二人の願い
「頼む、一ヶ月前の晩餐会の夜に時間を戻してくれ」
私の足元に膝間づくように頭を下げた男は、こんな事をするような人じゃない。
何時だって自尊心が高くて、傲慢な態度をとる人。
この国の第三王子であり、私にとっては幼馴染であるが、もしかしたら彼にとっては腐れ縁でしかないのかもしれない。
金色の髪をさらさらと掻き上げながら、顔をあげたレオンハルトは眼光鋭く私を睨みつけた。
「嫌よ、時渡りは大罪じゃない。仮にも民が憧れる神国の王子様の貴方がそんなこと言うなんて物騒ね」
「神国の王子様か……そんな肩書き捨てれるものなら捨ててやるさ」
打ちひしがれたレオンハルトは、いつもの余裕ある彼とは違って傷ついているように見えた。
「王子が珍しく私に頼み事するから、ろくなことではないと思ったけど……悪い事いわないから、馬鹿な考えは捨てた方がいいわ」
「ふっ、馬鹿な考えか、分かってるさ。一国の王子がやる事ではない事ぐらい。……だが、俺は取り返しのつかない過ちを犯してしまった」
私から顔を背けた王子の横顔は、やはりいつになく沈んでいる。自分を責めるように強く握られた拳は、収めどころを探すが如く持ち上げられては下げられ、宙を彷徨っている。
私はそんな彼など見たくはなかった。
「時は誰にでも平等に与えられしものであり、誰のものでもない。貴方が時渡りをして過去と違った動きをすれば、誰かの時を奪う事になる。それゆえ時渡りは大罪にして禁忌、魔女である私でも簡単にはいかないわ、それほどその取り戻したいものと言うのは尊いものなの?」
「あぁ、彼女がどうしても俺には必要だ」
私の皮肉を散りばめた言葉など、耳には入らないように王子はごく端的に、それでいて唯一それが真実だと言わんとした。
こんな彼を私は見たことがない。
「……一週間時間を貰うわ、世間は私のこと魔女だ忌み子だ勝手に言ってるけど、実際はただ少し魔力を持って産まれただけ。王子だって知ってるでしょ?私がただの薬売りで、普段は山奥で細々と暮らしているただの女の子だって、準備が必要なの」
「俺がいくら世間にお前が魔女ではないと説明しても当人のお前がこんな山奥で一人で暮らしていては誰も信じないだろう、城に上がれば身の潔白も証明できるかもしれない」
身の潔白?
そんなもの出来ないから私はここにいるのに、王子は何もわかってない。
「私も再三言ってるはずだけど、城には上がる気もないし、そんな説明しなくっていいって昔から言ってるじゃない」
そんなこと、今更なんになるというのだろう。私が求めているのはそんなことじゃない、それにそんな事をしたら城での王子の立場を危うくするだけなのに。
私は乾燥して荒れた唇を噛み締めた。
「いいわけがあるか。魔女だなんだと言われてるせいで、こんな山奥に追いやられて本当ならお前は」
「もう過ぎたことよ、それより見返りは期待してもいいわよね?」
遮るようにぶつけた願いは、白々しくも虚空に消える。
見返りなど本当はどうでもいい。
ただ、これ以上王子に言って欲しくなかっただけ。
失った過去は簡単に取り戻せないのだから。
口の中で血の味がする。この間やっと裂けた唇の皮が塞がったばっかりだったのに、また噛んでしまった。
昔から感情が昂ぶると唇を噛む癖が出てしまう、何度治そうと思ってもやめられない。
先ほどから私の事などチラリとも見ようとしない王子は、そんなこと気付きもしない。
「何が欲しい、と言ってもお前の欲しがるようなもの俺に用意出来た試しがないがな」
吐き捨てるように呟いた言葉は苦笑混じりで、そういえばいつからか王子がこんな笑い方しかしなくなった事に気付く。
昔はそんな事なかったのに、何時の間にか私も王子も大人に成ってしまったという事だろうか。私までつられて苦笑したくなる。
「……そうね、貴方の願いが叶った暁には報償として、国境を越えるための許可証が欲しいわ。私ではお役所も出してくれないと思うし、強行突破なんて出来るほど魔力もないしね」
王子の願いを叶える見返りにはぴったりの要件。
前から考えてはいたが、なかなか行動にはうつせなかった。
私は意気地なしだ。
「それは、なんの為にだ」
折角の綺麗な顔にお馴染みの深い皺なんて浮かべちゃって……そんなに怖い顔で凄まないでよ。
