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もう一人のディアナ

これは、大好きなディルの芳香?


師匠が一番はじめに教えてくれた調合を思い出す。


私がお母様に笑って頂きたくて、すこしでも元気になって頂きたくて作った初めての鎮痛薬。


お母様の笑顔を見る事は叶わなかったけど、師匠が褒めてくれた私の薬。


死んでしまったら、もう二度と薬作りも出来ないと思ってたけど……

天国にも薬草はあったのね。


だって、ほら。

エキナセア、エルダー、クレソン、チコリ、ベルガモット。


私の知ってる大好きな薬草の香りがする。

これなら天国でも一人で生きていけそう、良かった……



「全然、良くなんかない!!!」


穏やかな眠りを突き破った甲高い声は、ディアナの瞼を反射的に開けさせた。

突然の怒号に胸がドキドキと早鐘を打つ。


ディアナが横たわる寝台に上半身をもたれた女性は、ディアナが目覚めた事にも気づかない様子でなおも続けた。


「何が良かったよ!こんな小さな身体で一人で山越えなんか無茶に決まってるわ…………私だって、本当は昨日みたいな吹雪の夜は山越えはゴメンだけど、急患だって言うから父さんに馬車を出して貰ったのに。…こんな死にそうになってるのに、譫言が『良かった』だなんて……」


掛布に顔を伏せたままの女の声はこもって途中からよく聞こえなくなったが、怒りは薄れたようだった。その代わりブツブツと独り言のように呟きはじめた彼女をディアナは茫然と見詰めた。


というのも、ディアナにはまだ状況が理解できなかった。

ここは何処なのか、目の前の女性は誰なのか、何故自分は生きているのか。


確認したい事は山ほどあったが、ディアナは彼女に声をかける事が出来なかった。

女は何も喋らなくなると、肩を震わせ嗚咽をあげていた。


泣いている……


この人は何故泣いているのだろう。


あぁ、でも…………。



「泣かないで…?」


ディアナは女の震える背中を見詰めると、軋む身体を細い腕で支えながら、寝台から起き上がった。女はハッとした表情をするとディアナに駆け寄った。


「あっ、……貴方気が付いたのね⁉

ちょ、ちょっとそのままで、そのままで待ってて!お父さん、お父さーん‼」


「……」


不思議な人、さっきまで泣いていたのに、もうそんなこと忘れてるみたい。

背のすらっとした活発そうな人。

年頃は私よりもいくつか上だろうか、薄茶色のウェーブのかかった髪が柔らかそうだと思った。


ディアナは女が消えていった扉を見やると、そこには森の植物を乾燥させた物を器用に編み込んだリースがいくつも飾られていた。


微かに感じた薬草の香りはこれから?


他にもあるのかと部屋中を眺めると、リースはその幾つかだけで、代わりに乳鉢ですり潰された状態の薬草が長机に置きっぱなしにされているのに気付く。


これは……ディアナが山小屋で一番よく作っていた薬、創傷や熱傷に効果のある調合。

彼女は……



****



「うむ、熱は下がったがまだ暫くは絶対安静にしてないといかん。なにせん、原因がはっきりとしない、感染症か腫瘍か、服毒か。……まぁ、君がそんなに落ち着いているところを見るとそう慌てることもないだろう」


彼女が連れてきた白衣を着た壮年の男は医者らしく、ディアナの胸の音や熱を計ると訝しげな目線をディアナに向けた。


「……ここは?」


この人達が悪い人間だとは不思議と思わなかった。だが、何故この人達が私を助けたのか知りたかった。


「ここは父さんの診療所よ、あなた雪山で倒れてそれから5日間も意識が戻らなかったんだから!たまたま、私が通りかかったから良かったもの、本当ならあんな雪山に女の子一人で山越えなんて考えられないんだからね!」


そう堰き止めた川が氾濫するように、声を荒げた女は、よくよく見ると頬や目が赤らんでいて感情的になりやすいタイプなのだろう。もしかしたら自分よりも歳若いのかもしれない。


「まぁまぁ、テミス。そんなに幕したてたら、お嬢さんが驚いてしまう」


「だって、父さん。わたしっ…」


追ってきた涙に言葉を奪われた彼女の肩を、『父さん』と呼ばれた医者は宥めるようにポンポンと叩いた。


「あぁ、わかってるよ」


父親というのは娘をこんな優しい瞳で見るものなのか。

生まれた時から父親を知らないディアナにとって、この親子の姿は衝撃的だった。

ディアナはその光景を、ただ感慨深く見つめた。



医者は涙で娘の顔に張り付いてしまった髪を、払いのけてやるとディアナに向き直った。


「お嬢さん、この子はこの5日間、ほとんど寝ずに君の看病をしてたんだよ、きついところはあるが君を心配するが故だ悪く思わないでやってくれ?」


医者が微笑むと、彼の顔に深い皺が刻まれる。

日に焼けて黒ずんだ褐色の肌は、ディアナが知る誰とも似ていなかった。


この人は何故私に微笑むのだろう。

なんで彼女は私の為にそこまでしたの?

