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「兄崎さん、どうされました?」
ややあってナースが病室に入ってくる。傍目には寝ているだけの老人を見、眉を顰めたが、すぐにナースコールに伸ばしたままだらりと垂れ下がっている手を見て自体の異常さに気付いたようだ。
「どうかされましたか!?」
駆け寄り、すぐさま老人の状態を確認する。老人の状態を抱えて起き上がらせると、勢いよく背中をたたき出した。
バシン、バシン、と骨を折ってしまうんじゃないかと思う程強く何回も叩かれる背。しばらく叩き続けると、老人の口から何かが吐き出された。
「兄崎さん! しっかりしてください!」
老人は咳き込み、息をし始める。もう大丈夫だろう。
わたしは安心して、部屋を後にした。
寝るという自覚はないのだけれど、わたしは確かに寝ているのだろう。そして、起きれば必ず『わたし』の病室にいた。
今日こそはバイト帰りの襟裳を尾行し、追いつめてやると決めていた。しかし、夜までにやる事はない。
わたしは何となく、わたしが助けた老人の様子を見に行こうと思った。
病院の中はどこも同じような風景で、病室にたどり着くまでにうろうろと迷ってしまった。
『この辺りだった気がするんだけど……』
同じようなドアのネームプレートを確認しながら歩いていると、女の人の話し声が聞こえてきた。
「そんなことがあったんですね……」
声のする方へと歩みを進めると、上品そうな老婦人と看護婦が離している。
「ええ、ご自分でナースコールを押されるだけの力があったのですぐに助けられましたが、あと少し遅ければ……という状況で」
「主人は、もしかしたら死にたかったのかもしれません」
老婦人は、あの老人の奥さんなのだろうか。昨日中庭で、老人の車椅子を押していた人だと思う。
「え、」
「もう物を食べれない事も知っているはずですし……最近は動かない体にいらだっている事が多かったですから」
「そんなことないですって、どうしても食べたかったんですよ。お饅頭」
「わたくしにはそうは思えないのです。もう、主人も死を待つのみの体ですし、わたくしも至らないことばっかりですし、何の楽しみもないじゃないですか。主人は本当に趣味人と言いますか、遊ぶ事が大好きでしたし、わたくしとしても、主人を今のままただ生き長らえさすことが本当の幸せなのか……」
「兄崎さん」
看護婦は言った。
「そんな事を考えてはいけませんよ。兄崎さん、旦那さんの方だって病気と一生懸命闘ってるんです。周りの私たちがそんな暗い考えではダメですよ」
「でも……主人の病状は……」
「その事については先生から詳しいお話がありますので……そうですね、こちらでお話ししましょうか」
看護婦は兄崎夫人を連れてどこかへ行ってしまった。すれ違うようにして、『兄崎タケゾウ』のネームプレートがかかった病室に滑り込む。
兄崎老人は、ベッドの上で点滴を打たれながら憮然とした表情をしていた。
「主人は、もしかしたら死にたかったのかもしれません」という、先程の夫人の言葉が頭に浮かぶ。ベッドの上から動く事も出来ず、話によれば食べる事も出来ず、生き長らえるだけの人生。
昨晩、わたしが助けた意味は本当にあったのだろうか。
もしかしたら、彼は本当に死にたがっていたのではないか。
ベッドの上の兄崎老人の顔を覗き込む。深い皺には、生きる事への疲れが刻まれているようだ。
『誰だ?』
兄崎老人の視線がわたしをとらえた……ように見えたのだろう。
『ああ、口の悪い嬢ちゃんか……あんた、なんでこんなところにいる?』
この老人も、わたしが見えているのだろうか。にわかに信じられず、わたしは自分自身を指差した。
『この部屋に嬢ちゃん以外誰がおるのだ。あんただよ、あんた』
三人目のイレギュラーの登場である。この病院は、霊感のある人間を多数収容しているのではないかという、くだらない考えが頭をよぎった。




