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営業時間が終わると、わたしは即座に閉店作業を始めなければならない。フロアに客がいると、その人が帰るまでエスカレーター横でお辞儀をしながら待たなければならないが、本屋の客にそこまで粘る人はほとんどいない。みな蛍の光の音楽とともに、いそいそと店を出ていった。
客が見えなくなるやいなや、わたしはレジの閉局作業を始める。これが遅れると須賀の仕事が終わらなくなり、わたしも害を被るのだ。
「ほら、バイトは帰っていいわよ。お疲れさま」
「お疲れさまですぅー」
「お疲れさまです」
女子高生二人組が頭を下げて去っていく。
「須賀さんは帰らないんですか?」
「うん、俺ちょっとやることあるから」
「仕事熱心ですねー」
「そんなことないよ」
「じゃあ、お疲れさまでした」
「うん、お疲れ」
「俺は帰るっス。これから飲みあるんで」
「うん、お疲れ」
バイトが去り、がらんとした店内にひたすらレジのキーを叩く音がする。
「店長、何か手伝うことありますか?」
「いえ、大丈夫よ。襟裳君、いつもありがとね」
「大鳥さんは……」
「大丈夫です。すみません」
「じゃあ、ちょっと、俺、調べたいことあるんで。残ってていいですか?」
「いいわよー。襟裳君ならいくらでも残っててくれて」
つまり、わたしはすぐ帰れと言うことか。そんなことわざわざ言わなくていいのに。人をイライラさせることが好きなのか。
ビー、ビー。
「あ」
イライラして間違ったキーを押してしまった。チッと、後ろで須賀が舌打ちをした。
「すみません、終わったんで店内清掃してきます」
「はい」
怒られる前に、わたしは須賀の近くから逃げ出した。
平積みの本を綺麗に整え、棚から抜かれて適当なところに置いてある本を元の位置に戻し、エレベーター横のベストセラーのラックを片付ける。
それから雑誌コーナーの整理。ここは立ち読みでしょっちゅう本の位置が変わるのでなかなか面倒だ。揃え終わって俯瞰で見たら同じ雑誌が二面出ていると思ったら、一方は同じ大きさの別の雑誌が下にあったなんてこともままある。そんなもの見つかった日にはまた須賀から説教を食らうので、流れ作業では出来ないのだ。彼女は何故か、雑誌コーナーにやたら固執している。
「大鳥さーん、これ、お客様の返品だから直しといてー」
「はーい」
コミックコーナーの整理を始めた途端、須賀から声がかかった。
「じゃ、私もう帰るんで。戸締まりしっかりお願いします」
渋々カウンターまで行くと、本を手渡されてそう言われた。
「襟裳君ももう帰るわよね?」
「え? あ、はい。そうします」
須賀は襟裳と連れ立って出て行った。ああ、須賀も襟裳がお気に入りのようだ。
わたしは須賀の後ろ姿をまじまじと眺めた。伸び散らかした髪に、猫背、陰気な顔立ち。決して格好いいとは思えない。それなのに須賀も四葉も象井も、彼を気に入り彼の周りに集まる。わたしには、全くそれが理解できなかった。
「ふぅ」
小さく息をつき、須賀に渡された本を売り場に戻す。早めに店を出ると、須賀や襟裳に出くわす可能性があるので売り物の本を読んで三十分ほど時間をつぶした。
念のため戸締まりを確認し、制服を着替えて、ついでにタバコも一本吸った。ゆうに一時間はかかったと思うのだけれど、従業員出入り口を出た所には襟裳が立っていた。
「あ、大鳥さん」
手に持った細いタバコが消えないように注意しながら、彼は軽く手を振った。
「……お疲れさまです」
私を待っていたのだろうか……。いや、まさか。そんなことはないだろう。
「なんか須賀さんにご飯誘われちゃって、断ったんですけど一緒に帰るの気まずかったんで……」
それでタバコを吸って時間をつぶしていたと言う訳か。
「そうなんだ。お疲れさまでした」
私は礼をして襟裳から離れようと歩き出した。
「あれ? 大鳥さん今日は駐輪場じゃないんですか?」
「ああ……」
わたしは普段は交通費節約のために自転車で通勤している。そして、襟裳は原付で通勤しているため従業員用の駐輪場でたまにあう。逆方向に行くわたしに疑問を持ったのだろう。
「今日は暑かったんで、バスで来たんです」
「そうなんですね……」
「はい、それではお疲れさまでした」
わたしはやっと職場から離れることが出来た。
しばらく進んでからふと後ろを振り返ると、襟裳がまだこちらを眺めているのが目に入り、心の底からぞっとした。