なんで私の為に泣いているの?


ディアナには理解出来なかった、見ず知らずの、それも国境沿いの森にろくな装備もせず行き倒れていた女など普通は助けない。関わり合いになる事すら誰もが嫌うだろう。だから彼女が寝ずに看病したなど聞かせれても信じられなかった。


ディアナが驚いて声を出せずにいると、娘は鼻を啜りながら掠れた声で父親に反論をした。


「余計な事言わないでよ、もう!……あなたも気にしないで。私がキツイ性格なのは生まれつきだし、看病だって当然のことなんだから」


先程まで泣いていた彼女の瞳はまだ潤みを帯びて、髪と同じ色の薄茶色の瞳がキラリと日の光を受けて輝いて見えた。


「……きれい」

こんな綺麗な人を見たのは久しぶりだと思った。



口から零れた言葉は、あまりに小さな声で、娘と医者はディアナがなんと言ったか聞き取れず、「えっ?」っと戸惑っていた。


「いえ……ありがとう…ございます」

漸く口に出来た感謝の言葉は、今のディアナの気持を伝えるには足りない。それを補うかのように、ディアナは大きな瞳からボロボロと涙を流した。


「うむ……気にせんでいい。人間は助け合って生きるもの、当然のことだよ」


「喉が腫れているから辛いでしょう?声も掠れて可哀想に……」


彼女達は、ディアナの涙を見ると心配そうに肩や手を握って慰めるように囁いた。その箇所から伝わる暖かな体温は、ディアナがこれまで一番に望み、そして叶えられる事がなかったものに酷く酷似していて、涙を止める事などできそうになかった。


ディアナが泣いている間中、娘はディアナの薄く小さな肩を腕に包むと「もう大丈夫だから」と何度も呟き、力強く抱き寄せた。医者はそんな二人を、どこか懐かしそうに、切なそうにただ静かに見守り続けた。


ディアナが落ち着いてくると、医者は穏やかな表情を浮かべて微笑んだ。


「ここには完治するまで居てもらって構わないから、じっくりと休んでいきなさい。心配することはない、私は医者だし、それに娘はこれでも薬師だ、私達には患者を治す義務がある。君は安心して自分の身体の事だけ考えなさい」


医者の言葉は、初めて会ったにも関わらずディアナにとって信頼できるものの様に感じた。ディアナは遠慮も敬遠する事なく、素直に彼らに従おうそう思った。

ディアナがこくりと頷くと、寝台に腰掛けていた娘は嬉しそうに立ち上がり父親に並んだ。


「私はテミス、父さんはガルシア、今は買い物に行っているから居ないけど母さんもいるわ。私達はここの下で診療所と薬屋をやっているの、あなたの名前は?」


ディアナ、直ぐにでもそう伝えたかった。

だが、レオンでは魔女の名前として嫌われている名だ。彼女は国境沿いの森にいたのだし、もしかしたらレオンの噂を知っているかもしれない。

もし、自分がレオン国のあのディアナだと分かったら、この優しい人達は微笑みかけてくれなくなるのだろうか?

そう考えると、恐怖で声が出なかった。


「私……私は………………」


長らくの沈黙を破ったのはテミスと名乗った娘だった。


「……貴方さえ嫌じゃなかったら、貴方の事ルナって読んでいいかしら?」


庇おうとしてくれたのかもしれない、名前を語らないディアナを救おうと言ってくれたのかもしれない。

だが、テミスのディアナを見る眼差しがあまりに不安げで、そう望まれているような錯覚に至る。


嫌な訳がなかった、もとより誰にも必要とされないディアナでいたくなかったからレオンから逃げてきたのだ。

厄介者のディアナより、テミスに笑いかけてもらえるルナでいたかった。


ディアナがまた、こくりと首を振るとテミスは何も言わず、黙ってディアナの頭を優しく撫でた。


「テミス、お前……」

ガルシアは痛まし気に娘たちを見つめると、目頭を抑えながら部屋を後にした。

そんな様子にディアナは気づく事もなく、ただテミスの指が自分の長い髪の毛を梳くのをずっと目で追っていた。


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