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模倣

ここは空高く天に近き、王族達が暮らす神の領域。今日も民の誰もが天を見上げ崇めたて祀るその場所に王妃フレイアが治める女の園、後宮はある。

大陸にあるどの国に於いても、国王陛下の為だけに存在するその場では、日がな女達が美しさと寵を競い合う。たが、レオン国王レオニードの後宮では少しばかり事情が違った。



精霊ジンは困惑していた。


それは目の前でヘレナ付きの侍女が、彼に差し出そうとしたお茶をひっくり返したからでもなく、それがヘレナのふんわりと膨らんだ水色のドレスの裾にかかったからでもなく、はたまたすぐ側で見ていた他の侍女が顔色を変えて火傷だ跡が残ったら大変だとか騒いでいたからではない。


問題は彼のその左腕にびったりとくっついて離れない美貌の少女であった。


「あのさ、部屋は広いんだしもっと余裕を持って座ったらいいんじゃない?」


三分前、ジンは背の低いテーブルを挟んで向かい合うヘレナをじっと見ると、助けてくれと口をパクパクと動かした。


だが、一連の騒動のお陰で彼女はそれどころではないらしく、一向にこちらをみてくれない。

なので仕方なく苦虫を噛み潰したような面持ちで、腕を壊死させる勢いでしがみつく仲間に優しく問いかけたわけだった。


「そんな照れる事はない、ジンとフェンリルは結ばれる定め。我らの再会を阻むものなどここにはいない」


そう言って、ピクリとも表情を変えず、淡々と恥ずかしい事をいって除ける少女がジンは苦手だった。


「だからぁ、照れてるわけじゃなくてこのままじゃ腕が死ぬんだって‼」


体温が摂氏マイナス10度が常温の少女は、そんなことお構いなしにジンの腕を冷やしていく。

本体が風のジンでさえ、長い間フェンリルに触れていると、身動きが取れなくなってしまうのだ。


「腕が使えなくなっても、フェンリルとジンの運命は変わらない。心配するな」


もう一度言おう、本気なのか冗談なのか読むことが出来ないこの少女をジンは心底苦手だった。


「あ~~~っ‼話が通じないっ!誰がこの子なんとかしてよ」


ジンが我慢出来ず声を張り上げると、漸く落ち着いたらしいヘレナが話に加わってきた。どうやら火傷はなかったらしい。


「あら、フェンリル。積極的なのは素敵だけど、あまり殿方にしつこくすると嫌われてしまうわ」


おっとりと品の良い可愛らしい顔立ちをした彼女は、レオンハルトの許嫁でフェンリルの宿主だった。

その白く丸い顔には、いつも笑窪が浮かんでおり、ジンは彼女に会いに来るたびになんだかマシュマロが食べたくなった。


「そうか、ヘレナが言う事はいつも正しい。フェンリルは言う事を聞く、ジン嫌わないでくれ」


「っ‼もういいよ。……別に嫌ってるわけじゃないし」


ヘレナが一言嗜めるだけでしおらしくなったフェンリルは、根が純粋なだけに思った事をそのまま言う。

生来捻くれ者のジンからしてみると、それは気恥ずかしくまともに応える事が難しいのだ。

抑揚のない彼女の声が僅かに悲しげに聞こえると、ジンは照れ臭そうにごちた。


やっと解放された腕をさすり、フェンリルから逃れる為に長椅子から飛び跳ねると、ジンは彼女の手の届かないよう宙に浮いて見せた。


嫌ってるわけじゃない、それは本心だった。ただ苦手なだけ、彼女に会うといつもそう思う。


だが、そんなぶっきらぼうな言葉もフェンリルにしてみたら肯定だったらしく、気付けば彼女の目には光が宿っていた。


「それプロポーズか?フェンリルはジンに似た女の子が欲しい」


ジンがいなくなった長椅子の上で、長い足を伸ばした彼女は、ジンを上目遣いで見詰めると艶めかしくも身体をくねらせた。


「ばっ、ばばば、馬鹿!どこをどう聞けばそうなるだよ。それに、フェンリルはまだ子供だろ?年寄りをからかうんじゃない」


柄にもなく動揺してしまったジンは、後ろめたさを隠すように彼女を叱りつけた。


なまじ見た目だけが大人だから悪いんだ。

まだ、自分達精霊の部類では産まれて間もない彼女だが、属性の特徴で周囲のものを魅了する力を持っている。

彼女の年頃は、容姿に内面が伴わない分厄介だ。無自覚にそれを振りまくのはいただけない、いちいち反応してしまうのは雄に生まれついた悲しき性だ。


自分の勝手な妄想を棚にあげて、彼女のせいにする。彼女はまだ何も知らないのだから仕方がないのに。


「本当不思議ですわぁ、見た目はジンの方が小さくて可愛らしいのに、うちのフェンリルの方が年下なんて」


フェンリルなんかより、よっぽど可愛らしいのはあんただ。

安堵感を与えるヘレナの微笑みは、種族の違うジンですらつられてしまう。

下でブスッと、いやいつもの顔で拗ねている氷とは大違いだ。


「へへっ、おいら達風の眷属は、あまり歳を取らないからね。逆にフェンリルの様に氷の眷属は幼体が短くて成体の期間が長いんだ。おいらはこう見えても三百年は生きてるからねぇ~フェンリルなんて赤ん坊位にしか見えないよ」


