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少年とその母親から隠れるように、わたしは病院の中に逃げ込んだ。子供は苦手だが、家族も苦手だ。よく分からないが、眉間が痛んで鼻の奥がツンとしてくる。
病院のフロントには機能の夜と違ってたくさんの人がいた。一人一人とぶつからないように、気をつけながら歩く。やはり、誰一人としてわたしに気付いたそぶりを見せる人はいない。
入院病棟へ繋がっている廊下を曲がった瞬間、嫌な気分が全身を駆け巡った。
『ひいっ』
情けない声を上げて地面にへたり込む。そのまま振り返ると、セーラー服姿の女の子が駆けて行く後ろ姿が見えた。
恐らく彼女が、わたしの中を通り抜けていったのだろう。体中がゾワゾワする。人に中を通り抜けられるのはこんなに気持ちが悪いものなのか。これからは今以上に、人にぶつからないように気をつけて歩かねばなるまい。
両腕で自分をさすりながら、よろよろと自分の病室にたどり着いた。中には誰もいない。あまつさえベッドも空である。
『……検査にでも行ってるのかな?』
そんな事を昨日医師と刑事が話していた気がする。
わたしはからのベッドに腰掛け、嫌な気分が去るのをじっと待った。
しかしまあ、だるさもつかれも感じはしないが、人がすり抜けるだけでこんなに気持ちが悪いとは、思わぬ弱点である。そういえば女に入り込んで警察に電話したときも相当ダメージを受けた。あのときの気持ち悪さが四十度の熱が出たぐらいだったが、今回のは軽い二日酔い程度のものだ。
動けなくはないが、出来る事なら休んでいたい。それに今のわたしには、動かなければならない理由も無い。仕事があるなら家を出るけど、休みの日なら寝る。その程度のだるさ。
『まあ、今となっては毎日が日曜日みたいなもんだもんね』
わたしは意識して独り言をいい、ベッドの上にごろんと横になった。
体調に集中力を取られるが、わたしには考えなくてはならない事がある。我が家への侵入者のことだ。きっと彼が犯人に違いない。
しかし犯人はなぜわたしを殺す必要があったのか。自慢ではないが、わたしは人の恨みを買った覚えは無い。もちろんわたしが聖人君主だからと言う訳ではない。人との関わり合いを徹底的に避けているからだ。
東京にいたころはまあ親しい友人もいたし、少し若いときには彼女が好きな人とわたしが仲がいいと言うだけで、ある女の人にとてつもなく嫌われた事もある。もしわたしを殺したい程憎む人がいるとしたら、彼女くらいなものだろう。だがしかし、彼女とは十年近く会っていないし、もう当時好きだった男性の事は忘れているころだろう。なにより、彼女がもともと住んでいたところから引っ越して、海を挟んだこの県に偶然一緒に住んでいる可能性は極めて低い。十年の時を越え、わざわざ私を追ってくる執念があるのならば、もっと早くに手を打っていた事だろう。
『ってか警察は犯人は男だって言ってたし……』
わたしに恨みを持つ男性。……全く思い浮かばなかった。
『犯人は恐らくわたしに恨みを持つ人物、もしくは無関係で通り魔的な犯罪。二十代から三十代、もしくは四十代以上の可能性も。男性の可能性が高いが、女性の可能性も捨てきれない……なんてね』
わたしは大きく伸びをして、ベッドから降りた。
とりあえず、事件現場に戻って他の証拠を手に入れるより他にこの疑問を解決する方法は無いように思われた。
病院から出たところで、見慣れたセーラー服の姿が目の端を掠めた。
『あ! さっきの!』
わたしの中を通り抜けた女子高生だ。どうせなら顔を拝んでやろうと後をつけてみた。
『………………』
「………………」
『………………』
「………………」
しばらく無言で歩いていた女子高生が急に走り出した。そのまま出発寸前のバスに乗り込んで行ってしまった。
わたしはしばらく呆然としながら、彼女を乗せたバスを眺めていた。