内心は動揺してるけど、でもそこは長年の内に培った魔女らしい振る舞いでいくらでも乗り切って見せるんだから。
「わかるでしょ?この国には私の居場所なんてない。それは王子が一番知っているでしょう?……いいえ、責めているわけじゃないの。とにかく私はこの国を出たい、王子なら許可証くらい用意できるでしょ」
こんな時ばかり、王子としての彼を利用する私は意気地なしで卑怯者だと思う。
それでも、私に最後まで優しかった王子が断りなどしない事を見透かして私は彼の良心を抉るのだ。
「お前は……俺との約束をやぶるのか?」
ねぇ、こんな時ばかり見つめないでよ。折角ついた決心が鈍るじゃない。
「約束?あの魔女じゃないって世間にわからせてくれるっていうのだったら、もういいって言ったわ」
「質問を変える、お前は俺と離れても平気なのか」
「そうね、王子は私にとって唯一の幼馴染だし大切な人だわ。だから貴方の幸せを祈ってる。来月の結婚式にはおめでとうって言ってあげること出来ないだろうけど……その頃には貴方にはヘレナ様だっているし、その彼女だって取り戻せてるだろうし平気でしょ?」
「もういい、今のお前に何を言っても無駄だ。許可証の事は検討する、だがそんなに簡単に国を出れると思なよ」
「脅さないでよ、浮気者を責めもしない優しい幼馴染なんだから。ただ貴方の身分なら側室だっておかしくはないけど、あまりヘレナ様を悲しませてはダメよ」
「浮気者か……なんといわれてもいいが、約束は守ってもらう。一週間後またくる」
またな、といって乱暴に閉められた扉は、古ぼけた小さな小屋を豪快に揺らし、局地的な地震のように家具を揺らした。
あれは相当頭にきてるなぁ。
揺れる紅茶に自分の顔を映しながら、私は深く溜息をつく。
二十年幼馴染をやっていれば、嫌でも分かってしまう。王子がどれほどにまで、その彼女を取り戻したいのかも。
普段はもっと偉そうで、決して人に弱みなど見せないのだ。それは産まれた時からの付き合いである幼馴染にもそうなのだから、きっと王城でもそうなのだろう。
しかしヘレナ様だけに飽き足らず、浮気とは……結婚式も上げる前から大層な歌舞伎っぷりで。
でも腹立たしい想いも忘れるくらい、必死だったなぁ。
膝間づいたことなんて初めてだったろうに、躊躇いもしなかった。
それほど失いたくない女。
手に持った紅茶は、漸く静けさを取り戻し平素通り、ありのままの真実を映し出す。
私はぐっと紅茶を口に含ませた。
苦虫を噛み潰したような顔を、もう映すものはそこにはなかった。
嫌だわ……ただでさえ失恋してたのに、また失恋しちゃった。
震える手からティーカップが滑り落ちると、主の気持ちを反映したかのようにそれは床にバラバラに砕け散らばった。
私がハルトに淡い恋心を抱き始めたのは10歳の頃で、その頃にはまだ師匠と二人で暮らしていた。魔女としての才能は皆無だった私に、師匠は薬草学を教えてくれた。無口で無愛想な人だったけど、捨てられた私を救ってくれた師匠は優しい人だと思う。
師匠は私に王子とはもう関わるなと言ったけど、私の居場所を探し当てた彼は、城を抜け出してよく私のところに来たし、私もハルトの事が好きだったから師匠に隠れるように森の中であっていた。
私よりも二歳年上のハルトは、少し大人び始めていて、会う度私は胸を高鳴らせた。
でもそんな平和な時は長くは続かなかった。
12歳のハルトが婚約をした。
お相手は王弟陛下の一人娘のヘレナ様、ハルトとは従姉妹でもあるお方。血だけでは無く、美しさも教養も兼ね揃えた貴人。
喪に服していた民にとっては、待ち望んだ明るい話題。山奥に暮らす私にだって届くほどに国中が祝杯をあげた。
だから王子とは関わるなと言ったでしょうと、頭を撫でてくれたのは師匠で私は差し出された腕の温もりに縋り付くように泣き叫んだ。
散々泣き腫らして、腫れたまぶたと頬が治る頃には、私は始めての失恋を実感しそして心に蓋をした。
それからの私はハルトを名前では呼ばなくなった。
それは心の枷みたいなもので、自分への戒めでもある。
王子と呼ぶ度、自分と彼は違うのだと自分に言い聞かせる、彼は王子で私は魔女、住む世界が違うのだと。