「む、フェンリル赤ん坊じゃない。ジンともう結べる」


「そうゆう事簡単に言えるから子供なんだよ」


ふう~っと呆れて溜息を大きく吐くと、フェンリルが大人しくなったので、ジンは床に足を付けるとそろそろと再び長椅子に腰掛けた。


「そういえば、レオンハルト様はお元気かしら?離宮を出られてからだから、もう五年もお会いしてないわ」


急に話を変えたヘレナだったが、本当のところジンを見た時からずっとその事が聞きたかったのかもしれない。


『少しでもおかしな動きをみせたら俺に知らせろ』

レオンハルトは彼女を警戒してるようにそう言ったけど、ジンにはとても彼女が主にとって害をなす人間には見えなかった。


「えっ?主様?うん、元気だよ。相変わらず顔は怖いけど」


突然振られた主の話題に、どう答えたら良いものか戸惑い、結果思った事をそのまま口にした。

風の精霊であるジンは、よく言えば正直者、悪く言えば頭を使う事が苦手だった。


「まぁっ、ジンは面白いわね冗談を言ったりして」


「別に、そんなつもりはないんだけどなぁ」


楽しそうに笑う彼女に合わせて、ジンも苦笑いで返す。

暫くの間、彼女やジン、そして彼女の侍女の笑い声が部屋に立ち込めると、一息つくかのようにヘレナは新しく入れ直された紅茶に口をつけた。


「でも、そう……お元気なら本当に良かったわ」


その言い方には安堵が含まれていて、嘘を全く感じなかった。

ジンは意外だと驚いた。


「へぇ~珍しい、ヘレナは主様の事そんなに嫌ってはいないんだ」


てっきり、ヘレナも他の王族と同じでレオンハルトを嫌っていると思っていた。何かと従来の王族の在り方に反発する主は、議会は勿論、同じ王族からも異端児として煙たがれている。だから彼女が最後に会った五年前から彼は離宮を出て、それ以来王城で寝泊まりをして滅多に離宮へ戻らない。

そんな殆ど一緒に過ごした記憶もない名ばかりの許嫁に、彼女が嫌悪感を持っても仕方のない事だと思っていた。


彼の問いに返ってきたのは、更に意外な言葉だった。


「嫌うなんて……私はレオンハルト様と出会って世界を知ったのよ?そのお陰でフェンリルも呼ぶ事が出来たのだし、私がレオンハルト様を嫌うなんてなことはあり得ないわ」


そう言えば、彼女は生まれ持っての宿主ではなかったなと思い出す。

神の血を引きし王族には、その血の濃さに応じて精霊が宿る。中には全く精霊を見る事の出来ないものもいれば、レオンハルトのように常に精霊を召喚して側におくものもいる。

でも、だからと言って血が濃くないものは永遠に精霊を宿らせる事が出来ないわけではなかった。稀に成長過程で何らかのきっかけで精霊に気に入られるものも過去にはいたのだ。


「ふぅ~ん。主様ってば罪作りだねぇ。こんな可愛いくて良い子を不幸にして」


主に言われた命令が脳裏を掠めると、この健気に主を想う少女を不憫に感じる。主とて彼女の事が嫌いなわけではなかろうが、その生まれついての血ゆえ信じられず、疎ましいのだろう。


だが、うっかり口にした憐れみを彼女はあっさりと否定した。


「不幸なんかじゃないわ、私にはフェンリルがいるし、こうやってジンも遊びにきてくれたじゃない。それにここだけの話……さっきお茶を溢した侍女のマーサは見ていて飽きないのよ」


