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「意識不明!? なんすかそれ? テレビみてーっスね」
「…………」
須賀から説明を受けると、象井ははしゃぎ、襟裳は顎に手を当てて何かを考えるそぶりをしていた。
「なんか言ってました? 事故とか……自殺とか」
「ぶはっ襟裳さん、なんすかそれ、めっちゃ受けるっすね」
「さあ、聞いてないわ。襟裳君、なんか知ってるの?」
「いえ、気になっただけです」
「そう。そう言えば襟裳君、スニーカー変えたのね」
須賀は襟裳の足下に視線を落とした。どれだけ襟裳の事を見ているのだろうか。ババアのくせに色気づいていて気持ちが悪い。
「ええ、まあ。ダメでした?」
「いえ、そんな事無いわ。わたしも気になっただけよ」
須賀は上目使いでにっこりと笑った。吐き気を催したわたしはブックス・セサミから速やかに逃げ出した。
しかしまあ、逃げ出したところで特に行く当てもない。とりあえず足を進めていたら、自然と職場から自分の家までを徒歩で帰るルートを歩いていた。
すれ違う人々は皆、帽子をかぶったり日傘を差したりして日差しから自分を守っている。吹き出る汗をタオルで拭いながら必死に炎天下の中を歩く人を見て、あながち幽体も悪くないんじゃないかとも思う。
暑さも湿気も感じないし、伸びっぱなしの髪もまとわりつかないので結ぶ必要もない。眼鏡が無くても遠くまで見えるし、だるさも疲れも感じない。体は軽いわ、肩こりは無いわ、いい事尽くめである。
ちょっと試しに走ってみた。体が軽く、まるで夢の中のようだ。このまま空を飛べそうな気さえしてくる。
普段なら徒歩で十五分、バスでも十分程かかる道を五分くらいで駆け抜けた気がする。あっという間にわたしのアパートの前にたどり着いた。
建物の前にはパトカーが停まり、部屋の入り口には黄色と黒の立ち入り禁止テープが張ってある。
見えるはずは無いのだが、こっそりと忍び込むと中でいつもの警察官二人組が話している。
「寺井さん、人が侵入した気配があるみたいです」
「どういうことだ?」
「はい、下足痕が残ってます。ここと、ここに」
これは、鑑識と呼ばれる人なのだろうか。男が寺井に話しかけた。
「サイズから男性ものと思われます」
「……つまり」
「ええ、昨晩この部屋に侵入した人がいる可能性が高いってことですね」
『え!?』
わたしは驚きの声を上げ、とっさに口を手で覆った。刑事らがこちらを見たような気がして、慌てて部屋から飛び出した。
他の人に私の声が聞こえる事が無いと気付いたのは、家を出てからしばらく歩いたころだった。
『侵入者が、いる』
口に出すと、ぞっとした。
『昨日、わたしの部屋に……?』
その人がわたしを殺そうとしたのだろうか。首を吊って、自殺に見せかけようとして。
わたしが幽体離脱をしている隙に、部屋にこっそり忍び込んでくる男の姿を想像した。わたしが寝ているだけだと思い首を絞め、持参したロープを使ってカーテンレールに吊るす。そんな事が出来るのはきっと大男だろう。大男はそこまでやって、『わたし』の生死を確認しないで部屋をあとにした。それから隣人カップルの喧嘩が終わってわたしが戻ってきて、首を吊る『わたし』の姿を発見したのだろう。
『えーっと、そうしたら、大男の目的は何になるんだろう。一応わたしは女だけど、同行されたような事は無かったみたいだし……殺すのが目的だとしたら、犯人はわたしの事を知っている人物……?』
「あ、あの……すみません」
『え?』
自分に向かって話しかけられたのかと思って声を上げてしまった。
『あ、間違えた』
そんな事有り得ない。わたしの姿は他の人間には見えないし、声も聞こえないはずだ。
「間違えてないです。お姉さん」
目の前に立っている少年が、顔をわたしの方に向けながらそう言った。
『わたしに何か、用なの?』
恐る恐る尋ねると、少年は大きく頷いた。
「あの、ぼく、病院に戻りたいんですけど、道が分からなくなっちゃって」
少年は一言一言、はっきりと噛んで含むように言った。わたしに言うというよりは、自分自身に言い聞かせているようだった。
さらさらの髪の毛を風になびかせている少年。左目は眼帯をしている。病院に戻ると言っていたが、目が何か悪いのだろうか。眼帯の無い右目も、あまり焦点が合っているようには思えない。そもそも他の人には親でさえ一切見えないわたしが見えている時点で何かしらの異常はありそうだ。
「あ、あの……ごめんなさい」
『あ、ああ、こっちこそごめんね』
少年は右目に涙を浮かべ始めた。慌てて取り繕って話しかける。
『病院って、大きな病院の事かな?』
この辺で一番大きな病院は、わたしが入院しているところだ。
「はい、そうです」
『じゃあわたしも同じとこに行く予定だから、一緒に行こうか?』
「ありがとうございます!」
出来るだけにっこりと笑うように心がけ、少年を連れ立って病院へ向かった。
「あの、ぼく、目が何かおかしくて、道とかよく分からなくなっちゃって、その、ごめんなさい……
『いいよ。私も病気みたいなものだから』
子供は苦手だ。何を話していいのか分からない。それに、優しく笑いながら子供と話す自分と言うのが余りにもキャラにあっていない。出来れば病院に着くまで一切会話せずにいたかったのだが、少年は何故か執拗に話しかけてくる。
「ぼく、もうすぐ目が治るんです」
『そう』
「お姉さんはどこか痛いんですか?」
『痛い?』
「だって病院に行ってるって」
『ああ、まあ色々あってね』
「いろいろ?」
『そう、色々』
「……ぼく、ウルトラライダーが好きで」
『そう』
「治ったらライダーになる学校に通うんです」
『ライダーになる学校?』
「うん。お母さんが、ライダーになる学校に行かせてあげるって」
『………………』
そんな有り得ない事を約束されるなら、この子の目は一生治らないってことなんじゃないかと思って少し悲しくなった。
隣を歩く少年の顔は美しい。どこぞの子役としても十分やっていける顔だろう。暑い中、汗をかいているのに清潔さを漂わせている。言葉遣いも丁寧で、育ちの良さを伺わせる。
『まあ、天は二物を与えない的なやつかな……』
「え? てんは? なんですか? それ」
『いや、なんでもないよ。それよりほら、病院ついたよ』
わたしの方を見上げていた少年は、立ち止まって病院の入り口の方を向いた。それから目を細めて、じいっと児童ドアの先を見つめる。その先で、白い服を着た美しい女の人がわたしたちの方を振り返った。
「ゆうちゃん! どこ行ってたの」
「お母さん!」
少年はその人の元に走り出した。少年の母親もも近づいていき、少年を抱き上げる。
「もう、どこにも行っちゃダメって行ったじゃない」
「ごめんなさい。でもお姉さんが」
「お姉さん?」
「うん、ぼくをここまで連れてきてくれたの」
「そうなの? じゃあお礼を言わなくちゃね。どの方?」
「ほら、あっちにいるよ」
「どこかしら? あの人?」
少年の母親は見当違いの人の方へ、少年を抱いたまま歩き出した。
「違うよー。あっち」
少年はわたしの方を指差す。お母さんは少年を地面に下ろし、わたしの方を大きな瞳で眺める。
「……あっちには誰もいないわよ?」
少年の母親は、悲しそうな顔をして少年を見下ろした。




