコトの前で広げる。

「つまり、こういうことだよ」

 サークル アシオト 部員大募集中!

 鞄から取り出した赤ペンで、字を書き足した。

 

 手話サークル 

 アシオト 部員大募集中!


「――――え?」

 マコトは目を見開いた。

 手話、サークル?


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