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時渡り

「初めに言っておくけど、時渡りと言っても私のは過去に行くわけじゃないから」


着慣れた黒の魔導着から骨張った白い腕を伸ばすと、薬品棚にしまっておいた魔力増幅薬を手に取る。

血みたいな赤色のそれは、プスプスと気泡が下から浮き上がっていて、とてもじゃないが人が飲める代物ではない。魔力が少しもない人間が飲んだら、たちどころに薬の毒にやられて死に至る師匠秘伝の魔法薬だった。


覚悟はあっても、とても飲めた風でないその見た目に、改めて唾をゴクリと呑み込んだところで王子は口を開いた。


「普通とは違うということか?」


散らばった薬草や魔術書に囲まれるように腰かけた王子は、壁に背をもたれながら眉を潜めた。

一見不機嫌に見える彼のこの仕草は癖みたいなもので、決して怒っているわけではないのだが、周囲には誤解を与え易い。


長い時間待たせたわりに、不機嫌な様子がないのが意外で、彼の空色の瞳をまじまじと見詰めると王子は驚いたように目を逸らした。


慣れてはいるが、いつまでたっても少し傷付く。

生まれつき金色の私の瞳は、この国の言い伝えで見るものに災いをもたらすと言われている。魔法使いにも珍しいこの瞳は、言い伝えの真偽はどうであれこれまで殆どの人間は目を合わすことを嫌った。

なので普段は術を掛けて色を一般的な茶色に変えていたが、今日はそのままだった。


術を掛けている時は、こんなことも無かったけど、やっぱり戸惑わせてしまったわね。


苦笑を誤魔化すように、彼に背を向けると疑問に答えるべく息を吸い込んだ。


「通常の時渡りは、過去に時空移動をして現在の貴方が過去に干渉する仕組みだけど、私のは違う。過去に戻る、って言うとわかりやすいかしら。ある時点の過去の時間迄、時を遡る、勿論王子は今迄の記憶を持ったまま過去に戻ることが出来る。ただ過去を遡るのは対象者の脳に負担をかけることになるから、チャンスは一度だけ。やり直しは効かないわよ」


「もし、繰り返し時渡りをしたらどうなるんだ?」


「……脳に負荷がかかりすぎるから、記憶に障害を抱えることになるでしょうね」


「記憶障害か……なぁ、お前は忘れてしまった記憶はどうなると思う」


「?…変なこと聞くのね。さぁ、過去の事例では一生失われたままだったと記録されているけど、事例自体が少ないから絶対とは言えないわね」


チラリと後ろを振り返ると、王子は俯いていた。

そうかと頷いた彼の横顔がどこか悲しげで、私は胸がツキリと痛むのを感じた。

彼がそんな顔をするのは、おそらく私の知らない人のことで、紹介もされていない私にはどうすることも出来ないのだからやめて欲しい。


「時渡りが成功した時の注意点を話したいのだけど、いいかしら?」


小さく咳払いをすると、私は王子と目を合わせないように彼の胸元を見ながら彼に声をかけた。


想いにふけっていた様子の彼は、頼むと言葉少なげに一言呟くと、顔をあげたようだった。


「王子が指定したのは一ヶ月前の晩餐会の夜だけど、私の力では着地点に誤差が出るかもしれない。と言ってもせいぜい数時間ぐらいの誤差だから多めにみて欲しいわ」


「そのくらいなら構わない、だが晩餐会に間に合わなくては困るのだが」


「なら、着地点を晩餐会の前日にしましょう。それなら焦る必要もないし、用意も出来るだろうし」


「あぁ、それで頼む。他には注意すべきことはあるか?」


「これは前にも言ったし、王子も知ってることだけど、時渡りは禁忌魔術として使用を禁止されているわ。だから、時渡りが成功しても誰にも悟られては駄目よ、真実を知っているのは時渡りをした王子1人だけ。過去の私にも知らせては駄目。誰かに告げるのはもちろん勘付かれても駄目。ばれると違法として処されるのは、王子の貴方でも確実だし、知った第三者によって未来が必要以上に変えられると時空に歪が出来てしまう。自分の都合よく未来を変えることは、同時に誰かの可能性を奪うことと同等なの。だから絶対に気付かれないで」


「……過去に隣国との境界で、原因不明の爆発が起きたことがあったが、もしかしてそれは時空の歪とやらが関係しているのか?あの時は俺はまだ幼かったから救援に行くことはなかったが、兄貴から話を聞いたらあれは人の手によるものではないと言い切れるほど酷かったらしい。なんでも国境の街そのものが跡形なくなくなっていたとか」


「師匠がよく言っていたけど……過ぎた干渉は身を滅ぼすって。つまりはそうゆうことよ、憶えておくことね」


王子はまた考えるように俯いてしまったが、私は気にせず彼の前に手を出した。


「じゃあ、見返りの許可証をちょうだい」


「お前は……そんなにまでして国から出たいのか!だったら何故今まで逃げずにここにいた、本当は」


急に声に熱がこもった王子は、私を責めるように言葉を繋げようとしたが、それを許さなかったのは私だった。


「私は‼……私は師匠を待っていただけよ。でも8年待っても帰ってこない、だから探しに行こうと思う。…………王子には今まで迷惑をかけたわね、約束破っても文句言わないんだからこのぐらいの我儘は許してよ」


これ以上、言って欲しく無かった。


これ以上言われたら、また勘違いしてしまう。

私が国から出ることを許せないのは、愛情からじゃないのでしょう?

