まじない
<求めるものには祝福を>
洋服屋コリントンの扉にはそう古代文字で書かれたボードがかけられていた。
古代文字は魔術師が術式を描く時に使う、魔力を持たないものには読む事が出来ない文字だ。
ソヨゴの街では、このような古代文字を街のあちらこちらで見かける。
例えば、街道でバザールを開く露店には必ずと言っていいほど<出逢いは必然>という古代文字がモチーフとして壺などの装飾品に描かれている。
これは一種のまじないのようなものだ。古代文字そのものだけでは魔法が発動される事はないが、文字そのものが持つ魔力によって物事をその言葉の通りに進ませる働きがある。
魔力を持ち生まれるものは、例外を除いて一国から数人でるかでないかだ。
ここソヨゴの街でも例に洩れず殆どの民は魔力を持たない。故に古代文字を読める人などいないはずだ。
それでもこれがこの国に存在するという事は、神国レオンと国交が行われている事を意味している。
魔力を持ち生まれたものは、その魔力が発現すると、レオンに呼ばれそこで魔導師として育成される。
それはレオンが、偉大な魔力で護られた魔法大国だからであり、世の理に反し例外的に王族が何らかの魔力を持って産まれる事に起因している。
現国王のレオニードは偉大な魔力を持っていたとされる初代国王レオンの再来と云われるほどの魔力持ちで、彼の魔力によりレオンは他国の侵略を防いでいる。また、レオンハルトのように自身は魔力を使う事は出来ないが、ジンのような精霊を宿しているものもいれば、ヘレナのように成長過程で徐々に魔力に目覚めるものもいる。
その魔力保有量や形態は個人差はあれど、建国から1200年余りの間、途絶える事なく魔力持ちを輩出してきたレオン王家は、いつしか大陸全土において神の子と囁かれるようになり、神国レオンとして、異端な存在と警戒されてきた。
「過ぎたる力は、時に身を滅ぼす」
古い言い伝えによると、初代国王レオンはその偉大な魔力を得る為に大きな代償を支払ったらしい。
彼が何を求め、偉大な魔力を得ようとしたのか。
その為にどんな代償を支払ったのか、それは今や誰も知り得ない。
ただひとつ明らかなのは、魔力という兵器を持ったが故に、神国レオンはいつの時代も争いの火種が燻る国家となった。
過ぎたる力は常に狙われ、護る為に強化した魔力により、魔力持ちは更に畏怖され孤立する。
レオン国の歴史はその繰り返しだ。
かつては多く存在した同盟国も今では数える程となり、レオン国と国交があるのは近隣諸国のみとなっている。
レオン国の隣国カルドナの首都、ソヨゴもそのひとつで、幅広い国交によって世界中から人が集まる文化の合流地点とも呼ばれる街だ。
レオンで産まれ育ち、閉鎖された環境しか知らなかったディアナにとって、ソヨゴの街で見るもの全てが新鮮だった。
見渡す限りの人々。
入り混じり聞こえてくる異国の言葉。
子供達の笑い声にどこかしら聞こえてくる軽快なリズム。
見た事も使い方もわからないような店に並ぶ商品。
褐色の肌に煌びやかな貴金属を纏って踊る旅芸人。
そして、その群衆の中で自分が一人ではないこと。
ディアナにとって、こんなに賑やかな日は初めてだった。
***
レンガ造りのその店は、表通りにあるテミスの薬局から3ブロックほど離れた街区の突き当たりに位置していた。
表通りの喧騒に比べ、まるで時が止まっているような印象を与える。
辺りには古くからの骨董品屋や、古本屋のような、お世辞にも決して華やかとは言えない店々が並んでいた。
「こんな路地裏に店出すからお客さん来ないのよ、せっかく表通りにいい物件見つけたのに……」
洋服屋コリントンに到着すると、テミスは不満げに呟いた。
「仕方ないだろ?前は爺ちゃんの時計屋だったんだから」
自分の店を前に天を仰ぎ見たリオンは、まるで自慢でもするかのような嬉々とした表情を浮かべていた。
空には太陽が登り、雲ひとつない晴天だった。
それを見たテミスは、やれやれと溜飲を下げ、ディアナに笑いかけた。
「リオ兄さん、こんなだけど本当に洋服作りが好きなのよ。時計屋だって本当は継げる位の腕前なのに」
「時計屋?」
ディアナがそう問いかけると、リオンは瞳に太陽の光を宿しながら、あいも変わらず少年が宝物でも人に見せるかのように指を差した。
「ほら、これ。爺ちゃんの父さん、オレのひい爺ちゃんがここで時計屋を創めた時からずっと動いてるんだ」
指の示す先には、洋服屋コリントンと掲げられた上に、大きな丸い時計が掛けられてあった。時計の淵には意匠が施されており、古ぼけて何を描いてあるのかはっきりとはわからないが、もしかしたら古代文字で描かれているのではないかとディアナは思った。
耳を済ますと聞こえる、チク、タクという低音に不思議と懐かしさを覚えた。
「長い間……一度も止まらずに?」
「毎日ひい爺ちゃんの代からネジを巻いてきたんだ。父さんはここを継ぐ事は出来なかったけど……オレの代で針を止めるわけにはいかないだろ」
嫌な予感がした。
リオンの表情は自信と決意に満ちていた。
それは、彼が父親から受け継いだ血脈の如く、脈々と当然のように降り注がれてきた先祖の愛情が今の彼に確固たる信念を抱かせるのだと思った。
自分には縁のなかったもの。
それをチラつかせる彼に、僅かな苛立ちと淡い羨望を抱いた。
「だから……貴方は強いのね……」
「ん?何か言った?」
ぽつりと零れた気持ちは、あまりに小さな声でリオンには聞き取れなかったようだった。
「ううん、立派な時計ねって言ったの」
ディアナは自分の中にある羨望がまだ綺麗なものであるうちに、そっと気持ちに蓋をした。
彼らの前で醜い自分を見せるわけにはいかない。
たとえ、作り物の笑顔でも彼らの当たり前の日常を壊さないでいられるならそれもいい。
そんな自分の機微に気づく事なく、仲良くじゃれあう二人をディアナは微笑ましく思う。
「もう時計屋じゃないのに変なの!」
「まぁ、ぐだぐだ言うなって!さぁ、入って」
リオンがここで店を開いたのが気に食わないテミスは、何かとリオンに突っかかっていく。理由などどうでもいいのかもしれない、彼女は自分の考える幸せが彼にとっても一番なのだと信じて疑わない。
それは、大切な人に愛された記憶のあるものだけが抱ける傲慢。
それを手慣れたように軽くあしらう彼も、また彼女と同じ側の人間だ。
リオンはディアナをそっと手招きすると、屈託のない笑顔でディアナを誘った。
その穢れない優しい手は、影を抱えたディアナにはひどく眩しく感じられる。
<求めるものには祝福を>
黄緑色に塗られた木製の扉には、客の幸福を祈るまじないが掛けられている。
その扉をリオンが開くと、チリリンと鈴のなる音が小気味良く響いた。
「ようこそ、洋服屋コリントンへ」
今更、祝福を得れるだなんてつゆほどにも思わないし、求め方だって遠の昔に忘れてしまった。
なのに、開かれた扉に救われた気がしたのはきっと気のせいじゃない。