「フェンリルもヘレナとジンがいて幸せ」


それまで黙って話を聞いていたフェンリルは、すっとジンの隣から立ち上がると、向かい側のヘレナに触れないながらも寄り添った。


「うふふっ、ありがとうフェンリル、それにねジン、私子供の頃からお慕いしていたレオンハルト様と決められた事とはいえ一緒になれて凄く嬉しいのよ」


「うーん、なんかそんな台詞前にも誰かが言ってた気がするんだけど誰だっけ?」


デジャヴだろうか、昔、それでも最近誰かが同じような事言った気がする。

頭をかきながら、思い出そうとするとその記憶は簡単に蘇った。


あぁ、あれはディアナが言ったんだった。


今は皆の記憶から消し去られた主の最初の許嫁。

ジンが珍しく思ったことを口にせず紡いだのは、主を慕ってるというこの少女があまりにも昔のディアナに雰囲気が似ているからだった。



「ヘレナ幸せ、フェンリルもジンも幸せ、レオンハルトも幸せか?」


「ふふっ、私はそれを願うわ」


思い出した途端に何故だか違和感が生じた。仲睦まじく笑う、ヘレナとフェンリルはあ今彼の眼前にいるはずなのに、どこか遠い昔のことに感じる。

この既視感はなんだろうか。


楽しそうに戯れる二人を見ながら、ぼんやりと思考を手繰り寄せていると、すぐ側で茶請けの苺のタルトを台車に乗せて運んできた侍女が、裾の長い侍女服を踏んで足を滑らせた。侍女が押していた台車はタルトごと無惨にも部屋の壁にぶつかり騒音を立てた。



……ねぇ、あの侍女は大丈夫なのかい?


思わず突っ込んでしまいそうになって、周りを見るが誰もが驚きもせず平然としている。ヘレナに至ってはより一層嬉しそうに微笑む始末だ。



その音で気がそがれたジンは、気を取り直して再び二人の会話に入っていくことにした。


「そういえば、明日の晩餐会で主様との結婚発表するんだろ?どんなドレスで行くんだい」


「あっ…ええっ。たぶんこの間仕立てて貰った黄色のドレスを着ると思わ……」


「…………」


なんだ?空気が凍った。

「えっ、おいらなんか悪いこと聞いた?」


「レオンハルトは悪い奴、ヘレナは待ってるのに手紙よこさない」


目つきの険しくなったフェンリルは、噛み付く様にジンを睨んだ。


「フェンリル‼……よしなさい」

まるで猛犬を叱るように大声を出したヘレナは、それまでの穏やかな彼女ではなかった。


「でも、ヘレナを悲しませるレオンハルト嫌い」


「あのっ…!もしかして主様、何かやらかした?」


顔色の変わった彼女に微かな不安を抱きながら、恐る恐るジンは尋ねた。


「いいえ、レオンハルト様は何もされてないわ」


彼女の言葉に嘘はなかった。

だが、これまで微笑みを絶やすことのなかった彼女の表情から、見逃せぬ程の哀しみが溢れ出ていたのをジンは目の当たりにしてしまった。



結局、夜になるまで核心を聞き出すことが出来ないまま、ジンはヘレナの部屋から退出した。

見送りに出てきたヘレナはもうもとの人に安心感を与える笑顔を浮かべていた。まだ幼いフェンリルは、頑張って昼に起きていたせいか、日暮れと同時に長椅子で眠りに落ちたのでジンが奥の寝室に運んだ。


「今日は楽しかったわ、明日の晩餐会でレオンハルト様にお会いするだけど……ジンは一度戻るのかしら」


本来なら主の命通りヘレナから離れたくないところなのだが、このままでは拉致があか無いと思い直したジンは一度この場を離れることにした。


「そうだなぁ、久しぶりの離宮だからちょっとばかり遊んでこうかな、ほら他の精霊にも会いたいし」


離宮で暮らす他の精霊ならば、もしかしたらヘレナが言いたがらないことも聞けるかもしれないし。ジンの腹の内など知らないヘレナは、優しげに囁いた。


「そう、でもあまり夜遊びはダメよ?おやすみなさい」


ヘレナの言葉に黙って頷くと、彼女はドレスをつまんで淑女の礼をすると部屋の中に戻った。

ジンは彼女の気配が扉から遠のくのを感じると、廊下に誰もいないのを確認して主と交信した。


精霊は遠く離れていても、宿主と交信することが出来る。だからジンもこうやって定期的にレオンハルトと意識を繋ごうとするのだが、レオンハルトは普段からジンに心うちを隠そうとするので、大体がジンの一方方向で終わってしまう。


でも、今回は主様から顔を出せって言ったんだから。


そう思って意識を主に飛ばすと、鈍い反応が返ってきた。通常ならば寝ている時の反応なのだが、ジンは主がこんなまだ月が登り切らない時間に寝ているところなど見たことがなかった。


これは、主様もしかして気を失ってる?

でも、微かに反応があるところを見ると結界は張られてない。


なら簡単だと、ジンは本来の姿に戻ると夜風を吸収して樹々をざわつかせたのだった。


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