幼い頃から一緒にいた私への執着心でしかない事を私は知っている。


だから、もう止めたりしないで。


約束を破られたなんて少しも思ってないのに、彼の私への後ろめたい気持ちを意地悪く利用した。

私の事なんて嫌いになればいい、そうしてくれれば諦めやすい。


自分の事しか考えれない自分に吐き気がする。



「今、許可証を出しても時渡りしてしまえば無かったことにならないのか?」


彼の疑問は魔術に関わりのない人間なら、当然のものだった。まぁ、通常の時渡りならば一緒に時空移動すればいい事だから、専属魔法使いでも知らない事だが。


私の時渡りは、師匠が残した魔方陣に魔力を注ぎ込む事で完成される。出来損ないの魔女の私は、陣の中に直接王子と一緒に入いらないと魔力を込める事が出来ないのだ。

つまり、この時渡りで過去に戻るのは王子だけでなく私もなのだ。

注意点の段階で嘘をついたのは、王子と決別するため。


自惚れてるわけじゃないが、王子は時渡りをしたら私が国を出る事を妨害するだろう。私まで時渡りをしてるなんて知ったなら、それこそ直ぐにも手を打ちかねない。


それに時渡りという非日常的な体験の中、誰にも真実を話せない状況下で私という秘密を知る存在がいたらどうしたって相談役にされるのは目に見えていた。


彼と彼の想い人の相談なんて絶対に無理。


そんな事になったら、私は自分の中の黒い感情を御せなくなってしまう。

彼を傷付けたくないと言えば聞こえはいいが、その実本当はただ自分がこれ以上傷つきたくないだけかもしれない。


だから私はまたひとつ嘘を重ねる。


「それは大丈夫。このペンダントの中に許可証を入れておくから」


首から下げた銀色の鎖で繋がれた星型のペンダントを取りだして、王子の前に差し出すと彼は不思議そうにそれを見た。


「このペンダントには記憶する魔力が宿ってるの、中に一度ものを入れると絶対に忘れないの。それがまだ生じてない未来で起こった事でもね」


「そんなもの何処で手に入れた⁉」


腕を組んで高圧的な表情を浮かべた王子は、あからさまに気に食わないと態度で示す。

私よりも頭二つ分位大きい王子に、上から睨まれるとさすがの私も身じろいでしまいそうになる。


だが、ここで負ける訳にはいかないので、こちらも必要以上に声を高くして張り合う。


「王子には関係ないでしょ⁉とにかく、貴方に心配され無くても平気だから。いいから、許可証を出してよ、じゃないと時渡りさせないわよ!」


叫ぶように最後は脅しながら言い捨てると、王子はむすっと黙りこくり、暫くの沈黙した。

その後、納得いかないが仕方ないと呟きながら、羽織っているマントの内ポケットから一枚の紙を取り出すと、私の目の前に差し出した。


「ふふっ、最初からそうすればいいのよ」


まるで悪役の台詞に、彼の高い自尊心は傷付けられたのか、酷く悔しそうだった。


「まぁ、いいだろう。手はいくらでも打てる、せいぜい喜んでおけ」


ふん、と鼻で笑った王子は私のよく知る幼馴染の姿で、ここ最近らしくない彼ばかり見てきた私を大いにホッとさせた。


憎まれ口叩けるようだったら、心配はないわね、良かった。


私の心中など、まるで知らない彼は拗ねて私に背を向けたが、私にしてみればかえってその方が都合が良かった。




「王子、彼女と幸せになってね」



不意に零れたのは本心で、彼の顔を見てなどとても言える台詞ではなかった。


王子の肩はピクリと反応したが、彼は直ぐには振り返えろうとしなかった。


それで良かった、もし彼が直ぐに振り返ってしまったならば、このみっともなく涙ぐんだ顔を晒さねばならなかったから。


彼の肩がゆっくりと呼吸を刻むように何度か上下すると、低い唸るような声で「あぁ」と小さく返事を返してくれた。



「じゃあ、そろそろやろうと思うけどもう聞きたい事とかない?」


切り替えようと、わざと明るい口調で微笑むと、いつの間にか振り向いた王子は漸く私を見詰めて口を開いた。


「お前は何も聞かないのだな」


王子の声が耳に響く。

私は一瞬言葉を失った。




いまさら何を聞けというの?


貴方と彼女の話を私に聞けというの?


貴方が私に話そうとしなかった事を私から聞けというの?


そんなの聞きたくないし、聞く必要ないじゃない。





だって、私は貴方の前から消えるんだから。




「私は…私には関係のないことだわ」



真実だった。


幼馴染としても不適切な存在でしかない私には、最早彼と彼女の未来など関係のない事だった。


それがこんなに胸に冷たく鈍い痛みが押し寄せるのは、紛れもなくまだ私が彼を愛しているからに違いなかった。


「そうだな」


肯定を口にした彼の顔に、表情はなく、ただそこにいるだけだった。

彼のこんな顔を前に一度見た事があった。あれは王宮で彼を利用しようと、後宮の陛下の寵妃が話しかけてきたときに向けた目だ。


蔑むでもなく、ただ映すだけの瞳。

彼が興味のない人間に向ける瞳に違いなかった。



あぁ、私は自ら彼の中の幼馴染としての私にとどめをさしてしまったのだな。


後悔よりも諦めが早かった、それでいいのだと。



私はずっと手に握り締めていた魔法瓶の蓋を開けると、グッと一気に喉に流し込んだ。


「他に何もないようだから、時渡りを始めるわ」


口元から零れた魔力増幅薬をローブの裾で拭う私を、硝子玉みたいな青く澄んだ瞳が映し出していた。




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