それでも幼馴染として一緒にいる事を望んだ私は浅はかで馬鹿な女だ。
いくら恋心を封印しても、いずれまた傷つく日がくると知っていたのに。
そして二年後、師匠は突然姿を消した。そもそも魔法使いの師匠には、私の前から姿を消す事なんて朝飯前だったわけで、微々たる魔力の持ち主の私には気配を追う事はおろか、生きているのか感じる事さえ出来なかった。
それでも生きてると思えたのは、師匠がその辺の魔法使いに負けるはずが無いくらい強かった事と、王子が励ましてくれたお陰だった。
この10年間、私と王子は順調に幼馴染として過ごし互いを大切にしてきた。
王子は幼い日に約束した事をずっと守ろうとしてくれていたが、私はあの失恋の日からそんな事は願わなくなった。だって意味がなかった。いくら私が魔女では無いと、世間に認められても、ハルトとの未来はもう手に入る事はないのだから。
むしろ、いつまでも魔女と関わりあいになっていると王子に危害が及ぶような気がして、私は王子にもうそれはいいと何度も言った。
それでも約束を果たそうとしてくれる王子を、幼馴染として異性としても懲りもせずに好ましく思う愚かな私は、そうしてまた今日、馬鹿をみたわけだった。
ヘレナ様と結婚するくせに、その上どうしても欲しい女性がいるなんて。
そんなこと一言も教えてくれなかった。
その事実は幼馴染としての私を否定するものだった。
これでも自惚れていたのだ。
王子が幼い頃探してまで追ってきてくれたのも、公務が忙しくなってからも変わらず会いに来てくれたのも、王子にとって私は他とは違う特別な存在だからだと。
特別な存在?笑える。
何が特別なものか、心の内一つも明かさない関係が。
王子はいつだって私に、世間のこと政治のこと色々と聞かせてくれた。山奥に暮らして、たまに薬を売りに街に降りるくらいしか人と関わらない私の事を考えて、愉快にそしてわかりやすく話してくれた。私はそれが楽しみだったし、彼の事をよく理解していると思っていた。その中で彼の願いや望みなど一つも語られることは無かったのに。
特別な存在というのは、自分をかなぐり捨てでも手に入れたいものをいうのだ。
そう、あの自尊心が高くて傲慢な彼が魔女と呼ばれる私の足元に膝間づき頭を下げるくらいに。
王子に睨まれた時、私の心は酷く乱れた。
そんな顔しないで欲しい。
潤んだ瞳に熱情と迷いを浮かべてるくせに、いつものように睨まないで欲しい。
それは全部、特別な彼女がさせている顔なんでしょう?
だったら、私にそんな目で見ないで欲しい。
馬鹿な私でも自分と彼女の違いに気づいてしまうじゃない。
嫌と口に出したのは、認めたく無かったからだ。
ハルトに特別な誰かが出来てしまった事を、その為に彼が私を利用しようとしていることに。
王子の頼みなら、何を言われたって叶えてあげるつもりだったくせに。
気持ちを落ち着かせようと、王子に諦めろと言ったけど、返された叫びがあまりに悲痛に感じられて突き放すことが出来なかった。
彼女がどうしても俺には必要だ。
そんな言葉聞きたかったわけじゃない。
だけどその想いは、皮肉にも私の気持ちそのままで無視することなんて出来なかった。
だから私は決めたの。
彼の願いを叶えようと、そして私の想いを断ち切ろうと。
王子にとって特別じゃない私は、この国にいる必要も居場所もない。
本当ならもっと早くに国から出なくちゃいけなかった。
それでもズルズルと大人になるまで居続けたのは、王子が居たから。
王子にとって私が特別だと勘違いしていたから。
だから、なんの為にだなんて聞かないで。
今の私には貴方を傷つける理由しか言えない。
約束をやぶる気かなんて言わないで。
貴方だって守ってくれなかったくせに。
離れても平気なのかなんて、よく私に言えたわね。
嘘なんてつける筈がないじゃない。貴方にとって私は特別では無かったけど、私にとって貴方は特別なのだから。
ねぇ、ハルト。
私は決めたの、私にとって貴方は全てだったから、貴方が望むなら願いを叶えてあげるわ。
でもね、その代わり一つだけ我儘を許して?
私はもう貴方の側には居たくない。
ちゃんと、貴方の罪も業も私が背負うから、貴方の前から姿を消す私を許して欲しい。
だって私は貴方の事が大好きなのだから。




