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 ガチャガチャ、ガタン。

 深夜零時を過ぎた頃、隣の部屋から乱暴な音が響いた。そろそろ寝ようと思っていたわたしは顔をしかめて万年床に横になった。

「おいブス! 何やってんだよ!」

 ガシャン。そして悲鳴があがる。

「やめてよ! まーたん!」

「ふざけんなよブス! てめぇ俺に恥じかかせやがって」

「何!? 何のこと言ってんの!?」

 わたしは目を強く閉じた。

「てめ、家賃また払ってないじゃねーか! 俺にまで電話かかってきたんだぞ!」

「やめて!」

 ドゴッ、ガシャン。ものが崩れ落ちる音、そしてまた小さな悲鳴。

「やだ! やめて!」

 音だけが聞こえてくると、余計気になってくる。

 ドサッ。

 これは何が落ちた音だろうか。ベッドから布団が落ちた音? それとも棚から何か落ちたのだろうか。昨日幽体離脱したときは、小さなプラスチックの棚の上に何が乗っていたっけ。

 ああ、そうだ。業者から届いた封筒が山のように積まれていたのだった。よく見れば、それらは公共料金の督促状である。

 いつの間にか、目の前には隣の家の中の光景が広がっていた。わたしは幽体離脱してしまっていたのだ。

「やめて! 痛いよ!」

 髪の毛を引っ張られ引きずられる女。

「うっせーブス! いい加減にしろよ」

 罵詈雑言を吐く男。

 今日はいつにも増して喧嘩が激しい。どうやら男は、二ヶ月程家賃を滞納していたために男に督促の連絡が来て機嫌を損ねたようだ。

 しかし、女は男に手渡しで家賃を毎月渡していることをわたしは知っている。恐らく今月も男はそれを全てパチンコでスってしまったのだろう。先月か先々月にも同じような内容で喧嘩をしていたのをわたしは幽体離脱中に目撃していた。

 よく見れば男の顔は少し赤い。パチンコの後で酒を飲み、イライラした気持ちを抑えきれずに女に暴力を振るっているのだろうか。

 男が女の髪を掴みながら立ち上がらせ何かを叫ぶ。女は泣きながら謝り続けている。こんな光景は、テレビの中でさえもあまり見ることはなかった。わたしは物珍しさから、二人の同行をしばらく見つめていた。

 パシン、といい音を立てて男の平手が女の頬を打った。かなり痛そうだ。

 女はしばらく何をされたのか分かっていなかったのかぽかんとしていたが、やがて大声を上げて泣き出した。

 男はどう出るかと思えば、しばらく突っ立ったまま動かない。足下で崩れ落ちてなく女が目に入っていないようだ。どうやらこのカップルは二人揃って頭の回転が遅いらしい。まあ、今更確認することでもないのだが。

 ぼんやりしていた男だが、十秒暗い虚空を見つめてから我に返り女を抱きかかえた。酔いも冷めてしまったようだ。おろおろしながら女の背を撫でさすったり、抱きしめたりしている。

「ごめんな、俺、こんなことするつもりじゃなかったんだ」

「いいの、みーが悪いんだもんね。みー、馬鹿だから」

 女は自分のことを普段からみーと読んでいる。名前が「み」から始まるものなのか、英語のミーなのか、なかなか疑問に思っている。どっちにしろ馬鹿っぽいことには変わりはないのだが。

「俺もごめん。何だって女の顔殴るようなやつにはなっちゃいけないよな」

「ううん。みーが殴られるようなことしたんだよ。まーたんは優しいから、殴るまでみーの馬鹿なとこに我慢してたんだよね。ごめんね、いつも馬鹿で」

「お前……マジいい女だわ。マジ悪い。もう絶対殴ったりしないから」

「まーたん、だいすきだょ」

 男と女は抱き合い、濃厚なキスをし始めた。わたしは気分を害したので、自分の体に戻るべく目を閉じて眠ろうとした。

 大体幽体離脱中に目がつぶれるということは、この体には瞼があると言うことなのだろうか。今度幽体離脱中に鏡をみてみよう。

 ああ、こんなことを考えていてはいけない。早く体に戻らなくては。眠い、お腹すいた、タバコ吸いたい、だるい、お腹すいた、タバコ吸いたい……。

 しかし全然体には戻れない。隣人はなんだか怪しい雰囲気になってきている。このままここにいるわけにはいかない。見たくもないものを見る羽目になってしまう。

 わたしは自力で部屋に戻ることにした。出来るだけ何も見ず何も聞かないようにしながら汚い隣人宅を横切る。ベッドの上に登り、わたしの部屋の丁度テレビの裏側の壁に手を当てた。

 壁を通り抜けるのは初めてのことである。出来るのか出来ないのか分からないが、出来なければ部屋に戻ることは出来ない。そうこうしているうちに隣人カップルがベッドの上へと進撃してきそうな気配を感じたので、思い切って体を壁の中に押し込んだ。

 思いのほかするりと壁を抜けることが出来た。気持ち悪い感じもしない。そのままの勢いでテレビさえすり抜けたわたしは、しかし自分の体を発見することは出来なかった。

『は?』

 思わず声が出た。幽体離脱中に発声するのは初めてじゃないだろうか。

 薄ぼんやりと浮かぶ部屋の中、愛しの万年床の上には何もなかった。掛け布団は使っていないが、タオルケットは夏冬問わず愛用している。それすらも敷き布団の上には乗っかっていなかった。布団の横に、汚らしく丸まって置いてある。

 朝起きたときにこの状態になっていることはままあるが、わたしは寝ていたし、体は起き上がっていないはずだ。しかしタオルケットは丸まっているし、体はどこにも見当たらない。

 不意に、部屋の中が妙に明るいことが気になった。寝る前に電気は消していたし、カーテンも遮光性の高いものを使用している。

 部屋の中は薄暗く、電気がついている訳ではない。それならカーテンが開いているのだろう。

 そう思考して窓を見たわたしは、更に驚くことになる。

 わたしの体はそこにあったのだ。

 カーテンレールから伸びるロープに首を吊られ、窓からの明かりに照らされた状態で。

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