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黄泉平が言うところの解脱――わたしにとっての幽体離脱――は誰でも出来る訳ではないらしい。黄泉平やわたしのように、世界に選ばれた人間だけがその技を会得出来るのだと彼女は言っていた。
そして、彼女はこの状態になる為の最適な方法として、外部からの刺激を推してきた。
『刺激って、例えばどんな?』
彼女の長話に付き合ううちに、わたしの口調はくだけたものになっていた。こんなに話すのは、普通に人として生きていた頃を含めても、久しぶりだ。
『ふふうううん。痛みとか、かな?』
『そうなんだ。わたしはなんか、ぼんやりしてたら出来るんだけど』
そう言うと、黄泉平はむっとしたように言い返す。
『うろんちゃんだってね! 出来るよ! そのくらい! でも時間かかるんだもん。しょうがないじゃんかー』
『え、うん。ごめん』
『まあ、今度するときに試してごらんなさいな。すぐに解脱出来るから』
『そうね』
『あとはね、色々裏技もあるんよっ! ねっ!』
『裏技?』
『そう、例えばねー』
そう言って黄泉平は屋上と階段を隔てる扉に手をかけた。
『通り抜けフープ!』
そのまま半身のみを扉の向こう側にすり抜けさせ、手足をばたばたと動かした。
『どう? うろんちゃん、羽ばたいてるように見える?』
『あー、うん。そうねー』
『なんで驚かないの!? 通り抜けすごいじゃん!』
『うーーーーん』
ここは驚いた振りをした方がいいのだろうか。しかし、私の演技は棒以下だ。演技だとバレたら余計に相手を傷つけやしまいだろうか。
『まさか、ユーコも通り抜け出来るの!?』
『うん。まあ』
そう出なければここには辿り着けない。
『なーーーーんだ。ちぇっちぇっちぇっ』
『ごめん』
判断が遅れたせいで黄泉平を傷つけてしまったのかもしれない。ああ、嫌われてしまっただろうか。でもそれでわたしと二度とあいたくないと思ってくれたのなら、まあ、それはそれで。
『ふうううううううううん。じゃ、もっとすごい物見せてあげる! おいで!』
そう言って彼女は空高く舞い上がった。
『いや、わたしそこ行けないんで』
『どゆこと?』
『わたし、そんなとこ行けないんですよ』
黄泉平は顔面に疑問符を貼付けながらわたしを見下ろした。しばらく悩んだ末に、すとん、と屋上に降り立つ。
『ユーコは空を飛べない! そうでしょ?』
言うや否や、再び中空高く浮き上がり、縦に回転。まるでおとぎ話に出てくる妖精のように縦横無尽に空を舞う。
『どう? どうどう? うろんちゃんすごくない?』
ドヤ顔で見下ろしてくる黄泉平に、わたしは素直に賛辞を述べた。
『すごいと思うよ。わたしには出来ない』
『でしょでしょ? でもねーユーコもすぐ出来るようになるよ! うろんちゃんが教えてあげるんだから!』
『そう、ありがとう』
『あとね、他にもすごい技いっぱいあるよ! 見せたげたかったのはねー、ポゼッションとか。でもユーコにはまだまだ早いかな。とりあえず飛べるのだけ教えるね! これはあんまカッコいい名前とか考えてなかったんだけど、何がいいかな? ムーンウォークとか? ださいかな? もっといいのないかな?』
黄泉平が言う事には、地上に立つという意識を捨て空中を泳ぐように信じ込めば空を飛べるようになるらしい。らしい、というのも、彼女の説明には指示語や擬音語擬態語が多く、理解するのが難しいものだったからだ。
手取り足取り教えてもらったが、わたしはその空中浮遊の技を身につける事は出来なかった。他人の体に触れるのは、これも人間として生きていたときを含め、かなり久しぶりの事だった。
それは黄泉平も同じのようだ。わたしの手を取る際、少しだけためらっていた。もしかしたらわたしたちは似た者同士なのかもしれない。同じような境遇の、他者との接触を拒む物だけが幽体離脱が出来るのかもしれない。もしかしたら、この状況はわたしの妄想の中なのかもしれない。
はっとして顔を上げた。
黄泉平うろんは、わたしの妄想が作り上げたイマジナリーフレンドなのかもしれないと言う考えが頭によぎったからだ。
黄泉平はわたしを見た。
今、わたしは黄泉平に手を取られて病院の上空にいる。
黄泉平が、何かを思い出したようにわたしの手を離す。
支えを失ったわたしの体は、ゆっくりと高度を下げる。
まるで、空に吸い込まれるようだと、わたしは思った。




